発達障害就労日誌

色々あるけどまぁ生きていこうじゃないかというブログです。

人間の絆とブラック部族の合理性について考える

告知。読んで欲しい。

new.akind.center

ニューアキンドセンター様で書かせていただきました。今回もヘヴィな内容となっておりますが、相変わらず己の汁を最後の一滴まで絞り出すような気持ちで書かせていただいております。是非、よろしくお願い致します。

最近の経営トレンドについて

www.nikkei.com

はい、いきなり皆さんがイヤな気分になりそうな記事のご紹介から始めましたが、最近の企業は「宴会」とか「社員旅行」とか「合宿」とかそういうあれを再びやり始めた、みたいな話です。実はこれ、僕の皮膚感覚ともかなり一致してまして、最近の経営者は結構こういうことをやりたがります。

中途で即戦力しか取らない、みたいな会社は別ですが新卒採用なんかしちゃうくらいまで育った会社は、せっかく大金を投じて獲得した新卒を「とにかく逃がしたくない」という気持ちがあります。しかし、現実的なところを言うと「初めて新卒を取った」みたいな会社に新卒社員を定着させる。それはとても厳しいゲームになってしまうわけで。世の中厳しいんですよね。

たとえば、これが「一人で月間200万利益を出すハイパープレイヤー」とかなら引止め策はわりと簡単なんですよ。要するに、「あんたはこれだけ稼いでいる、だからこれだけの褒章を与えよう」。ここさえ釣り合えば、少なくとも給与に対する不満は出ません。要するに銭勘定の問題になるわけです。とても簡単です。熟練の傭兵は金でしか動きません、逆に言えば見合う金さえ払えばキープ出来ます。

しかし、新卒さんはそういうわけにはいかない。いくらブラックな会社でも、入社半年や1年で会社と給与交渉が出来るところまで育つとは思っていません。しばらくはとにかく会社にいてもらって、頑張って仕事を覚えてもらうしかない。逆に言えば、仕事を覚えた頃に退職されでもしたら丸損になってしまうわけです。利益がそもそも出ていないわけだから、「~円までは払える」みたいな判断が出来ません。

その上、新卒さんに「お金をもうちょっとあげよう」という戦略はとりにくい。だって、繰り返しますけど利益出してないわけですから。いや、もちろん理屈としては出来なくはないんですよ。「新卒逃げられたら大損だから給料上げようぜ」は判断としてありえる。でも、現実に株主様や社内の他の発言権のある皆様にそれが通るか、と言えばまぁ通らないでしょうねという感じになります。

「いや、ウチの部署に設備投資させろや」とか「そのカネでもう一人雇えるだろ、こっちはキツキツなんだよ」とか「ふざけんな、功績ある人間に金を払うのが先だろうが、こっちは利益出してんだよ」などの人間と人間のあれが発生してしまうことは避けられない。僕は新卒を雇おうかな、と思ったタイミングでコケましたので新卒採用をやったことはないですが、「新卒の給料上げよう」という選択はかなりやりにくいだろうな、というのは肌感覚でわかります。社員全員の給与を上げることになりかねない。(しかも、新卒と同額の賃金上昇は古株社員に巨大な不満を発生させる可能性が高い)

 

「自由」はあまり効果がないようだ

さて、前述の通り新卒の離職率を減らすために「お金」という策が取りにくいことがわかりました。そこで、次に思い浮かぶのが福利厚生ですが、これも「お金」と同じことになります。新卒だけ豪華な寮に住ませるわけにはいかないですからね。もちろん、社員全員の福利厚生を底上げする余力のあるところは実行出来たでしょうが。まぁ、そんな利益に直結しない投資を決断できる会社は少なかったでしょう。

そういうわけで、ついこないだまでの経営トレンドは「なるべく従業員のワガママに応える」でした。休みを取りやすくして、就業時間の自由度を上げ、労働時間を減らす。飲み会などの業務外拘束もなるべく減らす。人間関係を疎にし、会社としての重圧を極力小さくする。そういう努力をしていた会社は―信じてもらえないかもしれませんがー結構あったんです。僕が起業した頃は、それを売りに従業員を集めようとする社長が結構いました。それに加えて横文字の格好いい社名にシャレオツなオフィスがあれば完璧、というわけです。経営者だって好きこのんで「ブラック企業」と呼ばれたいわけではありません。ホワイトにやって儲けが出て、求人に応募がどんどんやってくるならそれが一番なのです。

