発達障害就労日誌

色々あるけどまぁ生きていこうじゃないかというブログです。

就職活動の話。自己分析をトチると死にます。(死にました)

就職活動が始まりましたね

なんか3月1日から企業の採用活動が始まるという話を聞きました。2018卒の皆さんの最後の戦争が始まるわけですね。皆さんは戦っていますか?

なんか色々あったけど、とりあえずこのブログはなるべく皆様のお役に立たせてもらうのがモットーですので、就職活動の話を書いていこうと思います。そういうわけで、僕は就職活動がわりと大成功した組です。学歴や経歴、能力を考えても「よく入れたな」という場所になんとか滑り込みました。しかし、その大成功はその先の大失敗への見事な布石だったわけですが。(人生はえてしてそういうものです。そもそも成功していなかったという解釈も正しいと思います)

「とにかく採用される」「後のことはどうでもいい、とにかく椅子を奪い取る」に最適化した就職活動戦法というものは、少なくとも僕の中ではあります。僕はその方法に特化して内定をもぎ取りました。でも、現在思い返してみると「ああいうやり方、運があれば上手く行くだろうけど、長期的に失敗する可能性はやはり高いよな…僕失敗したしな」と思っています。

そういうわけで、就職活動に関してはその辺も踏まえたエントリを書こうと思います。「長期的に自分の適性を鑑みてしっかり働ける職場」という選び方もありですし、「とにかく滑り込まなきゃ話は始まらない、採用されてから困ればいい。転職だって最初の会社のネームバリューが影響するだろ」という考え方もあると思います。どちらを選ぶかは、皆さんの状況や適性に合わせて選んでいただければいいと思います。

尚、僕はその先で起業という選択肢を選びましたが、最初の資金集めの段階でも「会社のネームバリュー」はウルトラ使えます。というか僕は最初の会社の名刺を持ったまま資金集めに奔走しました。強い名刺があれば、結構な割合の人がとりあえず話は聞いてくれます。生かしましょう。起業する予定だから就職はテキトーでいいや、という考えはもったいないので、是非使えるものは全部使ったらいいと思います。その場合はとにかくつよい名刺を配布をしてくれる組織に飛び込みましょう。

 

筆記試験の対策はしろ

はい、すごい地味なところから入りましたが、これクッソ重要です。なんなら一番重要と言ってもいい。いや、「あんなもん無勉で余裕だろ」「アレに勉強が要るとか脳にサナダ虫沸いてんじゃねえの?」みたいな皆さんもいると思いますが、ハイパークソ文系マンの僕は実地に臨んでから「マジかよ、筆記落ちってあるのかよ…」と気づいて愕然としました。せめてあと1ヶ月早く対策を打っておけば良かった…。と後悔しても遅い辛さがこの「筆記」にはあります。就職活動の序盤戦は、筆記対策をしていなかったという理由でリングにすら中々上がれないという大変辛い思いをしました。

やりましょう。ドゥーイット。(それをやれ)たぶんまだ遅くないと思います。今からミチミチやれば個人差はあれどそれなりに点数は上がります。『その概念はなかった』ってみなさんいると思います。やりましょう。文系の湯に4年間浸かってきた皆さん、皆さんの脳は現在、かなりの確率で残念な状態になっています。受ける業界や会社によってテストの方向性は違うと思うので、その辺はインターネッツを活用して情報を収集しましょう。インターネットテストの場合ですが、あれもう実質的に「友達がいる奴はテスト免除」みたいな性質なので、そのように出来る人はそのようにすればいいと思います。(借金玉さんは「数理系問題なら任せろ!」という知人に託した結果落ちて、それから自分でやるようになりました。やるなら成功報酬にした方がいいですよ)

あの筆記、つまるところ機械的にザクっと応募者の下x割を落とす仕組みなので、これを突破してないとどれだけ試行しようがn=0です。完全に無駄です。評価基準は多分点数化された学歴+筆記の点数の合わせ技一本なんじゃねえかなぁ…と思いますが、落ちる時は落ちます。僕の知り合いの学歴マンたちも「落ちた」「マジで?」「フリースルーじゃなかったの?」「俺の学歴見たらとりあえず面接には呼べよ」などとボヤいておりました。

これだけはなんとかやってください。尚、インターネットを地道に捜索すると、人間の悪い知見が集約され、読んでおけばとりあえず点数の取れる水が沸く泉が発見できることもあります。そういうのも使いましょう。テストセンターの筆記試験、多分アレのせいで就活序盤から後半にかけてモリモリ点数上がってると思う。人間は悪い。

 

自己分析ですが、重要です

金玉さんは自己分析をナメてました。というのも、就職活動序盤で落ちまくり、また文学部卒かつ2浪という経歴から、「選ぶ余裕は俺にはない」と思い込んでおりました。この判断が正しかったのかどうか、未だに結論が出ないところではあるのですが、もし選ぶ余裕があるのならじっくり自己分析をして、ある程度適性のある業界に飛び込む方が絶対にいいです。「就職活動をとにかく成功させる」というのをゴールにするとこの判断は間違いではない

ですが、就職活動というのはその先の人生に大きな影響をもたらすイベントです。なるべく長期スパンでの最適解を選んだ方がいいですよ。

で、まぁ選び方って色々あると思うんですよ。「休日数」とか「ホワイト」とか「給与」とか「人間関係」とか「会社名のブランド力」とか。でも、自己分析という作業にはわりと問題があって、そもそも「自己」を分析した結果を「企業選び」に生かすのが自己分析の作業なわけじゃないですか。でも、就職活動をしている皆さん「企業」について知ってるかというと微妙なとこですよね。多少情報はあるけど、なかなか難しいと思います。

