発達障害就労日誌

色々あるけどまぁ生きていこうじゃないかというブログです。

祝って欲しいんですが、書籍出版告知です

本が出ます

思わず見出しも大きくなっちゃうのですが、一応このブログが出版プロジェクトだったことをまだ覚えていらっしゃる方っていますか?いないですよね。一応そうだったんですよ、そういうわけで色々あって本が出ることになりました。

で、この半年めっちゃ原稿書いてたわけです。272ページの大作書きおろしまして、150ページ分くらいボツ原稿が出ました。ブログから引っ張ってるところもありますが、それは「これはブログの文章を入れたい」という意図で入っており、基本的にはモリモリの書き下ろし本です。

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担当氏もこのように仰っております。ちなみに、膨大に出たボツ原稿ですがこちら実はオマケについてくる形になっておりますので、最後までご確認ください。

内容についてはこちらの目次の通りになります。
 

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●第1章 自分を変えるな、「道具」に頼れ 【仕事】

発達障害式「仕事」の原則 「ぶっこみ」「一覧性」「一手アクセス」

「かばんぶっこみ」こそが最強の戦略である

「バインダーもりもり作戦」で書類の神隠しを防ぐ 

「メモができない」僕らのための手帳術

 アイデアを出すときは「大きな白紙」を用意しよう

 さらば、片づけ地獄! 「本質ボックス」と「神棚ハック」

 「クリーンスペース」が頭の混乱を消してくれる

 「手をつけられない」を5秒で解決する「儀式」

 記憶力がヤバい僕の「人の顔と名前」の覚え方

 なぜあなたは「休む」のが下手なのか?

● 第2章 全ての会社は「部族」である 【人間関係】

 発達障害式「人間関係」の原則 あなたが所属する「部族の掟」を知ろう

 人間関係の価値基盤「見えない通貨」

 部族の三大通貨①褒め上げ――褒めるとは、「音ゲー」である

 部族の三大通貨②面子――「俺は聞いてないおじさん」が発生する理由

 部族の三大通貨③挨拶――挨拶を返さない人にも挨拶せよ

 部族の祭礼「飲み会」は喋らず乗り切れ

 部族の通過儀礼「雑談」は、ひたすら同意をリピートせよ

 共感とは「苦労」と「努力」に理解を示してあげること

 今すぐ「茶番センサー」を止めろ

●第3章 朝起きられず、夜寝られないあなたへ【生活習慣】

発達障害式「生活習慣」の原則 「普通」に捕獲されてはいけない

「眠れない」あなたがやるべきたったひとつのこと

発達障害の僕でもできた、最強の「二度寝」防止法 

 身だしなみは「リカバリー」を重視せよ

 「セルフモニタリング」で自分の調子を知る

●第4章 厄介な友、「薬・酒」とどう付き合うか【依存】

 発達障害式「依存」の原則  薬と酒は、呑まれるな、飲め

 薬の飲み忘れと紛失をゼロにするすごい「仕組み」

 コンサータを飲んでみた感想――ないと「事務ミスドミノ倒し」が発生

 ストラテラを飲んでみた感想――僕は今飲んでいません

 飲んでいい酒、飲んではいけない酒

●第5章 僕が「うつの底」から抜け出した方法【生存】

発達障害式「生存」の原則  「死なない」は全てに優先する。休め

 休日に全く動けなくなったらすべきこと

 ビジネスホテルで「外こもり」しよう 

 ヤバい「うつ集中」と「過集中」の解除方法 

 うつの底で、命を救う「魔法瓶」 

 自己肯定に「根拠」はいらない 

 一番危ないのは、「吹雪が止んで山を降りるとき」 

おわりに 少しずつだけど、発達している

解説 社会のスタンダードどおりに生きていけない人達への贈り物 精神科医 熊代 亨

 

解説は熊代先生にお願いしました。

p-shirokuma.hatenadiary.com

はてなの民にはお馴染みのシロクマ先生ですね。

このようにかなりバチバチに詰め込み、当初の想定からページ数がどんどん増え続けた気合の一冊となっておりますので、皆さまの書架に加えていただけると大変幸いです。トイレとかに置いてもらえると嬉しいという気持ちがあります。

 

初回購入特典

はい、そういうわけでオマケがあると嬉しいじゃないですか。この機会にすごいものをこの世に出したい、そういうわけでこの本の大オチをポストカードにしていただきました。豊井さん@1041uuuの絵のポストカードです。

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こちらのポストカードを抽選で30名様にプレゼント。本物の貴重品を生み出してしまった、という気持ちがあります。そして、本の最期のオチ部分、僕が一番言いたかったことがこの一枚の絵に込められています。豊井さん、ありがとうございました。

それと、僕のボツ原稿(こちらは応募者全員サービス)が送られてくるという嫌がらせの二点が、初回購入特典となります。もうじき、KADOKAWAさんが頑張って応募フォームがポップすると思いますので、ポップしたら追って告知いたします。

アマゾンの購入履歴でOKですので、特段用意するものはありません。ただ、初回購入特典が6月10日までとなりますので、それまでにご購入(ご予約)いただければと思います。どれくらい予約入り、どれくらい応募があるのか謎なのであれですが、それほど非現実的な当選確率にはならない気がします。

ちなみに、ボツ原稿の方については「就職活動」みたいな「得意だし書きたいけど本の都合上ざっくり削られた」みたいなところが入る予定ですので、結構食べるところがあるのではないかと思います。

 

御礼

本のテーマは五つ。「仕事」「人間関係」「生活習慣」「依存」「生存」、いずれも僕の人生の重大問題だったものです。そして、多くの人にとっても重大なテーマだと僕は考えています。発達障害の診断を受けている人に限らず(発達障害というのはスペクトラムな障害なので「発達障害寄り」ということもあり得る)、一人でも多くの人の役に立てればと心から思っています。

このブログを開設したのが昨年2月あたり。ツイッターは始めて4年目くらいでしょうか、もう過去のことはよくわかんなくなってしまいましたが、皆様のおかげでなんとか最初の門をくぐることが出来ました。

この本は「仕事術」の本ですが、一番主張したいことは仕事のことではありません。それは、豊井さんの絵に象徴されるものなんですが、とりあえず生きていきましょう、少しずつ良くなっていきましょう、やっていきましょうということです。

借金玉も「そろそろ死ぬ」と言われ続けて2年くらい、今は大分希死念慮も晴れて自分なりにやれることをやって、やれないことはやれないでしょうがないと思って生きていきたいなと思っています。その「やれること」をちょっとでも広げるお役に立てれば心からの幸いです。

皆様の応援のおかげで、本を一冊物するという生涯の夢を叶えることが出来ました。これを最初のドアとして、もっと皆様のお役に立てるようやっていきたいと思います。

やっていきましょう。

 

2018年5月2日

借金玉

 

仕事が覚えられないあなたのための処方箋―丸暗記ダメ太郎のために

こんにちは、丸暗記ダメ太郎です

こんにちは。丸暗記がとにかくダメな人です。6つの工程をスピード感よくこなすアルバイトに就いたときは、主任に「おまえは知的障害だ」と言われました。そんなわけで、勉強でも仕事でも「最初の一歩」がとにかくキツい、という悩みをお持ちの方は多いと思います。今日はそんなお話です。

たとえばコロッケを作るとしましょう。

あなたはコロッケ作りという工程をどんな形で理解しているでしょうか。

1.玉ねぎとひき肉を炒める

2.茹でたジャガイモをマッシュして1.と混ぜる

3.丸く成型して、パン粉の衣をつける

4.油でサクっと揚げる

5.キャベツはどうした

こんな感じの流れですよね。料理の素養がある人なら、「コロッケってどんな感じだったかな」と思い出すことで、この流れを再現することができると思います。コロ助が出てきた人はキテレツ大百科を見てた人で、同世代かちょっと上ですね。

しかし、これは実を言うと料理について何も知らない人にとっては結構難しいことです。例えば、コロッケのあの衣がパン粉だと知らない人はあの工程が完全に謎になってしまう。フライを揚げたことがなければ、あそこはわからないわけです。パン粉の衣をつけるには実は、卵液をくぐらせるという一工程がありますが、あれもわからないですね。

しかし、コロッケを作ったことが無い人でも、フライを揚げたことがあればコロッケを作ることは可能でしょう。ジャガイモのマッシュと味つけは熱いうちにやらなければダメ、ということも、ポテサラを作ったことがある人ならわかるでしょう。

コロッケって実はそれほど家庭で作らない料理だと思います。あれは、お店で買うと安いが家で作ると手間がかかるという性質を持った料理なので、コロッケを日常的に作る人というのはそれほど多くない。

僕も「え、食べたいなら作るけど…」くらいの料理です。だから、コロッケのレシピを頭の中で構築できる人の多くは、「ほかの料理の知識」を引用しながら、コロッケのレシピを再構築したはずです。空で言えるほどコロッケを作り慣れている人は、スーパーの総菜部門にお勤めの可能性が高い。