そういう会社は最近本当に見かけなくなりました。あれほど雨後の筍のように生えた「自由な社風」「ワークライフバランス」を売りにしたベンチャーたち、どこへ消えてしまったんでしょうね…。「なんで?これほど社員のことを考えているのに、どうして離職率が下がらないの?」と嘆いている経営者とも会いましたね…。

「結果的に離職率が上がり、会社の統制が崩れた」というお話も聞きました。まぁ、そりゃそうですよね。人間に自由度を与えたら自由にやります。もっと良い会社を探す余裕も生まれてしまうでしょう。悲しいことです。そういうわけで、経営者たちは気づきました。「自由」を与えるアプローチはどうも効果がないらしいぞ、と。

 

人間の絆、再び

サマセット・モームの「人間の絆」という名著があります。これは小説としてもとても面白いので是非読んでもらいたいのですが、何よりこのタイトルがとても素晴らしいのです。というのも、「人間の絆」は中野好夫による邦題で、原題は"of Human bondage"です。これは直訳すると「人間を隷属させるもの」となります。

"of Human Bondage"の元ネタとなったのはスピノザの「エチカ」なのですが、元ネタとなった部分を引用しましょう。

 人がその情念を支配し、制御しえない無力な状態を、私は縛られた状態と呼ぶ。なんとなれば、情念の支配下にある人間は、自らの主人でなく、いわば運命に支配されてその手中にあり、したがってしばしば彼は、目前に善を見ながら、しかも悪を追わざるをえなくなる。

 ちなみに、エチカにおける当該部のタイトルは中野好夫によれば「人間を奴隷にする絆について」とのこと。(これはおそらく、中野先生が英訳もしくは原語で読んで独自に訳したものかと思います)なんといいますか、経営あるいはマネジメントについて非常に示唆するもののあるお話ではないでしょうか。

「絆」という言葉、震災復興なんかでも多用されていましたのでなんとなくポジティブな意味合いを感じる人が多いと思いますが、グーグル先生に尋ねてみるとなかなかパンチのある語義が出てきます。 

 きずな
 きづな 【絆・紲】
  1. 馬・犬・たか等をつなぎとめる綱。転じて、断とうにも断ち切れない人の結びつき。ほだし。
     「恩愛の―」
 

わかってきましたね。「どうも自由にさせるのはよろしくないようだ」と学んだ経営者の皆さんは「人間の絆」を再び重視する流れに向かい始めたのです。 そういうわけで、僕の観測範囲でもモリモリ「合宿」「研修」「宴会」「社員旅行」などのイベントが「昭和」と書かれた墓の下から蘇るのが観測されています。

 

理念や価値観という企業価値

さて、多くの会社は「この会社に残るべき合理的な理由」を提供出来ません。もっと福利厚生の良い会社、もっと賃金の良い会社、もっと業務負担の小さい会社…実際幾らでもあると思います。これは求職サイドからすればピンと来ないかもしれませんが、求人サイドからすると実際この通りなんです。合理的に考えればそりゃ離職するでしょ、次に行くところがあるなら。そういうお話です。そして「次に行くところのない人」は正直、あんまり欲しくはないんですよね…。

そういうわけで、能力のある人間に「非合理的な判断」をしてもらうには、会社の価値観に染まって貰うしかない。「人間の絆」を形成するしかない、ということになります。だからこそ、ベンチャー企業などにおいては「企業理念」みたいなものがとても重要になるわけです。これは、いうなれば企業の「性格」です。「性格が合うからウチにいてくれる」という状況を目指すしかないのです。だって、他に他社に勝るものがないのだから。顔もイケてないしお金もないけど、性格が合うからやっていける。恋人探しだってそういうところはありますね。

