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発達障害就労日誌

色々あるけどまぁ生きていこうじゃないかというブログです。

勉強とモチベーションの話。フワフワした希望について。

閑話休題

anond.hatelabo.jp

ああ、休日はいいなぁ…と思いながらインターネットを眺めていたらこのような記事が目に入って来ました。勉強は社会に出てから役に立つのか。正直久しく考えたことのなかった概念だったのでちょっと考えてみることにします。

僕は一回大学を辞めてます。昔は教育学をやってました。「冷静に考えて教師は無理」「この大学の閉鎖的な雰囲気が無理」「人間関係も想定通りトチった」「国語国文学方面の専攻を選んだけど、ポストモダン方面にカブれていた自分の嗜好とまるで合致しなかった(作者主義の色が強くて面白みを全く感じなかった)」「当時付き合ってた彼女に振られて公務員になるというモチベーションが完全に消滅した」などの複合的な理由で終わりました。

この当時は「役に立つ勉強」を考えていたと思います。具体的には、勉強すれば到達出来る可能性が高い職業として教師を考えていました。人に物を教えるのは好きですし、色々ある子供たちの役に立つというのもいいなぁ、というぼんやりした志望動機と、「この地獄寒村にとどまるなら公務員になる以外にマトモな家庭を築く道はない」という明確な方針がありました。

ところで皆さんは別の大学に進学した自分の彼女がラグビー部のマネージャーになったことはありますか?僕はあります。はい。ラガーマン皆殺しブログです。絶対に殺す。あれ、アメフトだったかな?どっちにせよ皆殺しにすればいいと思います。

そういうわけで、僕は「そういえば僕は文学がやりたいんだった」「作家にもなりたい」「批評家にもなりたい」「やっぱ青春といえば東京っしょ」などの綿菓子のようにフワッフワした人生のモチベーションを思い出し、文学部に進学しなおして東京に出てきました。1年かかりました。その間は様々な仕事をして必死に金を貯めたり、ルームシェアで暮らしたり、やらかしておっかないおじさんに追われたり、オーバードーズの繰り返しと睡眠薬と酒のダブル依存で閉鎖病棟に突っ込まれたりしてました。

 

勉強、クソ楽しい

そういうわけで、全身B系(当時、僕の故郷であるヘル寒村では流行っていた。曖昧な黒人が狂った値段で販売してた)に身を包んだ金髪を後ろで束ねたデブが一匹東京にやってきたわけです。ショーンジョンのセットアップとか着てました。しかし、大学に入って感動しました。

「僕が喋りたい話をする奴がいっぱいいる」

という感動です。地元には数えるほどしかいなかった同じ言語で語れる人間たちが群れをなしていました。僕の異様な風体もそこでは個性という枠組みの中に無事ネジ込まれ(というかもっと異様な奴がいっぱいいた)、入学式の帰りには既に考古学への夢に燃える男の子と酒を酌み交わしていました。入学式の席が隣だったというだけの縁なのですが、未だに親交があります。

一つ目の大学は完全に「社会」という印象しかありませんが、二つ目の大学に関しては未だに感謝があります。「どこかしらに自分の居心地のいい椅子はあるのかもしれない」という希望があの大学にはありました。勉強は本当に楽しかったです。なにせ、自分の好きなことしか目の前に無いんです。どの授業に出ても、例え教授に喧嘩を売って授業を追放されてもひたすらに楽しかった記憶しかありません。これはたぶん、マンモス大学と小規模大学の性質によるものが大きいと思います。そのうちエントリにしますので、受験生の皆さんなどは大学選びの参考にして欲しい。このブログを読んで共感が発生してしまったタイプの皆さんはとにかく都会のデカい大学に行きましょう。人間関係の兌換が無限に効くというすごいメリットがあります。

そういうわけで、僕にとって勉強は楽しいからするものであって、役に立つ勉強を志した結果は無残な敗北でしかありませんでした。明確な人生の指針、現実的な未来設計、役に立つ勉強。それらは全て苦い記憶とセットになってトラウマ収納箱に放り込んであります。フワッフワした動機、享楽を求めて走る姿勢、そして逃走。これらは良い記憶と一体になっていい思い出箱に入ってます。「現実的に役に立つ」という概念は僕の人生において大体辛い結果しか生みませんでした。これは就職などの社会に出てからも大体一緒でしたね。

