発達障害就労日誌

色々あるけどまぁ生きていこうじゃないかというブログです。

残念な新卒のための生存手引書(実践編応用3 お目こぼししてもらう、敵を作らない)

ご就職おめでとうございます

今日は4月3日です、ということは今年も新卒の皆さんの戦いが始まりましたね。このブログを読んでいる皆さんの中にも今まさに戦いが始まったところ、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。緊張も期待も不安もあると思いますが、人生の新しいスタートを切った皆さん、本当におめでとうございます。何はともあれ始まった、そんなところですね。

人生、成功するにせよ失敗するにせよ「何かをしなければならない」というところからは逃れられません。何もしなければ確かに失敗もありませんが、人生が有限なので残り時間と可能性は日々失われていく。普段ひねくれたことばかり言ってる僕がこれを言うのもあれなんですが、とりあえず「なにかを始めることに成功した」時点でまずは正解なんです。

皆さんの就職という挑戦がどのような結果になるのかは僕にはわかりません。大成功になる人もいれば、手痛い失敗になる人もきっといるでしょう。「こんなはずではなかった」ということになる人もきっといるでしょう。なんせこのブログを読んでる皆さんですからね。全員が何もかも上手くいくと考えるのはムシが良すぎる。それでもですね、「失敗の経験」でもそれが無いよりずっとマシなんですよ。

人生で一番おっかないのは、完全に動きがなくなった状態です。人生の落とし穴に嵌って落っこちて全身を強打するのはまぁしょうがないですが、そこから全く動けなくなるのは本当に怖い。なにも得られないまま、「失敗の経験」すら蓄積できないままに時間が過ぎ去っていくのはとても怖く、もっと言えば永遠に「動きがない」状態に落ちることこそ最も恐れるべきです。死んだらアカンという話です。

そういうわけで、新卒就職に成功した皆様、生きてさえいればとりあえずそれでOKです。「絶対に成功しよう」と思う必要はありません。肩の力を抜いてください。実際のところ、ある程度は失敗しながら学ぶ必要は常にあります。「失敗したらダメだ」と過度に思い込みすぎると大変しんどいので、「ダメなら辞めりゃいいだけのこと、とにかくいっぱい学ぶぞ」くらいの気持ちでいきましょう。

ご就職おめでとうございます。やっていってください。

さて、3月中に完結させると宣言してた新卒生存手引きですが、すいません今日は4月3日ですね。すいませんでした。ちょっと色々ありまして・・・。これを含めてあと2本で完結ですのでご容赦ください。よろしくお願いいたします。

 

 職場と上司の採点基準を見極めよう

組織に入って働くということは、常に他者の評価に晒されながら競い合っていくという要素がどうしてもあります。そして、部族によって採点基準は全く違います。「卓越する必要は全くない、とにかくミスをせず標準以上の成果を出し続ける者を評価する」とか「多少の粗は全く見ない、とにかく成果を出したものの勝ち」みたいな色んな文化が組織ごと部族ごとにあると思います。

まぁ、理想論を言えば就職前に職場の社員評価基準をある程度見極めて、自分に合ったところに入るべきなんですが、実際これが就職活動をする側からはなかなか見えないんですよね・・・。色んな会社の知人に聞いてみると、同業種でも会社ごとにかなりカラーも変わるみたいです。ただ、人員評価の傾向をざっくり二分化すると

  1. 多少粗くても仕事が速く生産量が多いのを良しとする
  2. 仕事の精緻さと手続きや段取りをきちんと踏んでいることを良しとする

のどちらかになると思います。1.の会社で2.の仕事のやり方を採用した場合は、「めっちゃ作業効率が良い」みたいな人に限って高評価を取れる可能性もありますが、2.を良しとする会社で1.の仕事のやり方を目指した場合は絶望的です。ボコボコにされると思います。まずは社員研修の傾向や与えられた業務、あるいは先輩方の仕事のこなし方から、自分の勤め先がこのどちらに該当するのか見極めましょう。