ADHDの皆さんもこういう覚えゲーにはそれほど苦労を感じないでしょう。「コロッケを作る」という目的が見えていて、「コロッケ」を知っていれば。こういう状況下だと、ADHDは「より美味しく効率的にコロッケを作る」という工夫をはじめがちで、「成型までやって冷凍とかできないかな?」とか考えちゃうかもしれません。できなくもないです。これが美しい例です。

 

工程1~5の2を担当してください

はい、始まりました。コロッケ作りを5つの工程に分けたうちの、2があなたの担当になりました。

2.茹でたジャガイモをマッシュして1.と混ぜる

 という作業だけが目の前にあります。あなたはジャガイモをマッシュして、よくわからない炒められた肉と混ぜる作業をやっています。当然、この作業には事前のアルコール消毒から帰りの道具片付けまでマニュアルがバシっと整備されています。

あなたは、ジャガイモをマッシュするわけですが、マッシュ加減は厳しくマニュアルに定められているものの、その「定め」の意図がわからずいつも加減を間違うでしょう。「ほどよく粗さを残す」の「ほどよく」ってなんやねん、と。

バグりましたね?はい。僕もこうなると途端に仕事が出来ません。自分が今何をしているのかよくわからない、やっている作業の意味付けができない、流れが意味の中に統合できない。こういう状態が起きます。

「全体性の獲得」と僕は呼んでいますが、覚えるべきものの全体が見渡せて初めて記憶や思考が作動する、という特性を持った人は結構多いです。僕の経験則だと、ADHDASDいずれにも存在します。要するに丸暗記ダメ太郎、あるいは定期テストはゴミだが模試は何故か取れる太郎と言います。

そして、折しも今は5月。丸暗記ダメ太郎こと、仕事のスタートダッシュがとにかく遅い太郎諸氏が最も苦しむ時期です。仕事が覚えられませんか、僕も覚えられませんでした。しんどいですね、わかります。

 

仕事を見渡せるか?全体性の獲得について

僕は今、営業職です。しかも、小さい会社の割と野蛮な営業職なので、「契約取って歩合を貰う」という仕事の流れが大変にパキっとしています。「反則技」の概念はあまりなく、「コンプラは守れ」程度の指示しか受けていません。結果として、仕事の頭とケツを抑えて好き勝手やる、という自由が与えられています。

こういう仕事は「全体性」が極めてわかりやすく、非常に良いと思います。その仕事を貫く基本理念を抑えて、後は辺縁知識を理解すれば必然的に何をすればいいかわかってきます。わからないときは相手に上手に尋ねるなどのメタもあります。例外的に、職分が分割されていて仕事の全体像が見えていない従業員が多い大手さん相手の取引だけ、「意味わかんねんだよ!」って叫んだりもしますけど。契約書作成部署の話をやめろ、契約書くらいおまえが作れや、というわけにもいかないんでしょうね、大手さんは。

しかし、僕もかつてとても巨大な金融システムのバックオフィスにいたときは、「全体性」が一切見えず、完全に無になりウァァと叫びながらいっぱいお酒を呑んでSEKAINOOWARIになりかけました。DをEしろ、と言われてもDをEする理由も意味もわからないから、全く覚えられないわけです。ちなみに、こういう巨大組織においては上司もDをEする意味をよくわかってなかったりします。

しかし、AからZまでは何一つわからないが、DをEすることやGをHすることを長年やってきた断片職人みたいな皆さんがいて、彼らは「全体性」など一切意識することなく、単純暗記した仕事を淡々とこなしていきます。往々にして、「常識的に考えたらわかるでしょ!」などと怒りますが、その常識はちょっと世間の常識ではないのであなたは知らないわけですね。大変にしんどい。

「見渡し」の効く裁量の大きい自由度の高い職種なら、仕事の頭とケツをバチっと抑えて、その過程において必要な知識を肉付けしていくという作業をやりましょう。しかし、多くの皆さんにとって仕事はそういうものではない。そういう時にどうするか、考えていきましょう。

 

仕事の全体性など誰もわかっていない

オーソドックスな答えでいうと、これは受験勉強なんかと一緒ですが「まずは覚えなくていいからガンガン教科書を進めて、その科目の全体性を掴みましょう」ということになります。勉強に関しては、難関私大の受験までは僕はこれで対応しました。それ以上はわからん。まず、とにかく薄っぺらい参考書を一冊買って、それを短時間でブン回す。あとはひたすら過去問を解くというのが僕の受験勉強スタイルです。

縄文時代には詳しいぜ!にならないために、まずはとにかく進めるというのは「最初の一歩ダメ太郎」のためのきわめて重要な教訓でしょう。1日で10を覚えてアウトプットする能力に関して、僕は破滅的にダメです。しかし、1年で400を覚えてアウトプットする能力になると、不思議に周囲に追いつきます。典型的な定期テストダメ太郎です。

しかし、仕事というのは厄介で「とにかく縄文時代を完璧に覚えろ」という要求が出てくることがあります。「縄文時代」ならまだマシで、縄文時代の3ページ、弥生時代の2ページ、昭和の7ページ、みたいな覚え方を要求されがちなのが仕事というものです。体系立てて教えている時間などないので「必要なところをとりあえず教える」とそういうことになっちまうわけです。

結果として現れるのは「自分の職分は完璧に暗記しているが、自分が何をしているかはわかっていない」皆さんです。こういう人から仕事を教わるのは本当に骨が折れると思います。というのも、彼らはわかっていないうことはわかっていないですが、わかっていないことに直面するとものすごい怒るわけです。

「要するにこの仕事って何してるんですか?」は禁句です。大きな組織において仕事の大きな流れを理解している人というのはそう多くありません。「部分もわかってないくせに全体を知ろうとしてんじゃねえよ生意気なんだよボケカスが」というあれが降り注ぎます。「え、部分を覚えるには全体を覚えるのが最適じゃないですか、最適なジャガイモのマッシュ加減を覚えるにはうまいコロッケを食う以外ないでしょ?」ということになりますが、そういうのは通常聞き入れられません。

 

覚える技術、体系化ーメタ化

はい、そういうわけで何とかしていきましょう。僕も、いくら仕事の見渡しがききやすい営業職とはいえ、「これはなんとかせねばいかん」となったわけですね。そこで思い出したのが「キャベツはどうした」のお話です。

お料理行進曲 YUKA 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

キテレツ大百科懐かしいですね…。実は僕、中1のとき「どうしてもアルファベットの並びが覚えられない」という理由で、実にしばしばABCの歌を頭の中で歌ってました。いやだって、Fの次にGが来る根源的な理由ってないわけじゃないですか。そんなの覚えるのに苦労するに決まってるでしょ…。

しかし、お料理行進曲でもABCの歌でもそうですが、「体系化」というのは「正しい体系」「究極的な目的から敷衍される形式」「論理的に積み上げられた順序」とは限らないのです。つまり、勝手に体系を作ってしまえばいいのです。歌でもいいでしょう、あれも一つの体系ですからね。

自分に与えられた仕事のエリアがキッパリしているなら、その一連の流れをとりあえず見渡して、「正しくなくていい、とにかく全体性を把握する」ということに努めると大分頭の中が整理されます。僕が「仕事の頭とケツ」という表現を何度も使っているやつですが、現実にはヤマタノオロチみたいな仕事でも「ここが頭でここがケツ」と便宜的に定義してやることは可能でしょう。

この「仕事を覚える」において、「仕事の究極的な目的から合目的に考える手順」みたいなものは基本的に存在しないことが多いです。多くの場合「慣習」というやつが、合理性や合目的性を強く覆い隠しています。もちろん、その「慣習」それ自体に合理性や合目的性があったりもするのですが、新入社員にそれを見通すのは不可能でしょう。

これはこういうことです。

覚えることが にんじん じゃがいも 玉ねぎ 豚肉

だとしたら、これは「カレー」って覚えればいいわけです。ここに「しらたき」が入ると「肉じゃが」ですね。仮に作るものが「シチュー」でも、「カレー」でいいわけです。「カレーなのか?シチューなのか?」と考えていくとバグります。「どっちでもいい」が正解です。

我々は、「にんじん…じゃがいも…玉ねぎ…あ、豚肉買い忘れた!」となる人種です。ここに「カレー」って概念があるだけで、記憶の参照が可能になりミスが大きく減るでしょう。まずは「カレ-」の形に仕事の流れを整理してやることが大事です。

 

覚える技術―脳を止めろ

僕は通常あらゆる思考が頭の中をぐるぐる回っているタイプです。仕事の情報を与えらえても、その辺縁や前後を考えてしまい、「ただそれだけを考える」ということはできません。仕事中に我々は実にしばしばぼーっとして「頭使えよ!」って怒られていますが、あれは逆です。我々は「考えすぎて」いるからああなるのです。

単純記憶において、「一連の情報の中から体系を汲みだそう」というような思考はむしろ記憶の定着を阻害する作用を持つと僕は確信しています。しかし、我々は真剣になればなるほど「一部から全体を想定する」とでもいうべき脳の働きが強く表れてしまいます。Aの次にBが来て、Iの次にJが来ることに根本的な理由はありませんが、我々はどうしてもそこに存在しない線を探してしまうのです。

