発達障害就労日誌

色々あるけどまぁ生きていこうじゃないかというブログです。

クジラフェス2018、そしてクジラについて、あるいは美味とはなにか。

くじらは旨かった、という話を前にしました

以前、「好きなこと書いていいからクジラの話をブログでしてよ、ギャラも払うよ」というちょっと「それマジで言ってんですか」みたいな依頼がありまして、ノコノコとくじらを食べに行った結果「僕がモノを知りませんでした、申し訳ありません。これは本当に旨い食材です」となった出来事があったのは、以前書きました。

 

syakkin-dama.hatenablog.com

こちらですね。このイベントはマジでやばく、僕はひねくれものなので「まぁ、尾の身はそりゃうめえけどさ、まぁたいしたモンじゃなかったよ、食いたいヤツ食えば?」みたいなこと書こうと思ってたら、「すいませんでした」ということになったわけです。

クジラフェス2017in港区は、「ガチモノのクジラはマジでうめえよ」という「素材」としてのクジラをアピールするイベントだったと思います。確かに「肉」としてのクジラのポテンシャルの高さは素晴らしいもので、もちろんさまざまな問題はあるとしても、それでも「うまい」という結論は僕の中で揺るがなくなりました。

その一方で、「最高鮮度のクジラ」がうまいというのは、一つの極めて「現代的な」結論です。「クジラ」が最も消費されていたのは今より大分昔の話で、当時の食卓に上っていたクジラがここまで最高品質のものであったはずはない。愛された文化の根底になっていた「クジラ肉」はこのイベントで僕が食べたものではなかったはずです。

そんなわけで、「福岡でもやるけど、行く?」という声がかかりました。二つ返事で「行きます」と答えました。「今回は野外イベントだから、ぶっちゃけ質は多少落ちるかも」という話は事前にありましたが、僕は「それでこそ」と思いました。今度こそケチつけてやろう、という気持ちもちょっとありました。「最高鮮度でナンボの食いモンですね」という結論もありえると思いました。

で、最初に言うんですけど。すごかったです。「鯨食」という文化の底の深さを叩き込まれる最高の体験になりました。この場を借りて感謝させていただきます。

 

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はい、こちらがイベントのポスターです。下の方にいるマスコットキャラのバレニンちゃんは今回もいました。さぁ、語っていきましょう。

 

やってきました、鯨フェス九州&山口

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そんなわけで、新幹線で5時間くらい。やってきました博多駅。今回は駅前広場がそのまま会場なのでアクセスは最高。到着するなり「思った以上の人気で今は食えるものがほとんどないです」という状態になり、おいおいエライ人気だなという感じです。

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営業再開18時て・・・。壊滅しとるやんけ、というところから始まったわけですが、なんというか、今回のクジラフェス2018in博多、お値段設定が狂ってるんですよ。小鉢に入ったクジラ料理、オール100円。そりゃ食うわって話ですよ。

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んで、今回供されるクジラ料理はこんな感じ。まぁ、味レポは後ほどやるとして、とりあえずこの時間でも開いてるお店で鯨カツを食うことにしました。まぁ、ド定番料理。「揚げれば大体のものはうまい、ブラックバスも揚げればうまい」これが料理の鉄則です。そういうわけで、僕も鯨カツにはほとんど期待をしていませんでした。

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結論から言う。超うまい。クジラのクセがガツンとあり、齧ると強烈なうまみが口いっぱいに広がります。ものすごく味が濃いからとんでもない満足感があるんですが、食べてみて思ったより肉が薄いことに気づきます。これで大正解です。これ以上肉が分厚かったらクドくなります。「旨い食い物」ってのは、大体万人がウマイというものではありません。「クセ」や「臭み」と「旨さ」ってのはギリギリのところでせめぎあっています。この鯨カツは、まさにそのギリギリをついています。

これ以上クセが勝ったら厳しい、でもこれ以上味が平板になったらつまらない。まさに「クジラを食った」という満足感があります。この後、主催者の方に聞いたところ「鮮度は良いやつ買ってくよー」って話なので、おそらくタレに漬ける段階で一定の「熟成」のような工程を経ているのでしょう。

クジラは非常にうまみが多い食材であることは既知ですが、これはかなり驚きです。肉の鮮烈な香り、そしてそれを受け止める甘辛のしっかりしたタレ。非常にレベルの高い「料理」です。しかも、そのうまさはどちらかといえばジャンクフードのうまさ。人間の食欲を強烈に煽る、あの味です。気取らない、地に根付いたうまさです。

「最高鮮度のクジラは何のクセもない」という体験の後に、これは僕にとって非常に鮮烈でした。料理人にとって「クセのない食材」は「つまらない食材」でもあります。むしろ、非常にクセのある食材のクセを「個性」として乗りこなしてこそ料理。非常に水準の高い技術があることがわかってきます。…正直どうやってるかわからんけど。どうやんのあれ?

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最初はあんまり売れてなかったのかなーって感じでしたが、1枚目の通りじきに人間が無限に群がってました。そうなると思います。あれはマジでうまい。「炸裂する」うまさです。長崎行ったらこれは食った方がいいです。鯨専門店くらさき、覚えた。

 

さて、食っていきましょう

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さて、今回の鯨フェス2018in博多、テーマは「肉」ではありません。「シロデモノ」いわゆる、クジラの肉以外の部位です。皮下脂肪、筋など「赤肉」以外の部位もクジラからは大量にとれるので、それを食う文化があるわけですね。鯨汁、だご汁、粕汁、トマト煮など、さまざまな工夫を凝らされた鯨料理が並びます。

さて、クジラのシロデモノ。「さえずり」なんかは美食趣味の方はご存知でしょう。これはまぁ、クジラの舌です。さえずりのスープ、上品なカツオだしにさえずりから僅かに立つクジラの風味がたまらねえ。粕汁も実に上手にクジラを使ってます。歯ざわり、舌触りは、クニュクニュという感じ。スープのとても上品な浮き実です。

クジラの皮下脂肪や筋といった部位をさまざまな味付けで食べました。会場には、プーンとクジラの匂いが満ちています。この「匂い」が、食べ進めるうちに「食欲をそそる良い匂い」になっていくのが面白かった。味覚と嗅覚が、徐々にクジラに慣れていくんですね。トマト煮は少しケンカしてるかな?という感じだったけれど、好みの範囲だと思います。どれも、「これがうめえんだよ」というそれぞれの調理者の気迫を感じる良い料理です。

ここまで食べてみて思ったのですが、これ文脈として「ラーメン」に似てます。シロデモノは「それだけ」を食べてうまいものではありません。ダシ、具材、調味料、そういうものと組み合わせてこそ真価がでます。ここで面白かったのが、「クジラにはちょっとクセがあるから、味の強いものとぶつける」が必ずしも最適解ではないということです。

例えばカレー。十分に「美味」の水準ですが、クジラのくせはほとんど「野菜とクジラのスープ」である「野菜たっぷり鯨汁」よりもむしろ強く感じます。やわらかな野菜の甘みでくるんでやった汁は、ほとんどクジラのクセなど感じさせず、シロデモノのやさしい食感とあいまってまさしく「滋味」という感じです。身体の中に滋養がしみこんでくる、やさしい味わいでした。

他にね、まぁさえずりはうまいのは知ってる。ウヒョー300円、そりゃ食うよ。うむ、上品なカツオダシの上にクジラの風味がのり、舌触りがたまんねえ。後、「塩クジラ」こいつがまたガツンと強い。塩漬けの干物なんですが、クジラのうまみ爆弾。ただし、塩気もクセもガッツリです。このあたりから「借金玉という生物がきているらしい」と聞きつけた人類が集まり始め、

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「人生はままならない」という同意の握手が参加者同士で行われるというなかなかの人間が行われておりました。地酒なども入り始め、徐々に曖昧の様相を呈していきます。うむ、クジラうめえな。一癖あってうめえな。

 

クジラヒアリング大会ークジラは子供も食べられる刺身

そんなわけで「借金玉という生物を観測しよう」という人類がわりといっぱい集まったので、クジラヒアリング大会を催してみることにしました。これは喫茶店で行われたのですが、博多、何故か異常にコーヒーに気合の入った喫茶店が多く、ちょっと移住したくなった。うまいコーヒーを飲みつつ現地民の皆さんに色々聞いてみました。

すると、非常にはっきりした年代ごとの区別がわかりました。

50代、クジラは日常食材だった。食材の格付けで言うと、馬刺し>鯛などの刺身>鯨の刺身、という位置づけだった。シロデモノはむしろ高級という印象があったが、とにかくスーパーには並んでいた。「子供も食べられる刺身」だった。

40代 クジラは馴染みがある。月に2回くらい、ナポリタンスパゲティと同じくらいの頻度で食卓に上った。カツか竜田揚げがメインの食べ方。

20代 給食で年に2回くらい出た。家では食べたことはない。外食でもめったに食べない。でも、食べたことはある。うまいか、といわれると「あまり知らない」という印象。

これは、非常に面白い区分でした。僕は北海道の生まれで30代ですが、クジラという食材にはほとんど馴染みはありません。質の悪いクジラベーコンと、ちょっとお高い店で尾の刺身を食った、あとは居酒屋で「大してうまくねえな」と思いながら半解凍のクジラの刺身を食べた程度です。しかし、50代の人にとってはまさしく日常食だったわけですね。世代の断絶が起きている、ということです。

たまたまヒアリング会場に30代がいなかったのでこのあたりは不明ですが、どうもこのあたりで断絶が起きているようです。で、調べてみたら日本が商業捕鯨の停止を受け入れたのが1985年。なるほど、ちょうどここで断絶が起きたのはとても納得できることです。結果として、「失われた時間」が出来てしまった。鯨食文化はそこで一度断絶してしまったんですね。細々と生き残ってきたのはあるでしょうが、供給が止まれば当然ながら食文化は日常と離れていきます。

この是非については問題にしません。資源の保持はとても大事なことだし、結果としてクジラの資源が保全された、というのはあると思います。ここで重要なのは「クジラは一度、日常食から切り離されてしまった」ということです。

 

クジラの保存方法

今回は実際に調査捕鯨に関わる皆様からお話を聞くと、僕の大まかな理解ですが、クジラは「コンタクトフリーザー」という設備で捕獲とほとんど時間をおかず、即座に冷凍されているようです。マイナス50度で7時間という強烈な冷凍設備です。これは、いわゆる死後硬直が始まる前にカチンカチンに凍らせてしまう設備です。

現状「フレッシュのクジラ」はこのルートの場合流通不可能だということがわかりますね。そして、クジラの死後硬直は解凍したときに始まる。これが、前回の記事で書いた「強烈なドリップの発生」の要因にもなっているようです。この処理が食味のために正しいのか、僕には判断できません。現状、「味」のための研究などはほとんど停止された状態にあるとのことです。この辺には大人の事情があるんだろうな、というところで僕は取材を止めました。「最高のクジラの処理の方法」は僕にもわからないし、口出しできることでもありません。

ただ、「現状に満足はしていない」という言葉があったことだけは添えさせてもらいます。確かに、もう一工夫でもっと美味しくなる気はします。食肉の処理技術は桁違いに進歩していますので、「ベストな食味」を目指すことはできるかもしれません。この辺は消費者が現状のクジラをしっかり食べつつ、「もっとうまいの食いてえ」と言っていくしかないところですね。

このコンタクトフリーザーによる冷凍という処理も数十年前からあまり変化していないようです。つまり、こちらも時間が停まっている。これは取材した僕の勝手な思い込みかもしれませんが、停まった時間を動き出させたいという思いがあるような気が、なんとなくしました。僕としては、うまいくじらが食いたいので、「よっしゃ、動き出させようぜ」という気持ちがあります。皆さんはどうですか?

ちなみに、現時点でもクジラは非常に衛生的な処理を経て流通しています。この辺、会場に細かい説明がありましたが「すげえなぁ」という感じです。あの巨大な身体を海から引っ張り揚げて、うまい肉にする。これは簡単なことではありません。食肉処理というのは、完全なる専門技術です。牛や豚もそうですが、うっかりすると人が死にます。限られた状況下でベストを尽くしている現場の皆様には、頭が下がる思いです。

 

クセを楽しむ

さて、ここまで書いてきて僕は「クジラのクセを楽しむ」という文化が、きっとかつては存在していたんだろうな、という気がしてきました。これは、集まってくれた皆さんと一緒に博多ラーメンを食べているときに気づきました。本場の博多ラーメン、現在では方向性が二分化されているようで「これはほとんど豚のポタージュスープでは」とでもいうようなクリアでクセのないものと、ある程度意図的にトンコツの臭みを残したものがあります。そして、現地の皆さんに聞くと「クセがあるのが標準、みんな好き」と言っていました。

あの、ムワっとクセが香るスープにカラシ高菜と生姜、ニンニクなどを放り込むと、胃の底からこみあげるような食欲がやってきます。これは中華やアジアンエスニックなどにわりとよくある技法なのですが、臭みのある食材とスパイスを上手に合わせると「爆発」としか表現できない味わいの広がりが起きます。特にこれはジャンクフードの技法として汎用的といえるでしょう。一癖ある、しかしクセになる。食欲がガンガンかきたてられる料理ってそういうものじゃないでしょうか。

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それを代表する料理がこれだと思います。これは会場で供されていた、「クジラのオリーブオイルとオタフクソース焼き」です。これがね、うっめえのよ。まさしく漁師料理って感じですが。オリーブオイルの香りの上にこげたソース、そして肉のうまみ。爆発的にうまい。上品では決してないが、胃の底から腹が減る。これは人間をどんどんかきあつめる(こげたソースの香りに抗える人間などいるだろうか?)料理なので、必死で写真を撮ったんだけどこんなもんになった。許せ。

鯨カツもそうでしたが、これも調理方針としては同じだと思います。クセに強烈な味わいをぶつけて爆発させる。そこから産まれるまさに地に根付いた味わい。こういうのがうめえんですよ。クジラ、必ずしも「最高鮮度ならうまい」ではないですね。一定のクセや臭みを許容して尚、いやむしろクセや臭みがあるからこそ楽しめる美味がある。

