発達障害就労日誌

色々あるけどまぁ生きていこうじゃないかというブログです。

仕事が覚えられないあなたのための処方箋―丸暗記ダメ太郎のために

こんにちは、丸暗記ダメ太郎です

こんにちは。丸暗記がとにかくダメな人です。6つの工程をスピード感よくこなすアルバイトに就いたときは、主任に「おまえは知的障害だ」と言われました。そんなわけで、勉強でも仕事でも「最初の一歩」がとにかくキツい、という悩みをお持ちの方は多いと思います。今日はそんなお話です。

たとえばコロッケを作るとしましょう。

あなたはコロッケ作りという工程をどんな形で理解しているでしょうか。

1.玉ねぎとひき肉を炒める

2.茹でたジャガイモをマッシュして1.と混ぜる

3.丸く成型して、パン粉の衣をつける

4.油でサクっと揚げる

5.キャベツはどうした

こんな感じの流れですよね。料理の素養がある人なら、「コロッケってどんな感じだったかな」と思い出すことで、この流れを再現することができると思います。コロ助が出てきた人はキテレツ大百科を見てた人で、同世代かちょっと上ですね。

しかし、これは実を言うと料理について何も知らない人にとっては結構難しいことです。例えば、コロッケのあの衣がパン粉だと知らない人はあの工程が完全に謎になってしまう。フライを揚げたことがなければ、あそこはわからないわけです。パン粉の衣をつけるには実は、卵液をくぐらせるという一工程がありますが、あれもわからないですね。

しかし、コロッケを作ったことが無い人でも、フライを揚げたことがあればコロッケを作ることは可能でしょう。ジャガイモのマッシュと味つけは熱いうちにやらなければダメ、ということも、ポテサラを作ったことがある人ならわかるでしょう。

コロッケって実はそれほど家庭で作らない料理だと思います。あれは、お店で買うと安いが家で作ると手間がかかるという性質を持った料理なので、コロッケを日常的に作る人というのはそれほど多くない。

僕も「え、食べたいなら作るけど…」くらいの料理です。だから、コロッケのレシピを頭の中で構築できる人の多くは、「ほかの料理の知識」を引用しながら、コロッケのレシピを再構築したはずです。空で言えるほどコロッケを作り慣れている人は、スーパーの総菜部門にお勤めの可能性が高い。

ADHDの皆さんもこういう覚えゲーにはそれほど苦労を感じないでしょう。「コロッケを作る」という目的が見えていて、「コロッケ」を知っていれば。こういう状況下だと、ADHDは「より美味しく効率的にコロッケを作る」という工夫をはじめがちで、「成型までやって冷凍とかできないかな?」とか考えちゃうかもしれません。できなくもないです。これが美しい例です。

 

工程1~5の2を担当してください

はい、始まりました。コロッケ作りを5つの工程に分けたうちの、2があなたの担当になりました。

2.茹でたジャガイモをマッシュして1.と混ぜる

 という作業だけが目の前にあります。あなたはジャガイモをマッシュして、よくわからない炒められた肉と混ぜる作業をやっています。当然、この作業には事前のアルコール消毒から帰りの道具片付けまでマニュアルがバシっと整備されています。

あなたは、ジャガイモをマッシュするわけですが、マッシュ加減は厳しくマニュアルに定められているものの、その「定め」の意図がわからずいつも加減を間違うでしょう。「ほどよく粗さを残す」の「ほどよく」ってなんやねん、と。

バグりましたね?はい。僕もこうなると途端に仕事が出来ません。自分が今何をしているのかよくわからない、やっている作業の意味付けができない、流れが意味の中に統合できない。こういう状態が起きます。

「全体性の獲得」と僕は呼んでいますが、覚えるべきものの全体が見渡せて初めて記憶や思考が作動する、という特性を持った人は結構多いです。僕の経験則だと、ADHDASDいずれにも存在します。要するに丸暗記ダメ太郎、あるいは定期テストはゴミだが模試は何故か取れる太郎と言います。