そういうわけで、僕なりに労働者の立場からざっくり分類してみると企業には3類型あると思います。(混在型を含めて4類型)尚、この3類型は完全なものではないです。どの会社もポジションによってこれらの要素のそれぞれが存在すると思います。あくまで、「企業全体の傾向としてどういう評価軸の業務が多いか」の指針と思ってください。

 

1.成果評価型企業

営業成績などの具体的な数字から人間を評価する企業です。「証券営業」とか「不動産営業」とかが典型例ですね。新卒の皆さんが「死んでもイヤだ」と思いがちな企業類型だと思います。しかし、僕のようなADHD傾向が強い組などについては「とにかく数字さえ出せば生存できる」などのプラス要素もある企業ではあります。「定められた期間一定の出力を出し続けることは難しいが、俺は一発には自信がある」などのタイプはこの企業に飛び込みましょう。(この手の企業はみんなが嫌がる分、転職バリューがわりとあります。勝ち筋掴めなかったら強くてニューゲーム前提です)借金玉さんイチオシの企業群です。勝ち筋に乗ると、多少粗相してもみんなお金欲しいのでニッコニコしながらフォローアップをしてくれるなどのメリットがあります。みんな嫌がるので「気合あります!」でスルっと採用を突破できたりもします。今思うと、なんで新卒で僕はこれに飛び込まなかったんでしょうね…。内定持ってたのにね…。

 

2.成果物評価型企業

プログラマなどがわかりやすいと思います。一定の期間に成果物を製作し、そのデキで評価が定まるタイプの企業です。このタイプの企業のメリットとしては、「とにかく帳尻さえ合えば許される」だと思います。また、「一定期間」にどの程度の長さがあるかもポイントで、例えば1ヶ月スパンなどの場合は出力が安定しない人でもなんとか帳尻を合わせることが可能かもしれません。モノが納期に間に合わなければくそやばいので、勤怠管理もヌルいことが多いでしょう。また、成果物作成の異能を持っていれば、「作る」作業に没頭することが評価につながる、対人折衝などのマルチ技能を要求されずに済むことがあります。客先に出ないことが前提の場合も多く、とにかく成果物を上げられる人間がエラいので、部族の風習はあまり強くないことが多いでしょう。ASD傾向の強い皆さんが多数生存しているのが観測されるのがこのエリアです。尚、「会社全員が成果物だけで評価されている企業」というのは通常存在せず、営業部署なども必ずあります。営業と製作の中間に立つような職種もあるでしょう。そういうところに回された場合はまぁ適宜戦うということで…。

 

3.作業評価型企業

会社の収益システムがほぼ完成されており、創造性や数字の競い合いなどは末端の労働者にはほぼ要求されず、「定められた業務手順を定められた通り効率よくこなす」ことが最も重要視される企業です。「公務員」なども該当します。(公務員の中でも国税徴収官のような例外はありますが)僕のブログを読んで納得が強いタイプの皆さんには心からお勧めしません。部族の風習は極めて強く、数字や金以外のよくわからない何かで評価が決まります。効率も重要な評価基準ですが、効率さえ上げてれば良いということでもなかったります。でも、冷静に考えてみると「会社の収益システムがほぼ完成されている」「末端従業員を数字や成果物でケツを叩かなくても回る」などの前提条件を踏まえると、これはイコール「ホワイト企業」ということです。概して休日も多く、給与もそれなりでしょう。社会的な評価もついてくるでしょう。普通にやっていけば、定年退職までしっかりお賃金がもらえて、退職金もモリっとついてくるでしょう。(尚、普通でないこともわりとよく起きます)住宅ローンだっていい金利で組めると思います。このタイプの企業の欠点を論うなら、「具体的な金になるスキルがつきにくく、転職バリューが乏しい」ということです。10年とかやったら、他の水でもう一回泳ぐのはかなりキツいと思います。ヤベェと思ったら「若さ」と「会社名ブランド」で評価を勝ち取れる20代のうちに転職を推奨します。

 

4.混在型

1~3の要素が混ざり合っている企業です。というか、大体の企業は混在してるんですけど、混在型の色が強い会社というのもあると思います。その場合は、どの部署にいるかによって評価基準がまるで別物、ということになるでしょう。例えば、デカい商社なんかの場合は「営業や事業で評価と数字を勝ち取る」部署と、「会社のシステムを回すための作業を果てしなく続ける」部署が混在していると思います。また、その両者の中間に属するような部署も存在するでしょう。企業はわりと志望動機や志望職種を人間に尋ねますので、自分の適性を把握して自分が最も合いそうな部署に飛び込むことが重要になります。部署移転などもあると思うので、そういうタイミングを上手に狙っていくと良いでしょう。自分の部署の評価基準は何か?を都度理解して適切に振舞っていくなどのマルチなスキルが要求されるでしょう。とはいえ、「あらゆる適性の人間を適切に配分出来る企業」などはたぶん存在しません。自分の適性にあった業務が主軸となっている企業を選ぶのが非常に重要です。

 

どれが向いている?