この働きをどうすれば止めることが出来るか、長年苦労してわかりました。バカにすればいいのです。「考えろ」と言われているときに要求されているのは「考えるな」です。単純丸暗記は「思考」とは違うエリアの領域にあり、ただ単に覚えるというのであれば、なるべく頭は使わない方がいいのです。

しばしば、単純丸暗記能力と思考能力はバーターの関係にあると感じることが僕にはあります。もちろん、単純丸暗記も素晴らしい能力です、「暗記が得意なやつは頭が悪い」なんていう気はありません。しかし、僕は「考える」ことを放棄して仕事にテキトーに向かい合い、「ここには道理などない」とバカにしきったとき、不意に暗記能力が上昇したという経験があります。おそらく暗記が得意な人は、暗記が必要な時は思考を止めているのでしょう。

「もっと頭使えよ!」と怒鳴られたときは、「ちっ、頭を使い過ぎたか。もっと無にならなければ…」と感じるくらいでちょうどいいのです。思い出してください、どうでもいいことってやけにクッキリ覚えてませんか?我々が「頭を使わなければ」「俺は頭が悪いのでは?」とあのスパイラルに落ちていく典型的なアレに陥るほど、暗記能力は下落します。考えるのをやめましょう、そうすれば覚えやすくなります。

ただし、「一部から全体を汲み取る」ことが必要な仕事も多々あります。そこは見分けて、思考のオンオフができるようになるといいですね。僕は最近ちょっとずつ出来るようになってきた気がします。

 

覚える技術―ヨコの活用―援用

最期に、これが「暗記」のメインウェポンです。しかし、これは厳密にいうと「暗記」ではありません。というのも、学習にはタテとヨコがあるというお話です。

例えば、「コロッケのレシピ」を渡されてそれを丸暗記するのは「タテ」のやり方です。それに対して、「コロッケってどんなんだっけ」「あれはフライと同じコロモだから、卵と小麦粉で…」と再構築するのは「ヨコ」のやり方です。

僕も結構いろんな業界をゴロゴロ転げて泥まみれになってきて思ったことですが、「ああ、これはアレだな」という「全く関係ないけれど同型の知識を引用して突破できること」の数が年々増えていくのを感じています。

コロッケについてはざっくりしたイメージしかなくても、アジフライとポテトサラダの作り方を知っていれば「アレはアレだ」と考えることが出来るわけです。知識の総量が増えてくると、単純丸暗記ではなくこの「援用」の技術で乗り切れる局面が非常に増えてきます。亀の甲より年の功と言えるでしょう。

知識には「型」があります。仕事の知識というのは、究極的にそれほど多くの「型」を有さないと僕は感じています。「これはあれと同じ形の知識だから、おそらくこういう全体性になっているはずだ」というような、「見渡しのカン」とでもいうべきものも、経験の蓄積とともに育ってきます。

発達障害者は加齢とともに人生が楽になることが多いと言われますが、この点に関して僕は「まさにそうだ」と思っています。人生の中で蓄えた知識を縦横無尽に駆使して目の前の問題に対処するということの精度が段々上昇してくるのです。そして、これは「思考」に裏打ちされたものなので応用が効くというメリットがあります。アジフライが作れると、フリットの作り方もなんとなくイメージがつくでしょう。天ぷらだって結構揚げられちゃいますよね。

「タテの知識」にこだわると、我々はタテ積みが苦手なので世の中の大抵の人に遅れを取ります。しかし、タテよりヨコの方が便利な面も多々あるのですね。僕のこのコラムも料理の話をしながら仕事の話をしているわけですが、こういったアナロジーによる思考の「全体性」が得られてくると、ずいぶん楽になってきます。

 

覚える技術―メタノウハウを手に入れろ

100の暗記タスクがあるとすると、「1を100回」はキツいです。しかし、1を10の塊にまとめる作業を10回、10を100の塊にまとめる作業を1回とするとどうでしょう。そして、「1を10の塊にする作業」はメタノウハウです。

この「メタ」ノウハウが見えてくると覚えゲーが一気に楽になります。これは「ドイツ語をやると英語が伸びる」みたいな現象で言われるやつだと思います。類似した構造を持つ学習を複数行うことで、それぞれの間の連関として「メタ」ノウハウが出来上がってくる。そして、「メタ」ノウハウを覚えるにはこれは先述した「ヨコ」の知識がどうしても必要になります。

おそらく、記憶を定着して思考の中に取り込むこの「暗記」の方法論は各位の脳の性質によって違うと思います。僕の「メタ」ノウハウがあなたに使えるとは限らない。しかし、あなたならではの「メタ」ノウハウを創ることは可能だろうと僕は思っています。

このメタノウハウに到達するために、これまでの技術論をなんとなく意識すると、結構思考が全体性を獲得してクリアになったりするかもしれません。自分の脳の中で行われている作業を言語化するというのは非常に難度の高いことなので言語化の精度は甘いですが、「暗記を強化する」のではなく「暗記のためのノウハウを手に入れる」ことが重要だと思います。それはもっと言うと、「暗記に頼ることを減らす」ということでもあります。

 

ヨコを伸ばしましょう、色々やっていきましょう

さて、今回の教訓ですがやはり「発達障害者は加齢とともに、経験の蓄積とともに楽になっていく」ということだと思います。ただ、それを加速するために、いろいろなジャンルの知識や経験を摂取していくというのは効果的な作用をもたらすだろうと僕は確信しています。思考に相対性が生まれ、全体性が生まれていくでしょう。

ただ、「どうせ俺はダメだ」と自分の中にこもってしまうと、「ヨコ」を広げる機会は失われていきます。「どうせ俺は頭が悪い」とか「どうせ俺は仕事ができない」とか、僕にもとても覚えがあります。でも、30歳になって感じるのは、「20歳のころより30歳の今の方が、俺大分頭が回るようになってるな」ということです。

ワーキングメモリが小さいからワーキングメモリを大きくしようという訓練は、僕の場合ほぼ無意味に終わりました。しかし、「ワーキングメモリを節約する思考形態を身に着けよう」という努力はかなり成果を出しました。

「普通にやれ」「頭を使え」「必死でやれ」、そういう正体不明の追い込みワードで脳がフリーズして何もかも終わってしまった、そんな経験はあると思います。しかし、思考形態の洗練と経験や知識の蓄積で対応できる幅は少しずつ増えていきます。あなたがあなたを諦めなければ、あなたは少しずつ良くなっていきます。

結論はこういうことです、みんなと足並みを合わせられないことにポジティブな諦めを持っていいということ。もちろん、仕事というのは時間制限ラッシュですので、一定の必死さは必要ですが、「今はできない」ということもそれはそれで仕方がないことなのだと僕は思います。

昔、とある高名な作家の方に「上手な文章を書くコツ」を尋ねたことがあります。「今日はパチンコしちゃったけど明日は書こうという気持ちを持ち続けること」とその先生は答えてくれました。当時、僕は押せば青汁が出るような文学青年だったので「そういう話じゃねえんだよ、技術論だよはぐらかしてんじゃねえよ」と憤慨したものですが、あれから10年以上近く経って「本当に良いことを教えてくれたんだな」って思ってます。

「明日はやろう」はダメ、とよく言われますが僕は「明日はやろう」を肯定します。今日はパチンコしちゃったけど、明日は書こう。そういう灯がほんの僅かでも灯っていれば、道は途切れないという意味だったんだな、と思っています。

いつか、あなたの苦労は実りになって帰ってきます。僕は今、少しずつ収穫ができているなと感じています。ずいぶんと遅い実りの時期ですが、それでも刈り取れないよりは幾分マシだと、ポジティブな諦めを持って自分の道を歩いていきましょう。景色とか楽しみながらね。

やっていきましょう。

九条葱と干しアミのパスタ

 

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前回のラーメン記事に「もっとマシなトップ画像はなかったのか」と言われたので、今回は結論からです。あいつのクラウドファンディング募集写真における(高円寺に大量に自生してそうな)サブカルメガネみたいなものですね。写真映りはいつも大事です。劇団を主宰してて女関係に問題を起こしがちなやつのメガネですねあれは。

はい、そんなわけで昨日のやさしいラーメンで元気を取り戻し、今日はわりと強いものが食べたいと思いました。やっていきましょう。でも野菜もいっぱい食べたい。油があんまり強いとイヤだし、冷蔵庫には昨日の残りのネギとほうれん草。よし、方向性は見えてきた。

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とりあえず油ににんにくの香りを移してます。まぁ、大体これをやることになるので。大学生の時にすごい値段で買ったオシャレアルミフライパンも使うか。熱伝導が良い、あとオシャレ、という点にメリットのあるこれですが、今回はいかにこいつが使えないかの話でもあります。

なお、本日の調理時間制限は20分。いや、20分以上かける料理なんて作りたくないし…。横で同時進行でパスタを茹でていきましょう。

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にんにくを取り除いて玉ねぎです。なお、僕は香ばしく揚がったにんにくはトッピングに使います。あれを捨てるのは許されない。

玉ねぎは軽く炒めてやるとシャキっとしつつ、料理に軽い甘味を添えてくれるキャラです。炒め過ぎると自我を失うので気を付けましょう。なお、自我のない玉ねぎも便利です。仏教的なやつですね。