そして、折しも今は5月。丸暗記ダメ太郎こと、仕事のスタートダッシュがとにかく遅い太郎諸氏が最も苦しむ時期です。仕事が覚えられませんか、僕も覚えられませんでした。しんどいですね、わかります。

 

仕事を見渡せるか?全体性の獲得について

僕は今、営業職です。しかも、小さい会社の割と野蛮な営業職なので、「契約取って歩合を貰う」という仕事の流れが大変にパキっとしています。「反則技」の概念はあまりなく、「コンプラは守れ」程度の指示しか受けていません。結果として、仕事の頭とケツを抑えて好き勝手やる、という自由が与えられています。

こういう仕事は「全体性」が極めてわかりやすく、非常に良いと思います。その仕事を貫く基本理念を抑えて、後は辺縁知識を理解すれば必然的に何をすればいいかわかってきます。わからないときは相手に上手に尋ねるなどのメタもあります。例外的に、職分が分割されていて仕事の全体像が見えていない従業員が多い大手さん相手の取引だけ、「意味わかんねんだよ!」って叫んだりもしますけど。契約書作成部署の話をやめろ、契約書くらいおまえが作れや、というわけにもいかないんでしょうね、大手さんは。

しかし、僕もかつてとても巨大な金融システムのバックオフィスにいたときは、「全体性」が一切見えず、完全に無になりウァァと叫びながらいっぱいお酒を呑んでSEKAINOOWARIになりかけました。DをEしろ、と言われてもDをEする理由も意味もわからないから、全く覚えられないわけです。ちなみに、こういう巨大組織においては上司もDをEする意味をよくわかってなかったりします。

しかし、AからZまでは何一つわからないが、DをEすることやGをHすることを長年やってきた断片職人みたいな皆さんがいて、彼らは「全体性」など一切意識することなく、単純暗記した仕事を淡々とこなしていきます。往々にして、「常識的に考えたらわかるでしょ!」などと怒りますが、その常識はちょっと世間の常識ではないのであなたは知らないわけですね。大変にしんどい。

「見渡し」の効く裁量の大きい自由度の高い職種なら、仕事の頭とケツをバチっと抑えて、その過程において必要な知識を肉付けしていくという作業をやりましょう。しかし、多くの皆さんにとって仕事はそういうものではない。そういう時にどうするか、考えていきましょう。

 

仕事の全体性など誰もわかっていない

オーソドックスな答えでいうと、これは受験勉強なんかと一緒ですが「まずは覚えなくていいからガンガン教科書を進めて、その科目の全体性を掴みましょう」ということになります。勉強に関しては、難関私大の受験までは僕はこれで対応しました。それ以上はわからん。まず、とにかく薄っぺらい参考書を一冊買って、それを短時間でブン回す。あとはひたすら過去問を解くというのが僕の受験勉強スタイルです。

縄文時代には詳しいぜ!にならないために、まずはとにかく進めるというのは「最初の一歩ダメ太郎」のためのきわめて重要な教訓でしょう。1日で10を覚えてアウトプットする能力に関して、僕は破滅的にダメです。しかし、1年で400を覚えてアウトプットする能力になると、不思議に周囲に追いつきます。典型的な定期テストダメ太郎です。

しかし、仕事というのは厄介で「とにかく縄文時代を完璧に覚えろ」という要求が出てくることがあります。「縄文時代」ならまだマシで、縄文時代の3ページ、弥生時代の2ページ、昭和の7ページ、みたいな覚え方を要求されがちなのが仕事というものです。体系立てて教えている時間などないので「必要なところをとりあえず教える」とそういうことになっちまうわけです。

結果として現れるのは「自分の職分は完璧に暗記しているが、自分が何をしているかはわかっていない」皆さんです。こういう人から仕事を教わるのは本当に骨が折れると思います。というのも、彼らはわかっていないうことはわかっていないですが、わかっていないことに直面するとものすごい怒るわけです。