はい。これを抑えておくと、少なくとも自分が納得できる評価基準の中で戦いを展開していくことだけは出来るでしょう。就職活動のときは、とにかく3のタイプの会社が輝いて見えます。ピカピカしてみえます。「あいつらまるで働いてねえのに金貰えるの最高じゃん、とにかく出社してればクビにならないし年功序列で昇給もするんでしょ」などの考えが死を招きます。具体的に言うと、銀行員は15時にシャッターを閉めてあとは遊んでると思い込んでいるタイプの皆さんを誘導する罠です。役所の皆さんの主な業務が、窓口で「ここのところの記載抜けてますよ」ってチクチク言うことだけだと思ってる皆さんを即死させるタイプの罠です。

確かに銀行のバック担当(フロントは別)や役場の職員は数字には追われませんが、その代わり効率と部族の掟にミッチミチに支配されています。考えてもみてください、数字でも成果物でも評価されないとしたら、人間はどうやって人間を評価するんでしょう。そこでも勝ち組と負け組みの序列はしっかり形成されるわけですよ。

「常に効率さえ上げればいいんでしょ、自信あるよ」という皆さんについてですが、「協調性」などと刻印された黒光りする棒でブン殴られることについて考えてみてもいいと思います。突出してもそれはそれで死ぬから注意な。だって、個人の異能が必要ないところまで完成してる組織なんだからな。スゲー仕事出来るマンが入って来たとしても、回りの普通に仕事出来るマンにとってはブチ殺すのが最適解だったりするからな。そういう組織だと、ウルトラ成果上げてもそれが昇給に即座に結びつくことは稀ですので、「効率を上げる」メリットすらなかったりしますね。

皆に劣らない効率が出せて空気を読むのも得意、という皆さんには3をお勧めします。そうじゃない皆さんについては、3に飛び込んで適応を目指すか、あるいは1か2か4に飛び込んでそれぞれの特質の中で生き残りを図るかのどちらかの選択は必要になるでしょう。「明らかに4だな…」という企業に飛び込む皆さんについては、採用面接の段階でわりと「あいつはアレ向きっぽいな」という方向性が形成されることも多いので、採用後まで睨んだ立ち回りを心から推奨します。

 

自己分析も企業分析もどちらも大事です

僕は、「自己分析って無駄じゃね?だって、企業に迎え入れてもらうためには企業に向いてることをアピールしなきゃいけないんだから、そんな暇あったら企業分析して何を言えばウケるか考えたら良いんじゃね?」という方針を展開し、短期的な成功の後に死にました。就職活動に勝利することだけを考えればこれは最適な方針だったと思うんですが、人生は就職活動ではないということですね。就職活動がクソ上手いという悲しいスキルを形成した失敗者が僕だということです。いやー、ナメてましたね、働くということを。

しかし、「採用されなきゃ始まらない」というのも事実です。企業に対して、「俺はウルトラ御社向き!採用しなきゃ損!」というアピールを展開する能力もそれはそれで必要です。自分の適性を踏まえた上での企業へのアピール法などもこの先のエントリで書いていこうと思いますので、それが全て正しいなどという保障はどこにもありませんが、ご参考にしていただければ大変幸いです。

就職活動を頑張っている皆様。

やっていきましょう。

 

 

 

残業禁止は強者のルールなのでは、という話。

dennou-kurage.hatenablog.com

 

ウァァ!

「もう本文これだけでいいんじゃね?大体通じるんじゃね?」という気がしましたが、僕は書きます。上に引用したエントリはまぁ、正しいと思うんですよ。そう思う。本当に思うよ。みんなスパっと働いてスパっと帰宅する。そして家に帰ってシェスタする。そういう世界が美しいと思う。本当に思う。僕もそうしたい。そうしたいんだ…。(パソコンの前で「記事を書く」画面を睨んで2時間が経過しようとしています)

僕がかつて勤めていた職場の雰囲気もこれでした。その昔は常に残業カーニバルが開催され、人々は踊って暮らしていたそうです。でも、ある日マッキンゼーって額に刺青した部族がやってきて全てを蹂躙したとのことです。それ以来、残業は罪となり、罪は塩の柱となりました。祭りはこのように終わったのです。

で、まぁ長い前置きだったんですけど、要するに僕が言いたいのはこういうことなんですよ。「それ、効率良く働けるマンしか生き残らないよな」ってことです。人が仕事をこなすスピードというのはかなり幅があります。10のタスクをこなすのに12時間かかる人もいれば24時間かかる人もいる。「定時帰宅」を絶対是とすると、まぁ効率の良い人しか生き残らないよねー、という話です。

 

どうも、効率の悪い人です

僕は仕事が遅いです。正確に言うと、アホみたいに早いときがごく稀にあり、それで帳尻を合わせるタイプです。これはもう生まれもった特質で、努力は常にしてるつもりなんだけど未だに治りません。一生治らないと思う。コンサータで多少マシになるけど、「多少マシ」程度であってですね。まぁ、基本的に遅いです。生きててすいません。

そういう僕の処世術は「ロスタイムのフル活用」です。一日30分から1時間、管理職の目を盗んで職場に残り、電話の留守電ボタンをポチっと入れてからが僕の「やるぞー」タイムです。それが出来る職場なのが大変にありがたい。電話応対やメールの着信、ポケットの中でピコーンピコーン言うLINE、唐突に差し込まれる細かい仕事、そういう状態の中で集中力を出すということが僕には中々出来ません。

この「ロスタイムで帳尻を合わせる」というのが出来るようになったのですら最近のことで、それ以前はまるっきりダメでした。前の方のエントリで書きましたけど、効率よく仕事する皆さんにボッコボコにされた悲しい経験があります。「給料いらないから残業させてくれよ!もう無能認定してくれていいからあと1時間仕事させてくれよ!」という声にならない叫びを押し殺して、明日のガン詰めに怯えながら帰宅した皆さん。大丈夫、あなたは一人じゃない。酒に逃げるな。適切に服薬しろ。

 

生産性=効率…なんですかね?

