シャイニング丸の内さんへアンサーしてみる話。
言及いただきました
キャリアブログでブイブイ言わせているシャイニング丸の内氏からこのような言及をいただき、これは絶対面白いというわけでちょっと色々書いてみようという話になりました。ハイキャリア野郎VSドブ板起業失敗マンの戦いです。人生は10:0で僕の負けっぽいですが、この勝負はどうなるでしょうか。それでは、シャイニング丸の内さん。僕が強く当たりますので後は流れでよろしくお願いします。
ちなみに、言及いただいた元記事はこちら。
先日ニューアキンドセンター様で書かせていただいたエントリですね。人間は絶対裏切る、だから裏切られないようにガッチリ足場を固めて起業するよろし、そのような旨のエントリです。さぁ、考えていきましょう。
理想論としてはシャイニング丸の内氏の言うとおりだと思います
はい。そういうわけでここから考えていきたいと思います。シャイニング丸の内氏の主張は要約するとこの一行 に尽きるのではないかと思います。
人は裏切るのではなく当人にとって合理的に動くだけ
つまるところ、創業メンバーにとって合理的な判断として「会社に残る」という選択肢が常に最適であるように経営をすればいい、ということですね。
これは、理想論としては仰る通りだと思います。これを俺はやれると思っている方はシャイニング丸の内氏理論で創業すればいいでしょう。止めません。あなたにはあなたの哲学があり人生があります。僕の意見なんて所詮は敗者の意見です。当てにする必要はまったくありません。
「会社が窮地に陥って他社から良いオファーを出せれば逃げる」と書かれていますが、当人にとっては当たり前じゃないかなと思います。ここで代表取締役として被害者意識を持っていてどうするのだろうか。そうなったなら代表としてはそんな環境しか作れなかった自分に罪悪感を持つくらいでほどよいと思います。
代表取締役は巻き込んだ人たちが有能であればあるほど「その人の時間を使っている」という時点で強烈な責任感を持つべきであって「会社が窮地に陥ってうちの給料は月給30万円なところ他社から月給80万円のオファーを出されて逃げられた」なんて感じるべきではないと思います。会社を窮地に陥らせて有能であるにも関わらず相場よりはるかに下の給料しか払えず今とどまれば浮かび上がる輝かしい未来を描くことが出来ない」という自分の能力不足を感じるべきだと思います。
主には株式、契約によって「ザイルを結ぶ」と書かれていますが、自分が代表なら「有能な人間のもっとも貴重なりソースである『時間』を使っている」という時点で強烈な責任感を持つべきだと思います。
なるほどなるほどなるほど。本当に理想論としてはその通りです。
それが出来れば素晴らしいことだと思います。さて、創業期から拡大期、安定期までの時期でこれをやり通せた企業ってどれくらいあるんでしょうか?創業メンバーにとって「合理的な判断として会社に残るべき」という判断をさせ続けられる経営を創業期から拡大期にかけて、常に続けられる会社というのはどれくらいあるんでしょうか?そんなの狙ってやることができるんでしょうか?