僕は北海道の出身で、北海道の人間はどちらかというと「食材の新鮮さ」や「臭みの少なさ」を尊びます。しかし、クジラというのは本来保存性に優れた食材です。鯨捕らわば七浦潤う、なんて言葉もあるとおり「流通できる」食材だったんです。現代のような冷蔵設備がない時代でも、です。シロデモノもそうですが、臭みやクセを「美味」に転嫁する技術がきちんと存在しているのです。

こういった文化はきっと、商業捕鯨が停止してからかなりの部分が失われてしまったのでしょう。しかし、鯨カツがあり、様々な汁料理があり、オタフクソースとオリーブオイルで焼く人たちがいる。大丈夫、ちゃんと残ってる。そして、このイベントが「汁物」に寄ったメニューだったのもきっとそういう意味だと思います。

かつては「俺んとこの汁が一番うまい」、とでもいうような。現代だと、ラーメン屋が競い合っているような文化があったんだと思います。どれも、クジラ特有のクセをむしろポジティブに捉え、それを「押さえ込む」とか「消す」ではなく、相乗効果の「爆発」を狙う料理だったと思います。東京鯨フェスは「最高鮮度」だったのに引き続き、今度は「鮮度が悪くても、コンディションが悪くてもそれを楽しむ」という文化に触れた気がしました。そして、これはサンプルが博多だけなので言い切れないのですが、このあたりの地域にはそういった食文化が根付いているのではないかと思います。博多ラーメン、まさに「クセを楽しむ」料理ですしね。思わず2軒ハシゴしちゃいましたが、うまかったです。

 

時間はまた、動き出す

中華料理なんかでメジャーな思想ですが、良い料理とは「コンディションのイマイチの食材から美味を作り出す」ものです。世界中に、こういった料理は存在します。クジラは「最高鮮度なら信じられないほどうまい」ものであると同時に、バッドコンディションでも旨くできる、ものだということです。

クジラは「最高の素材を使ってうまくする」では片手落ち。むしろ、塩鯨のような「クセも臭みも大いにあるが、それをうまくする」文化でもあることを確認しました。まさしくそれこそが「食文化」だと思います。一杯100円の椀から立ち上るクジラの香りは、まさしく歴史の中でつむがれてきた文化の香りだったな、というとこです。カッコつけすぎですかね。

最初は「うん、やっぱクジラの匂いはクセがあるな」と思っていた空気も、2日目には「腹減るなこれ」になってました。クジラははるか古来から食べられてきた食材です。その「最高鮮度じゃなくても最高にうまくする」料理にも、再び目を向けるべきでしょう。そして、赤肉だけではなくシロデモノもガンガン旨く食っていく必要があります。うまい料理考えなきゃなー、負けてられないなーというところですね。クジラ料理の停まった時間、また動かしましょう。大丈夫、今は世界各国の調理技術が一般にも浸透してます。やり方はいくらでもある。

そして、「バッドコンディションでも旨くする」というと、まるで「まずいものをうまくする」みたいな感じですが、そういったクセや臭みを生かした料理というのは、人間の本質的な食欲を呼び起こすものになりえます。「美味」とは何かについて考え込まされる小旅行でした。それでは最後に僕の一つの答えとしてのレシピを提示してこのお話を終えようと思います。

 

塩鯨のチャーハン、中央アジア風。クミンの香り

塩鯨を刻み、ゴマ油でよく炒って、ある程度臭みを飛ばします。(謎の理由で信じられないほど泡立つが気にするな)そこに唐辛子とニンニクを投入し、香りを立てます。ここで、「腹が減る」としか言いようのない香りが出てきます。これは、「塩辛のチャーハン」なんかでも使う技ですね。ああいううまみ爆弾系の臭みのある食材は、油と合わせて火を入れてやることで良いところだけを取り出せます。(こないだ「塩辛のイカゴロは半分焼く」という秘密技をyoutubeで暴露してた人いましたね、あれは流石に秘密にするべきだったと思います。)

しかし、これでもまだ不足。クジラのパワーにメシが負ける。そこで投入するのがクミンです。実は、最初の炒る段階でホールのクミンを、仕上げに粉のクミンを加えます。これは、必ずしも良質とは言えない羊をうまく食うための、やはりアジアの技法です。もう少し複雑な辛味が欲しいな、と思ったのであら挽きの胡椒も投入。酸味が欲しいな、と思ったのでケッパーも少々。んで、卵を入れる。ラーメン屋スタイルの卵後入れ方式です。仕上げに紹興酒少々で香りを乗せて、ちょっと食感が欲しいので薬味の玉ねぎの千切り。唐辛子も振っとくか、こっちは韓国の。塩は味見ながら入れてください。たぶん、クジラとケッパーの塩でキマると思う。

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うめえ!

塩鯨はやっぱりうまみ爆弾ですね。強烈なうまみに支えられ、そこにスパイスの複雑な香りが乗り、ちょっと重たいな、というところをケッパーの酸と風味がシメてくれます。ハイパー無国籍クッキングですが、ほぼ予想通りの味になりました。カリっとした塩鯨も噛み締めるとクジラの風味が広がります。超うめえ。

ベーコンより扱いは難しいですけど、やはりうまいことやると破壊力は段違いです。わかってきたぞ、クジラのクセの使い方が。塩鯨500グラムくらい追加するか。これはうまい。クジラのツンと抜けるクセをスパイスがうまく押さえ込んで、奥深いジャンク美味を作り上げています。鯨カツと全く同じ方向性のうまさですね。

クジラ、うまいです。食いましょう。もし目の前にあるクジラがイマイチの品質でも、うまく食いましょう。これからの鯨食文化は、作り上げていくものです。

やっていきましょう。

 

逃避と気持ちの入れなおし日誌。いつも本当にありがとうございます。

いっぱい喋ってます

最近は、講演をさせていただいたり、商業媒体で記事を書かせていただいたり、あるいは借金玉バーなんてものを開催して拙い料理を出しつつたくさんの人に構ってもらったり、色んなことがありました。その度に大変ちやほやしていただけて「ああ人生頑張ってるといいことあるなぁ、みなさん優しいなぁ」…と思ったり、あるいは「もっと上手くやれたな…」と後悔したりしています。

僕は「語る」こと、あるいは「書く」ことに人生の多くを費やしてきました。(僕の中では語ることと書くことの間に区分はありません)二十歳くらいの頃は本気で作家を目指して挫折して、サラリーマンをやって挫折して、起業して挫折して、再び文章と語りが人生の多くを占めるようになるなんて不思議なもんです。

僕が人生を通して「やってきた」と言えるのは書くことだけで、柔道もギターもサラリーマンも料理人も起業も全て挫折しましたが、それらの経験を総動員して「借金玉」という存在が(存在なのか?)が成り立っている気がします。ささやかに、「まぁ、頑張ってきたよな」と自分を認めてやりたい気持ちも最近は出てきました。

僕をウォッチしてる人はわかると思うんですが、僕は承認欲求オバケです。認められたい、褒められたい、チヤホヤされたい。それが原動力です。(あ、あとお金も欲しい)ところが、この承認欲求オバケというのは「自己承認が低い」ことの裏返しだと思うんですよね。結局、自分で自分を認めてやれないから、塩水をガブガブ飲むみたいに無限の承認を求めるわけです。そういうの、もちろんモチベーション源としての有用さはあるけれど、必ずしもいいことじゃないですよね。

 

たくさんの人たち

色んな人がいるなぁ、と思います。感じのいい人もそうでない人も、上手くやれる人もやれない人もたくさんいます。そして、インターネットを通じた表現活動に生活の軸が移ると、やはりインターネットを軸にした表現活動を生活の軸にしている知己が増えるわけですが、これがまた実に多様な人たちです。

僕は今、人生で一番知人が多い時期を過ごしているのですが、僕の中で「かくあるべし」みたいな強迫観念になっていたものが、少しずつ減っていくのをとても強く感じます。僕が「かくあるべし」と思っていたところから大きく外れても、それは世間的には必ずしもまともと言えることでなくとも、心からの好意と敬意に値する人がたくさんいます。それっていいことですよね。

やはり、なんというか僕も大分フリーキーな人生を送って来たほうだと思うのですけれど、それでも「かくあるべし」みたいな脅迫観念ってやっぱり存在しているんですね、それなりに強固に。それはそれで、一種の自己規律としては大事なものだというところもあるかもしれないけど、冷静に考えてみると「かくあるべし」の根拠って思ったほど強くなくて、「あれ、なんであんなに焦ってたんだろ?」って思うことが多いです。

多くの人が、色んなものに縛られて、それでもある部分ではとてもフリーキーに生きていて、もちろん人生の全てがフリーキーにやれるわけじゃないんだけども、それでも僕あの人好きだよな、じゃあそういうところってそんなに強迫観念にしなくていいよな、そんなことを思いました。うまく表現できないんですけど、伝わってますか?

 

何を書いても叩かれはしますね

たくさんの人に文章を読んでいただくと、やはりというべきなんですけど怒られることもあります。それは、僕の至らなさであることももちろん多々あって、ある時期までは「批判には時間の許す限り目を通す」というポリシーでやっていたんですけれど、流石に最近は疲れ果ててしまって、目に入った批判の中で突き刺さったものには感謝を捧げる、という方針に切り替えました。本当はよくないと思うんですよね、本当のことを言えば批判も中傷も全部読んだ方がいいと思います。でも、ちょっと負荷が大きすぎる。「批判」ではなくて「中傷」に出会うとどうしても「ふざけるなよ」って思ってしまいますし、そういう感情ってとても制御し難いです。

特に、精神的に堪えるのが発達障害を持つ当事者からの罵倒で、「いや、それは違うよ」って思うことが多いんですけれど、言葉を尽くして説明してもやはり伝わらない。たとえば、僕を「詐欺師」と罵倒されている発達障害当事者の方がいらっしゃって、この方に僕はツイッター上で可能な限りの説明を尽くしたのだけれども、結局は何も変わっていない。

その方は僕がツイートをたくさんしていて、「発達障害就労『日誌』」なのに、仕事の毎日の日誌が書かれていないことから、僕を「就労していないし発達障害者でもない詐欺師」と罵倒されているんですが、この誤解を解くのは不可能に近いんだろうな、という諦めが出てきました。僕は今、会社を経営してマイクロな(ショボいともいう)事業をやりつつ、週に3日程度の営業マンとして働き、あとは文章を書いてご飯を食べているのですが、それが「就労」と認められないのはとても悲しい。僕なりに一生懸命、必死で働いているんですけどね…。

気持ち的にちょっと難しいのは、同じ発達障害を持つ当事者に対して「この人には何を言っても通じない、発達障害者だもの仕方ない」という発想を持つのもそれはそれで間違っている気がするんです。「ふざけるな、それは事実に反するし侮辱であり中傷だ」と怒る方が誠実な態度だと思うし、同じ発達障害当事者として見下すような態度を取りたくないんですよ。だから、これまではかなり「怒って」来たのだけれど。最近は「もう、ちょっとムリだな」と思うようになりました。

僕が色んな人やあるいは取るに足らない罵倒にいちいち激怒しているのは、色んな人に「やめろ」って言われたことなんですけど、僕なりに「でも、そこで怒らなかったらダメなんじゃないか?」って思いがあったんですよ。これは、ちょっとバランスを考えていくしかないだろうなって思います。「発達障害当事者だからしょうがない、悪意があるわけじゃないんだろう」みたいな考え方を採用するしかないのかな、って思います。あんまりしたくはないけれど。

借金玉はもちろん、ある種の商業性を帯びた存在なんですけど、純粋に商売にしたくはなくて、怒るべきところでは損得抜きで怒る人でありたいんですけれど、本当に難しい。でも、これからもまた怒ることはあると思います。それをやめたら一番大事なところが失われちゃう気もする。なんというか、死なない程度にやっていこうと思います。

 

カメがエサを食べるようになりました

最近あったささやかないいこととしては、冬を迎えて越冬環境(温室)に移行したカメがエサを食べるようになりました。僕はニホンイシガメを1匹飼っているのですけれど、こいつが本当にナイーヴなやつで、ちょっとした変化ですぐ拒食をするんですね。目がクリっとしてて顔が小さくて、とても可愛らしいカメなんですけどね。ワキャワキャとよく走り回りますし。本当に気が小さくて弱いんです。ミシシッピクサガメに押されて個体数が激減してるというのも「そりゃそうだよな」という感じがします。ミシシッピなんて、本当に強いですからね…。

栄養剤を与えたり、温度を上げたり、大好物のエビを与えたり色々やった末にやっと食べるようになったので、喜びもひとしおです。毎年この時期(越冬環境への移行時期)恒例の拒食なんですが、毎度ヒヤヒヤさせてくれます。去年は獣医さんに栄養剤を注射したりもしてもらいましたが、今年はなんとかこのまま乗り切れそうです。そういうささやかないいことを大事にして生きてます。

 

やっていきましょう

さて、ブログの更新が随分滞ってしまいましたが、書きたいネタはまだまだありますので、これを潮に復活させていきたいと思います。ただ、仕事のスケジュールが大変ひどいことになっており、全て僕の不徳の致すところで(実はこの更新も仕事からの逃避です)遅れている仕事もブログも他の仕事も必死で追っていきたいと思っています。

なんにして、「借金玉」で縁の出来たみなさん、あるいはこのブログを読んでくれるみなさんは僕に新しい世界を与えてくれましたし、もう少しこの方向に走ってみたいと思っています。まだやれることがあると思う、楽しいことばかりじゃないだろうけど、伝わっている人がいることが確認できたのはとても励みになっています。不義理ご無沙汰している方たくさんいらっしゃいますが、いつもとても力をいただいています。読んでいただいてありがとうございます。

まだやれます。至らぬことばかりのポンコツですが、やりたいと思っています。体調管理に失敗して高熱を出したり、躁鬱のコントロールに失敗して動けなくなったりもちょくちょく発生していますが、それでも年単位のスパンで見るといい方向に向かっているのは体感できます。書くことで一番治療されているのは僕自身です。

いつも僕の言葉は足りなくて、多すぎて、間違っていて、本当にすいません。もっと上手にやれれば色んな人を不快にせずに済むのにな、という気持ちは強くあります。もっと上手になるために、書いていくつもりです。