「え、職場についていけないなら辞めればいいじゃん。無能なんでしょ?」そういう声も聞こえてくる気がします。はい、まぁ一面的には正しいと思います。要するに、「職場が求める水準に能力が達していない」ということですね。仰るとおり、としか言いようのない面もある。(だったら雇用の流動性もっと上げてくれよ、とか色々言いたい感じはあるけど)

その一方で、「時間を区切って生産性上げろよ」「効率上げろ」と仰る皆さんの話にも、ちょっと反論の余地はあると思います。そもそもですが、効率上げたら生産性って上がるんですか?いや、上がることもあると思うんですけど、確実に上がるといえる?本当に?

というのもですね、それって結局単純作業の効率の話なんじゃないんですかね?と思うんですよ。例えば、「パーツAとパーツBとパーツCをネジで止める」みたいな話であれば、手を速く動かせば生産性は確かに上がると思います。そりゃそう。でもさ、そういう作業で金を稼げるエリアって今の日本だとガンガン減少してますよね。機械化やら人件費の安い海外やらに対抗する策が「手を早く動かす」って、本当にそれでなんとかなるの?負け戦じゃね?って思うわけですよ。

いや、もちろんこんな単純な話じゃない、業務の中の非効率を除去していって効率化するのは絶対必要だろ、とかその辺はわかる。それは確かに要ると思う。だから、基本的には「一理はある」というのは認める。それを踏まえた上で、「本当にそれだけですか?」という話なんですよ。

 

創造性は時間単位では計測できない気がする

ブログ書いてて思うんですが、かけた時間とエントリの評価はまるっきし比例しないです。僕のブログで一番のヒットだったエントリは、正味45分で書きあがってますが、全く評価されていないエントリに5時間かかってるなんてのもザラです。そういうもんだと思います。僕も文章書いて長いですから、「効率よく字数を埋める」は苦手じゃないんですよ。下請けの████で他人の████を書いている時なんかは完全にこのモードですので、字数ベースの生産性は非常に高い。でも、本当にそれって生産性ですかね?

で、なんですよ。単純な知的作業さえもAI化していく世界で、人間がウォー出来るエリアってもうこの「創造性」以外にそんなにないと思うんですよね。長期的にはこのエリアすらAIが殴りこんで来て尖った棒で我々を追い出すのかもしれませんが、それでも今のところ。(自動でブログ書いてPV集めて広告貼るAIがはてなを支配する日も来るのかもしれない)

確かに「稼ぎの仕組み」が出来上がっていて、完全にシステム化されている大企業なんかは「創造性とかそういうのはいい。手を動かせ。どのように手を動かすかはマニュアルに書かれている」みたいなやり方も不可能ではないとは思うんです。知的作業を一部の人間に丸投げして、職場の多くの人間はマニュアルの沿って手を動かしていればいいみたいなところまで完成した企業は。

でも、中小零細企業というのは概してそうはいかない。だいたいの場合、現場の人間がそれぞれの持ち味でウォーしてまわしているのが中小零細企業です。大企業には出来ないお客様のニーズにきめ細かく応える持ち味で戦っている会社なんていっぱいありますよね。そういう会社は「定時が来たらキチっと帰れ」と言われたらたいへん厳しい。そういう戦い方で大企業に勝てるわけがないですからね。

 

残業禁止は強者のルール

はい、何が言いたいかってコレなんですよ。規定演目でよーいドンで戦ったら、そりゃ体力があって効率が良い奴が勝つってことなんですよ。資本が厚く、ブランド力を持ち人材の層が厚くシステムの完成度を高めた大企業が勝ちますし、効率よく動ける定型発達者が勝ちます。中小零細企業や我々発達障害マンは負けます。

弱者の戦い方は基本的にゲリラ戦です。劣悪な環境下で、他の人がやらないようなことをやることに勝ち筋が僅かながらにある。それがこの社会だと思います。だから僕もアホみたいな時間を投資してブログ書いたりツイッターしたりしてるわけですよ。でも、そういう芽をガツっと毟るのがこの「定時には帰れ」ルールですよね。勝つべき者が勝つべくして勝つルールと言ってもいい。

横綱相撲を取れる皆さんが諸手を挙げて喝采するのはよくわかります。優秀な皆さんがノリノリになるのもよくわかります。だって、皆さんが勝てるルールですからね。「残業禁止最高!」って思ってる皆さんは、おそらくだいたいが効率良く仕事を回すことに自信のある皆さんだと思います。

その一方で僕は思うんですよ、「完全に勝てないルールだ…」って。僕は作業効率にアホみたいなムラがあります。下手すると、作業効率が1桁違うなんてこともあります。決まった時間の枠の中で定型発達者と競ったら、そりゃ負けるわけですよ。でも、僕も捨てたもんじゃなくて、長期的にはそれなりの結果を出していたこともあります。毎学期に行われる定期テストは下から数えた方が早かったですが、たまに行われる学力テストには自信がありました。

そういう人間を皆殺しにしたら、社会は本当に得をするのかな…。(するかもしれないとうっすら思ったのでこの話ここまで)

 

で、どうしますかね

そういうわけで、悩ましいんですよ。過労死とか実際にあるわけで、「俺は長時間労働したいんだ!死んでもいいから労働させろ!」とか吠える気にもならないし、「長時間労働する自由を!」とか言う気にもならない。「労働時間を短くしよう、人間らしく生きよう」というアプローチはそれはそれでとっても大事だと思う。短い労働時間でお賃金をきちんと頂戴できればそれはそれで素晴らしいわけで。

でも、僕の人生と経験に照らして考えると、それをゴリ押しするだけでは失われてしまうものがきっとある。決まった枠の中では結果を出せなくても、3ストライクでアウトのルールでは三振しか出来なくても、100ストライクまでアウトじゃないならどこかでとんでもないホームランを放てる人間というのもたまにはいる。そして、これは特に根拠のない霊感なんですが、人類の社会をたまにウォーさせるのはそういう人間なんじゃないかなーって思うんです。(実は違うかもしれない、多分に希望的観測が含まれている)