会社経営は想定外が降り注ぐ戦場です。
創業した会社が全てまっすぐな上昇線を描いて成長していくなら、世の中こんな楽な話はありません。ドブの底を這いずり回って嗚咽を噛み殺しながら耐える時期が、どんな会社にも一度はあるのではないかと思います。
先月もなんとかギリギリ資金を回せた経営者の皆様、お疲れ様です。死んだらダメですよ。あなたが死んでも誰も得しないですからね。生命保険の受取人を血縁関係や婚姻関係のない他人にするのも結構難しいし、身内に一回流した金がちゃんと渡るべき人に渡った事例を僕はあんまり聞いたことないですよ。やめましょう。
さて、創業企業の1年生存率は40%、5年生存率は15%、10年生存率は6%とか言われてます。これ、めんどくさいんで調べてないんですけど、ちゃんと決算してる法人の割合とかで算出してると思うので、多分現実の数字はもっと低いと思います。僕の会社だってまだ残存してますし今年もちゃんと決算します。うっせえ、赤字いっぱい積んであるんだよ。これ使いきるまで潰せるか。今年も税金払ったるわ。
さて、これほどボコボコ死んでいくマンボウの稚魚みたいな世界観で、一度も危機に陥らず成功できた企業というのはどれくらいあるのでしょうか?まぁ、多少はあるのかもしれません。資金繰り難にも、事業の絶望的な難所にもぶちあたらず遊覧飛行で飛びきった会社も無いとは言えない。でも、周囲を見渡すと大体の会社は「あの時潰れててても全然おかしくなかった」みたいな難所を何度か通過してきています。
僕自身も最終的に詰まって死んだとはいえ、そこに至るまで何度も「危ねええ!」みたいな難所を乗り越えてきました。ぶっちゃけ創業初年度は「月刊、会社存続危機」みたいな感じでした。起業をする人間は二種類に分かれることがわかります。絶対的な難所に一度も遭遇しない前提で創業をする人間と、難所はブチ当たればいいという覚悟で創業する人間です。僕は後者、シャイニング丸の内氏は前者になると思います。
しかし、「自分の給料削っても役員どもに妥当な給料が払えねぇ・・・」程度の難所に一度も遭遇せず成長できるという確信を持って創業出来る人がどれだけいるのでしょうか。また、実際そのような事態に一度も陥らずに成長できる企業がどれだけあるんでしょうか。この辺は考えどころです。「俺はイケる」と思った皆さんは突き進んでください。
事態は加速度的に悪くなる
経営陣と社員合わせて数名というような構成の小さい会社が一度資金繰り難などにぶつかると、事態は「資金繰りをなんとかすればいい」というレベルでは済まなくなります。というのも、この規模の会社の場合「抜けていい人材」なんて存在するはずがないからです。(存在するとしたらクビにするべきですね)特に、創業メンバーである役員クラスの連中は、全員が「事業に必要不可欠」という能力を持った人間の筈です。
しかし、「この会社ヤバクね?」という空気が発生すると、「事業に必要不可欠」な人材が抜け始めます。これは本当にクソやばいです。端的に、事業が継続できなくなるからです。何も考えず創業メンバーに単純な株式の譲渡をしていた場合などは、「株は持ち続けるけど、俺は役員を辞める、もうこの会社で仕事はしない」とか言われるでしょうね。(最悪です、創業メンバーで株式の持合いをする場合は最低限ここは考えておきましょう)
「基幹メンバーが一人抜けたら潰れる」という状態を回避するには、基幹メンバー並の能力を持った予備人員を入れておく、ということになりますが、これも経営効率としてはかなり疑問符がつきます。そんな余剰が創業企業にあるわけがない。仮にあったとしても、会社経営が難所にさしかかればその予備人員自体が逃げ出すということも十分にあり得ます。というか普通に考えてそうなりますね。予備人員、いてもほとんど意味が無いですね。
つまるところ、「自分の会社の行く先に難所が出現する可能性は一切ない」と考えるのでなければ、常にメンバーにとって合理的な選択肢として会社に残るべき環境を維持し続けるというのは不可能であると考えるしかないと思います。
皆さんが資本金100万円で起業するのか1000万円で起業するのか10億円で起業するのか僕にはわかりません。しかし、そのいずれにせよ経営の難所は残念なことにかなりの確率でやってきます。創業メンバーにとって、会社からの離脱が合理的な選択肢になってしまうタイミングは必ずやってくると思った方がいいと思います。
その時どうするか、メンバーの個人としての利益と会社としての利益が完全に相反してしまった場合、代表取締役はいかに事態を立て直し、登場人物の利害相反を整理していくか。これこそが窮地における代表取締役の仕事そのものです。これについては先だってのエントリで書きましたね。窮地に陥ってから動いても遅いってことです。その前に、窮地に陥っても利害相反の発生しない組織を作っておかなかった時点で負けです。
責任感の大事さはわかるけど、出資者への責任感は?