「要するにこの仕事って何してるんですか?」は禁句です。大きな組織において仕事の大きな流れを理解している人というのはそう多くありません。「部分もわかってないくせに全体を知ろうとしてんじゃねえよ生意気なんだよボケカスが」というあれが降り注ぎます。「え、部分を覚えるには全体を覚えるのが最適じゃないですか、最適なジャガイモのマッシュ加減を覚えるにはうまいコロッケを食う以外ないでしょ?」ということになりますが、そういうのは通常聞き入れられません。

 

覚える技術、体系化ーメタ化

はい、そういうわけで何とかしていきましょう。僕も、いくら仕事の見渡しがききやすい営業職とはいえ、「これはなんとかせねばいかん」となったわけですね。そこで思い出したのが「キャベツはどうした」のお話です。

お料理行進曲 YUKA 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

キテレツ大百科懐かしいですね…。実は僕、中1のとき「どうしてもアルファベットの並びが覚えられない」という理由で、実にしばしばABCの歌を頭の中で歌ってました。いやだって、Fの次にGが来る根源的な理由ってないわけじゃないですか。そんなの覚えるのに苦労するに決まってるでしょ…。

しかし、お料理行進曲でもABCの歌でもそうですが、「体系化」というのは「正しい体系」「究極的な目的から敷衍される形式」「論理的に積み上げられた順序」とは限らないのです。つまり、勝手に体系を作ってしまえばいいのです。歌でもいいでしょう、あれも一つの体系ですからね。

自分に与えられた仕事のエリアがキッパリしているなら、その一連の流れをとりあえず見渡して、「正しくなくていい、とにかく全体性を把握する」ということに努めると大分頭の中が整理されます。僕が「仕事の頭とケツ」という表現を何度も使っているやつですが、現実にはヤマタノオロチみたいな仕事でも「ここが頭でここがケツ」と便宜的に定義してやることは可能でしょう。

この「仕事を覚える」において、「仕事の究極的な目的から合目的に考える手順」みたいなものは基本的に存在しないことが多いです。多くの場合「慣習」というやつが、合理性や合目的性を強く覆い隠しています。もちろん、その「慣習」それ自体に合理性や合目的性があったりもするのですが、新入社員にそれを見通すのは不可能でしょう。

これはこういうことです。

覚えることが にんじん じゃがいも 玉ねぎ 豚肉

だとしたら、これは「カレー」って覚えればいいわけです。ここに「しらたき」が入ると「肉じゃが」ですね。仮に作るものが「シチュー」でも、「カレー」でいいわけです。「カレーなのか?シチューなのか?」と考えていくとバグります。「どっちでもいい」が正解です。

我々は、「にんじん…じゃがいも…玉ねぎ…あ、豚肉買い忘れた!」となる人種です。ここに「カレー」って概念があるだけで、記憶の参照が可能になりミスが大きく減るでしょう。まずは「カレ-」の形に仕事の流れを整理してやることが大事です。

 

覚える技術―脳を止めろ

僕は通常あらゆる思考が頭の中をぐるぐる回っているタイプです。仕事の情報を与えらえても、その辺縁や前後を考えてしまい、「ただそれだけを考える」ということはできません。仕事中に我々は実にしばしばぼーっとして「頭使えよ!」って怒られていますが、あれは逆です。我々は「考えすぎて」いるからああなるのです。

単純記憶において、「一連の情報の中から体系を汲みだそう」というような思考はむしろ記憶の定着を阻害する作用を持つと僕は確信しています。しかし、我々は真剣になればなるほど「一部から全体を想定する」とでもいうべき脳の働きが強く表れてしまいます。Aの次にBが来て、Iの次にJが来ることに根本的な理由はありませんが、我々はどうしてもそこに存在しない線を探してしまうのです。