1.の会社で働く場合は「上手く手を抜く場所と力を入れる場所を見極めること」、2.の会社で働く場合は「無数にある部族ルールを把握してミスらず実行すること」を覚える必要がそれぞれ発生し、努力の方向性が全く逆になります。僕も新卒で入った会社は明確に2.でしたが、現在勤めている会社は完全に1.です。

努力の方向性を間違ったら全く評価されないという恐怖が組織にはあります。そして、このような評価基準は往々にして明文化されていないんですね。「空気を読む」能力に劣る我々は、意識的に把握しようと努めない限り確実に出遅れます。

実際、会社の評価基準はこの2択で語りきれるものではなく実際はもっと細分化していくと思いますが、まずはこの1.と2.のどちらの組織なのかを見極めることが重要です。また、組織における部署や上司の性格などにもよってこの基準は変化することがあります。点を取りに行くのはルールを把握してからです。新卒初期はとにかく目立つ失敗をしないように気を配りながら、「職場の暗黙のルール」を把握することに勤めてください。突出しようとするのはリスクが高いです。まずは、ゲームのルールを理解しましょう。

まとめ

  • 職場や上司の人員評価基準をまず把握しよう
  • 細かい基準はとりあえずはいい、まずは本文1.2.のどちらに該当するかを考えよう。
  • 職場に置ける評価の基準やある種のルールは往々にして明文化されていない。
  • 点を取りにいくのはまだ先でいい。新卒の初期はとにかくゲームルールの把握に努めよう。

 初見の弱さはここまでのライフハックを総動員してカバーする

このブログを読んでいる人は僕と能力特性が似通う方がそれなりに多いと思うのですが、皆さんの弱点はズバリ「初見の弱さ」だと思います。初めて取り組む仕事に素早く適応し、不十分な理解のままこなしつつ理解度を高めていく。そういうことは本当に苦手なのではないでしょうか。これは本当に厄介で、僕も未だに克服しきれていません。

これについては、ある程度受け容れるしかない面もあります。努力はしても業務習得が遅い。これは一朝一夕で何とかなる課題ではありません。人間の能力パラメータは短期間ではそうそう上昇しません。もちろん、社会人として仕事を続けていけば少しずつ発達していくことは間違いありませんが、短期的に解決する手段はおそらく無いと思います。

しかし、「物覚えを良くする」ことは出来なくても、「仕事を習得するのまでの時間制限を引き伸ばす」ことは可能です。これまでの「部族の風習に従え、敬意を見せろ」と繰り返し書いてきたライフハックはその一点に向かって書かれているからです。「心構え」「挨拶」「雑談」「飲み会」といったTIPSは、全てこの一点に向かって書かれていると言っても過言ではありません。

新卒の最初の一年間では、余程極端な会社を除いては「評価の全てがそこで決まる」ということはありません。多少出遅れていても「アウト」にさえなっていなければ、まだまだ先はあります。多少の出遅れは覚悟しましょう。だって、人生いつもそうだったじゃないですか。新卒で就職したらいきなり全てが上手くいくなんてそんな虫の良い話はありませんよ。でも、「あいつは多少足りないが頑張ってる」という評価で踏みとどまっていれば勝ちです。

「多少業務習得速度に劣るが、組織順応度は高く努力はしている」みたいな感じの評価を得られれば1年目は120点だと考えていいと思います。これくらいの評価が取れれば、あと数年はおそらく生き延びられます。逆に、「業務習得速度は遅く、組織にも順応できていない」の場合は1年でアウトがついてもおかしくありません。

まとめ

  • 残念ながら業務習得速度のような基礎能力は短期間では上昇しない
  • 他の同期に業務能力で劣っても生き延びる方策を考えるべき
  • 新卒生存手引のこれまでのエントリはそれを旨に書かれているので参考にして欲しい。
  • 「トロいけど頑張ってる」の評価を取れれば1年目は120点。

