発達障害就労日誌

色々あるけどまぁ生きていこうじゃないかというブログです。

逃避と気持ちの入れなおし日誌。いつも本当にありがとうございます。

いっぱい喋ってます

最近は、講演をさせていただいたり、商業媒体で記事を書かせていただいたり、あるいは借金玉バーなんてものを開催して拙い料理を出しつつたくさんの人に構ってもらったり、色んなことがありました。その度に大変ちやほやしていただけて「ああ人生頑張ってるといいことあるなぁ、みなさん優しいなぁ」…と思ったり、あるいは「もっと上手くやれたな…」と後悔したりしています。

僕は「語る」こと、あるいは「書く」ことに人生の多くを費やしてきました。(僕の中では語ることと書くことの間に区分はありません)二十歳くらいの頃は本気で作家を目指して挫折して、サラリーマンをやって挫折して、起業して挫折して、再び文章と語りが人生の多くを占めるようになるなんて不思議なもんです。

僕が人生を通して「やってきた」と言えるのは書くことだけで、柔道もギターもサラリーマンも料理人も起業も全て挫折しましたが、それらの経験を総動員して「借金玉」という存在が(存在なのか?)が成り立っている気がします。ささやかに、「まぁ、頑張ってきたよな」と自分を認めてやりたい気持ちも最近は出てきました。

僕をウォッチしてる人はわかると思うんですが、僕は承認欲求オバケです。認められたい、褒められたい、チヤホヤされたい。それが原動力です。(あ、あとお金も欲しい)ところが、この承認欲求オバケというのは「自己承認が低い」ことの裏返しだと思うんですよね。結局、自分で自分を認めてやれないから、塩水をガブガブ飲むみたいに無限の承認を求めるわけです。そういうの、もちろんモチベーション源としての有用さはあるけれど、必ずしもいいことじゃないですよね。

 

たくさんの人たち

色んな人がいるなぁ、と思います。感じのいい人もそうでない人も、上手くやれる人もやれない人もたくさんいます。そして、インターネットを通じた表現活動に生活の軸が移ると、やはりインターネットを軸にした表現活動を生活の軸にしている知己が増えるわけですが、これがまた実に多様な人たちです。

僕は今、人生で一番知人が多い時期を過ごしているのですが、僕の中で「かくあるべし」みたいな強迫観念になっていたものが、少しずつ減っていくのをとても強く感じます。僕が「かくあるべし」と思っていたところから大きく外れても、それは世間的には必ずしもまともと言えることでなくとも、心からの好意と敬意に値する人がたくさんいます。それっていいことですよね。

やはり、なんというか僕も大分フリーキーな人生を送って来たほうだと思うのですけれど、それでも「かくあるべし」みたいな脅迫観念ってやっぱり存在しているんですね、それなりに強固に。それはそれで、一種の自己規律としては大事なものだというところもあるかもしれないけど、冷静に考えてみると「かくあるべし」の根拠って思ったほど強くなくて、「あれ、なんであんなに焦ってたんだろ?」って思うことが多いです。

多くの人が、色んなものに縛られて、それでもある部分ではとてもフリーキーに生きていて、もちろん人生の全てがフリーキーにやれるわけじゃないんだけども、それでも僕あの人好きだよな、じゃあそういうところってそんなに強迫観念にしなくていいよな、そんなことを思いました。うまく表現できないんですけど、伝わってますか?

 

何を書いても叩かれはしますね

たくさんの人に文章を読んでいただくと、やはりというべきなんですけど怒られることもあります。それは、僕の至らなさであることももちろん多々あって、ある時期までは「批判には時間の許す限り目を通す」というポリシーでやっていたんですけれど、流石に最近は疲れ果ててしまって、目に入った批判の中で突き刺さったものには感謝を捧げる、という方針に切り替えました。本当はよくないと思うんですよね、本当のことを言えば批判も中傷も全部読んだ方がいいと思います。でも、ちょっと負荷が大きすぎる。「批判」ではなくて「中傷」に出会うとどうしても「ふざけるなよ」って思ってしまいますし、そういう感情ってとても制御し難いです。

特に、精神的に堪えるのが発達障害を持つ当事者からの罵倒で、「いや、それは違うよ」って思うことが多いんですけれど、言葉を尽くして説明してもやはり伝わらない。たとえば、僕を「詐欺師」と罵倒されている発達障害当事者の方がいらっしゃって、この方に僕はツイッター上で可能な限りの説明を尽くしたのだけれども、結局は何も変わっていない。

その方は僕がツイートをたくさんしていて、「発達障害就労『日誌』」なのに、仕事の毎日の日誌が書かれていないことから、僕を「就労していないし発達障害者でもない詐欺師」と罵倒されているんですが、この誤解を解くのは不可能に近いんだろうな、という諦めが出てきました。僕は今、会社を経営してマイクロな(ショボいともいう)事業をやりつつ、週に3日程度の営業マンとして働き、あとは文章を書いてご飯を食べているのですが、それが「就労」と認められないのはとても悲しい。僕なりに一生懸命、必死で働いているんですけどね…。

