発達障害就労日誌

色々あるけどまぁ生きていこうじゃないかというブログです。

雑談の技術について③ 上級編 傾聴と発話について

本エントリの前に告知です

www.onecareer.jp

ワンキャリア様でまた文章を書かせていただきました。是非ご一読ください。ちょっとした思い出語りですが、仕事のモチベーションの持ち方、欲望の肯定みたいなお話をしました。働いていくためのモチベーションコントロール、重要なところだと思います。よろしくお願いします。

そういうわけで、最後の雑談エントリです

久々に3回の続き物になった雑談エントリで、本日は最後のエントリとなります。このエントリは、コミュニケーションを深めるための雑談の技術論、みたいな感じになると思います。1回目のエントリでは、雑談の基本中の基本であるキャッチーボールの形式を、2回目のエントリでは「形式的にとりあえずYESで受ける、否定を回避する」という方法論を中心に受け答えの技術論を展開したわけですが、正直ここまでこなせれば雑談において「こいつはコミュニケーション不可能な奴だ」と判断されることは無いと思います。

syakkin-dama.hatenablog.com

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とりあえずこちら二つをご参照ください、というところなんですが、しかしこの二つのエントリではあくまで「雑談」は「コミュニケーションのキャッチボール」に過ぎず、「意思疎通が可能な人間であることを相互に承認し合う」意味しか持ちません。雑談にはもちろんそこから先があります。

相互承認の儀式が済んだ後は、いよいよ「会話」が始まるわけですが、実際ここから先はある種のリスクを孕んで来ます。というのも、ただの形式的なキャッチボールと違って、内実のある会話はお互いの考え方や価値観を晒しあう必要が出て来ます。そして、人間というのは残念なことに、誰しもがわかりあえるというものではありません。形式的なキャッチボールをするだけの間柄であった方が良かった、そういうことはままあります。内容のある、己を晒した誠実な発話、それは即ちリスクの高さです。

「全ての人間と実直に語り合おう」なんてのは、不可能です。無理やりやったとしても、不愉快な出来事や諍いが増えるだけでしょう。キャッチボールや事前情報などから、この相手はリスクを負って「会話」をする価値があるか、あるいは「会話」をした結果致命的な事態が起こる可能性が高いのではないか、そういうことを吟味することはとても大事です。人間同士が深い関係になるには、中身のある会話をするしかありません。形式的キャッチボールでは、関係性は深まっていかない。

このエントリでは「関係を深める」「リスクのある」会話について話そうと思います。しかし、「関係を深める必要がそもそもあるのか、あるいは可能なのか」について常に吟味することを忘れないでください。人間の会話の大半は形式的キャッチボールですし、それはそれで十分でありえるのです。他者に向かって踏み込むことのリスクは、心得ましょう。

 

質問、相手は何を語りたいか

雑談においては、相手に「楽しく喋らせる」ことが好感を持たれ、コミュニケーションを円滑化する上で最も簡単かつ効果の高い方法だと思います。「楽しく聞かせる」も有力な選択肢ではありますが、相手の興味も関心もわからない状態で相手が楽しく聞ける話を選択するのは簡単なことではありません。そもそも「楽しく聞かせられる話」をするのは特殊技能です。レベル上げると単体でメシ食える技能です。

では、相手に「楽しく話させる」にはどうしたらいいか。これはもうシンプルで、相手の好む会話の内容に向かって誘導するしかありません。形式的キャッチボールから「会話」への入り口は、相手への「質問」です。「お休みの日って何されてるんですか?」でもいいですし、「ゲームとかします?」でもいいです。相手の個人情報を差し障りのない範囲で尋ねながら、相手が話したがっている内容を探っていくしかありません。

通常、「雑談」の得意な人同士であれば、この段階で相互に「この話題を話そう」という話題のチューニングが行われるでしょう。これは理想的な形です、お互いがお互いの興味のある話を探りあい、楽しく会話できる場所を見つける。でも、世の中このチューニングが一切出来ない、あるいはやる気がそもそもない人というのはたくさんいます。そもそも、雑談の始まりに「双方から話題を楽しく話せるところへチューニングし合う」という概念を持っていない人、多分ここを読んでいる人にもいますよね。