 おめこぼししてもらう、敵を作らない

職場の人員評価がどのような基準であるかは組織によっても上司によっても変化すると思いますが、どのような評価基準あるにせよ絶対に変わらない点があります。「評価するのは人間である」という点です。つまるところ、客観的かつ公正妥当な評価などというものは基本的に存在しないと思った方が良いでしょう。まぁ、営業成績の数字のみで評価する会社なんかは例外ですが、新卒にいきなり「数字のみ」の戦いを強いる会社もそれほど多くはないでしょうし。(たまにはある)

我々発達障害を持つ人間は、仮に点が取れるとしても失点も大量に犯すタイプが多いと思います。僕も明確にそのタイプです。ミスを山ほどして、その中から成功を拾う方針でここまで生きてきました。ここで問題になるのは、ちょっとした失態をどこまで明確な「ミス」や「失点」と評価するかです。もちろん、「誰がどう見ても完全にミス」というものはあります。そういうものはしょうがない。しかし、新卒程度の業務習熟度の人間が犯す「ミス」は、「ミスといえばミスだけど、別に見逃してもいいんじゃない?」というものが非常に多いと思います。

ここでポイントになるのは、採点をする人間に「あいつのミスは絶対見逃さない。ミスと言えるか微妙なものも全部ミスと判定する」と考えさせているか、「あいつは多少ミスが多いけど頑張っているし一生懸命会社に適応しようとしてるから、見逃せる程度のミスは見逃してやるか」と思わせているかです。これで劇的に評価は変化します。本当にクソやばいくらい変わります。

我々は非常に弱点が多いです。それこそ、ちょっとした失態を全部記録されていたら、間違いなく採点結果はゼロどころかマイナスです。特に、大きい加点を得ることが難しい新卒の立場ではそれはより明確になります。だって、新卒にホームランを打つ機会なんてまずないですからね。評価基準がキツくなればなるほどどんどん点数は減っていくだけです。まず巻き返しは効きません。我々の唯一の救いになりえる、「突然大ホームランをブチかます」タイプのあれですが、新卒の時期はほぼほぼ打席には立てないと思うしかないと思います。

ところで、我々発達障害を持つ者の典型的な特徴として「空気を読めない」更に言うと「めっちゃ敵を作りやすい」という要素があります。まぁ、細かい話はそのうち「敵を作ってしまう話」とかでやりたいと思うんですが、無邪気に何の悪意もなく敵をモリモリ生産することには大変自信がある方が多いのではないでしょうか。この特性ですが、「ミスを犯しやすい」「業務効率が安定しない」などの特性と最悪の相性を持っています。二倍どころか二乗になって新卒を追い詰めるあれです。僕は完璧にこのコンボをキメて死にました。我々は非常に弱点が多く、敵意や悪意に晒された時本当に弱いです。

新卒生存手引は、「とにかく生き延びられる時間を長くして、少しでも業務を習得し会社に適応する」を旨とした戦術を採用しています。しかし、我々のようなタイプの人間が組織に何も考えずに入っていった場合、その真逆の行動をとってしまう可能性が高いです。具体的に言うと、敵を作って評価基準をキツくした上でどんどんミスを犯し、負のスパイラルに果てしなく沈んでいく。そういうことです。それを避けることこそがこの手引書の眼目になっています。そして、その方法はこれまでの手引き書に僕の知りえる限り書いて来ました。「敵を作らない」、新卒に限らず我々にとって圧倒的に重要な概念です。是非覚えておいて欲しいです。

まとめ

  • 評価を行うのは常に人間である以上、客観的かつ公正妥当ということはありえない
  • 逆に言えば、評価する側の人間にどのように認識されているかで、評価基準は甘くもなるし厳しくもなりえる
  • おめこぼしして貰える環境を作れれば勝ち、敵を作ったら負け
  • 悪意や敵意には我々は極端に弱い。それを自覚して立ち回ることが重要

 