ぜんぜんだめ、なところがまだたくさんあります。そこは直していきたい。特に、仕事をきちんとスケジュール通りこなすことが、最近は非常に難しく感じています。文章を書くのが一種の義務になると、それに付随する辛さも出てきました。でも、それって当然のことで、それを上回る喜びがあるんだからグダグダ言わずに書きます。本当にダメならギブアップして休みます。そういう感じでいこうと思います。

これからもきっと、多くの失態とやらかしと怒られがあると思います。恥も晒すと思います。多くの人に失望されることだろうと思います。これまでもそうだったし、これからもそうでしょう。でも、諦めるつもりはない。僕は書きたいし、読んでもらいたい。僕みたいなあなたを救いたいし、僕が救われたい。僕みたいじゃないあなたも救いたいし、何より僕は救われたい。

まだ、借金玉は続きます。もし、気が向きましたら読んでくださるととても幸いです。本当にありがとうございます。少しずつ、僕は良くなっています。あなたのおかげです。まとまりも内容もない雑記で恐縮ですが、ここまで読んでくれて本当にありがとうございます。

やっていきましょう。やっていきます。

鯨フェス2017に行ってきました

呼ばれました

唐突に某社からお呼びがかかり「鯨フェスってイベントがあって、希少な尾の身とかもめっちゃ食えるから食ってよ。そんで、好きなように好きなこと書いて」ということになりました。もちろんギャラも出ております。

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https://www.facebook.com/kujirafes2017/

大変フリーダムな依頼で、僕としては「マジで何の指示も受けてないんだよ」としか言いようがないのですが、とりあえず「依頼があり仕事として行った」というのは明示しておく必要があり、このような書き出しになりました。

つまり、僕のこの文章には誰かの政治的な意図が含まれている可能性が全否定はできないということです。この世の情報は大体そういうものですが、まぁそういうわけで好きなこと書きます。マジで何の指示もされていない(証明できない事実)ので、怒られが発生した時のことは深く考えないことにしましょう。

それで、まずですけど。すごく良いイベントでした。大量の鯨肉と気合いの入った料理が並び、とりあえず「僕は鯨について食材としても無知だった」という感想があります。鯨、奥が深い。あと、写真がひどいのは許せ、とにかくセンスがないんだ。近いうちになんとかします。

 

政治的なお話

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で、まぁ鯨といえばこういう要素があるわけです。僕はこれに関して基本姿勢として「他人のメシにケチをつけるほど野蛮なことはない」という考え方を持っています。韓国や中国で犬を食材として扱うことにケチをつける人も結構みかけますが、僕はそういうの大嫌いです。気合いの入った文化相対主義者なので。あんたが嫌うのは自由、でも他人のメシにケチはつけんな。

僕は犬も鯨もうまければ食います。うまいか不味いか以外にあんまり興味がありません。もちろん、個人的な思い入れや信仰の問題で「食わない」という人を批判する気もありませんが、僕はどんな食材もとりあえず食うがモットーです。犬もわりとイケます。

「おまえは犬が可愛いと思わないのか」みたいな怒りはちょっと僕は理解できなくて、犬可愛いですよね。その上美味しい。これが両立するのが人間というもので、ミニブタだってニワトリだって普通に可愛いですよ。牛なんかめっちゃ懐っこいです。食ってよし愛でてよしというのは人間の本質で、別段なんの問題もないんじゃないですかね。馬だって可愛いけどうまいし。羊はちょっと無機質な殺人機械みたいな雰囲気があるので、成獣になるとあまり可愛いとは言えない気もしますが。

もちろん、生態保全や絶滅回避の意図で「鯨を獲らない」というのは一理あると思いますし、それは個体数なんかと相談してやっていけばいいと思うんですけど、基本的には鯨もうまいなら食えばいい以外に感想がありません。

この辺、参考資料としていただいた(どうしてもサムネイルにならない)

Amazon CAPTCHA

 こちらの「おクジラ様」(佐々木芽生著)という書籍に詳しいことが書いてあって、まぁ「そんな感じだよね」ってところなんですが、まぁ世の中厳しい。他人を尊重することは難しく、鯨をある種の神体として崇めるみなさんとの和解は難しそうです。

 

鯨はうまいのか、まずいのか

で、まぁ僕として問題はここなんですよ。で、正直に言いますと僕は鯨に食材としてあまりポジティブな印象は持っていませんでした。「まぁ、独特の風味のある肉だよね。水っぽくてクセがある。脂のサシの入った尾の身は脂の融点が低いだけあってそれなりの味だけど、やっぱクセはあるし別にそんな必死になって食うほどのモンではない」という感想でした。僕も結構興味はあるほうなので、そこそこ鯨は「見かけたら食う」くらいのことをしてきたのですが、その結果としてこれくらいの感想の人が多いのではないでしょうか。

実際、鯨がうまいのか不味いのかは意見が分かれます。捕鯨論争になると、この論点で人間が罵り合っているのをよく見かけます。で、味覚というのは土着的なものでもありますし、経験にも左右されますから「まぁ好きな人もいるんだろうなぁ」程度のところで僕は納得していました。しかし、正直鯨フェスの肉を食べて驚きました。

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これはフェスで展示されていたイワシ鯨の尾肉の端切れで、市場でもそうそう見かけない最高レベルの品質のものですが、このレベルの鯨肉には僕が「鯨特有のクセ」だと認識していた風味が存在しませんでした。脂は口の中でとろりとほどけ、獣肉とも魚肉ともつかない滑らかな口当たりのあと、花開くようにうまみが広がります。これは文句なしにうまいです。おそらく、マグロと馬刺しが問題ない人なら誰が食ってもうまいです。

肉の密度やモッチリとした歯ざわりは馬肉に劣りますが、代わりに口の中でほどけていく滑らかさがあります。そのうえ、とろける脂のうまさが乗っかってくる。もちろん、水分の多さに好みは分かれるかもしれませんが、客観的に見て「うまい肉」です。醤油つけてもいいですが、もう一工夫の余地があり塩ベースになんらかの風味を載せてやることで更に旨い可能性があります。また、フェスでは出汁醤油を置いていましたがあれもひとつの工夫なのかもしれません。(確かに合っていた)味のベクトルが「淡さ」にも振れていて、初鰹を好む日本人の味覚にハマる味です。

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「尾の身は鯨の中でも希少部位、うまいのは当たり前」と思うかもしれません。でも、この赤肉のローストは更に驚きでした。正直、「鯨は火を入れるとスカスカになって血なまぐさくてちょっと」という風に僕は考えていたのですが、このローストはその先入観を完全に裏切る味でした。

まず、臭みがない。その上、特有のうまみが非常に強くあり、火が入ることにより活性化している気がします。「スカスカ」という問題も、火入れが巧みなこともあり見事に解消されている。火の入った部分の噛みごたえとレアの部分の肉質が同時に口に入るのがとても良い。脂の不足はオイルベースのソースが見事に補っています。僕の嗜好が赤味肉に振れたのもありますが、僕はフェスに出た料理でもこの一品が一番うまかったです。つまり、質の良い鯨は廉価な赤肉の部分でも十二分にうまいんですね。鯨はうまい。これがまず事実です。

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これは尾の身の中でも1級、最上級部位ですが流石にすごいうまさです。やばい。初めてここまで品質の高いものを食いましたが、ちょっとよくわからなかったのであと2キロ食いたいです。赤肉もあと2キロ欲しい。くれ。なんでもキロ単位で食わなきゃわからないんだ。

 

鯨はまずい

さて、では「鯨なんて不味い、わざわざ食う価値なし」と主張されていた方はいわゆる舌バカで、イデオロギーで味覚がダメになった皆さんだったんでしょうか。僕は違うと思います。多くの「鯨は不味い」論者は真実を語っているでしょう。

というのも、前段落の最後の尾の身の画像をよく見てください。ドリップがすごいですよね。これ、加工工場から出荷された肉を開封してわずか1時間半ほど後の画像です。フェス開幕直後にはほとんどドリップしていなかった肉が、解凍が進むにつれ水浸しになっていました。

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これなんかも見ていただければわかりますとおり、鯨肉のドリップしやすさは半端じゃありません。その上、おそらくですが空気に触れるとものすごい速度で劣化が起きているようです。つまり、「味の落ちやすい肉」なんです。フェス序盤にカットされた肉を1枚キープして、帰りしなに食べましたが「鯨の風味」だとかつての僕が認識していたクセが早くも顔を出していました。保管を間違えば、「スカスカの臭い肉」に化けてしまうのはおそらく間違いないでしょう。

また、部位によってはカットしたてでも「クセ」が発生しているものがあり、おそらく加工段階でも劣化が始まっているのでしょう。本来、鯨肉は「鯨九十九日」といわれるくらい日持ちがするとされるものですが、それは「食べられる」という意味で、味覚的なMAXの美味しさは非常にたやすく失われてしまうのだと思います。

フェスの鯨肉は加工工場から冷凍パウチの状態で直送されてきた「これ以上良質なものはない」レベルのものです。しかし、現実に我々消費者が鯨肉にありつくときは、このパウチが更に小分けされトレーに並んでいます。これがどういうことかというと、「そりゃそうだよね」という話になります。僕も今後鯨を食う時はなるべく大きい塊で買い、冷凍にはかなり強いということなので食べきれない分は即冷凍しようと決めました。食べる側にリテラシーが必要です。パックの小分け肉は表面を焼きこむなどの工夫で美味しく食べられる可能性もあります。もしくはトリミングか。

おそらく、「鯨がうまい」と主張される方はある程度品質管理の行き届いた鯨肉を手に入れる環境があった、もしくは思い出補正で上ブレしている可能性が高いと思います。これは本当に難しい肉です。鯨を扱う飲食店の苦労は計り知れないものがあります。僕も最初の一口を食べたときは「これどこで仕入れられるんですか!」と叫んでしまいましたが、正直この肉を扱いきれるか自信はありません。

うまい鯨肉に出会った時は、そこに人間の計り知れない労力が、捕鯨船から皿に至るまでの「鯨を少しでも旨く食わせよう」という気持ちが込められていることを理解する必要がありそうです。

 

これからどうなっていくのか

はい、そういうわけで鯨の食肉としての性質はかなり「難しい」ことがわかりました。正直に言えば、二次流通三次流通、そして各ご家庭での保管を含めると問題は山積していると言えます。しかし、人間というのは工夫する生物ですし、鯨フェスにいらっしゃっていた生産や加工に携わる皆様の熱意もまた半端ではありません。

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写真がひどいのは許せ。(本当にすいません)例えばこれです。これは、ウェットエイジングを試みているんでしょう。その上、鯨肉の性質に合わせて低温で熟成しているようです。肉というのは一般に新鮮であればいいというものではなく「熟成」の工程を必要とします。それは鯨も例外ではない。しかし、鯨のような劣化の極めて早い肉は「劣化させずにうまみを出す」というのが大変難しい作業になります。

生産者の「やってやろうじゃねえか」の結晶がこの商品なのでしょう。すごい熱意です。「凍温」熟成というのは聞き覚えがなく、色々やったんだろうなぁ…という気持ちになります。(どういう原理なんだろう、今度この商品探して食ってみよう)

真空パックであれば空気と触れることによる劣化もかなりの部分が補えますし、熟成が可能になるなら僕がフェスで食べた「最高に新鮮な鯨肉」より更にうまいものが出現してくる可能性もあります。人間はやっていく。うまいのまずいの手も動かさず講釈をたれている僕は頭が下がるばかりです。

こういった加工の手間は当然コストフルです。「うまい鯨肉」を食うには「価値に見合う金を出すぞ!バッチ来いや!」という消費者の気迫が必要です。生産者のやっていく気持ちと消費者のやっていく気持ちがぶつかった場所に最高の商品が生まれていく。鯨フェスも当然そういう試みのひとつなのだと思います。

やっていって欲しいという気持ちになりました。もちろん、商品開発や技術開発は試行錯誤の繰り返しです。一手で全てが解決することなどありません、今日より明日、明日より明後日、よくなっていくでしょう。ところで会場で「私は鯨のクセを完全に除去することに成功したぞ」と吼えている加工業者の社長さん?を見かけましたが、あまりに人垣に囲まれていたので「それ詳しく」と言えませんでした。非常に興味がありますので、もしこのブログをご覧になっていたら詳しく教えてください。

 

調理と加工食品

さて、ここまで鯨の食肉としての性質ばかりに言及してきましたが、それだけでは片手落ちです。流通が現在よりも未発達だった時代から鯨は食べられ続けています。そこには、調理や加工といった技術が欠かせなかったでしょう。鯨の「肉」だけではありません、ヒレやスジ、内臓といった部位も当然存在します。

この辺は僕が講釈をたれるよりちょっと調べていただければわかるのですが、「全部食うぞ」という人間の気迫が感じられるエリアです。

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写真がひどいのは許せ。これはどちらも感動情報です。1枚目は鯨の煮付け、2枚目はベーコンですがどちらも僕が過去に食ったものとは桁外れに旨かったです。煮付けはゼラチンの部位と赤身の部位が入り混じるところを的確に用いており、ゼラチン質のトロリとしたうまさと赤味のクシャっとほどける食感が補い合って最高の味でした。ベーコンはね…僕正直鯨ベーコンって好きじゃなかったんですよ。あのクセが。でも、このベーコン臭みはゼロでうまみの塊でした。やばい。

「パサつく赤身」を補うのは尾の身の脂だけではなく、鯨に豊富に含まれるゼラチン質だということがわかります。この辺になると脳がバカになっていたので「うまい」以外の記憶があまり残ってないのですが、超うまかった。

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この辺も当然のうまさなんですが、スジポンが特筆すべき味でした。すげーうまい。これ発注しようと思ってます。加工食品というのは保存性とうまさの両立という人類のやる気ポイントで、まさしく文化の極地なんですがかなりハイレベルです。鯨の皮の加工食品も「表面の黒いところは鯨の皮です」という説明とともに供され、なるほど全部食うんだなぁという感動があります。

