発達障害就労日誌

色々あるけどまぁ生きていこうじゃないかというブログです。

決断のコストと先送りの問題の話

決断してますか?

人生色々ありますので皆さんも大体厳しい感じで生きてると思うんですけど、日々を生きていくうえで最近非常にキツいなぁと思うものがあって、「決断」なんですよね。いくつかの選択肢があってそのうちひとつを選ぶという人生において避けては通れないあれは、非常に厳しい。

経営をやっている時なんかは毎日が決断の連続で、この判断トチってたらアウトの可能性もあるなぁ、なんてのが日常だったので改めて考えることもなく、ウォーって叫びながら決断を繰り返してきたわけなんですけど。そういう戦場フェイズも終わって新しい生活をしていると、本当に「決断」というのはエネルギーのいる作業だなぁと改めて思うわけです。

で、会社経営の話からまずすると、僕は「決断をする」人間と「決断に必要な情報を収集する人間」は可能な限り分けるべきだと思っていて、しかも情報収集をする人間は決断に対して予断を持たず、ただひたすらに情報を収集する作業を担当するべきだと思ってるんですよね。情報を収集する作業と決断する作業の両方を一人の人間が受け持つと、決断の精度は明らかに落ちる、これまでの経験から僕はそう思ってます。

「まともな判断」を担保するには人間が一人では足りないと思うんですよね。判断に必要な情報を集める人間と、集めた情報を咀嚼して判断する人間の二人がいると非常に精度がよくなる。(まぁ、もちろんこの形にはこの形なりのデメリットもあって、どうしてもスピード感が鈍りますし、情報を収集する人間の調査が偏っていたりすると誤った判断は出てくるわけですが)経験上僕はそう思っています。まぁ、実際常にこれやれるかっていったら難しいんですけどね。

責任を担って決断を下すというのは、心理的なコストを非常に食う作業です。また、これは心理的なコストだけではなく、純粋に疲れます。非常にコストの高い業務です。重責を担った人間が独力で調査をして決断をするというのは、その時点で人間の能力的限界を超えてしまうことが多いのではないかとさえ思う。僕ももう一回創業するのであれば、この辺の分業を上手いことやれる意思決定の仕組みを作りたいなぁと思うんですが、これはあくまで会社経営における意思決定の仕組みの話で、人生においてはこういう方法ってまず使えないですよね。

人生は自分で調べて自分で決断するしかないわけですよ。そこでどうすっかなー、というのが今日のお話です。

 

決断の先送り

で、ここからが発達障害のお話なんですけど、僕はADHDなので完全に「先送り癖」があります。この症状にはコンサータも効かないのでわりと苦労しています。単純な作業の先送りなら、後から必死に帳尻を合わせれば何とかなることが多いのですが、「決断の先送り」に関しては苦々しい経験がわりとあります。どっちの選択肢でもいいからさっさと決定して動いていれば少なくとも今よりマシだった、そういう経験ってわりと皆さんあるんじゃないでしょうか。

決断というのはそれ自体の正しさももちろん重要ですが、「速さ」もかなり重要になってきたります。決断を先送りしているうちに選択肢が消滅していくことって人生にはありますよね。結果的に上手くいったからそれでいいというパターンももちろんあるでしょうけど、当然「完全にミスった」ということもあるわけです。「選択しない」という選択肢は、本来は一つの決断なんですけど、ADHD傾向の人間はついついその選択肢に向かって流れてしまう悪癖があるように思います。これに関してはADHD傾向でない人もそういうところがあるのかもしれません。

「決断を迫られたが最終的に決断しなかったためそのような結果になった」人生にこのような事態が生じている人は非常に多いのではないでしょうか。ひとつの決断を下すために、十分な事前調査や吟味を行った上決断を下す。人生の諸事において、本来は必要であろうこの工程を十分に踏んできたと自信を持って言える人は少ないと思います。残り時間ギリギリになって衝動的に決断したことって多いですよね。もちろん、事前調査も情報の吟味もろくすっぽやらなかったみたいな。「異常にカンがいい」みたいな特殊スキルでぶっ飛んでいく人もたまにいますけど、まぁこれをずっとやってたら人間どっかでは派手にコケますよ。