部族の善意に助けられる環境を勝ち取れ

これは学生時代にはあまり気づかなかったことなんですが、社会人になって仕事をするようになって痛感しました。我々発達障害を持つ者が、仮に尖った能力で大ホームランを打って活躍するとしても、その影にはおおよその場合定型発達者のフォローやお目こぼしというようなものが介在しているのだと思います。発達障害を持っていようとも、能力がある人はもちろんいます。上手いことやれば定型発達者と比較しても評価されるに足る結果を出せる人は実際、それなりの割合で存在するんだと思います。

しかし、我々が何故コケるかといえば、「周囲に助けられる」ことがあまりにも苦手だからです。しかし、能力の分布が標準的でない、ある部分は突出して、あるいは多少出来たとしてもある部分は壊滅的に出来ない、という特性を持つ人間が周囲の理解やフォローなしに成功することはとても難しい。しかも我々は我々で、周囲の理解やフォローを拒むような特性を強く持っているわけです。「空気が読めず共感性も低い人間が、空気を読んで共感してくれることを求める」というのは無理筋です。

では、「私は発達障害者です。このような能力特性を持っています。でも、皆さんのフォローがあれば活躍できるかもしれません。皆さんフォローしてください」が通るでしょうか?通ることもあるかもしれません。無いとは言い切れません。実際、その方法を採用するのも一つの手だとは思います。否定はしません。しかし、僕は自分の経験に照らして「その方法はかなりの確率で組織内での自殺になりかねない」と認識しています。

カミングアウトを是とする皆さんには腹立たしいかもしれませんが、僕は少なくとも第一選択肢としては発達障害のカミングアウトを推奨しません。そもそも、「どのようなフォローを得られれば自分は結果が出せるのか」を言語化して他者の反感を得ない形で要求するのというのは極めつけに難しいスキルです。しかも、他者にその要求をする際に渡せる対価がありません。僕は対価を渡せない取引をするのはとても怖いです。やるとしたら、ある程度「環境が整えばこのような結果が出せることもある、裏づけはこれ」というエビデンスが出せる状態を作ってからが良いのでは・・・と思います。就職活動の時点で発達障害をカミングアウトして内定を勝ち取ったなら全く別の話になるとは思いますが。

しかし、僕も多くの人間の中で過ごしてきて少しずつ「自分を評価し監督する立場の人間に敵を作らない」「お目こぼしをしてもらう」方法を覚えて来ました。この手引のかなりの部分はそのための方法になっています。それは、とりもなおさず組織という「部族」のカルチャーであったりあるいは風習であったりといったものを尊重する、敬意を払う姿勢を見せるということに他なりません。たとえそれが茶番であると感じたとしても、茶番センサーをぶった切って全力で演じること。

これは、きっと異邦を訪れた文化人類学者みたいな作法だと思います。その文化の絶対的価値については論じない。全ての文化に相対的な価値があるという建前をまずは大事にする。こんなもんは僕にとっても単なるタテマエです。クソ食らえと思ってます。でも、異邦の地で部族に囲まれた状態で、その部族からお賃金を頂戴して生きていかなければならないわけですよ。そりゃ、火の回りを逆立ちして回れと言われたら「そういう文化なんですね」と思って回るしかないじゃないですか。AKBの衣装を着て踊れといわれたら踊りましょうよ。

「牛糞で壁を塗れ」といわれた文化人類学者と一緒です。「なるほど、建築材としての合理性はあるのだな」という考え方と、「でもそれうんこじゃん、うんこの家じゃん」という考え方は並立します。(新卒にAKBを躍らせるイニシエーションですが、合理性はかなりあると思います)どちらもとても大事な考え方です。でも、とりあえずは「へたくそな日本語を喋る愛すべきガイジン」を目指しましょう。完璧じゃなくていい、心からじゃなくてもいい。それでもわりと部族にも誠意は伝わります。意外と助けてくれます。その中でホームランをブチかませば、「なるほどあいつは得意なことをやらせておいた方が得になるっぽい」という判断をしてくれることもある。そこを目指しましょう。少しでも長く生き延びて、ちょっとでも居心地の良い場所を目指しましょう。少なくとも、無駄に敵を作る必要は一切ないんです。

やっていきましょう。