この働きをどうすれば止めることが出来るか、長年苦労してわかりました。バカにすればいいのです。「考えろ」と言われているときに要求されているのは「考えるな」です。単純丸暗記は「思考」とは違うエリアの領域にあり、ただ単に覚えるというのであれば、なるべく頭は使わない方がいいのです。

しばしば、単純丸暗記能力と思考能力はバーターの関係にあると感じることが僕にはあります。もちろん、単純丸暗記も素晴らしい能力です、「暗記が得意なやつは頭が悪い」なんていう気はありません。しかし、僕は「考える」ことを放棄して仕事にテキトーに向かい合い、「ここには道理などない」とバカにしきったとき、不意に暗記能力が上昇したという経験があります。おそらく暗記が得意な人は、暗記が必要な時は思考を止めているのでしょう。

「もっと頭使えよ!」と怒鳴られたときは、「ちっ、頭を使い過ぎたか。もっと無にならなければ…」と感じるくらいでちょうどいいのです。思い出してください、どうでもいいことってやけにクッキリ覚えてませんか?我々が「頭を使わなければ」「俺は頭が悪いのでは?」とあのスパイラルに落ちていく典型的なアレに陥るほど、暗記能力は下落します。考えるのをやめましょう、そうすれば覚えやすくなります。

ただし、「一部から全体を汲み取る」ことが必要な仕事も多々あります。そこは見分けて、思考のオンオフができるようになるといいですね。僕は最近ちょっとずつ出来るようになってきた気がします。

 

覚える技術―ヨコの活用―援用

最期に、これが「暗記」のメインウェポンです。しかし、これは厳密にいうと「暗記」ではありません。というのも、学習にはタテとヨコがあるというお話です。

例えば、「コロッケのレシピ」を渡されてそれを丸暗記するのは「タテ」のやり方です。それに対して、「コロッケってどんなんだっけ」「あれはフライと同じコロモだから、卵と小麦粉で…」と再構築するのは「ヨコ」のやり方です。

僕も結構いろんな業界をゴロゴロ転げて泥まみれになってきて思ったことですが、「ああ、これはアレだな」という「全く関係ないけれど同型の知識を引用して突破できること」の数が年々増えていくのを感じています。

コロッケについてはざっくりしたイメージしかなくても、アジフライとポテトサラダの作り方を知っていれば「アレはアレだ」と考えることが出来るわけです。知識の総量が増えてくると、単純丸暗記ではなくこの「援用」の技術で乗り切れる局面が非常に増えてきます。亀の甲より年の功と言えるでしょう。

知識には「型」があります。仕事の知識というのは、究極的にそれほど多くの「型」を有さないと僕は感じています。「これはあれと同じ形の知識だから、おそらくこういう全体性になっているはずだ」というような、「見渡しのカン」とでもいうべきものも、経験の蓄積とともに育ってきます。

発達障害者は加齢とともに人生が楽になることが多いと言われますが、この点に関して僕は「まさにそうだ」と思っています。人生の中で蓄えた知識を縦横無尽に駆使して目の前の問題に対処するということの精度が段々上昇してくるのです。そして、これは「思考」に裏打ちされたものなので応用が効くというメリットがあります。アジフライが作れると、フリットの作り方もなんとなくイメージがつくでしょう。天ぷらだって結構揚げられちゃいますよね。

「タテの知識」にこだわると、我々はタテ積みが苦手なので世の中の大抵の人に遅れを取ります。しかし、タテよりヨコの方が便利な面も多々あるのですね。僕のこのコラムも料理の話をしながら仕事の話をしているわけですが、こういったアナロジーによる思考の「全体性」が得られてくると、ずいぶん楽になってきます。

 

覚える技術―メタノウハウを手に入れろ

100の暗記タスクがあるとすると、「1を100回」はキツいです。しかし、1を10の塊にまとめる作業を10回、10を100の塊にまとめる作業を1回とするとどうでしょう。そして、「1を10の塊にする作業」はメタノウハウです。