これが文化じゃなくてなんなんだよ、という気持ちにはなりますね。胸を張って言えるうまいめしです。大変良い。皆さん、生の鯨肉の方に関心が寄りがちかもしれませんが、安定してうまいのはむしろ加工食品です。食ってみましょう。ただ、これも僕は「不味い」ものを食った記憶が正直いってありますので、かなり品質差はあるんだと思います。ベーコンとかね…。でも、うまいのは明確にうまいのでチャレンジの価値おおいにあります。どんな食品にも品質のばらつきはありますしね。

 

鯨を食うのか

食います。が僕の答えです。これだけのポテンシャルがあるなら「食わない」という選択はちょっとありえません。正直、僕の鯨肉への評価は多くの部分が無知と経験不足によるものでした。ただ、食べ方は考えます。適当に買って適当に食うとヒドイことになる可能性はかなりある肉です。また、調理も何も考えずにやると結構辛いことになりがちかもしれません。それなりの難度はあります。

現在は鯨の赤肉に大変強い興味があります。高温の油で揚げ焼きにしてやって、岩塩ゴリっとやったやつを大きめにカットしてかぶりつきたい。合う香辛料も、多分胡椒だとちょっと強いと思うんですよね。ワサビも負けると思います、脂もないし。となると、辛子あたりがいいのではないか。ディルなども試してみる価値があるかもしれない、もしかしたらタイムやローズマリーの香りなんかも合うかもしれませんね。魚肉と獣肉の中間という印象なので、大変に面白いです。

あとは、いわゆるオバなどのゼラチン部位ですね。あの辺をうまく組み合わせることで、かなり味覚が広がる可能性があります。煮付けはまさにそれを利用した調理でしたし、まだまだやれることはあるはずです。というわけで、食っていきましょうという結論になります。

大変勉強になりました。本当にありがとうございました。

食っていきましょう。

 

追伸 「人が写りこむとちょっとまずいかもしれない」というあれで、鯨フェスの賑わいを表現しきれていませんが、端的にいうと「戦場」でした。そこかしこから「うめぇ」の声が上がり、料理を確保するのに根性が必要なレベルで人間ががっついておりました。僕もですけど、皆さん「うまい」と感じた瞬間に何がが切れてましたよね。無理もないです。僕もあんなうまいと思わなかった。

正直、刺身とか竜田揚げとか「まぁ、その調理ならね…」というようなものが出ることを想定していただけに衝撃で、危うく「うまい」以外の感想を置き忘れるところだった。入場規制もかかってた。

最高のイベントなので次回開催については知らないんですが、また呼んで欲しいです。また呼んでください。また呼んでください。

人間の絆とブラック部族の合理性について考える

告知。読んで欲しい。

new.akind.center

ニューアキンドセンター様で書かせていただきました。今回もヘヴィな内容となっておりますが、相変わらず己の汁を最後の一滴まで絞り出すような気持ちで書かせていただいております。是非、よろしくお願い致します。

最近の経営トレンドについて

www.nikkei.com

はい、いきなり皆さんがイヤな気分になりそうな記事のご紹介から始めましたが、最近の企業は「宴会」とか「社員旅行」とか「合宿」とかそういうあれを再びやり始めた、みたいな話です。実はこれ、僕の皮膚感覚ともかなり一致してまして、最近の経営者は結構こういうことをやりたがります。

中途で即戦力しか取らない、みたいな会社は別ですが新卒採用なんかしちゃうくらいまで育った会社は、せっかく大金を投じて獲得した新卒を「とにかく逃がしたくない」という気持ちがあります。しかし、現実的なところを言うと「初めて新卒を取った」みたいな会社に新卒社員を定着させる。それはとても厳しいゲームになってしまうわけで。世の中厳しいんですよね。

たとえば、これが「一人で月間200万利益を出すハイパープレイヤー」とかなら引止め策はわりと簡単なんですよ。要するに、「あんたはこれだけ稼いでいる、だからこれだけの褒章を与えよう」。ここさえ釣り合えば、少なくとも給与に対する不満は出ません。要するに銭勘定の問題になるわけです。とても簡単です。熟練の傭兵は金でしか動きません、逆に言えば見合う金さえ払えばキープ出来ます。

しかし、新卒さんはそういうわけにはいかない。いくらブラックな会社でも、入社半年や1年で会社と給与交渉が出来るところまで育つとは思っていません。しばらくはとにかく会社にいてもらって、頑張って仕事を覚えてもらうしかない。逆に言えば、仕事を覚えた頃に退職されでもしたら丸損になってしまうわけです。利益がそもそも出ていないわけだから、「~円までは払える」みたいな判断が出来ません。

その上、新卒さんに「お金をもうちょっとあげよう」という戦略はとりにくい。だって、繰り返しますけど利益出してないわけですから。いや、もちろん理屈としては出来なくはないんですよ。「新卒逃げられたら大損だから給料上げようぜ」は判断としてありえる。でも、現実に株主様や社内の他の発言権のある皆様にそれが通るか、と言えばまぁ通らないでしょうねという感じになります。

「いや、ウチの部署に設備投資させろや」とか「そのカネでもう一人雇えるだろ、こっちはキツキツなんだよ」とか「ふざけんな、功績ある人間に金を払うのが先だろうが、こっちは利益出してんだよ」などの人間と人間のあれが発生してしまうことは避けられない。僕は新卒を雇おうかな、と思ったタイミングでコケましたので新卒採用をやったことはないですが、「新卒の給料上げよう」という選択はかなりやりにくいだろうな、というのは肌感覚でわかります。社員全員の給与を上げることになりかねない。(しかも、新卒と同額の賃金上昇は古株社員に巨大な不満を発生させる可能性が高い)

 

「自由」はあまり効果がないようだ

さて、前述の通り新卒の離職率を減らすために「お金」という策が取りにくいことがわかりました。そこで、次に思い浮かぶのが福利厚生ですが、これも「お金」と同じことになります。新卒だけ豪華な寮に住ませるわけにはいかないですからね。もちろん、社員全員の福利厚生を底上げする余力のあるところは実行出来たでしょうが。まぁ、そんな利益に直結しない投資を決断できる会社は少なかったでしょう。

そういうわけで、ついこないだまでの経営トレンドは「なるべく従業員のワガママに応える」でした。休みを取りやすくして、就業時間の自由度を上げ、労働時間を減らす。飲み会などの業務外拘束もなるべく減らす。人間関係を疎にし、会社としての重圧を極力小さくする。そういう努力をしていた会社は―信じてもらえないかもしれませんがー結構あったんです。僕が起業した頃は、それを売りに従業員を集めようとする社長が結構いました。それに加えて横文字の格好いい社名にシャレオツなオフィスがあれば完璧、というわけです。経営者だって好きこのんで「ブラック企業」と呼ばれたいわけではありません。ホワイトにやって儲けが出て、求人に応募がどんどんやってくるならそれが一番なのです。

そういう会社は最近本当に見かけなくなりました。あれほど雨後の筍のように生えた「自由な社風」「ワークライフバランス」を売りにしたベンチャーたち、どこへ消えてしまったんでしょうね…。「なんで?これほど社員のことを考えているのに、どうして離職率が下がらないの?」と嘆いている経営者とも会いましたね…。

「結果的に離職率が上がり、会社の統制が崩れた」というお話も聞きました。まぁ、そりゃそうですよね。人間に自由度を与えたら自由にやります。もっと良い会社を探す余裕も生まれてしまうでしょう。悲しいことです。そういうわけで、経営者たちは気づきました。「自由」を与えるアプローチはどうも効果がないらしいぞ、と。

 

人間の絆、再び

サマセット・モームの「人間の絆」という名著があります。これは小説としてもとても面白いので是非読んでもらいたいのですが、何よりこのタイトルがとても素晴らしいのです。というのも、「人間の絆」は中野好夫による邦題で、原題は"of Human bondage"です。これは直訳すると「人間を隷属させるもの」となります。

"of Human Bondage"の元ネタとなったのはスピノザの「エチカ」なのですが、元ネタとなった部分を引用しましょう。

 人がその情念を支配し、制御しえない無力な状態を、私は縛られた状態と呼ぶ。なんとなれば、情念の支配下にある人間は、自らの主人でなく、いわば運命に支配されてその手中にあり、したがってしばしば彼は、目前に善を見ながら、しかも悪を追わざるをえなくなる。

 ちなみに、エチカにおける当該部のタイトルは中野好夫によれば「人間を奴隷にする絆について」とのこと。(これはおそらく、中野先生が英訳もしくは原語で読んで独自に訳したものかと思います)なんといいますか、経営あるいはマネジメントについて非常に示唆するもののあるお話ではないでしょうか。

「絆」という言葉、震災復興なんかでも多用されていましたのでなんとなくポジティブな意味合いを感じる人が多いと思いますが、グーグル先生に尋ねてみるとなかなかパンチのある語義が出てきます。 

 きずな
 きづな 【絆・紲】
  1. 馬・犬・たか等をつなぎとめる綱。転じて、断とうにも断ち切れない人の結びつき。ほだし。
     「恩愛の―」
 

わかってきましたね。「どうも自由にさせるのはよろしくないようだ」と学んだ経営者の皆さんは「人間の絆」を再び重視する流れに向かい始めたのです。 そういうわけで、僕の観測範囲でもモリモリ「合宿」「研修」「宴会」「社員旅行」などのイベントが「昭和」と書かれた墓の下から蘇るのが観測されています。

 

理念や価値観という企業価値

さて、多くの会社は「この会社に残るべき合理的な理由」を提供出来ません。もっと福利厚生の良い会社、もっと賃金の良い会社、もっと業務負担の小さい会社…実際幾らでもあると思います。これは求職サイドからすればピンと来ないかもしれませんが、求人サイドからすると実際この通りなんです。合理的に考えればそりゃ離職するでしょ、次に行くところがあるなら。そういうお話です。そして「次に行くところのない人」は正直、あんまり欲しくはないんですよね…。

そういうわけで、能力のある人間に「非合理的な判断」をしてもらうには、会社の価値観に染まって貰うしかない。「人間の絆」を形成するしかない、ということになります。だからこそ、ベンチャー企業などにおいては「企業理念」みたいなものがとても重要になるわけです。これは、いうなれば企業の「性格」です。「性格が合うからウチにいてくれる」という状況を目指すしかないのです。だって、他に他社に勝るものがないのだから。顔もイケてないしお金もないけど、性格が合うからやっていける。恋人探しだってそういうところはありますね。

しかし、ここで「じゃあマッチングをもっと厳しくやって、我が社の価値観にピッタリの社員を探そう」と考えていては経営者は務まりません。どんな人間も我が社の価値観に染め上げる、さもなければ余計なコストが発生する前に席を立っていただく。そう考えるのが経営者です。鋳型にガチっと嵌めて整形してやるぞ、弊社にピタっと合う形にな。そうなっていきます。

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これは僕の蔵書の一部ですが、特に本題には関係ありません。しかし、これらの書籍から得られた情報を総合すると、人間の絆を形成するための基本はとにかく長い時間をターゲットと可能な限り近い距離で過ごすことであることがわかります。他には、「外部との接触を極力絶つ」なども基本と言えるでしょう。

そういうわけで自由への挑戦は敗北に終わり、再び人間の絆の時代がやってきたわけです。素晴らしいですね、絆です。絆さえあれば何でも出来る。さて、ここまで考えると「ブラック企業」がいかに「労働者目線」に立ち、「合理的」な経営を行っているかご理解いただけたと思います。彼らだってバカではないのです。儲かるからやってるんです。労働者を深く理解した上でやっているのです。とても悲しいことに。

 

人間の絆を形成する力

その一方で、僕は発達障害がありますのでこういう問題があります。僕は「人間の絆」を形成するのがとても下手なのです。僕も幾つかの場所で「絶対にウチの価値観に染め上げてやる」と言わんばかりの絆アタックを受けましたが、全てにおいて「染まる」ことに失敗しました。絆を結べなかったのです。

「人間の絆」を結ぶ能力は高すぎれば「被洗脳性が高すぎる」「自分がない」ということになりますが、低すぎれば「空気が読めない」「連帯感がない」になります。これは単なるバランスの問題なのですね。みんながエイエイオー!って叫んでる時に、一人輪の外にいるのはあんまり得なことじゃないです。とりあえず叫んどけばいいんですが、心から叫べればもっと楽です。

そして、更に言うと「会社と人間の絆を結びたい」と思っている労働者も実際のところ結構存在するのです。これは、言い換えると「洗脳されたい」ということですが、集団の中で生きる以上集団の価値観に「上手に染まる」ことは生きる技術そのものと言えるでしょう。これが出来ないから僕は本当に苦労しているわけです。

「洗脳に強い」という人は結構います。僕もそのタイプだと思います。しかしこれは、「人間の絆を結ぶ」能力、ひいては集団の中でうまいことやっていく能力が極端に低いことを意味します。「人間の絆」を形成する能力は、おそらく言語的な物ではありません。限りなく人間の生得的な本能に近いものだと思います、恐らく後天的に身に着けることは不可能に近いでしょう。

この「人間の絆」を形成する力を他の能力で代替するのは結構大変です。このブログそのものが、「絆」を別の機序で擬似的に作り出す方法を模索し続けていると言っても過言ではありません。

1.組織の中で(往々にして極めて非言語的に)流通している「絆」がどのようなものであるか理解する

2.それを踏まえて具体的な行動を最適化する

3.トライアンドエラーを繰り返しながら実行する

という流れを踏むことになります。大変にバカらしいと思います、でも人間というのは絆で生きている生物なので、本当にこれを作り出せないと辛いことになるんですよ…。

 

やっていきましょう

さて、このブログを読んでくださる方は最近また増加しておりまして、どういう立場の方が読まれているかわかりません。しかし、それぞれがこういったあれこれを踏まえて上手に立ち回っていく必要はあります。

「上手に会社に隷属する」あるいは「上手に会社に隷属したかのように振舞う」スキルが、これからの労働者には求められるでしょう。これはどちらでもかまわないです、いざというときに「人間の絆」をぶっちぎれるなら、多少隷属しているくらい、多少洗脳されているくらいが過ごしやすいというのは事実だと思います。

また、会社経営者の皆様におかれましては、コンプライアンスを大事にしつつ、やはり人間の絆を形成していくしかないのではないかと思うばかりです。なんといいますか、世の中本当にしんどいものですね。「いやいや、他人の行動を支配するような価値観なんて我が社にはないよ、俺そんなん求めてないよ」という気持ちは大変にわかりますが、企業理念はやっぱり大事ですよ。本当にね…。

それでは皆様、土曜の午後を善くお過ごしください。

やっていきましょう。

俺の家庭料理術、料理初心者かつ金もない編

昨日のエントリどうでしたか?