しかし、ここで「じゃあマッチングをもっと厳しくやって、我が社の価値観にピッタリの社員を探そう」と考えていては経営者は務まりません。どんな人間も我が社の価値観に染め上げる、さもなければ余計なコストが発生する前に席を立っていただく。そう考えるのが経営者です。鋳型にガチっと嵌めて整形してやるぞ、弊社にピタっと合う形にな。そうなっていきます。

f:id:syakkin_dama:20170916114505j:plain

これは僕の蔵書の一部ですが、特に本題には関係ありません。しかし、これらの書籍から得られた情報を総合すると、人間の絆を形成するための基本はとにかく長い時間をターゲットと可能な限り近い距離で過ごすことであることがわかります。他には、「外部との接触を極力絶つ」なども基本と言えるでしょう。

そういうわけで自由への挑戦は敗北に終わり、再び人間の絆の時代がやってきたわけです。素晴らしいですね、絆です。絆さえあれば何でも出来る。さて、ここまで考えると「ブラック企業」がいかに「労働者目線」に立ち、「合理的」な経営を行っているかご理解いただけたと思います。彼らだってバカではないのです。儲かるからやってるんです。労働者を深く理解した上でやっているのです。とても悲しいことに。

 

人間の絆を形成する力

その一方で、僕は発達障害がありますのでこういう問題があります。僕は「人間の絆」を形成するのがとても下手なのです。僕も幾つかの場所で「絶対にウチの価値観に染め上げてやる」と言わんばかりの絆アタックを受けましたが、全てにおいて「染まる」ことに失敗しました。絆を結べなかったのです。

「人間の絆」を結ぶ能力は高すぎれば「被洗脳性が高すぎる」「自分がない」ということになりますが、低すぎれば「空気が読めない」「連帯感がない」になります。これは単なるバランスの問題なのですね。みんながエイエイオー!って叫んでる時に、一人輪の外にいるのはあんまり得なことじゃないです。とりあえず叫んどけばいいんですが、心から叫べればもっと楽です。

そして、更に言うと「会社と人間の絆を結びたい」と思っている労働者も実際のところ結構存在するのです。これは、言い換えると「洗脳されたい」ということですが、集団の中で生きる以上集団の価値観に「上手に染まる」ことは生きる技術そのものと言えるでしょう。これが出来ないから僕は本当に苦労しているわけです。

「洗脳に強い」という人は結構います。僕もそのタイプだと思います。しかしこれは、「人間の絆を結ぶ」能力、ひいては集団の中でうまいことやっていく能力が極端に低いことを意味します。「人間の絆」を形成する能力は、おそらく言語的な物ではありません。限りなく人間の生得的な本能に近いものだと思います、恐らく後天的に身に着けることは不可能に近いでしょう。

この「人間の絆」を形成する力を他の能力で代替するのは結構大変です。このブログそのものが、「絆」を別の機序で擬似的に作り出す方法を模索し続けていると言っても過言ではありません。

1.組織の中で(往々にして極めて非言語的に)流通している「絆」がどのようなものであるか理解する

2.それを踏まえて具体的な行動を最適化する

3.トライアンドエラーを繰り返しながら実行する

という流れを踏むことになります。大変にバカらしいと思います、でも人間というのは絆で生きている生物なので、本当にこれを作り出せないと辛いことになるんですよ…。

 

やっていきましょう

さて、このブログを読んでくださる方は最近また増加しておりまして、どういう立場の方が読まれているかわかりません。しかし、それぞれがこういったあれこれを踏まえて上手に立ち回っていく必要はあります。

「上手に会社に隷属する」あるいは「上手に会社に隷属したかのように振舞う」スキルが、これからの労働者には求められるでしょう。これはどちらでもかまわないです、いざというときに「人間の絆」をぶっちぎれるなら、多少隷属しているくらい、多少洗脳されているくらいが過ごしやすいというのは事実だと思います。

また、会社経営者の皆様におかれましては、コンプライアンスを大事にしつつ、やはり人間の絆を形成していくしかないのではないかと思うばかりです。なんといいますか、世の中本当にしんどいものですね。「いやいや、他人の行動を支配するような価値観なんて我が社にはないよ、俺そんなん求めてないよ」という気持ちは大変にわかりますが、企業理念はやっぱり大事ですよ。本当にね…。

それでは皆様、土曜の午後を善くお過ごしください。

やっていきましょう。