シャイニング丸の内氏は「有能な人間の時間を使わせてもらうことへの責任感を強く感じろ」という主張を強く押し出してきています。再度引用しますが
主には株式、契約によって「ザイルを結ぶ」と書かれていますが、自分が代表なら「有能な人間のもっとも貴重なりソースである『時間』を使っている」という時点で強烈な責任感を持つべきだと思います。
根源的な話なんですが、「責任感」を持ったところで会社経営って上手くいくんでしょうか。創業メンバーに時間を費やさせることへの責任感、確かにそれはあるでしょう。でも、それを認識したところで何かが変わったりするんですか?「責任感を感じて給料をいっぱい払った結果資金繰りが終わった」なんてことも十分ありえます。それに、創業メンバーってのはリスクとリターンを天秤に掛けて賭けに打って出た人間の筈です。賭けが上手くいかなかったのは個人の責任でもありますよね。経営者として会社経営に参画した以上、「俺は何の責任もない」という世界観にはいられないでしょう。
もちろん「俺には責任があるんだ」と考えて代表取締役として経営をすることは悪いことではありません。でも、責任感を持ったくらいで経営が上手くいくほど世の中甘くはない。そして、何より起業家がもっとも責任感を感じなければならない相手って、創業メンバーではないですよね。出資者への責任感こそが最も大きいはずです。
代表取締役は巻き込んだ人たちが有能であればあるほど「その人の時間を使っている」という時点で強烈な責任感を持つべきであって「会社が窮地に陥ってうちの給料は月給30万円なところ他社から月給80万円のオファーを出されて逃げられた」なんて感じるべきではないと思います。会社を窮地に陥らせて有能であるにも関わらず相場よりはるかに下の給料しか払えず今とどまれば浮かび上がる輝かしい未来を描くことが出来ない」という自分の能力不足を感じるべきだと思います。
確かに、会社経営が窮地に至ってしまった点において代表取締役は能力不足を恥じるべきでしょう。僕も恥じ続けています。しかし、その事態が起きた時に責任感を持って「他所に行っていいよ、あなたの時間を無駄にはできない」と基幹メンバーに言える人間は、出資者に対して全く誠実さを持っていない起業家ではないでしょうか。出資者の金を預かって創業した以上、どんな手を使ってでも窮地を脱することこそが起業家にとって最も大事なことであり、出資者に対しての「責任感」であるはずです。シャイニング丸の内氏の考え方はこの点を完全に無視している。出資者への責任感を感じるなら、重要なメンバーをそう簡単に逃がしてやることはできません。どんな手を使ってでも残ってもらうしかない。
そして、僕の考え方はシャイニング丸の内氏とはまったく逆で、「事業継続に不可欠な創業メンバーはどのような事態に至ろうとも絶対に逃げられないようにしておくべき」です。創業メンバーより出資者への責任感の方が重いですからね。そういうわけで、創業前に「事態が悪くなったらここまで悪くなることもあり得る、それでも参加するか?逃げ出さないか?」というような話し合いをガッチリと創業メンバーとした上で、それに同意したことをエビデンスとしてしっかり残し、更に法的な後ろ盾を作っておくべきだと考えています。もちろん、その「悪い事態」に耐えてもらうためには、株式を配分するなどのこちらから「差し出す」方策も必要になるでしょう。どれだけ社長に責任感があろうとも、無い金は払えないという圧倒的な事実が発生することは実によくあります。出資者に対する責任感があるなら、その時の対策は打っておくべきです。
口座の金も底を尽き、エンプティーの状態でギリギリ会社としての体裁を回しながら金が入る日まで耐え抜く。そういうシーンはわりとよくあります。取引先に支払いを待って貰い、もちろん社長の給料は全ストップ、役員の給料もゴリゴリ削るしかない。そこで尚耐え抜いてくれる人間でない限りは、起業を共にし株式を分かち合った創業メンバー足り得ないと僕は思います。
起業は合理的な道ではない
ところで、シャイニング丸の内氏は「合理的」という言葉を良く使いますが、起業ってそもそも合理的ですかね?僕がかつて勤めていた職場は、40歳までいればまぁ確実に1200万は貰える職場でした。僕はそこを辞めて起業したわけですが、これが合理的な判断だったとはまったく思えないです。どちらかといえば、狂気がそこにはありました。