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干しアミです。干しエビと違って安いので、これくらい入れていいですね。とりあえずいっぱい入れないとよくわかんないですから。インターネット料理の大家もそう言ってた。

こういう乾物ダシ系は臭みとか苦みさえ対処できるなら多くて悪いことはないです。臭みが出るやつは注意が必要。アミは出るので、この段階で軽く炒って胡椒を加えてやることで、良い香りだけを残すことができます。ニボシの濃度チキンレースとかそういうジャンルもある。

たまに異常に臭いやつがあるので、あれはめっちゃカラ炒りするとか必要です。これは大丈夫。海域の問題なのかな。

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前回の記事を読んだ人にはわかるアレ、カツオ出汁です。いや、出汁は濃い方がうまいので…。今回のだと、ダシ濃度はカンスト状態です。よくわかんないときは、とりあえずカンストさせると良いでしょう。

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はい。ソースができてきましたね。

ここで味見をした結果、シチリアのお婆ちゃん、もしくは銚子とかのお婆ちゃんが「食いなせ」って言うタイプの味でした。窓の外で干物が干されてるな。いや、うまいけどこれは今日食いたい味じゃない。今日はレストランっぽいのが食いたい。

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よくわからないでしょう。ポルチーニを戻してます。

「レストランっぽい味」とは「なんか違う」味です。具体的に言うと、マキシマムザホルモンにおけるあの奇声みたいなものが必要になります。

マキシマムザホルモンからあの奇声を引き算すると、「まぁ…聴けるんじゃん?」というバンドになってしまうわけですね。他に奇声担当としては、パルメザンチーズとかアンチョビとかもあります。料理に迫力を出してくれますね。

ポルチーニは塩を増やさず料理に迫力をつけてくれるのでとにかく便利。よし、レストランっぽくなった。やってみるとわかる。気のいいお婆ちゃんが妖艶なレディに化ける。

ちなみに、トイアンナ@10anj10 さんからのいただきものです。餌付けされてます。クラウドファンディングサブカルメガネのIDを何故書かないんだという話ですが、これが政治ってもんですよ。

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オリーブオイルと塩をかけて、ロースターで焼いた九条葱です。人間はローストした野菜に弱い。これで客単価が2割上がる。(原価はもっと上がる)

こいつはダシで煮るより焼いた方が「ネギッ!」って感じでうまいんですね。店でやるなら太いところと葉っぱは別に加熱しますが、僕はパリっとしたこの葉っぱのとこもこれはこれで香辛料っぽくて好きなんだ。あとめんどい。

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ここでスープがポップします。

昨日の鶏ガラスープに、具は麩と卵です。クルトンみたいなもんなので、スープに麩は良いですよ。パスタがダシの効いた塩味なので、こいつはちょっとパキっとしないと寂しい、そういうわけで花椒と胡椒を効かせてあります。パン粥っぽい味を想定して飲むとオウッとなります。

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ゆであがったパスタにほうれん草を加えましょう。野菜食わないとね。

二人前のパスタも入らないアルミフライパンって何の価値があるのか、という疑問がツラっと入れ替わった中華鍋から出てきます。あと熱伝導良すぎて持ち手が熱いんだよ。家庭用にも業務用にも適応してねえなおまえ。

パスタは1人前200グラムです。イタリア的には少ない気がします。ディチェコリングイネで、これは麺の性質として二郎っぽいやつです。かなり異常なソースでも受け止める根性のある麺と言えます。ヘモいパスタでこれやると破滅しますね。料理は二郎ってところありますからね。

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良くなってきた。

さて、皿をあっためて、スープを盛って揚げニンニクに塩打ってネギ盛って…、トドメにクソ高いオリーブオイルをちょっぴり回しかけて…。

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はい。(はい)

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角度を変えてもう一枚。カトラリーがショボいのですが、クソ高いカトラリーをかつて経営していた(今は他人が経営している)店からあれしては来たんですが、手入れをサボってたら上に物が積まれて取り出せなくなってた。あと、現状有姿って書いといた。残置物だから。

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麩を戻してカットするのが面倒くさかったのでブチ砕いた。反省していない。パン粥っぽいルックスに油断するとダブル椒のパンチが炸裂するスープです。うまい。麩がなかったらトーストしたバケットとかでもうまいと思う。A5和牛がジューシーからオイリーに変わったとき、麩の魅力がわかってきます。めっちゃジューシー。A5和牛がうまく食えるおっさんでありたいので健康になろう。

うんうん、カツオとアミの強烈な海味をリズム隊にポルチーニの奇声が木霊してこれはうまいですね。九条葱の甘さもなかなか。ほうれん草は栄養だし(味覚的存在意義はあまりないかな…)、玉ねぎは自我がシャキっとしててうまい。こうね、二郎的なうまみの洪水の中に葱と玉ねぎの甘さがほっとする要素であると良いですよね。

大変良いめしでした。引き続きやっていきましょう。うまいよ。

 

 

衝動的東京醤油ラーメン

東京醤油ラーメンが食いたい

そういうことは誰にでもあると思う。ある時、無性に東京醤油ラーメンが食いたくなる。それも、こだわったやつじゃない。屋台の夜鳴き蕎麦みたいなやつ。

すごく残念なことに、今の東京にこれを食べさせる店はあんまりない。東京のラーメンが悪いってわけじゃない。むしろ、東京のラーメンはどれも工夫が凝らされていてとてもおいしい。僕はラーメン激戦区に住んでいるのだけれど、近隣にうまいラーメン屋はたくさんある。でも、どこもガンガンに工夫したスープにガッチリフックのある味で、疲れ切った今食べたい味じゃない。

ふわっとやさしい鶏と醤油の香りに細くてちょっと頼りない麺。味覚ではなく郷愁の問題としては、ちょっとカン水の匂いがしてもいい。ただ、ベースのスープが弱いからあくまでほんのちょっとだ。鶏スープの滋養がじんわり沁みる、そんなやつ。

よし、作ろう

しかし、僕は今ちょっと忙しい。大量の雑務に忙殺されている今、アクをとりながらコトコトスープを煮込むってわけにはちょっといかない。かけられる労力はせいぜい1時間だ。時間がかかるのはいいが、手間はかけられない。よし、やっていこう。

まずは鶏ガラスープを作る。

冷凍の鶏ガラが眠っていたので、これを熱湯にブチこむ。解凍とかそんなめんどいことはしていられない。そのままグラグラ2分ほど煮る。するとある程度ヨゴレやアクも取れて解凍もされるので、取り出す。腹の中に残ってる内臓だけはかきとる。下ごしらえはこれで終わり、正味10分というところだ。

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その後、もう一回グラグラ沸かす。煮すぎてはいけない。今度はグラグラになったらそれでいい。これを炊飯器に放り込む。レンジが汚いのは見逃してほしい。そのうち綺麗にしたいと思ってる。アク取りとかそういうめんどい作業は放置でいい。

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冷凍庫に鶏むねもあったので、凍ったまま一緒に放り込む。さっきのグラグラのお湯をドバー。ここで温度をグラグラまで上げておかないとちょっと辛いことになるので注意して欲しい。水量はこんな感じ。

そして、保温ボタンをポチり。ポイントとしては間違っても「炊飯」ボタンを押してはいけない。この水量だと大惨事になるし、そんな温度で煮ると異常なスープになってしまう。(そういう流儀もあるけど、あれはちょっとエクストリーム系だ)

鶏ガラスープの仕込みはこれでおしまい。お好みでネギの青いとことかショウガとか入れてもいいけど、別に入れる必然性はないと思う。冷蔵庫になかったので今回は鶏ガラのみ。

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なんかカツオブシもあったのでダブルスープの機運が発生した。やっぱちょっと魚の香りもした方がいいよね。カツオブシはあっという間にダシが取れていい。これは粗削りなので、煮込みは10分ほど。東京醤油ラーメンは江戸前蕎麦の系譜という考え方もできるし。

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グラグラ沸く手前くらいの温度で10分。これが上質なカツオブシなら香り優先で75度くらいが良いんだけど、この業務用カツオブシにそういうデリカシーはないので、沸かさなければいい。アクは取りたかったらとってもいい。僕は気にしないけど。アクを取るかとらないかの基準は舐めてみてイヤな味がしたら、というのが僕ルール。

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はい。ダシが取れました。右側にあるのは二番ダシ。これはこれで、結構使い道がある。おでんとかね。カツオの香りが立ちすぎたらうっとうしいやつには二番ダシの方がむしろよかったりする。冷蔵庫にダシがあると豊かな気持ちになるよね。

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さて、醤油ダレを作ろう。といってもカエシがない。カエシというのは、醤油と砂糖がいい感じにあれしたやつなんだけど、これがないと甘味と塩気が衝突して、なんか収まりが悪くなる。しょうがない、ここは既製品。市販のめんつゆを4割ほど使って誤魔化そう。創味のめんつゆが好きなんだけど、あれはそれ自体がかえしだから。

