発達障害就労日誌

色々あるけどまぁ生きていこうじゃないかというブログです。

自分が働く理由についてわりと一生懸命考えた。

発達障害者なら生活保護とっておとなしくしてたら?という話

が、コメント欄に投下され、「うーん」と思ったのでちょっと考えてみることにしました。たしかに、ある意味ではそうですし、それもまた有力な選択肢ではあるわけですよ。少なくとも、働けないし財産も無い状況に陥ったならさっさとケツまくって生活保護等の福祉を頼るべきだと思います。生きてナンボですから。合理的に考えたらそうなります。また、現在生活保護を受給して生活している人についても「とにかく生きて欲しい」以外の気持ちはあんまりありません。気合入れて就労しろとか言う気もないですし、働くための努力を重ねろとか説教する気もないです。そんな権利もない。

少なくとも「金がない」という理由で死ぬのは嫌だな、と思います。そして、そういう理由で人に死んで欲しくはないな、とも思います。僕は会社を起こして色々事業をやってきたので、わりと追い込まれた人間を見てきましたし、自分自身もわりとガリガリ追い込まれたりしてきたわけですが、大体こういうジャンルでメシを食ってきた人間は「追い込まれた時どうすればとりあえず凌げるか」について知識があります。それでもどんどん死にます。生活保護と自殺について考えたことのない経営者なんているのかな?と思います。(存在するという情報はいりません、特に知りたくはないです)

お金がどんどんなくなる話

ところで、僕は現在借金が(ほとんど)ありません。借金玉なのに借金ないのかよ、という話になりますが、はい。事業を整理して色々やって、なんとか逃げ切りました。すっかり事業は小さくなり、最後に残った小さな事業も風前の灯ではありますが、カラッケツになったけど生きては帰ってきたということになります。(破産もせずに済みました)最盛期は1000万を軽々越える借金がありました。ツイッターを始めて借金玉を名乗り始めた頃ですね。出資も何千万か得ていたので、最盛期は割りとバブリーな金を振り回していたことになります。本当にゴリゴリやった20代でしたね…。とても疲れました。得たものと失ったもののことは今はとても考えられません。この先また20年くらい戦って、それから考えようと思います。

そういうわけで、「いよいよ生活保護かな」と「いっそ清清しく死ぬか」はこのしばらくずっと頭の中にありました。自分が働けば働くほど、自分を信じて金を託してくれた人間が損をするだけじゃないか、自分は社会に対して何のプラスも与えていないんじゃないか、自分は生活保護を貰ってじっとしている方がよっぽどマシなんじゃないか、とも思いました。実際、これは事実の可能性があります。人間、頑張ったからって結果出るとは限りませんからね。少なくとも、起業家なんて人種の大半はこうやって終わっていくわけですし。

「金がない」という理由だけでは、たぶん人間はなかなか死にません。でも、実際金がなくなると、信用とか社会的地位とか自己肯定感とか未来への希望とか友人とかそういうものがどんどん消えていきます。そして「責任を取る」「ケジメをつける」などの謎の概念と自己陶酔が湧き上がってきます。(ぶっちゃけて、あなたや僕が死んだところでそれがなんらかの責任を取ることになるか?といえば微妙なところですが)そういうわけで、つまるところ金がないと人間は死にます。合理的な選択肢、たとえば生活保護についての十分な知識をもっていても、わりと死にます。そういう理由で死んで欲しくないし死にたくもないな、自分はいざとなったらちゃんとケツをまくるぞ、と腹を括っていた筈の僕もかなり死にそうでした。

人生にしがみつく話

人生にしがみつくのは辛いです。生きている、ということはそれ自体が苦しみです。そこから手を離すことは、大変魅力的な選択肢です。キラキラしながら迫って来ます。だから、どのような手段を講じてであれ、人生にしがみついている人を僕は肯定したいです。生活保護を受給していて何が悪い?何も悪くはありません。生きていること自体が肯定されるべきです。少なくとも僕はそのように考えています。