一定以上の社会的地位や能力を持っている人間にとって、「起業」が「合理的」な選択肢である可能性はそれほど高くないと思います。組織にしがみついているほうがよっぽど合理的です。しかし、それでも何故我々は起業を志すのかといえば、合理的な筋道では到底到達できないものを求めてしまったからです。
創業企業に「能力に見合った相場通りの給与」などを求めて入ってくる時点で、それは相当頭がおかしいわけです。(いやまぁ、初期時点でアホみたいな出資を得た金満スタートアップとかなら別ですけど)会社を成長させ、その結果辿り着く大いなる実り。まぁ売却ゴールでも上場でもあるいは会社をデカくしての役員報酬や株主配当でもなんでもいいですけど。とにかく、起業するからには我々はそういうものを求めたわけです。
スタートラインからして合理的でないものに飛び込んでおいて、「合理的じゃなくなったから辞めるわ」というのは話が合わない。創業メンバーはそれが合理的ではないことを承知の上で、賭けに出た人間の集まりの筈です。その賭けに勝つまでの過程に艱難辛苦が待ち受けており、時には個人としての合理性など捨て去って、会社のために働きぬかねばならないことがあるのは当たり前のことでしょう。
少なくとも、そう考えていない人間はどれほど優秀であっても創業メンバーに入れることを薦められません。「人間は合理的に動く」それはその通りです。しかし、会社組織を立ち上げ利益を出し成長させ、その先にある大いなる実りを得るということは、合理的な行動の結果としてやってくるものではないのです。ハイリスクハイリターンな賭けに飛び込んで、最後まで戦い抜いた人間だけが得られる果実なのです。
合理的な給料が欲しいなら、創業メンバーになど絶対になるべきではありません。自分の能力に見合った給与を保障して欲しいなら、さっさと大手企業に入りなさいというお話です。起業家というのは「そういうものはいらない」と腹を括った人間ではないでしょうか。その上で、「この会社で勝負する」と決めた人間だけが、「創業メンバー」と呼べるのではないでしょうか。
僕とシャイニング丸の内氏の考え方の違い
1.働く環境
(シャイニング丸の内氏の本分より引用)
自分が気の合う人々と望む働き方をしているか。創業当初だからといってブラックな働き方を強いるのは長く続きません。ブラックは働き方をするのは自分だけで十分です。
僕の考え方
創業当初なんて何をどうやってもブラックです。そもそもブラックなんてのは労働者の概念であって、我々労働法規に守られない経営者には一切関係ありません。1日15時間程度働いて音を上げるような奴は追い出した方がいいです。どうせその先もついてこれません。その時点で人員の選定に失敗しています。休日?プライベート?そんなもんが欲しけりゃ労働者をやればいいですよ。経営側になった以上、時間で働くという概念は捨ててください。自分の持ち場の仕事が終わるまで働き続けるのは当たり前のことです。経営者ですから。その代わり、仕事がなければ出社すらしなくていいです。
この創業当初の時期は全員が脳からバチバチにあれが出ているので、そんなに辛くないと思います。「上司」すら存在しないに等しく、自分の専門分野なら裁量100%のフリーハンドで仕事が出来るわけで。この状態なら長時間労働なんてたいした苦にはなりません。むしろ、この時期に下手にプレイヤーの労働時間を制約しようとすると非常に強い負の効果が出やすいです。というかキレられます。なにせ起業しようというほどのワーカホリックの群れなんですから。死なない程度に思う存分働きましょう。最高に楽しいと思います。組織の制約から解き放たれた人間たちの最初の晴れ舞台です。思う存分踊らせてやりましょう。
創業初期の戦場で労働環境を整えようなんてのは、最前線でパスタ茹でて食おうとするようなものです。そういうのはいいからレーション齧りながら戦ってください。でも大丈夫。創業して時間が経った頃にあなたはきっと思います。「あの時こそが本当に楽しかった」と。そこそこ従業員が増えて来て労働環境をある程度整えた頃に「あの頃に戻りたい」という気持ちが発生するのはもうお約束みたいなものです。
創業初期は狂奔の時期です、従業員もいないかあるいはいたとしても少数ですし、何も心配ありません。駆け抜けましょう。ここを抜けられなきゃ何も始まらない。労働環境なんて話が出る幕はありません。