気持ち的にちょっと難しいのは、同じ発達障害を持つ当事者に対して「この人には何を言っても通じない、発達障害者だもの仕方ない」という発想を持つのもそれはそれで間違っている気がするんです。「ふざけるな、それは事実に反するし侮辱であり中傷だ」と怒る方が誠実な態度だと思うし、同じ発達障害当事者として見下すような態度を取りたくないんですよ。だから、これまではかなり「怒って」来たのだけれど。最近は「もう、ちょっとムリだな」と思うようになりました。

僕が色んな人やあるいは取るに足らない罵倒にいちいち激怒しているのは、色んな人に「やめろ」って言われたことなんですけど、僕なりに「でも、そこで怒らなかったらダメなんじゃないか?」って思いがあったんですよ。これは、ちょっとバランスを考えていくしかないだろうなって思います。「発達障害当事者だからしょうがない、悪意があるわけじゃないんだろう」みたいな考え方を採用するしかないのかな、って思います。あんまりしたくはないけれど。

借金玉はもちろん、ある種の商業性を帯びた存在なんですけど、純粋に商売にしたくはなくて、怒るべきところでは損得抜きで怒る人でありたいんですけれど、本当に難しい。でも、これからもまた怒ることはあると思います。それをやめたら一番大事なところが失われちゃう気もする。なんというか、死なない程度にやっていこうと思います。

 

カメがエサを食べるようになりました

最近あったささやかないいこととしては、冬を迎えて越冬環境(温室)に移行したカメがエサを食べるようになりました。僕はニホンイシガメを1匹飼っているのですけれど、こいつが本当にナイーヴなやつで、ちょっとした変化ですぐ拒食をするんですね。目がクリっとしてて顔が小さくて、とても可愛らしいカメなんですけどね。ワキャワキャとよく走り回りますし。本当に気が小さくて弱いんです。ミシシッピクサガメに押されて個体数が激減してるというのも「そりゃそうだよな」という感じがします。ミシシッピなんて、本当に強いですからね…。

栄養剤を与えたり、温度を上げたり、大好物のエビを与えたり色々やった末にやっと食べるようになったので、喜びもひとしおです。毎年この時期(越冬環境への移行時期)恒例の拒食なんですが、毎度ヒヤヒヤさせてくれます。去年は獣医さんに栄養剤を注射したりもしてもらいましたが、今年はなんとかこのまま乗り切れそうです。そういうささやかないいことを大事にして生きてます。

 

やっていきましょう

さて、ブログの更新が随分滞ってしまいましたが、書きたいネタはまだまだありますので、これを潮に復活させていきたいと思います。ただ、仕事のスケジュールが大変ひどいことになっており、全て僕の不徳の致すところで(実はこの更新も仕事からの逃避です)遅れている仕事もブログも他の仕事も必死で追っていきたいと思っています。

なんにして、「借金玉」で縁の出来たみなさん、あるいはこのブログを読んでくれるみなさんは僕に新しい世界を与えてくれましたし、もう少しこの方向に走ってみたいと思っています。まだやれることがあると思う、楽しいことばかりじゃないだろうけど、伝わっている人がいることが確認できたのはとても励みになっています。不義理ご無沙汰している方たくさんいらっしゃいますが、いつもとても力をいただいています。読んでいただいてありがとうございます。

まだやれます。至らぬことばかりのポンコツですが、やりたいと思っています。体調管理に失敗して高熱を出したり、躁鬱のコントロールに失敗して動けなくなったりもちょくちょく発生していますが、それでも年単位のスパンで見るといい方向に向かっているのは体感できます。書くことで一番治療されているのは僕自身です。

いつも僕の言葉は足りなくて、多すぎて、間違っていて、本当にすいません。もっと上手にやれれば色んな人を不快にせずに済むのにな、という気持ちは強くあります。もっと上手になるために、書いていくつもりです。

ぜんぜんだめ、なところがまだたくさんあります。そこは直していきたい。特に、仕事をきちんとスケジュール通りこなすことが、最近は非常に難しく感じています。文章を書くのが一種の義務になると、それに付随する辛さも出てきました。でも、それって当然のことで、それを上回る喜びがあるんだからグダグダ言わずに書きます。本当にダメならギブアップして休みます。そういう感じでいこうと思います。

これからもきっと、多くの失態とやらかしと怒られがあると思います。恥も晒すと思います。多くの人に失望されることだろうと思います。これまでもそうだったし、これからもそうでしょう。でも、諦めるつもりはない。僕は書きたいし、読んでもらいたい。僕みたいなあなたを救いたいし、僕が救われたい。僕みたいじゃないあなたも救いたいし、何より僕は救われたい。

まだ、借金玉は続きます。もし、気が向きましたら読んでくださるととても幸いです。本当にありがとうございます。少しずつ、僕は良くなっています。あなたのおかげです。まとまりも内容もない雑記で恐縮ですが、ここまで読んでくれて本当にありがとうございます。

やっていきましょう。やっていきます。