この「メタ」ノウハウが見えてくると覚えゲーが一気に楽になります。これは「ドイツ語をやると英語が伸びる」みたいな現象で言われるやつだと思います。類似した構造を持つ学習を複数行うことで、それぞれの間の連関として「メタ」ノウハウが出来上がってくる。そして、「メタ」ノウハウを覚えるにはこれは先述した「ヨコ」の知識がどうしても必要になります。

おそらく、記憶を定着して思考の中に取り込むこの「暗記」の方法論は各位の脳の性質によって違うと思います。僕の「メタ」ノウハウがあなたに使えるとは限らない。しかし、あなたならではの「メタ」ノウハウを創ることは可能だろうと僕は思っています。

このメタノウハウに到達するために、これまでの技術論をなんとなく意識すると、結構思考が全体性を獲得してクリアになったりするかもしれません。自分の脳の中で行われている作業を言語化するというのは非常に難度の高いことなので言語化の精度は甘いですが、「暗記を強化する」のではなく「暗記のためのノウハウを手に入れる」ことが重要だと思います。それはもっと言うと、「暗記に頼ることを減らす」ということでもあります。

 

ヨコを伸ばしましょう、色々やっていきましょう

さて、今回の教訓ですがやはり「発達障害者は加齢とともに、経験の蓄積とともに楽になっていく」ということだと思います。ただ、それを加速するために、いろいろなジャンルの知識や経験を摂取していくというのは効果的な作用をもたらすだろうと僕は確信しています。思考に相対性が生まれ、全体性が生まれていくでしょう。

ただ、「どうせ俺はダメだ」と自分の中にこもってしまうと、「ヨコ」を広げる機会は失われていきます。「どうせ俺は頭が悪い」とか「どうせ俺は仕事ができない」とか、僕にもとても覚えがあります。でも、30歳になって感じるのは、「20歳のころより30歳の今の方が、俺大分頭が回るようになってるな」ということです。

ワーキングメモリが小さいからワーキングメモリを大きくしようという訓練は、僕の場合ほぼ無意味に終わりました。しかし、「ワーキングメモリを節約する思考形態を身に着けよう」という努力はかなり成果を出しました。

「普通にやれ」「頭を使え」「必死でやれ」、そういう正体不明の追い込みワードで脳がフリーズして何もかも終わってしまった、そんな経験はあると思います。しかし、思考形態の洗練と経験や知識の蓄積で対応できる幅は少しずつ増えていきます。あなたがあなたを諦めなければ、あなたは少しずつ良くなっていきます。

結論はこういうことです、みんなと足並みを合わせられないことにポジティブな諦めを持っていいということ。もちろん、仕事というのは時間制限ラッシュですので、一定の必死さは必要ですが、「今はできない」ということもそれはそれで仕方がないことなのだと僕は思います。

昔、とある高名な作家の方に「上手な文章を書くコツ」を尋ねたことがあります。「今日はパチンコしちゃったけど明日は書こうという気持ちを持ち続けること」とその先生は答えてくれました。当時、僕は押せば青汁が出るような文学青年だったので「そういう話じゃねえんだよ、技術論だよはぐらかしてんじゃねえよ」と憤慨したものですが、あれから10年以上近く経って「本当に良いことを教えてくれたんだな」って思ってます。

「明日はやろう」はダメ、とよく言われますが僕は「明日はやろう」を肯定します。今日はパチンコしちゃったけど、明日は書こう。そういう灯がほんの僅かでも灯っていれば、道は途切れないという意味だったんだな、と思っています。

いつか、あなたの苦労は実りになって帰ってきます。僕は今、少しずつ収穫ができているなと感じています。ずいぶんと遅い実りの時期ですが、それでも刈り取れないよりは幾分マシだと、ポジティブな諦めを持って自分の道を歩いていきましょう。景色とか楽しみながらね。

やっていきましょう。