昨日は料理について書きましたが、あれを読んで「こんなこと出来ねえよ」と感じられた方は多いのではないでしょうか。僕も一応元飲食屋ですのでそこそこに料理は出来ます。しかし、昨日のエントリをこなせる発達障害者がどれほどいるかと考えると、それもまた実に心もとない。そういうわけで、今日は「誰でも出来る」をモットーにした超初心者向け家庭料理術エントリを書こうと思っています。

これは、僕がまだ調理技術を有していなかった上に現在以上に貧乏で、挙句の果てにガスコンロすらないワンルームに暮らしていた頃に開発したハックです。月収11万で食生活をなんとかするハックとも言えます。あのIHですらない謎の電熱コンロ、なんなんですかね…。

ちなみに、本日のハックを実行することによって当時20歳の僕は100キロ弱から70キロ台前半までの減量に成功しました。思えばあの頃が一番痩せていたなぁ…。

 

煽り目次

・頼れる相棒、炊飯器を最大活用せよ。「ぶちこみめし」

・まだまだ炊飯器活用術

・野菜は絞っていけ

たんぱく質とオカズ

・スープと鍋でやっていけ

・その他便利アイテム

昨日と一緒でやり方がわからないのでクリックしても特に何も起きません。

 

頼れる相棒炊飯器を最大活用せよ、「ぶちこみめし」

狭小ワンルームに暮らす人間にとって、最も優れた調理器具とは何か?と問われたら、僕はノータイムで「炊飯器」と答えます。あれは、ハチャメチャに優れた調理器具です。熱量が安定しているし、密封性が高いので煮詰まりも少ない。非常に調理が安定します。

さて、まずは主食である「めし」からです。この「めし」において重要な概念は「ぶちこむ」です。というのも、めしにぶち込んで炊けば大体のものは美味く、かつ調理の手間もかからないのです。これが「ぶちこみめし」です。

例えば刻んだ肉とめし。うまいに決まってますね。例えば刻んだ大根とめし。戦中生まれの方は嫌がるでしょうが、我々の世代が食うと「あれ?うまくね?」ってなると思います。例えば水煮大豆。あるいはさつまいも。主食のめしで大体の栄養価は補ってしまうというのがこのハックのキモです。

ここでまず基本として抑えておきたいのは「麦」です。というのも、貧乏自炊で不足しがちな栄養は「食物繊維」だからです。これを手軽に取るには麦が一番便利です。スーパーに行くと「押し麦」というアイテムが売っていますのでまずこれを購入しましょう。ビタヴァレーというビタミンを添加したものもありますが、あれは独特の風味があり耐えられるならあれでもいいです。(僕は嫌い)

ビタミンやミネラルは最悪サプリでも補えますが、食物繊維は食い物でとるのが望ましい。しかし、野菜は調理がダルく保存も全体的に難しいので、麦で下支えをするのです。米びつにドザーっと放り込んで混ぜてしまいましょう。僕は5割ほど加えていますが、これは各位の味覚の許容限界まで入れましょう。僕は大麦プリっとしてうまいと思うので結構ぶっこみますが、人によって許容値は違うと思います。

ここに玄米を加えると更にパワーアップし、あとは塩があればこれだけで数ヶ月くらいは耐えられてしまったりしますが、僕は味覚の下限を切るので採用していません。イケる人はやりましょう。あと、玄米は炊くのがダルいです。(何も考えず普通に炊いても食えはするけど)それと、玄米を導入するなら玄米にはミネラルの吸収疎外作用があることも覚えておくといいでしょう。僕はやってたら貧血になりました。サプリなどでブーストすると良いですね。栄養価的に玄米は非常に強いのですが、麦と玄米を合わせるとめしにどうしても「修行」感がでてきます。

そういうわけで、この麦を混ぜた「めし」が食生活のベースです。ここに任意の食材を加えましょう。青菜も良い、芋もいい、水煮豆の缶詰もいい、サバの水煮やシーチキンもいいですね。ひじきの缶詰なんかもいいです。ジャンク路線としては焼き鳥缶なんかもアリです。うまいよ。色々加えて試してみましょう。大体うまいはずです。基本はこれ食ってれば大体大丈夫です。

 

うまみを理解し、調味を習得せよ

さて、「ぶちこみめし」を実行するにはひとつスキルを習得する必要があります。生米に食材を加え、調味料とうまみアイテムを加えて味をバランスさせる技です。栗めしのような例外はありますが、料理の基本はうまみと塩です。

さて、まずは「うまみアイテム」とは何かを考えてみましょう。うまみアイテムとは文字通りのうまみ成分そのもの、もしくはうまみがいっぱい出る食材です。純粋なうまみ成分としては「味の素」などがあります。グルタミン酸ナトリウムですね。化学調味料ともいいます。他にだし成分を濃縮して顆粒状にしたものもあります。便利です。

食材系の代表例は「かつお節」「煮干」「干し海老」「昆布」「鶏がら」などです。この辺、詳しく知りたい人は面白いのでググってください。キノコとかトマト、貝あたりまでそれぞれの成分を踏まえて説明するとそれだけで1万字を超えます。要するに動物系のうまみとあと昆布(あるいは味の素)でうまい、だけ覚えとけばいいです。あ、トマトもか、まぁめしにはあんまり入れないと思うしとりあえずいいや。

で、要するにめしってのはうまみがないとマズいんです。お湯に塩溶いても飲めないでしょう。でもカツオ出汁加えるとお澄ましになりますよね。そういうわけで、めしに任意の食材を加え、うまみを追加してやるとうまくなります。

めし+食材X+うまみY+塩=うまい

という方程式が成立します。しないかもしれませんが、するんです。ちなみに、食材Xからもうまみが出るし、調味料の中にはうまみが大量に含まれているものもあります。これらを風味を考えながら、バランス良く配合してうまくするゲームです。尚、うまみというのは「濃すぎてまずい」ということが滅多に無いイカしたやつです。不安ならとりあえず濃くしておきましょう。薄いよりは良いです。

で、ここで問題なのはXとYをどう合わせればうまくなるかです。これは、基本的な方程式があります。(あくまで基本です、応用もあります)

肉+肉系のうまみ+塩=うまい

魚+魚系のうまみ+塩=うまい

肉+肉のうまみ+昆布(味の素)+塩=うまい

魚+魚のうまみ+昆布(味の素)+塩=うまい

以上です。厳密に言えば肉と魚のうまみを相乗させる料理もいっぱいありますが、それはおいおいでいいです。タイ料理とかのレシピ調べればわかってきます。要するに、焼き鳥缶の炊き込みめしを作りたいなら、生米に焼き鳥缶を加えて鶏がらスープと塩を追加しとけばまず外れないということです。

タコの炊き込みめしを作りたいなら、今度はカツオ出汁と塩を足せばいいのです。まず間違いなくうまいです。昆布は「ブースト」とイメージしてください。あいつは単体でもそこそこ戦えますが、動物系のうまみと合体するとぶっ壊れ性能を出すアシスト野郎です。沖縄では豚肉と昆布を煮たりします。

尚、生米に塩や醤油などの塩分を加える量ですが、僕は目分量でやっちゃうのでよくわかんないです、雰囲気で…。でも、ネット調べれば色んなレシピが転がってるので雰囲気は掴めるのではないでしょうか。やっていきましょう。ちょっと難度はありますが、これさえ覚えれば、めしに任意の食材とうまみアイテムをぶちこんでボタンをポチるだけでうまい炊き込みめしを作ることが可能になります。塩分は炊き上がった後でも足せますので、とりあえずちょっと薄めにしとくといいでしょう。

 野菜系は基本的に「入れたらうまみが薄くなる」と思ってください。厳密に言えば野菜からもうまみは出るんですが、昆布とかトマトみたいなうまみアイテム系以外はとりあえず、全部「入れたら薄まる」と思っておきましょう。うまみの薄さが限界を超えるとまずくなります。調整スキルを身につけましょう。レベルを上げると、野菜をワサワサに入れた、利便性抜群のめしが作れるようになります。これができるようになるのが目標です。

 

具体的なレシピ

塩鮭の炊き込みめし

塩鮭1切れを適当に刻んで生米1合に放り込み、昆布を一切れ(もしくは味の素をサっと)とカツオ出汁もしくはカツオ出汁の顆粒、塩もしくは醤油を適宜加えて炊飯器のボタンをポチ。うまい。塩鮭はダルくなければ軽くあぶって入れてやると尚よし。

焼き鳥缶めし

焼き鳥缶を生米1合に放り込み、鶏がらスープの素と醤油を適量加えてポチ。うまい。

サバ水煮めし

サバの水煮を米にぶっこんでポチ。カツオ出汁の素と塩。かき混ぜて食え。うまい。ちょい足しは胡椒かゆず胡椒が合う。ジャンクに攻めるならマヨ醤油七味も邪道だがうまい。

コーンベーコンめし

米に刻んだベーコンとコーン缶とコンソメの素と塩もしくは醤油。うまい。好みでバターと胡椒足せ。ジャンキー。

コンビーフめし

うまい。醤油が合う。鬼ジャンキー。

カブめし

米に刻んだカブとカブの葉。野菜は大抵のうまみ成分と合うのでその辺はお好み。味は塩がいい。ホロっと崩れるカブと滑らかなカブ葉。うまい。油揚げを足すとゴージャス。コンソメで洋風にするのが僕は好き。これはちょっと難度があるのでこれが上手に作れたら皆伝の証。4回攻撃できる。

豆めし

米に水煮大豆、ひよこ豆グリーンピースなどを適宜ぶっこむ。うまみアイテムを補ってもいいが、塩のみで味付けをしてもこれはうまい。

※注意事項

・醤油は戦闘力が高すぎる調味料です。濃すぎるとまずいです。醤油は塩分を加えるものではなく「風味」を加えるものだと認識し、塩分は塩で調整しましょう。専門用語で「塩をキメる」と言います。ナンプラーオイスターソースなども同様です。

・野菜をぶちこむ場合は野菜から水分が出るので、その分めしの水を減らそう。何回か失敗したら雰囲気掴める。めしは硬い分には致命傷ではないのでちょっと水は控えめでいっとけ。思ったより水出るぞ。

・うまみを理解し、食材を見て「大体水加減はこんなもんで塩はこんなもんでうまみはこれをこんなもんだ」と判断できるようになれば世界は超広がる。FFで言うと飛行艇が手に入ったくらい。

・生米に食材と調味料とうまみアイテムぶっこんで上手に炊き上げられれば、料理レベルは20くらい上昇してる。「料理が出来る」と名乗る権利があります。多分同時に煮込み系の料理も出来るようになってる。

・顆粒のトリガラスープの素やカツオ出汁の素には塩分が含まれてます。増やしすぎると「塩分」のオーバーで死にます。

・出汁をちゃんと取るスキルはググれば出てきますが、化学調味料も顆粒だしも便利なので適宜使えばいいと思います。別にどっちでもいいんじゃないでしょうか、ダルいなら便利なものを使えばいいと思います。僕はガンガン使います。ちゃんと取ったダシはうまいけど、利便性が必要なこともありますし。

 

まだまだ炊飯器活用術

「炊飯器最高」ということが十二分にわかっていただけたと思いますが、まだまだ炊飯器最高というお話は続きます。前段の「米にぶちこむ」だけでぶっちゃけそこそこ健康で文化的なのですが、そこに「炊飯器を調理に活用する」を習得すると更に良くなってきます。マトモな調理環境がないなら2台持ってて損はない。ワンルームにありがちなクソコンロより100倍取り回しも良い。

具体的にいうと、野菜と肉を適当に刻んで水とカレールー入れてポチでカレーになる。ワンルームの熱源は通常1つだと思うので、熱源が1個増えることによって調理効率が倍になる。また、炊飯器は保温機能で70度弱くらいが維持できるので、水と鶏ムネなどをぶちこんでおけばそこそこしっとり仕上がります。適当に割いてゴマだれなどで食べるとうまい。

前段で「うまみ」が理解できていると思いますので、応用で煮込み料理なども可能になります。コンソメ+じゃがいも+カブ+キャベツ+ウィンナーを水とともに炊飯器にぶちこんでやれば「ポトフ」の完成です。マスタードで食いましょう。ここから先は発展しだいで、おでん、角煮、巨大蒸しパン風ホットケーキ、ミートローフなどが生まれてきます。やっていきましょう。

 

野菜は絞っていけ

野菜はダルい、しかし食わないわけにもいかない困った存在です。そこで、とりあえず常備の野菜はじゃがいも、にんじん、たまねぎ、キャベツに絞るのがオススメです。というのも、この4つは保存性が非常に高いからです。キャベツはちょっと劣りますが、それでも葉物の中では最高クラスの性能です。湿らせた新聞紙でくるむか、それもダルければビニール袋にくるんでおけばそこそこもちます。

加えて、その時々で安いものを買っていきましょう。今年は葉物がとにかく高く、小松菜やほうれん草などは1パック200円を超えており、僕もあんまり食えてません。今年は長雨の影響で野菜が高いですね。それでも市場の動きで値崩れ品は大体あるので、そういうのを賢く掴んでいきましょう。

野菜ですが、緑色系はほぼ例外なく茹でてポン酢かゴマだれかドレッシングなどでうまいです。めしにぶちこむ以外はそうやってモリモリいっちゃいましょう。生よりはさっと火を通すことを心がけましょう。5倍食えます。レタス一玉をサラダでは食いたくないですが、茹でてポン酢かければツルっと食えます。

使いにくい食材としては生トマトが筆頭に挙げられます。今は夏場なのでそこそこ安いですが、あれは保存性もいまいちの上に基本高い。トマト缶はその点、値段も保存性もぶっ壊れ性能なのでこっちを使いましょう。トマト缶の食い方ですが、前の方でもちょっと触れたとおり、トマトは昆布と同様にうまみアイテムです。つまり、肉でも魚でも野菜でも一緒に適当に煮て塩入れてやればうまいです。適当に野菜煮てラタトゥイユと言い張りましょう。