 

現実的な勉強が役に立つ人と、役に立たない人がいると思う

これはたぶんなんですが、現実的な未来設計や堅実な志望動機などが人生のプラスになるタイプの人間と残念ながらそうはならない人間がいるんだと思います。流石にこれだけ失敗したらわかってきた。フワッフワした動機に身を任せることでしか人生の風を掴めない人もいっぱいいるんだと思います。まぁ、風に流されてきた結果このブログを書いているというアレですが。今年は住民税払えるかなぁ…。何とか年金も多少は払いたいなぁ…。そろそろ差し押さえ来るんちゃうの…。経営してる会社の風向きがよかったとき調子こいて役員報酬自分に出して結局全部会社に貸し付けてしまったのが本当にダメだった…。

そういうわけで、あれですね。自分が「現実的で堅実な未来設計」に向かって走る能力を有しているのかいないのかの見極めが大変大事だと思います。「将来の役に立つから」という理由で大学に通いきって就職して、「生活のため」という動機で働き続けることが出来るのか。僕は出来ませんでした。その結果がこのザマです。結局こんなんなるってわかってるなら堅実な方向に舵を切ったあの時間全部無駄だったよ、返して欲しい。まぁ、このブログのネタになってるから無駄ではないのか…そうか…。

 

自分に見合ったモチベーションの保ち方を見つける

僕は結局、「楽しい」という動機でしか走れないのだと思います。このブログも究極的には「楽しい」という動機で運営されています。そりゃあもちろんカドカワさんから本が出てそれが売れて筆で食えるようになれば最高ですが。まぁ、それより何より楽しいっすね。だってですよ、僕みたいなカスの文章を数千人、下手すりゃ万に届く人数の皆さんが読んで、良かれ悪しかれ反応を返してくれるわけですよ。楽しくないわけがない。

それで、結局クソ長い自分語り(超楽しかった、自分語り大好き)をしてきてなんですが、紹介した増田を書かれた方も「楽しい」を見つけることが大事なのかもしれないなーと思ったわけです。だって、未来のために、役に立てるためにという動機でダメなら、「楽しさ」で走るしかないじゃないですか。「楽しさ」が尽きたらどうするのかは完全に尽きてしまったときに考えましょう。エンジンが一個死んだらもう一個のエンジン回して飛ぶでしょ。両方死んだ時のことはそのときに考えればいい。

もちろん、楽しさというフワフワした風を掴んで生きるのはリスキーです。僕のザマを見ればわかると思いますが、大抵こうなります。周囲を見渡しても大体そうなってます。「未来のため」「役に立つ」という動機で飛べる皆さんは本当に素晴らしいと思いますし、このブログはその飛び方も応援しています。僕に出来なかったことを皆さんには達成して欲しい。その一方で、エンジンがかたっぽ死んだらもう一方をまわすという対策もあることは覚えておいて欲しい。

フワフワした夢や漠然とした希望もそれはそれで大事なものだと思っていて欲しい。そんなことを漠然と考えました。

 

それはそれとして高校生は勉強した方がいいぞ

とはいえ、大学進学に学力は必要なので高校生も勉強はした方がいいです。将来直接的に役に立つかはともかくとして、「楽しい」に辿り着くためには学力が必要になることもある。もちろん、「将来のため」とか「役に立つ」という動機で勉強できる皆さんはそれはそれで素晴らしい。でも、それが厳しい皆さんはフワフワした夢へのエンジンを回してみてください。

具体性なんかいりません。どうせ具体的な夢なんて僕らみたいな人間には思い描けません。いつだってそんなものはありませんでした。未来のビジョンが想定どおりに現実化したことなんて一度もありません。「ここから逃げだしたい」という気持ちでもいいです。どこかに楽園があるかもしれないというフワフワした希望を大事にしてください。ここではないどこかへ行きたいという気持ちだって立派とは言えないし高性能とも言えないかもしれないけど、それでも人生を推進させるエンジンにはなりえます。

そして、なんかうまいこといったら、みんなで幸せになりましょう。