2.現時点での給料
(シャイニング丸の内氏の本文より引用)
その人がポジションを探した場合に最大値を取ることは難しいですが、相場くらいの給料は出す。出せないなら巻き込まない。出せないのは自分の能力不足(資金調達が出来ない、足元の資金を回す事業さえも作れない)。
僕の考え
「給与」を目的とした人材しか集められなかった時点で負けていると思います。株式を分かち合った創業メンバーに関しては、会社を成長させていった後の大いなる実りを目指している同士なので、当然報酬は抑えます。年俸の基準は、会社がどれだけ儲かっているかと、どれだけその利益に当人が貢献しているか、それだけです。「相場」なんて概念は全く関係ありません。役員の人件費を削れば創業利益を分けてやらなくて済む優秀な傭兵も雇えますし。ただし、自分(代表取締役)の給料はもっと抑えます。会社で一番給料が安いのは俺だ、が僕のやり方です。
相場通りの給与が欲しいなら相場通りの給与が貰える会社に行けばいい。相場通りの給与を得ながら創業者利益にも浴しようなんてのは認められません。どうしても相場通りの給与が欲しいのであれば、創業者という立場からは降りてもらう他ありません。あくまでも従業員として参加してもらうのがベストです。それならいつ辞めていただいても文句は言いません。労働者ですからね。まぁ、創業企業に従業員として参加するメリットが存在するかはちょっとわかりませんが。
3.将来性
(シャイニング丸の内氏の本文より引用)
特にこれが大きいです。有能な人であればあるほど小銭ではなく、自分が仕事をすることで実現出来ることを重視する傾向にあり、その人が自分の時間を使うに足る強烈なビジョンこそが起業にはあるべきですし、ないならするなと言いたいところです。ここには株式や将来のポジションも含まれます。
僕の考え
これはその通りですね。ビジョンがない起業、「この夢、叶うんじゃないか?」という感覚を与えられない起業が成功する可能性は低いと思います。株式や将来のポジションもその通りですね。この夢を見せ続けるのがビジョナリーのお仕事です。
しかし、夢が見えにくくなってくる時期はあります。夢なんてのは所詮は夢です。ちょっと悪い風が吹いたらあっというまに見えなくなってしまいます。いついかなる時も夢を見せ続ける社長を目指すのも良いでしょう、あなたにそれが出来るというなら。しかし、あなた本当にそれできますか?資金繰りが詰まって事業には想定外の損失が降り注いだ。そんなときにあなたは夢を語り続けられますか?「俺はどんな時でも人間を魅了し引きずりまわすカリスマを持っている」という方はそれでいいと思います。しかし、そうでない方は「ビジョン」が見えなくなってしまった時の方策もきちんと考えておいた方がいいですよ。一度見えなくなったビジョンがまた見えてくるのも経営の面白いところです。問題は、もう一度虹が出るまで豪雨の中を耐えられるか、耐える準備をしているかということです。傘と雨合羽を用意しておきましょうね。
未来を描こう、良い未来も、考えうる限り最悪の未来も
(シャイニング丸の内氏の本文より引用)
強い会社を作るのは逃げらられないための契約書でも訴訟でもありません。強烈な将来性だと思います。巻き込んだ人が自分が逃げた場合の契約書を確認する時点でその会社は失敗しているのであって、そこに書かれた細かな文言が繁栄する会社を作るキーポイントなんてことはないと思います。
ある意味でその通りだと思います。強烈な将来性、それこそが原動力であることは間違いない。しかし、どれほど強力な将来性を持った会社も、一度も窮地に陥らずに成長することはまず出来ません。シャイニング丸の内氏が「いや出来る」と仰るなら、すぐにでも私の金主をご紹介します。お話次第では楽々億単位の出資が引っ張れるはずです。
さて、話を戻します。会社の将来性なんてものは、ある時は眩いばかりに輝いて見えても、風向きが悪くなったり地雷を踏んだりすれば一発で見えなくなります。その時に会社を救ってくれる可能性があるのが「契約書」であり「訴訟」なのです。少なくとも、社内の人間の利益相反を抑え、社内における内紛の発生を防止してくれます。社内の利害関係がグチャグチャになるのを防いでくれます。そしてまた「将来性」が見えてくるまで耐えぬくための力になってくれるでしょう。