とはいえ、死んだ人間のこともあんまり悪く言いたくありませんね。いっぱい死にましたしね、僕の視界の範囲でも。ただ、死ぬという選択肢を実行していった人間はもう遠くにいっちゃいましたし、完全に死んでいて生き返ってこないので生きている人間よりは優先度が低いというだけで。本当は死ぬのだって多大な勇気が必要で、僕にはその決断をするだけの強さがなかっただけかもしれないし。

でも、やっぱりね、人生にしがみつくことがより強固な意志を必要とする選択肢であり、正しい答えだと信じていたいわけですよ。とりあえず生きているわけですし。そういうことにしようじゃないですか。あいつらはもう死んだから文句言わないですし。うるさい。文句あるなら生き返ってこい。(コメント欄には沸くな)

じゃあなんで働くの?

生活保護を受給していても人生を肯定するべきだと考えているのになんで働くの?生活保護受給して、とりあえずメシ食って安穏と暮らせば絶対ハッピーじゃない?」というのはある意味正しくて、反論を考えるのに結構苦労しています。少なくとも、そういう生き方を否定する気は全くないんですよ。そりゃ国家財政とか色々考えると問題は発生するんですが、別に僕の知ったこっちゃねえし。

じゃあ、どうして働くか?ということをずーーーーーーっと考えてたんですが、結論として出てきたのは「僕はお金が大好きだから」という気持ちでした。僕ね、お金が本当に好きなんですよ。すごいじゃないですか。なんにでも変わる。大体なんとでも交換できるし、クソヤバイ状況下にいる人間でも適切な処置と1万円札1000枚くらいあればとりあえず救えたりするわけですよ。(場合によっては救えないこともある)すごくね?絶対超いっぱい欲しい。めっちゃいっぱい手に入れて、アホみたいにバラ撒きたい。

それ以外の理由としては、「なんとしても復活を遂げて僕を信じて狂った額の投資をぶっこんでくれた出資者の皆様に恩返しをしたい、少なくとも投資元本くらいは返したい」「金に付随するであろう社会的地位をガッツリ手に入れて社会にウルトラチヤホヤされたい」などの概念も出力されて来ましたが、多分一番デカい理由としてはやっぱり僕はお金が大好きなんだと思います。だから、まだやりたい。もう一発勝負したい。そういう気持ちがまだ残ってるんでしょうね。あと、一番クソどうでもいい理由としては「働くこと自体が割りと楽しい」というのもゼロではない…がゼロに近いですね。仕事にやりがいなんてあるわけないです。起業した当初はそういうのもあるといいなーと思ってましたが、そんなもんほとんど無かったですね。成果や報酬の伴わない仕事にもやりがいはあるという信仰は結構たくさんの人が持っていて、「自分の事業構えたらモチベーションなんて無限沸きするだろ」と思って起業する人はわりといますが、まぁ頑張ってください。そうなるといいですね。

やっていく気持ち

そういうわけで、「なんで働くの?」という質問に大してじっくり考えていたら、やっていく気持ちが出力されてくるという大変ポジティブな結果になりました。でも、これは僕がまだ比較的恵まれた環境にいるということしか意味しないような気がします。僕より明らかにやっていく気持ちを出力するのが難しい環境で生きてる人はいっぱいいるでしょうし、そういう状況下で無理にやっていく気持ちを出す必要はないです。生存が第一だと思います。

やっていく気持ちが一切沸かず、希死念慮だけが無限に生産される状況についてですが、あれは雪山で遭難した感じに似てます。下手に動き回って体力を消耗してもそれはそれで死にます。今自分は最善の選択肢として雪洞に篭もって寝ているんだ、というイメージがオススメです。水筒に暖かくて甘い紅茶などを入れておくとより気分が盛り上がります。(詳しくは「神々の山嶺」を読みましょう)

まぁ、そういうわけでブログを書きました。やっていく気持ちが生まれた証がこの文章となります。まぁ、とりあえず生きよう。可能ならやっていこう。そういうことですね。