このチューニングの精度が「キャッチボール」から「会話」に持っていくためには一番重要です。形式的キャッチボールから徐々に情報収集に切り替え、相手の喋りたいことを探る。これが上手い人は、雑談の達人と呼べるでしょう。しかし、これはリスクがあります。個人情報を尋ねていっても、自分がその返答に合わせて会話することが出来なかったりもしますし、相手が情報を出してくれなかったりもします。「雑談しようと思ったらいつも質問攻めになってしまう」という悩みは誰しもありますよね。

この場合は、相手が質問に答えて提示してきた話題へ自分が合わせられていない、あるいは相手が合わせられる形で回答を出してきていない、このどちらかが起きているはずです。しかし、これの回答は簡単です。「力技で合わせればいい」。それだけです。というのも、雑談が苦手な人は大抵、相手が出してきた話題の知識が自分に一切なかった場合尻込みをしてしまいます。そして「次の質問」になってしまうわけです。でも、本当はこれ尻込みをする必要なんて一切ないんですよ。知らないなら興味があるから教えてくれ、という方向に話題を持っていけばいいだけなんです。自分が知っていることを他人に教えるのが楽しくない人はそんなにいません。自分の好む話題であれば尚更です。

バーテンダー、美容師、ああいった会話を日常とする人たちの話題の広げ方は大抵これです。毎日たくさんの人と話す中で、「自分が話して聞かせる」という方法論を選ぶのはほとんど不可能です。(たまに超大御所みたいな人ならそういうタイプもいるけど)お客様の話を興味を持って傾聴する、少なくともそのように見えるよう振舞う。これは雑談の極意です。雑談の極意は非常にシンプルに言えば、他者に強い関心を持つことです。他人の持っている情報に対して常にMAXの関心を持っている人であれば(そんな人は存在しないでしょうが)雑談に困ることはまず無いでしょう。逆に言えば、「他人に興味がない」なら雑談が苦手で当たり前ということです。「傾聴」から最も遠い態度ですからね。

もちろん、相手も自分もひとつの話題について知識を持っており、情報交換や意見交換で雑談が成立する。これはひとつの理想像です。でも、これがおきる可能性はそう高くありません。自分の知らない話を興味を持って傾聴する、これは必ず必要になります。

 

はい、じゃあ具体的にどうするか

そんなこと言われたって、他人に興味なんかないけど雑談を上手いことやりたいんだよ。そのお気持ちは大変わかります。バーテンダーも美容師も大体そう思っているでしょう。心配ありません、他者への関心や敬意なんてものを演出するのはそれほど難しいことではないからです。むしろ、これが「難しい」と思っているのが失敗の要因です。多少ヘタクソでも、多少見え見えでも、「あなたの話を聞きたい」「あなたの話は面白い」という態度を示されて嬉しくない人なんてほとんどいないんですよ。あなただってそうでしょう。僕だってそうです。少なくとも、その姿勢を見せてくる相手をシャットアウトするほど性根のひん曲がった人はそんなにいない。あなたがとんでもなく性根がひん曲がった人である可能性はありますが、大丈夫です。あなたは少数派です。

僕が雑談がとてつもなく苦手だったとき、そこには「演じる」ことへ、あるいは「茶番」への強烈な拒否反応がありました。「そんなやり方は不誠実だ」という思いもあったと思います。面白くない話を面白いと言う必要は無い、と。しかしですね、世の中初手から面白い話が出来る人なんてそうそういません。まずは相手が傾聴と好意の態度を見せ、緊張が解除され、自分の情報を出すことにためらいがなくなったとき、やっと人からは面白い話が出て来ます。あなただってそうでしょう、初対面の相手にいきなりオモシロ話ブチ込める人なんて、なんかのプロくらいです。

つまるところ、「他人の話が面白くない」原因は、多くの場合受け手にあるのです。相手が面白い話を出来る土壌を作れていない。少なくとも「面白い話をさせる」という作業を相手に委ねるのだから、それを受けるこちらは相手が喋りやすい環境を整えてあげるべきですよね。それで丁度フィフティーフィフティーだと思います。致命的に話が面白くない人というのもたまにはいますが、それでも他人は自分とは違う人生を生きており、違う情報を持っています。そこから面白味を見つけ出すのは(たまに例外はあるけれど)それほど難しい作業では、本質的にはないんです。

「えー、ぜんぜん知らないです、教えてくださいよォ!」って、皆さん言えませんよね。僕も言えませんでした。そんな白々しいこと言えるかよ、って思ってました。でも、言えるし言った方がいいんです。多少白々しくていいんです。その話題に興味が持てなくても、相手に「自分の好む話題を私に対して発話してください」というメッセージを送るだけで十分なんです。その空気が出来上がれば、相手はよりリラックスして内実のある発話を始めます。そうなれば「面白い話」である確率は飛躍的に上がります。一回相手の話が「面白い」と思えれば、そこからは楽ですよね。