そういうわけで、今回のエントリには明確な結論がありません。引用したエントリも一面的には正しいと思うんですよ。別に批判したいわけじゃない。でも、そのルールだと僕死ぬんだよな…とボソっと言いたいだけです。

確かに効率良く仕事を終えて、定時の長針がパチっと12を指したら家に帰りたい皆さんにとって、その辺りの時間からモリモリし始める我々は目障りかもしれない。悪に見えるかもしれない。でも、そういう我々も結構一生懸命なんとか生きてるので、ほどほどに抑える努力はもちろんしますから、ちょっとだけご容赦いただけませんか、ダメですか。もう2~3回バット振らせてもらえませんか。当たるとデカいという噂がありますから。

そういう話でした。

まぁ、定時に帰る努力は必要ですよね。僕も早くロスタイムなしで仕事をまわせるところまで発達したいです。やっていきましょう。

弊社のFAXが混み合っておりまして-社会と茶道の話

FAXの送信を忘れていました

今日は疲れたのでタラっとした話です。

金玉さん、今日もお仕事だったんですよ。そりゃもうモリモリと働いていたわけです。それでですね、他社さんから「アレのデータFAXで流してくれや」と言われてですね、「わかり、ダイレクトで流すんでよろ」みたいに返したんですけど、まぁやっぱり残念な人なので綺麗さっぱり忘れて仕事してまして。その後

「すいません、株式会社~の~ですが、借金玉さんご在席ですか?」

という電話が鳴ったわけです。この時点でピキーンですよ。完璧に忘れとった。2時間放置しとった。そんな切迫した案件ってわけでもないので激おこというわけではないだろうけど、やっぱりお願いされてたことを放置してたわけで。「申し訳ございません」の「も」まで口に出たわけですよ。

「大変申し訳ございません。弊社のFAXが大変混み合っておりまして、現在まだデータが受信出来ておりません。お手数をおかけして申し訳ありませんが、再送をお願い出来ませんでしょうか

と来たもんですよ。それも僕に「申し訳ございません」を言わせない絶妙な速度で。いや、久々に思いましたね。「こいつデキる」と。そういうわけで。

「承知いたしました。ただちに再送いたしますので少々お待ちいただけますか、いや申し訳ありません」

と返したわけですよ。

「どうぞお気になさらず、現在FAXは空いておりますのでよろしくお願いいたします」

という切り返しが来て、本当に感服しきりでしたね。この絶妙な呼吸。見事に空気と相手の立場を読みきった振る舞い。責めることも批判することもしないまま、むしろ相手を気遣いながら伝えたいことを伝える技量。これが出来れば社会をやっていける、という感じがヒシヒシしましたね。僕の定型発達者エミュレターもまだまだです。

 

 お作法の社会

社会というのは、わりとお作法の世界だと思います。場所によって多少は違えど、大体は「正しいお作法」があり、同時に臨機応変にそれを崩していくことが求められます。明文化された形式に従うのは無難な選択肢ではありますが、それだけでは粋で乙とは認められません。おもてなしの精神にも通じるものがありますね。

僕は、人生を通じてこの概念が大変に嫌いでした。「空気読み天下一武道会かよ」などと毒づき、意図的に人生から遠ざけてきました。明文化出来ないものを教えようとする人間は全員詐欺師だ。マニュアル一冊にまとめろ。全部定型化しろ。再現性を100%にしろ。空気読みは定型発達者だけでやってろ、俺を巻き込むな。そのように考えて来ました。

しかし、前回書いたエントリのようにボッコボコに社会に打ちのめされた今になると、「まぁそういう概念はあるし、ある程度はエミュレーション出来るようになった方がいいのかな」くらいに考えが変化しつつあります。

実際、前段の「弊社のFAXが混み合っておりまして」のような例に遭遇すると、「これは使えた方が絶対に便利だ」と思わずにはいられません。すごいですよね、相手がFAXを送り忘れたことなんて百も承知で敢えて「弊社のFAXが混み合っておりまして」と一歩引く。そして、僕が「申し訳ございません」と文脈を無視していきなりの謝罪を入れたら、「現在弊社のFAXは空いております」というピリっと毒の効いた切り返しを入れてくる。

僕は完全にしてやられたわけです。相手の言葉を要約すると「FAX送り忘れてんじゃねえよボケ」という意味なのは明白です。僕の「申し訳ございません」も「もってまわった言い回ししてんじゃねえよ、俺が忘れただけだよクソ」という切り返しです。しかし、そのささやかな反撃も「現在FAXは空いている」という更なる切り返しの前にやりこめられてします。

こんなの好意を抱くしかないですよね。「結構なお手前でした」としか言いようがない。

 

社会茶道

そういうわけで、このエントリは社会と「空気読み」を茶道に例えてみようというエントリなんですが、茶道の極意といえば「利休七則」が有名です。ちょっと引用してみますね。

1. 茶は服のよきように点て
2. 炭は湯の沸くように置き
3. 花は野にあるように生け
4. 夏は涼しく冬暖かに
5. 刻限は早めに
6. 降らずとも傘の用意
7. 相客に心せよ

このような概念が極意なわけですね。「はぁ?基本じゃね?」と言われた利休は「これ全部パーフェクトに出来んなら俺がおまえの弟子になってやるよ」と応えたそうです。いや、うろ覚えなんで適当ですけど大体そういうニュアンスだったはず。

1.はあれですよね、「茶は客に合わせてちょうどよく点てろ」ということですよね。自分の好みでやるのではなく、相手の好みに合わせろと。

2.はざっくり言うと「基本的なことをキチっとやれ」ってことですよね。

3.はあれですか、「余計なことすんな、過不足なくやれ」みたいな意味かな?