そこに、鶏の胸から剥いだ皮とかカツオだし、昆布、作成途中の鶏ガラスープ、醤油、砂糖を入れて煮詰める。ソースパンがあればすごく早い。分量はよくわかんないけど、雰囲気で作ればいい。ラーメン屋と違って完璧なオペレーションを組む必要はないんだし、味の微調整は最後にやれる。

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醤油ダレができるころ、炊飯器の中で鶏むねが仕上がる。見て欲しい、このシットリ感を。炊飯器保温調理ならではだ。僕は凍ったままの鶏を炊飯器にしばしばブチこむのでなんとなく煮加減がわかってるけど、これは皆さんの使ってる炊飯器とか水の量とかで変動するので、炊飯器とよく相談して欲しい。あいつは真摯に相談すると応えてくれるいいやつだよ。僕はよく人生について教わってる。

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さっきの醤油ダレに鶏むねを漬けよう。一回沸かさない程度に加熱して、それから10分ほど放置。それ以上やるとくそしょっぱくなるので、取り出してバットかなんかで寝かせておくといい。結構チャーシューっぽくて僕はこれが好きだ。

醤油ダレのコツとしては、これだけはちゃんとこの後一回アクを取り切らなきゃダメ。やってみたらわかるけど、鶏のたんぱく質が凝固して最後の段階で結構辛いことになる。このタイミングでアクは取っておこう。グワッと加熱すると固まるよ。

ここで就寝。とても疲れた。5時間くらい寝た。

さぁ、仕上げよう

目を覚ますと、部屋に鶏のいい香りがしてる。スープが出来上がってる感じがする。炊飯器は一定の温度で保温してくれるし煮詰まりもないから、時間は適当でいい。12時間くらい放置しても経験上は大丈夫だった。

今日の気分はスッキリした雑味のない東京醤油ラーメンだから、スープの雑味や油は取り切りたい。よし、取るか。

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コーヒーフィルター氏に登板いただこう。これをやることで、ちょっとびっくりするくらいクリアなスープになる。スープのアクはこれで取り切れるから、安心して欲しい。綺麗な鶏ガラスープになる。コーヒーフィルターは調理器具として便利なので、予備を一つ買っておいていいし、予備がなければ洗えばいいよね。コーノ式だと漏斗がない!みたいなときには代わりになる。

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ハイパークリアスープ氏ができあがった。このタイミングで精神科の予約を完璧に忘れていたことを思い出して、一時中座。帰り道にバーガーキングを食いたい衝動と闘いながら帰宅。ついでに麺とネギを買った。

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スープを作ろう。今日は鶏ガラ6にカツオ4。そこに醤油ダレを加えていく。ポイントとしては、醤油ダレに頼りすぎないこと。プロのやつと違って味の調整は甘いから、最後の「味キメ」は塩でやることになる。どんぶりにタレを入れてスープを注ぐスタイルは格好いいけど、別に家であれをやらなくていい。よし、うまい。ガスコンロが汚いのは許してくれ。

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麺を茹でよう。僕はデポは持ってるけど、平網は持ってなくて、東京醤油の細い麺だと平網が欲しいなと思った。デポだとちょっと湯切りが甘くなってしまう。まぁ、そんな細かい話はいいや。茹でる。ちなみに、成城石井で麺を買ったんだけどこれに醤油ダレが付属されてて「俺が作ったやつより旨い可能性については?」と一瞬考えたけど、忘れる努力をした。(うまい可能性は高い)

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そんなわけで東京醤油ラーメン出来上がり。上の方に乗っかってるのは麩。僕は東京醤油ラーメンに一番合う具は麩だと思ってる。スープを吸ったやつをほおばってじゅわってするとすごく幸せな気分になるから、ぜひ入れたらいいと思う。僕以外に入れる人は知らないけど。

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大事な写真なので2枚載せました。

とてもおいしい。なんていうか、すごくやさしい味に仕上がってて、ちょっとチープで。決断的にちょっとだけ入れた味の素も正解だった気がする。ラーメンってのはジャンクフードだから「優しい味」を目指すにしても、ちょっとトガっているところが欲しいよね。入れすぎたらダメだけど。「化学調味料は味を『立たせる』んだよ!」ってキレてた店主がいたけど、わかる気がする。でも、それを主張する必要はあんまりないかな…どうだろう…。

人生に疲れるとあんまり料理をしなくなるし、適当なめしを食べてなんか消耗してしまう。もちろん、飲食店のめしはうまいけど「今まさにこれが食いたい」を満たしてくれるのは自宅めしで、ほうれん草マシマシもできる。冷凍ほうれん草も実は嫌いじゃないけど、やっぱ生のやつはうまいよね。

そんなわけで日々をやっていこうという醤油ラーメン雑記でした。

うまいよ。

モノサシのたくさんある場所、あなたの価値について

僕には何の価値もない

僕は人生で何度もこう思いました。僕には何の価値もない、生きていてもしょうがない。友人関係はうまくいかない、異性には相手にされない、クラスでハブられている、仕事はうまくいかない、起業は失敗した、約束を守れなかった、成果を出せなかった、フットサル一つ上手にやれない、みんなの楽しい合コンを楽しめない、躁鬱病みの発達障害者だ…。

人生を通じて、四季折々の理由で僕は「自分には価値がない」と決めつけてきました。この「自分には価値がない」という断定は、ある意味僕の人生の原動力でもあったと思います。僕になんて何の価値もない、だから死んでもいいのだ、むしろ死にたいのだ。それは時に異常な行動力をもたらし、このアップダウン地獄みたいな人生を生み出しました。

さて、そんなわけで「私にはなんの価値もない」と考えていらっしゃる方、多いと思います。「そんなことないよ」なんて言っても心はピクリとも動かないですよね。わかります。僕もそうでした。では、今日はモノサシについて考えてみようと思います。

 

あなたを測るモノサシは何か

さて、あなたに価値がないと仮定します。

では、あなたに「価値がない」と判定するモノサシはどんなものでしょうか。実際、これについて考えてみるとかなり不思議な感じがします。例えば、「発達障害躁鬱病みだから価値がない」と考えると、「病気の障害者には価値がない」という話になり、あなたは本当にそう思っているでしょうか。「思っている」という人もいるかもしれないですが、実際本心からそんなことを思っている人はそう多くもないでしょう。少なくとも、ツイッターで堂々と発言するとみんなに怒られる話ですよね。「俺は気合の入った差別主義者だ」って人はともかく…。

クラスでハブられているから、というのはもっと簡単で「クラスの人気者には価値があり、クラスの陰キャには価値がない」という発想ですが、クラスの人気者に本当に価値ってあると思いますか?僕は正直、過去に遭遇したクラスの人気者たちが「面白いやつ」であったことは少ないと思います。僕にとって面白いやつは、いつもクラスの端っこにいました。

そんなわけで、人間の価値を測定するモノサシってのはなんだかよくわからないんですね。大抵の場合、ほとんど言語化されず「とにかく俺に価値がないんだ」という思い込みがグチャグチャになって思考を覆いつくしているものだと思います。

そして、僕自身が「俺には何の価値もない」に最も強く縛られていたのは、高校生までの時期でした。そこでは人気者がいて、僕は嫌われ者でした。いわば、「高校」という部族の中で僕は負けていたので、自分に価値はないと決めつけていたのです。

でも、それって単なる部族カルチャーですよね。僕の高校は底辺だったので、ルックスが良かったり面白かったり運動ができたりするやつが人気モノでした。話題はテレビとかそんなものばかり。勉強ができるとか、本をたくさん読んでいるとか、面白い趣味を持っているとか、古い映画に詳しいとか、そういう価値観はほとんどなかったと思います。本当に話し相手に苦労したのを覚えています。(もちろんクラスの日陰にはそういう相手もいて、何人かは友人がいましたが)

 

部族のモノサシ

人間はあらゆる場所に部族を形成する生物です。そこには非言語的な序列が形成され、順位が上の人間がいれば下の人間も必ずいます。これは羊の群れと同じで、そういう生物なんだ、と考えるしかないと僕は思ってます。

でも、場所が変わればモノサシも変わる。例えば、ツイッターで人気のインテリキャラを僕の高校に投げ込んだら、一瞬でクラスの日陰者にジョブチェンジすることは間違いありません。そもそも話が理解できないからです。

あなたに「価値がない」というのを一面的真実としても、それは「モノサシ」と「あなた」の相性が非常に悪いから、という可能性は大いにあります。これは、会社なんかでもいえることです。「転職したら世界観が別物になった」というのはよくあることですよね。

しかし、部族から逃げ出せないならそこで流通している「モノサシ」がどんなものなのか、見極める必要があります。この部族はどんな価値観で人間を測っているのか、ジャンプ力か、吠え声の大きさか、それともタテガミの立派さか、そういうところから見極めてやらないないと、部族の中で上手に価値を獲得することはできません。

エリマキトカゲの群れならば、エリマキを上手に広げてやる必要があるわけです。エリマキトカゲより大分頭の悪い風習を持った部族は結構存在します。それはそれで意外と慣れると居心地がよかったりするのですが。エリマキを広げればいいならエリマキを広げればいいですよね、それだけです。