最近はズッキーニが値崩れを始めたので、これとトマトを雑に煮て塩ぶっこむだけでもうまいです。たまねぎとパプリカを加えてもいいですね。細かいレシピ色々ありますが、深く考えるな。あんなもんただのトマト煮だ、塩加減さえ間違わなければまずくなる道理がない。冷やしてもうまい。あと、オリーブオイル足すと更にいいですね。大量に作って冷蔵庫に入れておくのが僕の夏の定例行事です。炊飯器でももちろん作れちゃいます。全部食材ぶっこんでオイルドボっといれてボタンポチで十分うまいです。

野菜は手のこんだことをしようとすればするほどリスクが上がる悪魔の食材です。料理スキルがついてきたら挑戦も良いですが、初心者のうちはなるべくシンプルに食うといいですね。 「めしと炊き込む」「出汁で煮る」「トマトで煮る」「茹でて任意の調味料をかける」などで固めていきましょう。これらの手法で食えない野菜はあんまり無い。

 

たんぱく質とオカズ

さて、「めしにぶちこむ」で結構たんぱく質は取れてますが、それでも不足することはあると思います。そこで、おかずをどうするか問題が出てくるでしょう。これは解決しやすい問題です。なんせ、肉なんて適当に火を通して塩でも醤油でもポン酢でもオリーブオイルでもかけときゃ大体うまいわけですから。魚だって焼けばうまい。魚焼きグリルがないなら醤油と味醂とショウガ辺りで適当に煮るスキルつけてください。サバなんかも、フライパンに入れて日本酒ドボドボ入れて適当にフタして酒蒸しにしたりできます。ポン酢とゆず胡椒がうまい。

豚肉なんてのもモヤシの座布団の上に乗っけてラップかけてレンチンしてポン酢でうまいです。焼肉のタレで炒めるのは貧乏大学生の定番レシピですが、あんなのまずくなるわけがない。また、冷凍もきくので保存も問題ない。

ここは深く考えなくてもできちゃうでしょう。ただ、たんぱく質不足は結構まずいことになります。身体がガシガシ衰えていくでしょう。めしに加えた分だけで足りてないな、と思ったら積極的に摂取していくといいです。麦を加えて多少緩和してますが、主食メインの食生活になるので「たんぱく質はガッチリ取る」と意識しておきましょう。前述の「炊飯器を調理器具として活用する」を合わせてモリモリ食っていきましょう。

ここで更にレベルを上げるなら、「レバー」や「砂肝」などの鉄分ミッチリの内臓系の調理を習得しておきましょう。「むずかしそう」と思われるかもしれませんが、実を言えば「生米に食材を加えて調味する」よりは難度の低い料理です。レバーの究極的な調理方は「すばやくギリギリの火を入れて臭みを出さない」ですが、これはちょっと難しいので、とりあえず「醤油と味醂とショウガで煮る」だけ習得しましょう。

僕は「レバーの臭み消しは迷信」と思ってるので特にやりませんが、やりたい人は水に晒すとかやってもいいと思います。でも、要するに醤油と味醂を配合してショウガを加えて、ガーっと煮ればうまいです。

 

スープと鍋でやっていけ

さて、ここまでで大体問題ないけれどもう少し彩りが欲しい。そんなときに便利なのが「スープ」と「鍋」です。スープは広義のスープで、具沢山の煮込みと言った方が適切かもしれません。どちらも基本は同じです。鍋に水を張ってうまみアイテムと具材をぶちこんで加熱。あとは適宜味付けをして食うそれだけです。

これらの料理の基本は実は「炊き込みめし」と全く同じです。あれが出来るならこれも出来ます。うまみと塩気と風味をバランスさせて材料ぶっこむ点は全く一緒ですから。また、一人用土鍋は買っておいて損のないアイテムですね。一人鍋は料理を作るのがめんどくさい日に本当に重宝します。いくらめしに色々ぶちこんでるとはいえ、それだけをむさぼるのは味気ないですからね。

スープはクソでかい鍋に大量に作って食い続けるのもアリです。僕の推奨レシピはコンビーフとキャベツのスープです。(もし調理できる環境と道具があるなら)是非試して欲しいんです。大なべに十字に切り込みを入れてその隙間にコンビーフを突っ込んだキャベツを丸ごと放り込みます。キャベツが半ばまで浸る程度の水を加え、適量のコンソメキューブもしくはトリガラスープの素と塩、お好みでトマト缶を加えて煮込む。これがうまい。

コンビーフと書きましたが、本物は高いのでコンミートでいいです。こういう雑でうま

い料理を大量に獲得しておくとどんどんよくなっていきます。やっていきましょう。

 

その他便利アイテム

はい、その他常備しとくと便利なアイテムです。カルシウム対策には定番の牛乳もいいですが、ちりめんじゃこなんかいいですね。めしにかけて食うとうまい。また、亜鉛なども不足しがちになりそうなのでその意味でもいいですね。言うまでもなく納豆なんかもいい。「めしにかけて食うもの」は揃えておいて損はありません。「ぶちこみめし」が大惨事になったときに自分を誤魔化すことができるからです。

他にはのりなんかも非常にいいです。のりは「ダイエット中だけどどうしてもポテチが食いたい」という時に大変重宝します、塩つけただけでもうまいよね。ごま油を追ってやるともっとよくなります、本末転倒ですが。卵は言うまでもなく便利です。実は卵は生食でなければ、賞味期限をぶっちぎってもかなり大丈夫です。どれくらい大丈夫かはネットの知見を漁るか、あるいは己の感覚を頼ってください。「保存性が高くてすぐ食える」卵はやっぱりいいですよね。

鉄分不足はサプリ飲んでもいいですが、鉄鍋を使うという手もあります。ガスの熱源があり「炒め」のスキルを習得するなら中華なべを買ってもいいでしょう。この辺はもう自力習得していってください。中華鍋を買う熱意があるなら心配ないでしょう。炊き込みめしが出来れば出来ます。あとは炊飯器にぶちこむ鉄の塊みたいなアイテムも存在してますのでそれもいいかもしれませんね。鉄分不足はわりと怖いです。ビビットに体調不良が出ます、貧血は意外とあっさり発動するので気をつけましょう。

また、最後に非常に便利なのは「ミューズリー」です。ミューズリというのは聞きなれない名前だと思いますが、穀物やドライフルーツやナッツを混ぜたシリアルです。これが栄養価的には狂った高性能を持っています。味は…「鶏のエサ」と表現する人もいますね。

僕は穀物のあのプリミティブな味を噛み締めるのが結構好きで、うまいと思ってます。基本的には牛乳とかヨーグルトとかをかけて食うものです。砂糖が入ってるものもありますが、それは避けたほうが栄養的にはいいですね。もし甘みが足りないと感じたら、ハナマサなどの業務用スーパーでドライフルーツを買って加えると良いです。レーズン、プルーン、ドライバナナ辺りが値段と味のバランスが良いでしょう。

 

食生活は全ての基本

はい、昨日のエントリに書いた通り多忙にかまけて大増量キャンペーンを開催した僕が言っても説得力がないですが、食生活は全ての基本です。めしを雑にやっていると、発達障害由来の症状は悪化してくると僕は体感的に感じています。具体的に言うと、衝動性や集中力の欠如が高まる気がします。

「まずは健康に」というのは忘れがちですが、かなり効果のある発達障害対処法でしょう。健康じゃなければ努力も効率が出ないものだと思います。これは大いに自戒をこめた話ですが、滋養のあるめし食いましょう。本当に大事です。反省してます。

このハックのベースになっている麦を補った「ぶちこみめし」は、料理の基本を習得するのにとても便利です。冷蔵庫にある食材で適当に作れるようになる頃には、基本的な食材、調味料、うまみの組み合わせを理解出来ているでしょう。そこから広げていけばいいのです。でも、めんどくさければ炊飯器1個(もしくは2個)で耐えてもいいでしょう。僕は半年ほど炊飯器2個のみで暮らしたことがあります。

しっかり食ってしっかり生きる。僕も忙しさにかまけて忘れていた人生の基本をちゃんと思い出していきます。あと痩せます。

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あ、本日のばんめしです。なんか今日は全てがどうでもよくなったので、大なべいっぱいに肉じゃがを作りました。芋の皮?美味しいじゃないですか。家で芋の皮なんて剥いたことないです。レシピは、ホールクミンを二掴み粉クミン山盛り、コショウ大量とぶちくだいたにんにく5かけ。それにジャガイモ2キロとたまねぎ1個を羊のこまぎれ800グラムと鶏がらスープで煮て、オリーブオイルと塩で調えました。うまい。あとは冷蔵庫に茹でキャベツが一玉分あるので食います。

やっていきましょう。

 

 

俺の家庭料理術ーややハイレベル編

めし、食ってますか

はい、本日はめしの話です。うまいめし、栄養のあるめし、あたたかいめし。それは人生の支え、大いなる喜び、美しい日々の彩り、生きるために非常に重要なものであることは論を待ちません。うまいめしのない人生など生きるに値しない、は言いすぎですが、幸福を形作る大きな要素のひとつが「めし」であることは間違いのないことです。

しかし、このめしというやつはその一方非常に厄介なやつです。まず、作るのがめんどくさい。この「めんどくさい」という人生のラスボスを倒さないと鍋を振ることはできません。僕は一時飲食店を経営して厨房に立っていましたが、それでもめしを作るのは未だにかったるいです。それを少しでもマシにする僕の工夫集を書かせていただきます。発達障害者はとりあえず滋養のあるめしを食わなければいけない。これは数少ない、「真理」と呼べることでしょう。めしは食わねばならない。

尚、このエントリは「基本的な料理は出来る」人向けです。「そもそも料理が出来ない」人向けのエントリは明日出しますのでそちらもよろしくお願いします。

さて、そんな僕の本日のめし画像はこちらになります。

 

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あと、とろろ昆布の汁とグリーンサラダ、それに麦飯があったのですが、画像を撮り忘れました。写真の才能が無い上に盛り付けをマトモにする気がないので見てくれはアレですが、味はなかなかです。マーボー茄子と手羽元の甘酢煮なのですが、自分で言うのもなんですが家めしとして納得のいく味に仕上がりました。マーボーは花椒がバシバシに効いていますし、甘酢煮は爽やかな酸味が食欲を引き立ててくれます。残暑厳しい日々に似合うめしですね。とろろ昆布は椀に入れてお湯を加えちょっと醤油を垂らせばうまい汁になるイカしたやつです。グリーンサラダはオリーブオイルとバルサミコと塩で適当に野菜を合えた、まぁそりゃうまいよねってやつでした。

さて、まぁどうということのないお惣菜メニューなのですが、この料理にはADHDがめしを自弁するためのそれなりの工夫が凝らされています。それではまずレシピから。

 

マーボー茄子

①肉(牛豚羊なんでもいい)のみじん切りをにんにくと一緒にガッツリ炒めます。

②豆板醤と塩、お好みで唐辛子や砂糖などで味を調えスープを加えます。スープがなければ水でいいです。ちなみに、今日のスープは下記の手羽元の煮汁でした。

③茄子と椎茸を適当に刻んでマーボーに生のままぶちこみます、同時に水も足します。野菜を煮てるうちにどんどん詰まります。

④野菜に火が通っていい感じにマーボーが詰まったら水溶き片栗粉でまとめて、花椒を好きなだけぶちまけて完成です。カロリーが気にならないなら胡麻油を追って香りを立てるのもいいでしょう。

パクチーか生のニラを散らすと迫力が出ます。

⑥唐辛子と花椒はお好みでいくらでも増量可能です。ドバっといけ。

 

手羽元の甘酢煮

①鶏手羽をひたひたの水にぶち込んで煮ます

②いい感じに煮えてきたら味醂、砂糖を加えます

③醤油、酢を加えます

④照りが出るまで強火でガンガンいきます

⑤焦げる寸前のいい照りのところで止めたらできあがり。酢が立っているのが好きな人は酢を追いましょう。

⑥冷えてもうまいぞ!