4.はもうそのままですよね。快適にやれるように気を使えと。

5.は「時間に余裕を持て」みたいな意味ですかね。「焦んな」みたいなニュアンスもあるかもしれない。

6.は「不測の事態は起きるから備えろ」ですよね。

7.はもうこれはそのままですね。同席させたらヤバい人間いますからね。話の持ってきかた一つで人間が戦争を始めるのなんてよくあることで。これだけ「心せよ」という強い言葉が使われてるのも、「クッソヤバイからな?」という利休さんの気持ちがうかがえますね。昔から人間は悪かったことがよくわかります。

なるほどなー、と思うわけです。極めて高度に抽象化されているけれど、確かにこの概念を展開していけば大半の「お作法」が説明出来てしまう。「お作法」は一問一答にすると情報量が膨大になりすぎるので、「極意」と言われればこのように抽象化するしかないというのがわかりますね。

まぁ、利休は「めっちゃ空気が読める」というスキルで歴史に名を残したマンなので、参考に出来るかは微妙なとこですが、とにかくこういう技術が存在することがよくわかります。利休七則を更に抽象化すると「しっかりやれ、空気読め」とかになるんでしょうけど、ここまで抽象化するともう意味わかりませんね。(こういうこと言う人いますけど)

 いや、良くできてますよね。利休七則。空気読めないマンが社会に適応する際の極意にもそのまま応用できると思います。出来るかはともかくとして。(出来ません)

 

社会は無限に続く茶道

で、そういう話なんですよね。どういう話だろう。今日は疲れているのであまりゴリゴリ書きたくないんですけど。要するに、社会ってこういう感じなんですよ。空気読んで、相手の立場を把握して、共感して、最適解を都度出力していくしかない。Aが発生したらBを出力!みたいなシンプルな一問一答を無限に積み上げても、到底極意に到達しないわけです。(もちろん、頻出問題に関しては一問一答の積み上げもそれはそれで大事だけど)

で、やっぱり僕はこの能力が非常に低いわけですよ。今日これ書いてても思うんですけど、FAXの話僕は「感動」と言ってもいいくらいの衝撃を受けたんですけど、もしかしたらここを読んでる皆さんの感想は「これくらい誰でも出来るっしょ」なのかもしれない。あるいは、「え、これのどこに感動する要素あるの?」という反応もあるかもしれない。他人のことは本当にわかんないですからね。

文章を書いてても思うわけですよ、「これ伝わるかな?」って。怖いですよね、文章書くの。だって、僕とは違う自己を持った皆さんが読むわけですよ。僕が想定したとおりになんか絶対伝わらないし、「なんでそんな読み方するんだよ!」みたいなのも、当然発生するわけです。(めっちゃしてる)

「茶は服の良いように点てよ」っていうあれですよ。「お客さんのことを考えて文章書け」って話ですけど、全員にとって服の良い文章なんか書けるかよって話ですよね。同様に、社会をやっているときもそうですよね。相手を見て、共感して、立場を読んで、最適になるように受け答えをするわけですけど、それでもいつも上手くなんか行くわけない。

 

やっていく気持ち

まぁ、そういうわけで本日の結論としてはね、やっていきましょうと、そういうことになるわけです。頑張って美味しいお茶を点てて、頑張って炭をちゃんとお湯が沸くように並べる努力をしましょうと。まぁ、具体的に言うとちゃんとカバンの中身を整理して、名刺を補充して、スーツのズボンにプレスをかけて、明日に備えようと。営業アポをちゃんと確認して、カブっちゃいけない人がカブることのないようにしようと。

 で、明日もなるべく上司には共感的に接して、ちゃんとした受け答えを頑張ろうと思うわけですよ。僕はそれが下手だけど、やるしかねえわなぁと。社会茶道、本当に曖昧で理不尽でクソだと思いますが、あれを全部無視して突き進む方針で負けたわけだから、とりあえずやるしかねえですねと思うわけですよ。

そして、いつか僕も誰かがFAXを送り忘れたときに「申し訳ございません、弊社のFAXが混み合っておりまして」と電話をかけたいですね。社会茶道の達人には多分なれないけど、なんとか社会茶道を一生懸命やろうとしている風には見てもらえるかもしれないですし。

やっていきましょう。

僕はジョブズではないということを理解するのに30年近くかかった話

さて、いよいよ新卒の皆さんもXデイが近づいて来ましたね

2月も半ばを過ぎました。このブログが始まってもう半月以上が過ぎたわけです。早いものですね。さて、新卒の皆さん、残った猶予時間も少なくなってきましたね。思い残すことはありませんか?十分にモラトリアムを満喫しましたか?泣いても笑ってもあと一ヶ月と少しです。悔いを残さないようにやりたいことをやってください。

僕も、3月に向けて新卒向けの「生存手引き書」シリーズを完結させる予定です。それに向けて、僕の失敗談を少し書き連ねて行こうと思います。

僕のキャリアは文句のつけようのないホワイト企業から始まりました。もちろんそれなりの激務感がゼロだったわけではありませんが、一般的な水準から見れば給与は高く、休みは多かったと思います。福利厚生はこれ以上ない水準で揃っており、教育環境は極めて高いレベルで完備され、正しく文句なしの職場でした。大学4年生の2月のあの浮かれた気分を僕は未だに覚えています。ついに俺はここまで登りつめたぞ、田舎者の発達障害者だってやれば出来るんだ。未来は希望に満ちていました。七転び八起きの人生だったけどやってやったぜ、そんな気持ちだったと思います。