「俺はダメだ何の価値もない」というのは分析のすべてを放り出した状態です。ひたすらに苦しむだけで何の生産性もありません、そんな苦しみを味わう必要はきっとないんだと思います。とはいえ僕自身も結構「俺なんて所詮はダメだ…」と部屋の中を転げまわって埃を掃除していることはあるんですが…。

 

モノサシのたくさんある場所

「多様性」という言葉があります。これは、いわゆる「いろんなモノサシが流通している場所」という意味だと考えていいでしょう。人間は多様性という言葉を結構肯定的に使いますが、現実的に「多様性」を好む人間というのは正直…僕はほとんど見たことがないです。

しかし、「多様性」のある場所はあります。まず、第一に都会でしょう。人のたくさんいる場所にはそれだけたくさんの部族があります。それだけたくさんのモノサシがあるといえるでしょう。あるいは、人の多い場所、人の流動的な場所です。逆に、人間が少なく流動的でない淀みみたいな場所では当然部族カルチャーは煮詰められ、強化されます。あれは結構怖いですね…。

自分がどうやら汎用性のあるモノサシでは高く評価されないタイプである、と感じたときは、なるべく人が多く流動的な場所を目指すことをオススメします。どこかに、「あなたみたいな人間を待ってたんだよ!」という場所があるかもしれません。僕も何度かそういうことがあって、そんなときは「生きててよかった」と思ったものです。のちにひどい目にあったこともありますが…それはしょうがないね…人間は悪い。

 

モノサシについて考えてみましょう

さて、そんなわけで今日のお話はこんなところになります。「自分には何の価値もない」と床を転げていても、床のホコリが減って服が汚れるくらいの結果しかありません。「価値がない」と断定するからにはモノサシがあるはずです。そのモノサシがどんなものなのか考えてみましょう。部族について考えてみましょう。

ちなみに、この「部族のモノサシ」について考えられなくなった状態を「部族を内面化した状態」と言います。ブラック企業の従業員などはしばしばこういう状態に陥っていますね。あれはとてもつらい状態なので、なるべく避けるようにしましょう。部族と自我はしばしば見分けがつかなくなります。

そしてもう一つ。あなたは何に価値を感じ、何を目指し、何を善しとする人なのかも考えてみましょう。部族とは全く関係のない、あなた自身の価値観について。「部族のカルチャーを理解し、適応しよう」という気持ちは大事です。でも、それと同じだけ「自分は何に価値を置くのか」ということを考えることも必要です。

どうか、影も形も見えないモノサシで自分を裁いて、苦しみのどん底まで落ちていくことだけは避けてください。僕も頑張ります。いや、ホントに油断すると落ちるので怖いんですよこれ。あなたの価値を定めるモノサシは、あなた自身の手にあるべきです。

やっていきましょう。

 

茶番のない国にて-部族の掟とお気遣いのスペクトラム

茶番、やってますか?

朝、会社に行ってまず「おはようございます」。帰るときには「お疲れ様でした」。飲み会の翌日には「昨日はありがとうございました、楽しかったです」。こういうものを僕は「茶番」と呼んでいますが、皆さんは今日も茶番をやっておられるでしょうか。

今日、僕はツイッターで「サラダを取り分ける」話をしていたんですけれど、一般的な社会では新卒がサッとスマートにサラダを取り分けると「デキる」とされることが多いと思います。シーザーサラダにおける温玉の扱いという哲学が発生しかねないくらいには、一般的な観念として浸透しているでしょう。

実際、サラダを上手に取り分けられることと仕事ができることの間には特に関連性はないと思います。もちろん、接客業だったり人間関係を常に適温に保つルート営業だったりしたらこういった「茶番」にも切実さが出てきますが、事務職だったりあるいは内勤系のお仕事の場合はそれって実際のところ職能とは関係ないですよね。

実際、職業上どの程度の茶番、言葉が悪ければ「お作法」が必要かは業種によって結構違います。IT系なんかは「ほとんどいらない」というケースもあるでしょう。部族のカルチャーはところによって違い、絶対の正解というものはありません。「これができたらOK」もなければ「これができなければダメ」も言い切れるものではありません。

 

茶番の効用ーあなたは頑張っていますか?

人間は結構不思議なことを言います。例えば「あの人はおべっかごますりで出世した無能だ」と他人を罵る人が「私は頑張っているんだ」という主張を臆面もなくしたりまします。「頑張っている」から評価しろというのであれば、おべっかごますりだって評価されていいんじゃないか、と僕はよく思ったものです。

「ごますり」で出世した人というのは嫌われる人物造詣ですが「仕事はできないけど頑張ってる人」「努力が評価されて出世した人」は結構好まれます。この違いがどこにあるかというと、僕はちょっとわかりません。職能以外のコミュニケーションやパフォーマンスでポイントを稼いでいるという点ではまったく同一ですし、実力主義ないし成果主義の世界を望むなら「頑張っている」というのはおかしな話になると思います。

でも、僕は「頑張っている」というのは大事なことだと思います。そして「頑張っている」と周囲から認識されることが大事、と述べています。つまるところ「ごますりで出世した人」を批判する権利は僕にはない、僕は茶番の側に立つのだ、ということになるんですね。

その一方、「無意味な慣習」「面倒な茶番」は嫌いですね。これはちょっと矛盾しています。これは考えていくとかなり面白いテーマです。

 

茶番のない国について

たまに、人間社会には「一切の茶番を排した」と呼んで差し支えないようなソリッドなコミュニティが生まれることがあります。例えば、同格程度の商売人が複数組んでビジネスをやるときなんかもたまに起きますし、実力主義ベンチャー企業なんかでもたまにあります。ちなみに、僕が今勤めている会社も「営業」が主力の会社ですのでこれに近いものがあります。数字さえあげてれば、何をしても許されるわけですし。

僕は今の会社に居心地のよさを感じていますし、実を言えばこのソリッドな状況は嫌いではないのですが、これは僕の現在の能力が場に適合しているからです。周囲の人間の能力が僕より遥かに高く、また自分の適性にも仕事が合致していない。そういう状況下でこの「茶番のない国」に在籍することは、即ち「地獄」を意味します。

「私は頑張っています」と言っても「誰も頑張れなんて言ってないよ、数字を上げろ」と返される場所で生き残れる人というのはそれほど多くありません。また、「数字」ならまだ良いですが、「成果」となると更に曖昧模糊としてきます。「実力主義の茶番のない国」だからといって、評価基準が明示されているとは限りません。

「お疲れさまです」「ありがとうございます」「コーヒーいりますか?」こういう「茶番」が人間関係の潤滑油になり、またショックを和らげるクッションになっていることも、また疑い得ないのです。「部族の掟」「茶番」を全て取り払った組織で楽しく過ごせるのは強者だけです。

実を言うと、「強い」発達障害者は「茶番のない国」でイキイキと働いていることがたまにあります。もともと「共感」や「お気持ち」に重きを置いていないので、茶番がなければ楽ですし能力面で勝ればひたすらに居心地が良い。いうなれば「茶番」で回る「部族」は「全ての歯車の規格が揃っている組織」であり、「茶番のない国」は「強い歯車が弱い歯車を潰しながら回る組織」になるのです。

僕も実を言えば、一瞬そういう場所に所属して「ここは僕の同胞たちの場所だけど、僕はここでは潰されてしまう」と思って逃げたことがあります。とても怖かった。もちろん、そこにいる人たちは魅力的でしたが、僕の能力ではとてもついていけませんでした。またチャレンジしたい気持ちはありますけどね。

 

正しさはどこにあるのか

人は「実力を評価しろ」と言います。コネや縁故、ごますりおべっか、そういうものを嫌います。その一方で「努力を評価しろ」と言います。「私は頑張ってるんだ」「わかってくれ」そういうことも言います。これは、実を言うと発達障害者の中にも「他人の頑張りは評価しないが、自分の頑張りが評価されないのは許せない」という形で出来上がってしまうタイプもいます。

「礼儀」「作法」「茶番」「気遣い」「忖度」「マナー」…いずれも、本当に面倒で厄介なものです。僕も大変に苦手です。しかし、これらを全て排除した会議をやってみたところ、大変な地獄が出現してしまった苦い思い出があります。「全員言いたいことを言え、ただし正しいことを言え」というのは恐ろしい言葉です。

「茶番のない国」が僕は好きです。いつか、そこでみんなが幸せになれたらいいと思いますし、茶番にかけるコストを省略できれば生産性はあがるだろうな、と思います。しかし、実際に自分が会社を経営してみた経験を踏まえても、「茶番」がないと人間はどんどん潰れてしまう。いうなれば、潰しあいを前提とした拮抗のようなものが発生しないと「茶番のない国」は成立しないのです。

これは、能力的につりあった複数の人間がバランスよく配置され、相互の干渉や圧力がピッタリ嵌った状態といえます。創業期のベンチャー企業なんかは、この状態に入るとものすごい速度で躍進しますね。これはまるで終わらない文化祭のような楽しさがある状態です。しかし、そんな楽しい出来事はそうそう起こらない。一箇所弱い場所があれば、一人能力的に劣る人がいたら、あるいは求められている能力と適性の噛み合っていない人がいたら、即座に崩壊します。

「最高のバンドができた」状態に近いですね。でも、「音楽性の違い」というものは避けがたく起こります。

 