まぁ、シンプルなレシピですよね。所要時間はこれと汁とサラダを作って25分というところでした。分量が一切記載されていないのは、僕は「食材の分量を計る」というのが不可能な人間だからです。大匙小匙も一切使いません。オール目分量です。大丈夫、そんな繊細なレシピじゃないから。味見しながらぶっこんでいけ。

さて、どこに工夫があるの?というお話ですが。料理する人なら気づきましたよね。マーボー茄子の下炒めは?という点に。確かに、この料理だと茄子は油通しをするか、家庭なら油炒めをしてマーボーにぶちこむのが基本です。

しかし、このレシピではそれは完全に省略されています。省略しても家庭のめしとしては十分うまいからです、あと油の摂取量も気になるし…。しかし、このメニューにはそれ以上の工夫がいくつもあります。ひとつずつ解説していきましょう。

 

煽り目次

・食材は「凍ったまま調理」でロスと手間を減らせ。

・味に大きな影響のない調理工程は全部カットしろ。

・長時間の煮込みはダルい「照り」を使っていけ。醤油味醂はほぼこれでいける。

・食材のカットなんて大体はどうでもいい、適当にすばやくやれ。

・レシピを一問一答で増やすのではなく、調理法や味付けをメタに理解せよ。

・通常レシピを野菜でカサ増しせよ。

すいません、リンク貼るやり方わかんないしダルいのでクリックしても何も起きません。

 

食材は凍ったまま調理でロスと手間を減らせ

僕は「こまめに買い出しに行く」ということが可能な人間ではありません。買い物は月に1~2回、業務用スーパーなどで大量に仕入れます。日持ちしない野菜だけは駅の近くの店でちょくちょく補充しますが、肉はまとめ買い大正義です。魚も冷凍が効くものはまとめ買いして全部冷凍してしまいます。塩さば、鮭、みがきにしんあたりも冷凍には強いですね。

さて、そういうわけで僕の食材は生鮮野菜を除けば大体が冷凍保存されたものです。基本的には買ってきたパックのまま冷凍庫にポーンです。例外は鶏くらいでしょうか。(キロ単位で買うのでジップロックで小分けして冷凍しないと全部まとめて使うしかなくなる)しかし、「調理する前に解凍」という工程が僕は大嫌いです。あの工程があるだけで料理する気がなくなるんです。待ちたくないのです。

そこで、鶏手羽は凍ったまま鍋に放り込まれました。マーボーが「何故ひき肉ではないのか?」と疑問に思った方もいるとおもいますが、カチカチに凍った細切れ肉は包丁でザクザク刻むことが可能だからです。ひき肉は凍ったままでは炒められませんし刻むことも出来ません。しかし、細切れ肉は凍ったままでも炒めることが可能なのです。

ちなみに、「凍ったまま調理」の幅を広げる最強アイテムは

item.rakuten.co.jp

こいつです。安物でもいいので、とにかく重量感のあるものをチョイスしましょう。流石は骨ごと食材を叩ききる中華の包丁です、「ぶった切る」ということが可能になります。冷凍ナイフは正直破壊力が足りません、いや切れるのは切れるんですけどザクザクいけないんですよね。僕は料理の9割をこれ1本でこなします。料理は破壊力です。

これは実は飲食店経営時代の知恵で、「食材を解凍する」というのはお店の経営上リスクが高いんです。解凍した食材はすぐに売り切らないとロスになってしまいますから。オーダーから即時冷凍食材を必要な量だけカット出来ればそれがベストだったのです。中華包丁は形状的にたいていの作業がこなせる大変便利な包丁で、安物であれば大した手入れもいらないクソ便利なやつです。導入して損はありません。慣れると魚もさばけちゃうんですよこれ。性能としては「小回りの効くナタ」に近いです。

「凍ったままぶった切る」を習得すれば、例えば業務用の魚のフィレなども購入可能になります。必要な分だけぶった切って使えばいいのです。「全部解凍しないとカットできないから小分けしか買えない」はこれで解決です。具体的に言うと、凍った鮭の半身くらいならこれで叩ききれます。メルルーサとかホキ、あるいは黒むつみたいな業務用系の巨大フィレは凍ったまま煮付けにしてやってもうまいですし、巨大なロールイカなんかも便利ですよ。煮魚なんかはほぼ凍ったままやれちゃいます。食材のロスが出ず取り回しがよくなるので、これは本当に獲得した方がいいテクです。腕力はちょっといりますが。あと、指は落とさないようにしましょう。

 

味に大きな影響のない調理工程は全てカットせよ

茄子の油炒めをしないのは先述した通り、一手間減らすという意図が働いています。実は料理というのはわりと信仰の世界で「ぶっちゃけ省略してもうまいことはうまい」という調理工程はかなり存在しています。油通しをやるなら別ですけど、少量の油で炒める工程なんて省いちまっても大きな差はありません。というか味覚で識別するの不可能だと思う。僕はわかりません。(油通しをしてれば流石にわかるけど)

例えば、マーボー豆腐の豆腐の下茹で、あるいはコンニャクの下茹で、油揚げの油抜き、全部いりません。そんなのわからない味付けにしちまえばいいんです。油揚げも、薄味のダシで煮るとか菜っ葉と合えるとかなら油抜きが必要ですが、濃厚な味にするならそんなもん一切必要ありません。カネ取るめしならともかく、日常のめしに十分なレベルには仕上がります。

「この工程いらないんじゃね?」と思ったらとりあえず削ってみるのはとても重要な営為です。大体が「思ったより差がないな?」という結果になると思います。例えば、水炊きならアクをすくう必要があるが、カレーのアクなど完全放置でいいのです。気になるならカレー粉増やせば宇宙の果てに消滅します。「カレー粉を使っても食えないものは食い物ではない」という古代ギリシアの諺がありますが、そういうことです。経験上ですがヘビとかカエル、ブラックバスまでは余裕です。セミはきつかった。

ちなみに、究極的なところですがカレーなんて食材を全部刻んで水で煮てカレールーでまとめりゃそれなりにうまいです。市販のカレールーは暴力的なまでの味のまとめ力を持っていますので、あれを入れるのに細かい工夫なんてする必要一切ありません。「まずタマネギをあめ色に炒めて鶏がらでダシを取り」をやるならスパイスくらい自分で調合しましょう。そんな繊細な味、市販カレールーの破壊力の前では核爆弾の前の木造住宅です。あれには鬼のように濃いうまみも配合されてます。ダシなんて必要ありません。あれを一番美味く作る方法は箱に書いてある通り作ることです。

尚「省いたら致命的な工程」というのもたまにあり、そういうのを踏んでしまったときは「知見になった」と呟けば解決します。具体的にいうと、潮汁を作るときの下ごしらえなどです。ぶりとかあのあたりの魚の塩してお湯かけるあれを省くとね…。鯛のアラとかも、お湯かけて臭みとウロコを取りきる工程省くとわりと大変なことにはなる。

 

長時間の煮込みはダルい「照り」を使っていけ。醤油味醂はほぼこれでいける。

「じっくりと煮て味をしみこませましょう」とか「火をつけたり消したりして温度を低く保ちましょう、味はさめていくときに沁みます」とかそういう話がありますね。それは事実です。大根はさっくりとしてぶりはほろりとなめらかな、クソうまいぶり大根を作ろうと思ったらこのテクは必須になります。でも、日常のめしでこのテクを用いる必要はありません。だってダルいし。

代わりに採用するのが「照りを出す」などと形容される技術です。要するに、糖を加えた煮汁を煮立ててとろみを出し、食材に絡めるのです。糖を加えてとろりとした煮汁が食材に絡めば、大体うまいんです。今日の手羽元も「煮込むのだりい」という極めて誠実な調理姿勢によりこの技術が採用されました。後半はひたすら強火です、焦げ付く寸前で止めましょう。

魚の切り身を甘辛く煮る時なんかもこの技でオールオーケーです。これなら煮汁の分量さえ適切なら10分程度で仕上がります。「下ごしらえを省け」「甘辛で時短」を究極まで追い求めたレシピが「みがきにしんの唐辛子煮」でこれは僕の常備菜です。レシピは極めつけに簡単、凍ったままの身欠きにしんを適宜にカットし鍋に放り込み、生のままの醤油、みりん、酒を適宜に配合。そこに唐辛子を適量入れて山椒をドバっと振って照りが出るまで詰める。以上です。

ソフトみがきにしんといわれるタイプのものを使うのが基本ですが、ハードタイプでも実は成立しちゃいます。(硬いけど、日持ちはする)これは京都の飲食店の賄いレシピなんですが、初めて食べた時は感動しました。唐辛子と山椒を利かせることで、乾物臭さが綺麗にとび、野趣と言える領域まで高まっているのです。こういう料理を開発していくのが重要なところでしょう。僕はかったるいので凍ったままやっちゃいますが、表面の酸化した油とか気になる人は熱湯でもかけたらいいと思います。

「料理は心、手間をかけろ」という信仰ですが「うるせえ黙れ」で一蹴していきましょう。時間と手間がかからないのに越したことなどないのです。結果が手間に見合わない工程はガンガン省いていきましょう。思いついたらサッと作れるレシピを基本にしておけば、料理はずいぶん気楽になります。

 

食材のカットなんてだいたいはどうでもいい。適当にすばやくやれ。

ピシっと大きさの揃った野菜のカット、格好いいですよね。僕もあれはけっこう出来ます。コック時代無限にやりましたから。でも、普段の料理であれをやるかというと、ほぼやりません。無意味な場合が多いからです。例えば、チンジャオロースを作るならルースーの太さと竹の子とピーマンの太さは完璧に揃っていることが要求されます。これは味にハチャメチャに影響するので譲れないところです。あれは食材に等しく火が通り、口の中で調和した味わいと食感を楽しむ料理だからです。

しかし、今日のマーボー茄子のようなレシピでニンニクを完璧に刻む必要が、あるいはナスの大きさを完全に整える必要があるかというと、1ミリもないです。そして、パーフェクトなカットが要求される料理なんて比率としてはそんなに高くありません。雑にザッカザカ刻んで料理すりゃ普通にうまいです。なすを2個刻むのなんて、雑にやれば10秒かかりません。ニンニクなんて大きさがバラついても炒めたらやわらかくなってマーボーの中に溶けていきます。肉に至っては大きさのまちまちさはむしろ味わいになります。試してもらうとわかりますが、細切れ肉を凍ったまま刻んだ大きさにばらつきのある肉はむしろ「本格的」な感じになると思います。

極論してしまえば(この料理は刻んだ方がうまいけど)、包丁を横にしてベシっとにんにくを砕いてぶちこんじゃってもいいんですよ。それでも味としては十分及第点に仕上がると思います。「ペペロンチーノを意識した」とでも言い張っとけばOKです。

 

レシピを一問一答で増やすのではなく、調理法や味付けをメタに理解せよ。

さて、皆さんの「味つけの定番」はいくつあるでしょうか。このエントリに悠々ついてくる皆さんなら

・醤油+味醂

・味噌

・塩胡椒

・カレー

あたりは当然押さえてますよね。どんな食材だろうが旨くする定番のやり方です。しかし、これだけでは「レシピが尽きた」という状態に早晩陥ります。そこで、味付けのパターンを増やしていけば、通常のレシピの味付けを変えるだけで別の料理に早変わりするあれを覚えておきましょう。

例えば、「キャベツと豚コマ炒め」を考えてみましょう。

・テンメンジャン

がまず思いつきますね。これはホイコーローです。加えてありえるのは

ナンプラーと干しエビ

これもうまいです。カンタンですし、安い。干しエビは本物を使うと高くつくので干しアミなんかを使うといいでしょう。お好みでレモンを足してもうまいです。

・ちりめんじゃこと醤油

ナンプラー干しエビの和風版です。魚の旨みが効いて実にうまい。

・ゆず胡椒とポン酢

まちがいないやつです。ゆず胡椒をかんずりに代えてもよし。これをやる場合は素炒めにしてぶっかけましょう。

・クミンと塩

これもうまいです。クミンは粉でもいいですが、ホールで使っても便利です。肉を羊に変えると実にオリエンタルな味わいになってとてもいい。

・胡麻油と塩(もしくはコチュジャン

韓国風です。言うまでもなくうまいのは説明不要でしょう。塩キャベツ、うまいですよね。もはやうまくて当たり前、絶対に外れないやつです。

・バジルとトマト

飛び道具です。でも、これも言うまでもなくうまい。キャベツとトマトとバジルは非常に良く合います。

・オリーブオイルと唐辛子とニンニク

引き続きイタリアンですね。説明不要のうまさ。

花椒とトウバンジャン

四川風です。これもまた、非常に汎用性の高い味付けです。花椒はあの特有の香気とシビレを伴う辛味が粉にするとあっという間に飛んでしまうので、ホールで買ってミルを導入しましょう。僕も先日気づいて導入しました。封を切って1週間で花椒は抜け殻になってしまいます。花椒油を使う手もあります。

ウスターソース

これ、実はアリアリです。だって「ソース焼きそば」うまいでしょ。あれから麺を抜いても当然うまいです。僕はたまにやりますが、「うむ」という味になります。焦げたソースのジャンクさがたまらない。めしにのせてちょっとソースを追ってやると、2合食える。

まだまだあると思いますが、これらの味付けを変えていくだけで「キャベツと豚コマ炒め」が全く別の料理に化けていきます。料理をレシピ単位で覚えていくのはあまり効率がよくありません。味付けや調理のパターンを覚えて、食材ごとに合わせていけるようになれば「冷蔵庫の中にあるもので適当にめしを拵える」ことが可能になります。一問一答で覚えるのではなく、メタに理解していくことが重要です。今回は省きますが、「煮る」「炒める」「蒸す」などを展開すると「豚コマとキャベツ」ですら無限に広がっていくのです。

基本的に日常の「めし」は具体的な料理を狙って作ろうと思うとくそだるいです。冷蔵庫の中にあるもので何が作れるかな~というところまで到達すると大変楽になります。僕は買い物の時に食材の繰り回しなんて1ミリも考えません、安いものをバシバシ買い、冷蔵庫にあるものでめしを拵えます。

普通の人は「一週間分の献立」とか考えられるのかもしれませんが、どこに出しても恥ずかしくないADHDマンである僕にそんなことは不可能です。調理法の幅を増やすことで対応していくしかありませんでした。たとえば「肉じゃが」ですが、水分量を微調整すれば上記の味付けは大体イケると思います。(たぶんソースもやればできるんじゃないかな…やったことないけど)クミンと塩の肉じゃがはクソうまいですよ、肉は牛肉か羊がおすすめです。

最近外務省が「乙嫁語り」と中央アジアを猛プッシュしているので(原画展よかったです)この辺のレシピがメジャー化してきましたが、僕も塩クミンは激推ししています。にんじんを刻んで塩とクミンとオリーブオイルとレモンでまとめるだけで飲食店で出せる一品になります。原価安くて人気あって儲かりました。

 

通常レシピを野菜でカサ増しせよ。

さて、今日のマーボー茄子ですが、椎茸が入っています。これは飲食店ならまず入れないでしょう。味の純粋さや勢いが落ちますし、プロっぽくないからです。しかし、家庭で食うめしは「栄養」も重要な要素です。野菜は入れられるだけ入れた方がいいに決まっています。この「野菜を増やしても味を壊さない限界」を習得しておくと世の中がいい感じに回り始めます。

例えば、肉や魚はレシピの中でどれだけ比率が上がっても通常味は壊れません。旨みは濃い分には全く問題ないのです。しかし、野菜はそうではありません、入れすぎれば崩壊しますし、そこまでいかなくても味の焦点がぼやけてダレた味になってしまいます。「野菜多目がいいよね!」と思ったらマズくなってしまった、というのはあるあるの失敗ではないでしょうか。しかし、「家のめし」としてレベルを上げるにはこの関門を越える必要性が出てきます。野菜食わなきゃだめです。