 

決断への忌避感情

 「決断をする」というタスクへの忌避感情は、完全に「先送り癖」です。「決める」というタスクは重たいので、どうしてもめんどくさくなるわけですよ、その時点で直視したくない。その上に「調査して情報を吟味しなければならない」みたいな具体的なタスクが乗っかってくると尚更です。人生において「決定する」というタスクは、実は「調べる」と「決定する」の2タスクなんですね。いや、普通に考えてこんなの先送るよ、だってダルいもんって気がしませんか。

何も決められない人ってたまにいるじゃないですか、とにかく「決定する」というタスクを徹頭徹尾嫌がる人。絶対に最終決定者としての責を担わないぞ、という強い気持ちを持った人類。これもそうで、もちろん「責任回避策」みたいな意味合いもあるんですけど、それ以前に「ダルいからやりたくない」みたいなプリミティブな気持ちが出てきてるわけですよ。人間は基本的に決断するのが大嫌いなんです。ある意味経営者なんてのはこの皆が嫌がる仕事をするから金貰えるわけですよ、皆が大嫌いな汚れ仕事なんです。いや、もちろん事業を成功させて収益を出すってのも大事な仕事なんですけど、それ以前に「決定する」っていう役割を担わないと話にならない。

会社経営をしていると、「おまえの判断はクソだ」みたいな批判をゴリゴリ受けることはわりとあります。そういうわけで、「よしわかった、ケツは俺が持つからおまえが判断してみろ」ってボールを投げ返したことは僕にもあります。しかし、ここで「よっしゃ任せろ」って言える人間はそれほど多くありません。ここで躊躇いなく『ケツを上に預けたまま裁量ゲットヒャッハー!』って思える人はベンチャー企業の従業員とか経営者に向いてますね、僕はそういう人大好きです。

 

【対策1】決断までのタスクの細分化とスケジュール化

で、こういう問題に具体的にどう対処していくかのお話なんですけど、まずひとつは王道の対処法ですね。目の前にめんどくさいタスクの山があるなら、とりあえず細分化してやろうというお話です。昔、タスク管理の話

残念な人類のためのタスク・スケジュール管理術 - 発達障害就労日誌

でも触れましたがあれの応用です。とりあえず、調査から決定に至るまでの工程を適切な数の作業タスクに分割して、1つずつこなしていけばいい。調査、吟味、決断みたいな3工程にとりあえずスケジュールを切ってみるわけですよ。具体的に何を調査し、どのように吟味するかまで決められると尚いいですね。

例えば、「宅建士か行政書士かそれともどちらも受けないか」みたいなことを悩んだ時はこのパターンに限ります。①宅建士資格について調べる ②行政書士資格について調べる ③取得メリット、取得に必要な資金的ないし時間的コスト、合格可能性などを勘案する ④決断 みたいな感じで4日間とかのタイムスケジュールを切ってやればまぁいいと思います。

細分化してスケジュールにハメるというのは、めんどくさいタスクに取り組む時の王道的な対処方ですが「決断」もやはり「めんどくさいタスク」なのでこの方法が同じように使えます。「悩んだらまずスケジュールを切る」という形で僕は人生に実装しています。これやんないと調べたり考えたりすることすらしなくなっちゃいますからね。

「離婚するかしないか」みたいなヘヴィな決断にもこの方法はかなり使えると思います。だって、調査大事でしょ?吟味も大事ですよね。カルマがたまるので具体的に何を調査して何を吟味するのかは置いておきますが、大事ですよね?でも、日常の中でダラダラやってたら決断が「あらゆる損得を振り切って離婚する以外の選択肢があり得ないと感じた時」、言い換えれば「ブチギレた時」になっちゃいますよ。人生の重要な決定をブチギレてするってのはその時点で負けですよね。