それから約2年後、僕は職場から敗走することになります。もちろん、辞める前に起業資金やビジネスアイディアの段取りはつけていたし、新しい船出に燃えていたことも一つの事実ですが、それはそれとして僕は職場を辞めました。それは、僕の敗走人生の最も代表的なエピソードと言えると思います。

就職活動に成功した皆様、本当におめでとうございます。皆さんの未来が幸多いものになることを、僕は心から祈ります。皆様の本当の戦いはここから始まります。これは、新しい未来に船出する皆さんに贈る、敗残者からのエールです。

 

みんな能力が高いー退屈さと面白みのなさに強い

職場に入って一番先に思ったことは「こいつらみんな能力高え」ということでした。もちろん、能力の一番尖った部分で遅れを取る気はない、くらいの自負は僕にもありましたが、総合的な能力のバランスという面で僕は同期の中で圧倒的に劣っていたと思います。端的に言えば、能力のムラがあり過ぎました。

ホワイト企業の最も厄介な面はこれです。学歴はあって当たり前、その中で更に苛烈な選抜を潜り抜けてきた彼らは「出来て当たり前」なのです。もちろん、新卒にいきなり難度の高い仕事が回ってくることなどありません。しかし、「誰でも出来る仕事を効率よくこなす」という点で競い合った場合、能力ムラが大きく集中力にも難のある僕は圧倒的な遅れを取りました。

眠気。耐え難い眠気。僕があの職場にいた時の記憶の中で最も印象深いのがこれです。とにかく仕事に興味が持てず頭に入らない。そして、単調に続く事務作業の連続は、耐え難い眠気を僕に起こしました。また、僕は当時コンサータを入手することに成功しておらず、薬によるブーストをかけることも出来ませんでした。(後にこの症状はコンサータの投与で劇的な改善を見ることになるのですが、その時には全てが手遅れでした)

事務処理能力というのは残酷なジャンルです。素体スペックの差が隠しようもなく露呈します。何の面白みもなく、また仕事の全体像も見えないまま取り組む果てしない事務作業は、僕にとって最も適性のない仕事でした。しかし、ほぼ全ての同期は研修から配属初期に続くこのなんの面白みのない作業に難なく順応していきました。

当たり前です。僕のように中学校は半分以下の出席、高校は単位取得ギリギリのサボリ魔なんてバックボーンの人間はほとんどいなかったはずです。彼らは退屈さと面白みのなさを克服する訓練を果てしなく重ねてきた人間たちでした。その上、定型発達者でした。「こいつら本当に人間なのかよ」と思った記憶があります。しかし、彼らから見れば「人間ではない」のは僕の方だったでしょう。

僕は、人生のほとんどを「圧倒的に出遅れた後、後半で爆発的な加速をしてマクる」というパターンで乗り切って来ました。文句なしのスロースターターです。どこかで強烈な過集中がやってきて、全てをチャラにしてくれる。その繰り返しで生きてきました。中学も、高校も、入試も、大学も、就職活動も全てこのパターンでした。例えば、1年の期間で一定のタスクをクリアするのであれば、僕はその半分は浪費します。そして、誰もが「あいつはダメだ」と思った頃、強烈に加速してチギる。この繰り返しでした。そして、一番悪いことはそのパターンで新卒になるまではなんとかなってしまっていたことです。僕は「出遅れなんていつものこと。どうせ後半になればいつものアレがやってくる」という強い楽観を無意識のうちに持っていました。

しかし、仕事というのはそういうものではありません。特に、巨大なシステムの歯車として機能する事務職に於いては、そのようなやり方は一切通用しません。安定した出力を常時出し続けることこそが一番大事なのです。突出する必要はありません。安定感こそが最重要です。僕には危機感がまるで足りませんでした。そして、1年が経つ頃、僕はどこからどう見ても手遅れになっていました。

僕に仕事を教えようとする人間はおらず、また同情的に振舞う者もおらず、それでも職場は問題なく回っていました。一度掛け違えたボタンは時間の経過とともに加速度的に悪化し、二度と元に戻ることはありませんでした。全てが手遅れだったのです。

 

生意気だったー部族をナメていた

僕はこのブログで「部族に順応せよ」と繰り返し述べています。とにかく、部族の文化を尊重し、従順に振舞うこと。しかし、新卒の頃の僕の考え方はこれと全く逆のものでした。そんなものはくだらない、利益にもならない、順応や従属なんてのは情けない人間のやることだ。もちろん、ここまで明確に言語化されてはいませんでしたが、そういう風に考えていたと思います。だったらベンチャー行けって話ですよね。もしくは、営業の数字だけが正義の会社に飛び込めば良い。これは全くその通りで、何故そうしなかったのか未だに後悔があります。そういうタイプの会社の内定だって持っていたというのに。

僕は、10代から20代の始めまで「我を貫く」ことをモットーに人生を生きてきました。気に入らない教師や上司にはとことん逆らいましたし、人間関係も我を殺すくらいなら全て放棄してきました。その結果人間関係から放逐され孤独を味わうこともよくありましたが、その場合は「極力学校に行かない」「バイトはさっさと辞める」という最高の解決策がありました。授業なんか受けなくても自分でちょっと勉強すれば進級に困ることもありませんでした。(そもそも高校まで受験に一切関心を持っていなかったので、入った高校のレベルもとても低かった。高校選びは「家から近い」という理由だけでした)

最初に入った大学では見事に人間関係に殺されましたが、これも「退学して別の大学に通いなおす」という逃げが全てを解決してくれました。そして、入りなおした大学はそのような生き方こそ正しいという校風を持っており、僕のこの性向は大学卒業時に最も高まっていたと思います。(もちろん、僕は母校に感謝していますし、あの校風は素晴らしいと考えていますが、それはそれこれはこれ)