たとえば、「最近は釣りに凝ってる」って話を相手が始めたなら、無理に自分の中にある「釣り」の知識を出して話を合わせようとするのではなく、「釣りってやったことないんですけど、今何が釣れるんですか?」みたいな合わせ方でいいんです。むしろ、生兵法の知識で話を合わせていこうとするのはとてもリスクが高い。もちろん、話題によっては「俺だってある程度の知識はある」と見栄を張らねばならないタイミングもありえますが、「釣り」の話で自分の知識を多く見せる必要はないですよね。「知らない、でも興味ある、語ってくれ」それだけでいいんです。この白々しい発話さえ出来れば大丈夫です。そして、この「傾聴」の技術には思わぬ副産物があります。

この技、要するに人から情報引っこ抜く技なんです。覚えといてマジで損は無い。人間は「喋りたい」という欲求に究極的には勝てない生き物ですから。人間は大抵、語ってはいけないことを語りたいのです。

 

 語る、いかにして語るか

相手から発話を引き出すテクニックは本当に上記のものだけです。しかし、「傾聴」だけでは会話が続かないこともあるでしょう。相手がとてつもない喋り好きでない限り、「今度はおまえが語るターンだ」というシーンが来ます。「傾聴」が出来ても、自分が語るターンが来たら急にダメになってしまう、という人もいると思います。

この「語り」に関しては技術論の側面が結構あります。発話が得意な人たちは、大体大量の「持ちネタ」「鉄板でウケる話」を持ち合わせています。持ちネタは多ければ多いほうがいいです。また、相手によって選択すべき話題も変化して来ます、この状況を読んで適切な話題を選ぶ能力は慣れです。ただ、「話してはいけない話題」があるのはわかりますよね。僕もよくトチりますが、「無難でウケる話題」のストックを作っておくのは大変良いことです。

しかしその一方で、「面白い発話」をする必要があるのか、といわれたら必ずしもそうではないですよね。あの雑談の上手な彼、常に面白い話してるわけではないでしょう。逆に、「話を聞いたらクソ面白いのにいつも人間関係からはぐれてる人」なんてのもいます。ぶっちゃけ、わりとどうでもいいところだと思います。何せ、あなたは相手に「傾聴」を示しているのですから、相手が「傾聴」を返してきたときは相手と同程度の水準で返せばいい。あなたは相手に対してそれを許容したんです、相手も許容してくれる可能性が高いです。あなたは相手にそれほど面白い話を要求していない、だからあなたも要求されてないんです。(逆に言えば、相手に面白い話を要求する人の雑談が下手なのは当たり前です。ハードルあげすぎなんです、自分にも他人にも)

もし、あなたが「圧倒的な語りの上手さで人を惹きつける人」になりたいなら話は別です。でも、考えてみてください。リラックスした会話のムード、お互いにお互いの発話を尊重しあう雰囲気が出来上がった時って、大抵の会話が楽しくなかったですか?あなたが楽しく雑談できる相手、そんな面白い話をいつもしてますか?してないですよね。それは要するにセッティングの問題なんですよ。

人間というのは、割と返報性の高い生き物だと思います。親切にしてくれた相手には親切を返したい、傾聴してくれた相手には傾聴を返したい。だから、安心してあなたもつまらない話を長くなりすぎない程度にしてください。むしろ、あなたの話がつまらないことは、相手を「そうか、この程度の面白さで大丈夫か」という安心すら与えるはずです。カンバセーションなんてのは、つまるところそんなものです。

また、相手が「一方的に喋りたい」という人だった場合はそれはそれで実に結構なこと。喋らせる方と喋る方では、会話を支配しているのは喋らせる方です。あなたは相手を気持ちよくしている側ですから。「上手に語る」ことは、一回意識から追い出してください。自分が傾聴したのだから、あるいは自分は傾聴するつもりなのだから、相手も傾聴してくれる。そう思っちゃっていいです。結果的にそうならなかったとしてもです。面白くない話を面白そうに聞いて、面白くない話を面白そうに聞いてもらって、そのうちに段々面白くなってくる。それを目指しましょう。