自分をベースに考えよう、居心地の良い場所を探そう

そういうわけで、どの程度の「茶番濃度」があれば居心地が良いかというのは人それぞれ違うと思います。「ゼロが良い」という人はゼロの場所も探せばありますし、逆に定型発達力(ニュアンスを汲んでください)の高い人は、茶番がゴリゴリにルール化してる場所が居心地が良いでしょう。体育会系が居心地の良い人だっているわけです。

組織に所属する上で「この組織のあり方は気に入らない、自分には合わない」という気持ちは失わない方がいいと思います。いつか、致命的に組織との間に問題が起きたときに自分を守る防壁になりますし、居心地の良い新しい場所を探す原動力にもなります。

しかし、組織に属する以上「出世して変えてやる」というような長期目標はともかく、短期的には組織のあり方に一定の順応を狙うのが良いと思います。自己を肯定しながら、あるいは組織のあり方や他者を否定しながら、同時に体と頭を順応的に動かす。こういう一種のダブルシンクみたいなものが一番大事だったんだな、と僕は思っています。

「組織が絶対」になってしまった人は脆いです。実際、今年も800人の新卒が朝6時に朝礼をやって行進の練習をした後、30キロ歩くみたいな研修の話題を見かけましたが、あれは「組織が絶対」に人間をハメ込む方法です。あの洗脳がかかった人間は組織の中において極めて便利な存在ですが、外部に逃げ出すこともあるいは組織の文法以外の思考をすることもとても難しくなります。

一方で「一切茶番がやれない」人も脆いです。前述のとおり、人間社会から「茶番」は切り離せない。ささやかな「気遣い」が人間を救うことはよくあります。僕だって救われたことはある。それが一定以上の「ルール」になってくると「茶番?」ということになりますが。それでも、「部族の掟」と「気遣い」の間はスペクトラム(見慣れた概念ですね)です。二分することはできません。

「あるべき社会の形」を考えることは、僕はとりあえず後回しにしました。皆さんも後回しにしていいと思います。それを考えるには僕は些かに未熟だし、知識も経験も足りません。まずは、「いかにあれば楽か」を考えることにしています。だって、楽なのは良いことです。これ以上良いことなんかないでしょう。

 

あなたのために歩きましょう

人間はついつい色んなことを考えてしまいます。僕も新卒のときは「こんな社会は間違っている」とかそんなことを考えました。今もけっこうよく考えますが、調子が悪いときはとりあえず「今は自分がどうするべきかだけ考えよう」という方向に進むことにしています。

健康で、なるべく楽に、可能な限り利益の大きい方向へ進めばいい。それだけのシンプルな話です。もちろん、僕なりに譲れない正義みたいなものはありますが、それはなるべく小さくコンパクトに折りたたんで言語化することにしました。そうすれば、「なんとなく体が動かない」がとても少なくなります。

割り切れないものだ、という割り切り。とても大事なものだと思います。もちろん、「理想の形はどこにあるのか」を考えることはとても善いことですが、あなたが辛い状況にあるならそれは後回しでよいのです。「理想」が見えても、それは別にあなたの窮状を救ったりしないのですから。

ゆっくりいきましょう、あなたの望む方向へ。あなたの楽な方へ。あなたの楽しい方向へ。難しいことは、余裕ができてから考えましょう。僕もベストな「茶番」のあり方について、時々考えていくことにします。

やっていきましょう。

 

 

もうだめな新卒のためのエントリ

もうだめだ、の声が届いております

僕のツイッターのDMの方に「就職しましたが、だめです」の声が大量に届いておりまして、急遽予定を変更してこのエントリを書いております。それが呼び水になったのか、更に2つ「もうだめだ」DMが届いており、なるほど社会は相変わらず厳しいようですね。。返信しているうちに夜が明けてしまいました。

通常「もうだめだ」の発生は四月頭のこの時期ではなく、五月のGW明けなどに集中するのですが、流石は日ごろから僕のツイッターを眺めている皆さん。潜在的に「もしかしたら危ないか?」という危惧はあったのか、判断がとても早い。そういうわけで、まず一番大事なことを書きます。

その「もうだめだ」という判断はとても立派です。

発達障害は言い訳病」みたいな話が結構ありますが、僕の知る限りではそれはあまり多いケースではなく、発達障害によくあるケースは「認められない」、即ち「否認」の状態です。明らかに問題が出ているのに、その問題を直視できない。「努力不足」とか「意思が弱い」とかそういう楽な回答に逃げ込んだ結果、欝などの二次障害でぶっ壊れ、本物の「もうだめだ」がやってきます。

かくいう僕もそうでした。「これはもうだめだ」と気づいたのは入社して半年以上経ってからで、その時点では欝も不眠も相当に悪化しておりました。今思うと、さっさと精神科に通ってコンサータや安定剤、あるいは睡眠薬をもらえば少なくとも「居眠り」などの致命的な問題は解決できていた可能性があるし、もう少し長く組織で生き残りを図れた可能性もあったと思います。

何故そんなことが起こるのか、ちょっと考えていきましょう。

 

精神疾患や障害、あるいは精神医療をバカにしていた

僕に「もうだめだ」という相談をしてくる皆さんの多くがこの話をします。この数日で実に8通の「もうだめだ」DMが届いているのですが、そのうち半数にニュアンスの違いはあれど、この内容がありました。自分が発達障害のケがある可能性には気づいていたが、その一方でそれを治療したり向き合ったりすることにとても大きな抵抗があった。それは、自分がそういったものを見下し、バカにする意識があったからだ、と。

つまり、懺悔なんですね。

でも、例えば精神疾患発達障害を公然と嘲っていたとかならともかく、内心にそういうものがあったというのは結構仕方がないことだと思います。僕は物心ついたときから精神を病んでいたのでこういう感情は持ったことがありませんが、実際多くの人がそんなものでしょう。それは、本当に仕方のないことです。

それともう一つ。これは「追い詰められた人間が異常に謙虚になる」の現象でもあるでしょう。要するに、自責の感情が高まるあまりに「自分にはこんな悪いところがあった、だから罰を受けているのだ」というような合理化が始まってしまっているのです。

でも、それで何かが良くなるか?と言われたら絶対にそんなことはありません。とりあえず、障害や疾病を馬鹿にする気持ちはなくなった。それはよいことです。そして何より、その感情を乗り越えて「もうだめだ」と認めたこと。

僕は「良く頑張った」と思います。問題と向き合うことなしに問題の解決はありません。そして、「目の前に大きな問題がある」と認めるのはとても辛いことです。特に、解決方法がほとんど明らかになっていない発達障害に関しては。

しかし、皆さんは認めたんです。じゃあ、ここからは「解決」に向かうフェイズですよね。最初の山は越えました。本当に良く頑張りました。あなたを責めるのはあなたの会社の人がやってくれるので、あなたは自分を責める必要はありません。まずは、「認めた」という自分を褒めてあげてください。

あなたはもう十分苦しみました、その苦しみをこの短期間で「認めた」のはとても立派なことです。まずは、これを大事にしてください。自責で何かがよくなることなんて、絶対にありません。

 

パニックを抜け出そう

さて、僕に「もうだめだ」の相談をしてくださった皆さんは全員、少なからずパニック状態でした。相談がしたいのか懺悔がしたいのか、辛い状況への共感が欲しいのか現実的な対処方を知りたいのかを区別できている人は一人もいなかったと思います。ある意味当然のことかもしれません。

しかし、「もうだめだ」を抜け出すには現実的な行動をする必要がある。そして、これはADHDに顕著ですが、問題が起こると様々な考えが頭の中で渦を巻き、現実的なタスクに落とし込むことが不可能になります。

これは「見えていない」状態です。目の前の巨大な問題に圧倒され、自分がとるべき行動を定められないまま空転しているだけです。しかし、同じ場所をクルクル回りながら自分を責め立てても、一つも良いことはないわけですね。

しかし、新卒の皆さんにやるべきタスクが多いかというと、実を言えばそんなことはないわけです。大体のところはこんなものでしょう。

1.発達障害の診断を受けて投薬治療を試す

2.職場への順応を模索する

3.業務上の現実的困難を一つずつ解決していく

優先順位も多分このままですよね。そして、もう一つ。パニック状態にある人がとりあえず落ち着くには安定剤という強力な手助けがあります。「会社のトイレからこのDMを送ってます、涙が止まりません」という状態には、一粒の安定剤が最も強い効果を持ちます。また、二次障害が出始めている人も早急に対処する必要があります。

欝と不眠。この二大疾病は本当に恐ろしいです。人が死ぬ病です。

そういうわけで、まずは通院を始める。その後に会社への順応や困難の解決を図っていく。そういう順番になるということをまず心得てください。

 

病院の予約が取れない、休みが取れない、タスクの見通し

相談の中で困りごととして一番多かったのがこちらです。確かに、メンタルクリニックは大体が大盛況。初診の予約を取るのは結構難しい。この解決策は片っ端から電話をかけて問い合わせるしかありません。しかし、大体の人が1つか2つ電話をした段階で「予約が取れない」というパニックに陥っていました。