もちろん、「会社を辞めるか辞めないか」なんかにも重要です。決断を迫られた時は、猶予期間の内に決断に至るまでのスケジュールをとりあえず切りましょう。

 

【対策2 】決断コストの温存

あらゆるものは有限の資源です。「決断」する心理的コストももちろん有限です。「決断する」ってめっちゃ疲れますからね。使わなくて済むところでは使わないのが一番なんですよ。そういうわけで、これは僕の知人の経営者(極めてASD傾向が強い)の話ですが、日常の中から可能な限り決断を排除するという手段があります。

例えば、彼は昼食を1週間単位のルーチンにしています。月曜日はカレー、火曜日は定食、そんな風に日常の中での些細な決定を可能な限りなく少なくしているそうです。もちろん、接待で飲む店もカッチリ決めてありますし(どの街で飲むことになってもいいように一覧を作っているそうです)、スーツを繰り回すルーチンで悩むこともないそうです。彼と食事をしている時に僕はこの「ルール」に気づいたんですが、「なるべく考えることを減らすように生活することが自分にとっては大事」と言ってました。

我々衝動で突っ走るADHD傾向の強い人間にとってそのままこの方法を生活に取り入れることはかなり難しいですが、見習うべき要素はかなりあります。人生は些細な決定の際限のない繰り返しですが、その大半がどうでもいいっちゃどうでもいいものなんですよね。「どうでもいい決断」にかけるコストを可能な限り減らし、重要な決断に投入するコストを温存するという策は相当使えると思います。

この方とLINEをしていてはっとしたんですが、この方コミュニケーションにありがちな「どうでもいいけど返事を返さないと角が立ちそうなあれ」に対して、LINEのスタンプ数種類で対応しているんですよ。僕はスタンプを使いこなすのが非常に下手なので、都度言い回しを考えながら返信をしてるんですが、考えてみればこれも無駄なコストといえます。ラインのスタンプをポンと返信してそれで終わるならそれより楽なことはない。汎用性の高いラインスタンプいくつか導入しようかな・・・。

ちなみに、この方「買い物」も大嫌いだそうです。服を選んでいると気が狂いそうになると言ってました。スーパーで食品を選ぶのも嫌いだそうで、自炊は一切しないとのことです。こういう吹っ切れたコストのかけ方、あるいはコストの温存し方はかなりアリだと思います。その決断、本当に悩むほどの価値がありましたか?歯磨き粉を買うのにそんなに悩む必要ありますか?一番最初に目についたやつで十分じゃないですか?

例えば、「値段と栄養バランスと献立の繰り回しを考えながらスーパーで買い物する」という行為は、地味に「決断コスト」が高いです。あれ相当ダルいです。情報が無限にある時代ですので、我々は「決断すること」に消耗しています。でもそれ、冷静に考えるとやんなくていいですよね。外食してビタミン剤飲んどけば、とりあえず大丈夫ですよ。「決断コスト」というモノサシで考えてみてください。投下できる資本が余ったらやればいいじゃないですか。日常生活がギリの人がやるべきことではないですよ。

 

【対策3】どうでもいいことは我慢しない、決断コストの見直し

ここまで「~をする」というタイプの決断について語ってきましたが、現実問題として我々が人生の中でもっともコストを食う決断はこっちではない気がします。むしろ、「~をしない」という決断ですね。ダイエットをされている方、禁煙されている方なんかはよくわかると思います。キツいですよね。

「家系ラーメン食いたい、ニンニクと豆板醤死ぬほどぶちこんだ大盛りのやつをライスと一緒にかっこみたい」と思ったとするじゃないですか。でも、流石に栄養バランスが偏るからやめよう、今夜はサラダうどんにしよう、そういう決断をしたとしまう。この時点で人間って消耗してるんですよね。あなたにとっての人生の一大事がダイエットならそれでいいと思います。でも、健康診断の結果に大きな問題も出ていないしベルトの穴が足りなくなったということもないなら、とりあえずそれは食っちゃっていいのではと思います。少なくとも、「大事な決断で消耗している」という自覚があるときにそれをする必要性はない。ガーっと家系かっこんで回復させた方がいいと思いますよ。