さて、これをやるコツですが野菜の水分量、味の濃さ、甘みの強さなどを勘案してトータルでは「勘」に帰着します。普段から「ちょっと野菜足してみよう」「もうちょいいけるか」「やべえトチった」を繰り返して習得しておいて損はありません。(トチった時はあわてて味付けでリカバーするのではなく旨みを足しましょう。塩や醤油は入れすぎたら死にますが、うまみはオーバーランの許容範囲がとても広いです)

「野菜を食う」のはとても難しいことです。サラダなんて湯がいてみたらわかりますが大した量の野菜ではありませんし、野菜だけの一品を毎回作るのもだるい。自然に野菜を食うには「通常レシピを野菜でカサ増し」を習得するのが非常に便利なのです。「とりあえずちょっと野菜足してみよ」を普段からちょっとずつやってみましょう。失敗もありますが「とりあえずうまみを増補する」を覚えておけば、食えるレベルにはリカバーできます。家庭めしの一番大事な点はここだと僕は思っています。

ただ、これは初心者には多分無理です。大失敗の要因になりますので、ある程度は料理が出来る、少なくともレシピがあれば大体のものは作れるレベルに到達してから試してみてください。「飲食店のめし」より「家庭の毎日食うめし」の方がある意味では難しいのです。

 

よいめしを食いましょう

さて、こんなエントリを書いといてなんですが、僕はこの半年で10キロほど太りました。忙しく、自炊をほとんどしていなかったからです。あと、ほぼパソコンの前に座ってたせいもある。体調の悪さと体重増加に限界を感じて、この数週間で慌てて自炊に戻したらあっという間に全身のむくみが消滅し身体がびっくりするほど軽くなりました。体重も即数キロ落ちました…。

発達障害者は基本的にこういう健康の損ない方をやりがちだと思うんですが、僕も本当に反省しきりです。忙しかったけど、せめてもうちょっと頑張っておけばよかった…。いや、「この多忙な中そんなものを気にしている暇はない、あとラーメンうまい。チャーシュー丼もうまい」とかやってたの本当にアホかと思います。いやね、近所に気持ちの入ったうまいラーメン屋があってさ、魚介が効いててうまくて麺も大盛りにすると生麺で300グラム入れてくれてしかも大盛り無料なんだよ…。

僕は外食大好きです。ラーメンもそばもうどんもすた丼も牛丼もキッチンオトボケもこよなく愛しています。ジャンクフードは栄養的に褒められたものではないですが、心を癒す作用は大変優れていると思います。時にはそういうものも必要なのは間違いありません。でも、物事には限度がある。

滋養のあるめしを食っていく必要性はあります。やっていきましょう。次は初心者向けエントリ書きますのでそちらもよろしくお願いします。

 

 

 

 

今すぐ片付く、お片付けの本質について

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いつものニューアキンドセンター様のエントリです。シリーズ起業地獄、かなり佳境に入ってきました。こちらも併せて読んでいただけるととても嬉しいです。

お部屋、片付いてますか

皆さんのお部屋はどうですか。始まってますか、終わっていますか。どうですか。どうなんですか。というところからなんですが、まぁ発達障害のある方で「お部屋の片付けに自信アリ」という方はあまり多くないです。「完璧に片付いてないと気が狂うし、灰皿に吸殻が3本あると気になってしょうがない」という人もいましたが、それはそれでベクトルが逆なだけで色々大変だなぁと思いました。

そういうわけで、大体の人はこうなります。まず、ある日思い立ってお部屋をガーっと片付けます。「ああ、綺麗な部屋はいいなぁ、これを維持したいなぁ」と思うでしょう。でも、1ヶ月それを維持出来たことは無いのではないかと思います。僕もありません。「瞬間的にお部屋を綺麗にする」までは、星の巡りが良かったり気持ちが高まっていたりすると出来る人が多いでしょうが、「片付いた状態を維持する」というのは極めてハードなゲームです。

 

はい、そういうわけで片付けの本質をはじめましょう レベル1

片づけというものについて、僕はかなり悩んで来ました。というのも、僕はものすごく神経質なのです。視界に入る情報が多すぎると気が狂いそうになりますし、作業をするにも常人の倍くらいのスペースが最低限必要です。重なり合った書類は異次元に消滅しますし、ペンはいつの間にか宇宙に飛び出し、スマートフォンは時空の狭間に吸い込まれます。そういう問題を解決するためには「作業スペースを広く取るための作業」すなわち「片付け」が必須になるわけです。それが出来ないことには何も出来ません。

つまり、「片付け」というものの本質は生活や作業に必要なスペースを確保するということになります。これさえ理解しておけば「ただちにやらねばならない作業があるのに机が片付いていない」は突破できます。工程は極めてシンプル。まずは、机の上からコップのような割れるもの、あるいはジュースの缶のような水気のあるもの、または灰皿のような飛び散ったら厄介なものをを排除しましょう。次に、肘から先の腕を机におき、大きく右もしくは左にスライドさせましょう。

ほら、机の上は「片付いた」はずです。

これが我々のような「片付けの出来ない人間」のための「レベル1」です。まずは作業スペースを確保する、それで良いのだということを理解しましょう。ただちに机の上で行わなければいけない作業があるときは、ただちに机の上で作業を行わねばなりません。そのときのためにこのハックは本当に覚えておいて損はありません。

 

片付けの本質、恒常性の維持 レベル2

さて、レベル1はリスクを覚悟すれば誰でも出来ます。机の周りがグッチャグチャで足の踏み場もなくても、椅子に座れて机の上にスペースがあればなんとかなる。それはわかりましたね。でも、永遠にこのレベルに留まっているのはちょっと…机の周りも大変なことになってるし、台所とかには適用できないハックだし…。そういう向上心のある皆さんのためのハックです。

尚、「レベル1で止まる」というのもひとつの手です。2週間に1度業者を呼んで完璧に清掃してもらう、という手段を選んだ人もいます。彼は1回8000円で人を1人雇って3~4時間作業してもらっていましたが、月16000円でこれが維持できるなら安いものだと思います。台所が綺麗に維持できないなら「台所は使わない」という選択肢だってありです。「正しい生活」の模範像に囚われすぎず、自分に可能な限界を見極めていくというのもとても大事なことです。

しかし、「やっていくぞ!」という気持ちがわいてきた皆さんはレベル2に向かいましょう。レベル2のキーポイントは恒常性、すなわちホメオスタシスです。たぶんそうだったと思うんですが、まぁ別に言葉はなんでもいいですね。(ホメオスタシスで合ってましたっけ?不安になってきた)

すなわち、「片付け」の理想像は「片付けがいらない状態」だということです。毎回作業を始めて、作業が終わった時には全てが片付いている、そういうことですね。つまり、ギュウギュウに物を収納に突っ込んで視界から隠し、一時的にピカピカになった状態は「片付いている」わけではないのです。そこには恒常性の維持という観念が欠落しています。

 

お部屋の恒常性を維持するために必要なもの

さて、人間の身体というのはわりとよく出来ていて、いろいろあってもまぁ大体は健常な状態を維持しようと頑張ります。老化した皮膚ははがれて新しい物に入れ替わりますし、温度が高すぎれば汗が出ます。しかし、お部屋に通常この機能はありません。これを人間の手で行ってやるのが「片付け」なのです。そして、この「片付け」がやりやすい状態を作ってやることが本当は重要なのです。

さて、ここで一番重要なことは何かと言うと「物が少ない」ことです。物が増えれば増えるほど、取り出しや収納にかかる手間は増えます。生活上必要でないものは全部捨てるというのはかなり賛同できる考え方です。その一方「あればとても便利」なアイテムも多いので、この辺は兼ね合いになるわけですが。

次に重要なことは「部屋にあるもの全てに一覧性がある」ことです。というのも、見えないものって頭から消えるじゃないですか。で、また買うじゃないですか。これが繰り返してどんどん物が増えていくわけですよ。逆に言えば「積み重ねたもの」や「視界に入らないもの」を認識し続けて、適切にそれを使える人ならこのハックはいらないわけです。しかし、我々はそれが出来ないわけですね。

そういうわけで、お部屋のスペースというのは有限です。その中で「一覧性を確保しながら配置できる」物の数はとても限られています。それを意識しながらお部屋を作り直すことが極めて重要になります。「可能な限り物を少なく」と「全ての物に可能な限りの一覧性を」を意識して、お部屋の配置を考えてみましょう。片付けにとって一番大事なのはそれです。

 

Everything in its Right Place

「片付け」の本質はこの言葉に集約されると神は言われました。すいません、今ふと思いついただけなんですが、でもこれは結構正しいと思います。「そんなこたーわかってんだよ」という声が聞こえてきますので、もちろんまだ話は続きます。皆さんのお部屋を見渡してみてください。「定位置が確定していないもの」が何個ありますか?それらが「部屋の恒常性が維持されない」原因です。

ちなみに、僕の部屋にも「定位置が決まっていないもの」は存在します。いっぱいあります。おまえも出来てねえんじゃねえか、というお話ですが、全てのものをあるべき場所に還すというのは簡単なことではありません。ではそういった物々はどう処理すればいいのか?

簡単です。「居場所がないもののための場所」を用意すればいいのです。具体的に言うと、100均でデカい箱を一個買ってきて置けばいい。「これどこに置こうかな」と悩んだら、とりあえずその中に投げ込むのです。これは某極めて発達障害の強い方が「本質ボックス」と呼ぶハックですが、すさまじい効果を発揮します。とりあえず、「箱の中にはある」のですから。

ただし、箱を増やすのはやめましょう。1~2箱が限度です。ちなみに、このハックは「洗濯物が無限に部屋の中につみあがる」という方にもオススメです。洗濯が終わって干しあがったら、とりあえずボックスに投げ込めばいい。後はボックスをゴソゴソやれば靴下もパンツも出てきます。出勤前に「靴下がねえ!」と焦るあれは回避できるでしょう。

 

お部屋の物品配置を具体的にどうするか レベル3

さて、それでは最終的なところに行きましょう。「機能的かつ高い恒常性を持った部屋の作り方」とはどのようなものかについです。これは、僕の経験からくる考え方ですが、まず部屋の中での「ベース」を定めましょう。自分が長い時間をすごす場所です。僕の場合はデスクのパソコン画面の前です。1日の8割はここにいます。

この場所からの室内の一覧性と物品へのアクセス性を眼目にしましょう。そのためには、物品を3段階のレベルに分けるのがオススメです。

レベル1 日常的に使用するもの(ペン、ティッシュペーパー、メモ帳など)

レベル2 数日に1度は使用するもの

レベル3 滅多に使わないもの

の3つです。これは、あなたの「ベース」から許容される物品までの距離です。レベル3に関しては最悪一覧性やアクセス性を多少捨てても構いません。しかし、レベル2までのアイテムは絶対に「ベース」から位置を視認することが可能で、かつ1手でアクセスできるようにしましょう。レベル1に関しては、「立ち上がる必要がない」場所に置くのがオススメです。「ペンとメモ帳までの2歩が歩けなかったので致命的な情報をメモできなかった」そういう我々のためのハックです。

すると、部屋の「ベース」を中心に円が二つできるはずです。この円を補助線に部屋の中に物品を配置していきましょう。そのために必要なツール類ですが、僕の机上整理に関する圧倒的オススメはデスクオーガナイザーです。

Amazon CAPTCHA

何故か引用サムネが貼れないのでこの形で失礼しますが、こいつは「わかってるな」と思いました。書類も収納できますし、何よりメッシュなので底に落ちたものが異次元に消滅することがない。一覧性がより強化されたアイテムだと思います。このタイプならシャチハタが消滅しなくなりますね。(僕はプラスチックの透過性のないものを使っており、この現象は割とおきています)

会社をやっていた頃には机の上にデスクトレーを2つおき、書類を「未決」と「既決」に分けて処理していく方法をとっていましたが、これは従業員がガンガン書類を投げ込んでいき、僕が処理するという状態だからこそ使えた方法で、現在はデスクトレーは封印しました。重なった書類の下のほうは存在が脳から消滅していくからです。その点、書類が立てられるタイプは重ねるタイプよりはまだマシです。

この考え方を部屋全体に適用してみてください。しかし、完璧にやる必要はありません。例えば机周りだけはレベル3まで、後はレベル2までみたいな形で構いません。あなたにとって最も重要な場所とそうでもない場所を腑分けして、それぞれに適切なレベル感を設定してやりましょう。

 

出来ることをやっていくのが大事、強迫観念にならないようにしましょう

さて、これを読んで「よしやるぞ」と思った皆さんに最も重要なアドバイスですが、いきなりはたぶん出来ないです。僕は18歳の時に「持ち物をアルバムや卒業証書といった物に至るまで使わないものは捨てる」といういわば断舎利みたいなあれを行うことで、やっと少しずつできるようになりましたが、発達障害のある人がいきなりレベル3まで実行するのはたぶん無理です。

むしろ、片付けは出来ないままでなんとか生活を維持するために労力とコストを割くべきところはどこだ?と考えていくことが大事だと思います。また、「思い出のアイテムは捨てられない」という人もいるでしょう。僕は実利を優先して全て処分しましたが(そもそも良い思い出が少ないの捨てるのはむしろ気分が良いことだった)それが出来ない人は仕方ないと思います。

まずは、意識を変えることが重要です。部屋の片付けとはまず「作業スペースを確保すること」その次のレベルが「片付いた状態を維持できるようにすること」です。とにかく全部視界の外に追いやって「片付いた」とするのはやめましょう。あれは明確に事態を悪くします。我々が物置の奥深くに収納されたものを再度取り出せる可能性は、金鉱を見つけるのに近い難易度を誇ります。「一覧性」という概念を忘れないでください。

しかし、一番短期的にスパっとやれるハックはシンプルです。「本質ボックス」、明日の朝イチで買いに行きましょう。行き場のないものはとりあえず投げ込む、何かが見つからなくなったらこの箱の中を探せばいい。それは人生をとても楽にします。

「とにかく綺麗にしよう」という観念は捨てましょう。見た目が綺麗でも、恒常性がなく物品へのアクセスが悪化しているなら「汚い方がマシ」もありえるのです。お部屋に少しずつ恒常性を作り出していくことを意識して、やっていきましょう。でも無理はしなくていい、あなたのできることと出来ないことを意識して「出来ない」ことは許して、「出来なくてもなんとかなる」策を模索していきましょう。