目指すはカンバセーションです。それは許しあう空気です。あなたにヒトラーばりの演説で他人を魅了する能力なんて求められていません。安心してください。そんなもんです。でも、面白いに越したことはないので話題ストックは習慣にしましょう。

 

会話の切り方

その会話が面白かったかどうかは別として、カンバセーションはなんとなく成立した。しかし、終われない。こういうことはよくあると思います。どこで話を切っていいのかわからない、そういう時です。でも、これには明確な結論があります。どこで切ってもいいです。カンバセーションが成立して、立ち去りがたい会話の席が出来上がっているなら、もう問題ないんです。

ちなみに、ちょっと話は戻りますが「いい天気ですね」に代表される、形式的なキャッチボールは、3ターンが目処です。大体この当たりで人間は「これくらいボールを投げ合えば無礼ではない」と認識しています。経験則ですが、ちょっと周囲を観測して確認してみてください。そして、唐突に「それでは」でいいです。これがやりにくいなら、「あ、もうn時ですか!」みたいな小芝居をいくつか覚えておきましょう。よく観察すると、みんな「儀礼的な小芝居」やってます。お互いにそんなもん小芝居であることはわかりきってますが、儀礼に過ぎないので問題ありません。

それでは、カンバセーションの切り方に戻りますが、「相手がどんどん話を展開しているのを切りたい」場合についてですが、「また聞かせてください」とか「続き、教えてください」みたいな文言を挟めばいつ切ってもいいです。結局、会話を途中で切られた人は「俺の話つまらなかったか?」という恐怖を感じますが、それを否定する文言をひとつ出してやればいいだけです。

そして、会話は飽きるまでするより適当なところで切った方が「楽しかった」という余韻を残します。これはあれですね、腹いっぱい食ったものよりちょっと物足りないくらいの量を食べた方が「うまかった」という印象が残りやすいものです。雑談の上手い人は、むしろサッと切ります。相手に「また喋りたい」という印象を残すためです。あなたも雑談の上手な人に上手いこと喋らせてもらったことがあると思いますが、「もうちょっと喋りたかったな」って印象で終わってませんか?人間は喋りすぎるとダレますから。むしろ去りがたい席ほど、勇気を持って終えることが大事です。

また、自分が喋っている場合はもっと簡単です。「喋りすぎました、すいません」って言えばいい。「いやー、~の話になるとつい熱が入っちゃって」みたいに言えば、相手も「いやいや面白いお話でした」って言ってくれます。これがカンバセーションの本質です。それでいい、という健全な割り切りを持つことが一番大事だと思います。

 

つまるところ一番大事なのは

「楽しい雑談、内容のある雑談」は、「楽しくない雑談、内容の無い雑談」を相互の許しあい、認め合った上に生まれるリラックスしたカンバセーションから初めて生まれて来るものだという認識が重要です。何を語るかより、許容しあうことが一番大事なんです。そして、相手を許した分だけ自分が許されることを期待していい。あなたは「傾聴」した。ならば相手も「傾聴」してくれます。また「傾聴」せずずっと喋り続けるなら、それもまた勝ちのゲームです。

面白くないから雑談が出来ない、これは悪循環です。まずは、面白くなかったとしても許容し合う、お互いに自分を出して面白くしていく土壌を作ることが大事です。ファーストコンタクトから相手の心を鷲づかみする面白いお話、出来ませんよね。僕だって出来ません。大抵の人が出来ません。そんなものです。

でも、お互いに相手の話に興味があり、あなたを尊重しますという姿勢をとり続けるうちに価値あるコミュニケーションは生まれてくると思います。ただし、冒頭のお話を繰り返しますが、自分の価値観や人格を晒しあうコミュニケーションは大変リスクを伴います。全ての人とやろうとはしない、「自分は人格も価値感も晒していないが、相手は晒している」という一方的な「傾聴」でも全然かまわない。それはそれで勝ちです。

あなたのお話に興味があります。あなたのお話は面白いです。たとえ、それが本心ではなかったとしても、あなたと興味深く楽しいお話をしたいと思っています。そういう姿勢を白々しくても、嘘くさくても前に出す。それが一番大事です。あなただってそうしてもらいたいでしょう。僕はそうして欲しいです。

他者を許容すること、認めること、少なくとも認めた身振りを取ること。会話を茶番で終わらせないために、まずは茶番をやりましょう。抵抗はあるでしょうが、本当にやるに越したことはないです。さぁ、やっていきましょう。