例えば、「喫茶店でコーヒーを飲む奴はバカだ、毎朝水筒にコーヒー詰めろよ」みたいなこと言う人いますが、僕はこれ「コストが合わない」と思います。朝の忙しい時間にコーヒー淹れて水筒につめる決断をするの、かなりコスト食いますよ。喫茶店に入ってのんびりしたい時にベンチを探して水筒をカバンから取り出すの、かなりキツい決断ですよ。こういうことは(それをするべき何らかの必要性に迫られていない限り)しなくていいと思います。

日常生活の中で「本当は必要ない決断コスト」を払っていることは結構あります。大胆にコストカットしちゃっていいと思います。その結果、お金の面のコストが増えるのも多少はアリですよ。だって、今本当に必要なのは「決断コスト」の方なんですよね。この文章を真面目に読んでるということは、「意思決定に必要な資源が私には不足している」という自覚があるということですよね。

 

【対策4】習慣にする

最後にこれですね。特に我々先送り癖バリバリのADHDマンにとって、例えば「毎日英語の勉強をする」とかそういうのがあると、「勉強をするという決断をする」というのにハチャメチャなコストを食うわけです。僕もこのブログを書くのに消費している一番デカいコストは「文章を書き始める決断をする」ことです。これがアホみたいに高くつきます。

で、これの対処策ってつまるところ「習慣にする」しかないんですね。生活の中で完全にルーチン化しているので、決断コストの消耗が限りなくゼロに近づいた状態、これが「習慣づいた」というものではないでしょうか。良い習慣を作る方法についてはまぁそのうち別切りでエントリにしますけど、理想形はこれですよね。

ただ、これは対策1~3と違って相当難しいです。でもリターンが大きいのでトライする価値はあります。しかし、習慣が完全に生活するまでは「毎日勉強する」ということひとつでもアホみたいな決断コストを食う状態ですので、その決断コストを捻出するために他を節約する必要はあると思います。

 

決断コストがガッツリ人間を削ってることに気づこう

そういうわけで、ここまで書いてきてなんですけど、一番重要なことはこれです。「決断する」という作業が人間にとって非常にかったるいものであるということに気づくことが重要です。これに気づかないまま、「なんで俺こんなに消耗してるんだろう?」って人は少なくありません。経営者界隈で「判断力が終わった人」というのは悲しいことにわりと観測されるのですが、まぁぶっちゃけこれだと思います。自分の判断力が終わっていることに気づけない限り休むことすら出来ませんからね・・・。意思決定コストをゼロだと考えている人って意外と多くて、大変なことになりがちです。

そういうわけで、もうひとつこれはお願いベースの話なんですけど、「経営陣は大して実務もやってねえのに何あんな偉そうにしてんだよ」っていうお気持ち、これは大変理解するんですが、彼らは彼らで厳しい経営環境を生き抜くための意思決定でガッツリ削れているということを理解して欲しいなぁと思います。いやまぁ、労働者として正しい答えは「知ったことかよ」なんですけどね・・・。実務を減らして意思決定に割くコストを確保するのも仕事のうちというところはあるんですよ。

経営者が人間として限界ギリギリの実務をこなしながら同時進行で意思決定を行っているという事例は結構あって、まぁ創業企業なんてどうしてもこんな形になるのは当たり前なんですけど、それはそれとしてかなりヤバイ人員配置だとは思います。

また、労働者として働く皆さんもわりと決断を迫られるシーンはあると思います。日常は決断で満ちています。「決断コストの遣り繰り」という概念を是非覚えておいて欲しいと思います。特に、自己モニタリング能力が低めの発達障害のある皆さんは、自分が決断の連続にガリガリに削れていることを認知するのですら大変です。しかし、決断の連続が続けば判断能力は確実に低下しています。それを認知して、うまいことやっていきましょう。