また、新卒で入社したばかりということで「有給を取る」という発想が完全に無い方も多く、「この状況を解決しなければ自分は助からない」というようなところまで追い込まれている方も散見されました。

確かにメンタルクリニックの予約は取りにくい。大人の発達障害に対応してくれる病院も多くはない。しかし、現実問題として発達障害者が治療を受けやすい状況を作るというのは、それよりはるかに難しいことです。新しい環境への適応に失敗し「もうだめだ」の状態にある人に、それは荷が重過ぎる。今考えるべきことではありません。

「予約が取れるまで電話をかけまくる」、「有給を使うことも視野に入れる」。この二つだけでOKです。というか、それ以外は考えなくてよいです。社会問題の解決は余裕ができてから考えればいいのです。もちろん、新人が「休みをくれ」とは言いにくいでしょう。でも、現実を言えば「新人」であるうちが一番休みやすいのです。なにせ、戦力になっていないのですから職場にいなくても困る人は少ない。上手な言い訳を考えて、休んでしまいましょう。

とりあえず、予約を取ってしまいましょう。あまり推奨される手段ではないですが、予約日が遠いならとりあえず抑えておいて、もっと近い日取りで予約が取れる病院があれば、遠い方はキャンセルしても良いのです。

発達障害の投薬治療の場合、これは半ばやけっぱちの言い回しですが「名医」を探す必要はほとんどありません。何せ、大人に適用になる治療薬がコンサータストラテラの2種類しかないのです。不眠に関しても、睡眠薬の種類なんてたかが知れています。鬱も、軽度の「鬱状態」ならまずは「安定剤を飲んで落ち着く」だけで大分効果が出ます。とにかく予約の取れた病院に飛び込みましょう。めんどくさいことは何も考えなくていいのです。

 

職場への順応のために

「仕事が全く出来ない」という声が聞こえてきます。特にこれは事務職の方に多いですね。かつての僕と全く同じ状態です。さて、これは一朝一夕で解決する問題ではありません。ADHDが複雑な書類処理のような仕事を迅速にこなせるようになるまでは、かなり長い訓練が要ります。

じゃあ、どうするか。「出来ないモンは出来ないんだからしょうがない、努力はするが一定は仕方ない」というポジティブな諦めを持つことです。この諦めがあると「すいません、少しずつでも頑張っていきますので何卒ご容赦ください」のような言い回しが出てくるようになります。

そして、この時期に「仕事が出来ない」と気づいた皆さんはとても有能です。何故なら、「仕事が出来ない」なりの立ち回りにシフトすることが可能だからです。「俺は出来るはずだ」「周囲がおかしい」と敵意を燃やすような状態が最悪です。もちろん、敵意はあっていいのですが、それを表に出してしまうと生き残りを図るべき持ち時間がどんどん減ります。

まずは、「足りないながらも一生懸命頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」という姿勢を見せることだけを考えておけば良いのです。「あいつはちょっと抜けてるけど、素直だし頑張ってる」と認識されていれば、最短でも1年は生き残れるでしょう。この「素直に頑張っている」という外面を作るには「自分は仕事が出来ない」という認識がどうしても必要になります。

何度も書きますが、これを認めるのは本当に苦痛なことです。「努力が足りないんだ」「意志力が足りないんだ」に逃げる方がずっと楽です。しかし、皆さんは認めた。何度でも言います。本当によく頑張った。

そして、「仕事はやれるだけやって、それでもダメならしょうがない」と自分を許してあげてください。究極的に、あなたを追い詰めて殺すのはあなた自身です。逆に言えば、あなたが自分の敵にならなければ、あなたは生き残ることが出来ます。

最後まであなたの味方であり得るのはあなた自身だけです。どうか、最後まで自分の味方であってください。

 

リラックスタイムこそ最も重要

皆さんは新卒なので、「早速日付が変わるまで残業」というのはレアケースだと思います。大体のところ、20時くらいには帰宅しているのではないでしょうか。しかし、「もうだめだ」状態にある皆さんは、帰宅したあと「自分の時間」を過ごすことがまったく出来なくなっていると思います。「明日も仕事だ」という強迫観念に取り付かれている状態では精神も肉体も全く休まっていません。

そこで、僕の友人のお話をします。彼は公務員で、仕事があまり出来ません。診断は受けていませんが発達障害の気はかなりあります。そして、「俺は職場のお荷物、公務員最高」と公言して生きています。しかし、彼がこの「悟り」に到達したのはわりと最近のことで、それまでは「俺はだめな人間だ」「もうだめだ」をずっと繰り返していました。

では、この「悟り」の根源となったのはなんだったのか。「カウチポテト」と彼は言っていました。「カウチポテト」というのはソファーに寝そべったままダラダラテレビを見て時間を過ごす人のことを言いますが、彼の「カウチポテト」はもっと気合いが入っています。

彼はボーナスを注ぎこんで自室にホームシアターを構築しました。すわり心地の良いソファも買いました。完全な暗室に出来るように遮光カーテンも購入し、ちょっと良い葉巻とヒュミドールも購入しました。ちょっと良いお酒とグラス。そして、美味しいツマミも揃えました。

彼はボロボロになって帰宅すると、そこに飛び込み徹底的に自分の世界に浸るのです。これは、一種の「外界遮断シェルター」みたいなものでしょう。また、シェルターに入る前には必ずシャワーを浴びるそうです。一種の儀式なんでしょうね。彼は部屋がどれだけ荒れ果てようとも、このシェルターだけは常に清潔を維持しているそうです。

最近は「部署異動があって、ちょっと仕事が出来るようになってきた」と言っていました。これは「休息」の重要さを示すとても大きな教訓だと思います。精神的に追い詰められると、家で休息をとることすら出来なくなるのです。そこで、外形的に「休息」を整え、強制的なリラックス状態を作れる場所を確保することが重要になります。もちろん、僕も導入しているハックです。

心身がボロボロのときに家で「努力」したって結果は出ません。強い意志を持って休むことがむしろ大事なのです。「強い意志」でダメなら、「ここは自分のリラックススペース」という場所を作ることです。椅子1個でも、これは結構成立します。

焦燥感に焼かれながら無意味にスマホをいじったりして過ごすあの時間、実は休息になっていません。「休む」には意思とセッティングが必要です。新人の皆さんに一番大事なのは、まずは「休息」だと僕は思っています。

部屋の兼ね合いなどで出来ることは限られるでしょうが、「休む」環境を作り、効率的に心身を回復させること、意識的にやってみてください。そして「もうだめだ」の原因が、実はあなたではなく周囲の環境ということもあり得ます。その場合、状況に変化が訪れるまでダメージを最小に抑えて耐え切るのがベストの判断ということも、当然ありえるのです。

 

仕事における困りごとの解決

さて、これは結構長期目標です。「仕事が出来るようになる」というのは、自分なりのライフハックを生み出していくということで、それなりに時間も手間もかかります。しかし、第一にやるべきことは「問題点の定義」です。

例えば、「書類にケアレスミスがどうしても発生する」とか「タスクをどうしても放置してしまう」のであれば、まずは一点に問題を絞りその解決策を何通りも試していくことが大事でしょう。何もかもを一発で解決する魔法の解法はありません。「まずはこの問題に取り組む」という姿勢が大事です。そして何より「問題の定義」が大切です。

ご相談のDMを見る限り、皆さんは様々な問題がグチャグチャに絡まりあい、そこに自責の念や現状への不満なども乗っかって、完全に問題が絡み合ったスパゲティになっています。まずはこれをほどいてやるしかありません。

そのために何が必要か。「時間」と「休息」です。厳しいときほど休みは必要なのです。そして、「時間」は先述した「あいつは抜けてるけど素直だし頑張ってる」という評価を受け取ることで効率的に伸ばすことが出来ます。 

その問題のスパゲティコード山盛りを一発で解決するのは不可能です。一つ一つ、ほどいては繋ぎ、整えていくしかありません。「これ以上ぐちゃぐちゃにしない」がまずは大事です。問題を定義し、一つずつ解決していく。これだけは大事にしてください。

我々はタスクが3つも重なると何も見えなくなってしまう人です。だから、まずは一つずつなのです。そして、入社10日くらいのこの状況で「問題の定義」など正確に出来るわけがありません。まずは心身のダメージを最小限に押さえ、生き残りを図るべきでしょう。

 

大丈夫、皆さんは優秀です

何度でも何度でも言います。この早いタイミングで「もうだめだ」という判断が出来た皆さんは、とても優秀です。事態は「否認」のフェイズを抜け「解決を模索する」に入りました。一歩前に進んでいるのです。泣きながら会社のトイレでphaさんの文章を読んでいた思い出が僕にもあります。皆さんの気持ちは痛いほどわかります。

しかし、僕が半年以上かけて認めたことを皆さんは10日で越えたのです。良く頑張りました。本当に良く頑張ったと思います。大したものなのです。

これから「解決」のフェイズは長く続くでしょう。辛いこともあるでしょう。でも、少しずつ発達していきましょう。そういうわけで、新社会人の皆さん。人生の新しい門出、おめでとうございます。

ともにこの時代を生き抜いていきましょう。

やっていきましょう。