もちろん、「そんなものはいらない。俺ほど将来性であればそのようなものは必要にならない」という考え方もあり得ると思います。また、創業メンバーとなる人間に一切の制約を課さないとなれば、創業メンバー探しは大変やりやすくなるでしょう。株を一切譲渡さずに創業メンバーを集めることも可能でしょう。それはそれでメリットがあるとも言えます。それで進むというなら僕はそれはそれで止めません。
しかし、僕はそれでコケました。もちろん途中からは手を色々打ちましたけどね。序盤でこの辺をガチガチにしていなかったのが僕の大きな失敗のひとつです。
最終的に起業なんて自分の信じた通りやるしかない
はい。投げっぱなしジャーマンみたいな結論を書いて本日は終わります。正直に言うと、僕はシャイニング丸の内氏は少なくとも会社の保証人になるなどして借金を背負って会社を創業したことは無いだろうな、と確信しています。言っていることが間違っているわけではないんですよ、ただ「想定どおりにことが運ばなかった時にそれを何とかする手段」という視点がない。
合理性の範囲でなんとかする、それは素晴らしいことです。でも、合理性の範囲でどうにもならなくなったときに打つ手について考えてはいない。そういう問題は全て「それは代表取締役の能力不足」というところに落とし込んでいる。しかし、実際に一度起業すると、代表取締役の能力や資金調達力が足りないなんてよくあることで、それでも尚なんとかしなければならないわけですよ。足りないのはわかってるんだ、足りない状態で何とかするのが仕事なんだ。そういうことです。一回会社を始めたら「私の能力不足でした、解散」というわけにはいきませんからね。
もちろん、会社が上手くいかないのは代表取締役の責任です。「裏切られる」のも「離反される」のも突き詰めれば全部悪いのは代表取締役です。それは全くもっておっしゃる通りです。理想論としてはシャイニング丸の内氏の言う通りやれれば本当に素晴らしいだろうな、と思います。しかし、実際に会社をやってみればすぐにわかりますが、あらゆる経営資源は常に不足し、想定外の支出はどんどん発生します。初めて行う事業のコストが想定どおりに運ぶことなんてほぼほぼ無いと考えていいと思います。そして、想定外の最悪の出来事も当然次々と起こります。少なくとも僕の知る範囲では。
最悪の事態は起こらないと想定する起業、最悪の事態は必ず起こると想定しての起業、どちらもありだと思います。己の信じる方向に向かっていってください。どっちにしたって、5年で85%が死ぬ世界です。悔いの残らない方を選んでください。
それではやっていきましょう。
追伸 シャイニング丸の内さん、おかげで色々考えることが出来ました。とても楽しかったです。考えは相容れないとは思いますが、是非また批判などしていただければ大変うれしく思います。考えを深める機会をありがとうございました。
追追伸
harisenbon_fukurahagiさん 「起業の創業メンバーに入ってくるモチベーションが『給料』の奴なんて中核メンバーにした時点で負け」って話してるんですよ。そもそも、給料が欲しけりゃ大手に行けばいいだけのこと。 給与を求めて新規創業する会社に入ってくる人間なんか行動原理が意味不明(あるいはたかが大手企業に入れる程度の能力もない)んだから、創業メンバーに入れたらダメに決まってるでしょ。
雇用される労働者と、雇用する側の経営者の差についてシャイニング丸の内さんもあなたもちょっと捉え違ってるのでは。大手企業に行ける能力があるのに給料求めて創業メンバーに入るのは、そもそもバカですよ。そっちの方が給与は高いに決まってんだから。給与を高くとるってことは会社の成長余力を先食いするってことです、株もって経営に参加する人間はむしろそれを回避するのが当然でしょう。その先にある実りを求めているわけですから。
そして一番の問題は、経営が難所に陥って高い給料が払えなくなったらその場で潰れるという前提でいいんですかってことですね。給与の額で中核メンバーを繋ぎとめておくと、そこで確実にアウトですよね。「経営が厳しいなら経営者みんなで給料下げて耐える」が出来ない会社は脆いですよ。それが出来る状況を作っておくべきだ、というのが僕のアンサーになります。