社会性を身につけるチャンスは、今思えばそれなりにはあったと思います。アルバイトだってかなりの数をしていました。しかし、アルバイトは所詮アルバイトだったんですよね。気に入らない先輩や上司がいれば喧嘩を吹っかけて辞めればいいだけのことでしたし、いくつも職場をホッピングすればそのうちに我を殺さなくていいところにあたります。無限にホッピング可能なアルバイトでは、僕は社会性を身につけるどころか反社会性を果てしなく強化しただけでした。

「退屈さと面白みのなさに耐える」ということもまるで身についていませんでした。当たり前ですよね。退屈で面白くなければすぐに逃げ出して次に行く人生だったんですから。礼儀や挨拶といった基本的なものもまるで出来ていませんでした。そんなものを求められたら即座に胸倉を掴みにかかるような人間でした。ここまで書いてきて、本当に恥ずかしいですね。しかし、言語化することにはそれなりの意味があるような気がします。

そういうわけで、僕は部族にグチャグチャに叩き潰されました。そのようにして、また僕は逃げ出したわけです。この頃の僕は、他人への共感性が限りなくゼロだったと思います。他人の立場なんてものを考えたことは一度もなかったかもしれない。「あの人にはあの人の苦労があるだろう」なんてことを考え始めたのは、自分自身で経営を行うようになって上司の立場になってからです。他人のことなんて考えたこともありませんでした。自分の正しさだけが世界の全てでした。

 

発達障害を甘く見ていたー自分が30歳になるなんて信じられなかった

僕は大学生の頃には自分が発達障害であることに気づいていました。通院もしていました。元来が躁鬱病を患っていたので、実のところを言えば大学時代からコンサータを飲むことは可能だったと思います。そして、そうしていればまた違う未来があったのかもしれません。しかし、これは本当に運が悪いことだと思うんですが、飲まなくても結構なんとかなってしまったんです。

もちろん、客観的に見れば高校は落第寸前の出席日数、人間関係はほぼ全てで破綻を繰り返しその度に別の場所に逃げる、定期的に躁鬱の波を繰り返し、薬物のオーバードーズと自殺未遂を繰り返す、明らかにダメです。でも、その破綻寸前の生活を僕はギリギリの線で乗り切ってしまいました。また、中途半端にテストの成績などは良かったため、問題が中々表面化しなかったのです。大学時代も薬物とアルコール、自殺未遂などは定期的にやらかしていましたが、「圧倒的に大学が楽しい」という事実が問題にフタをしてしまっていました。また、大学は圧倒的な規模があり人間関係を次から次へと乗り換えることが可能だったため、様々な問題を回避することが可能でした。

また、ある種そういった生き方に自分自身が酔っていた節も多大にあります。自己陶酔ですね。また、昔から僕は弁が立ったため、直面した大きな問題を口先だけで何とか乗り切ってしまえる最悪の能力がありました。そして、僅かはあるものの僕のそういった性向を承認してくれる人間の確保にも成功してしまっていました。彼らは僕が破滅的に振舞えば振舞うほど喜び、承認を与えてくれました。このようにして僕の反社会性は20代になっても衰えることなく保存されていったのだと思います。

僕は自分に30代があると思ったことがありませんでした。20代も後半にさしかかるまで、30代なんてのはおそらくない、自分は20代で死ぬ。そういう根拠のない確信を抱いて生きてきました。問題を解決する必要性すら感じていなかったのです。自分自身に大きな問題があることには気づいていました。いつかそれは避けようがなくやってくるだろう、とは思っていました。でも、その前に死ぬだろうとはもっと強く思っていました。根拠のない楽観と悲観を実に器用に使いこなして現実から逃避していたのだと思います。

ADHDという人生の問題と真正面から向き合ったのは、実はそれほど古い話ではありません。ほんの数年前の話です。定期的にきちんと医者に通い、服薬を欠かさず、様々な生活上の工夫を実践する、他者への共感的な振る舞いを試みる、定型発達者の考え方をエミュレートする。そのような習慣を身に着けたのは25歳を越えてからでした。もし、もっと早く僕が圧倒的に打ちのめされる機会に遭遇していれば、事態はここまで悪化しなかったのかもしれません。でも、気づいた時には全てが手遅れでした。逃げて逃げて逃げて、ついに逃げ切れなくなったときやっと人生の問題と向き合うことが出来たというのは、本当に最悪のことです。

 

生活習慣という概念を持っていなかった

僕は、今でもあまり褒められた生活習慣を持っているわけではありませんが、人生のある時期まで生活習慣を作るという概念を1ミリも持っていませんでした。眠りたい時に眠り、目が覚めているならいつまでも起き続けていました。躁鬱と不眠が事態を更に悪化させました。現在のような適切な睡眠薬の飲み方すら、20代の半ばになって身に着けたものです。僕にとって睡眠薬は人生のある時期まで、酒のツマミでした。

精神科に行くことと酒屋に行くことの区別がついたのは、二十歳を過ぎてからだと思います。現在、コンサータを飲むようになった僕は、適切な服薬の重要性を本当に強く認識しています。しかし、ある時期まで僕にとっての服薬とは人生の痛みを紛らわす酩酊物質を胃に放り込むことでしかありませんでした。

僕が新卒で会社に入った後の生活習慣は、平たく言って滅茶苦茶だったと思います。(まぁ、それ以前はもっと滅茶苦茶でしたが)帰宅するなり酒を煽り、明け方まで目を血走らせて過ごし、数時間の眠りについた後身体を引きずるように職場へ向かう。こんなコンディションで良い結果なんて出せるわけがないんです。自分の異常性に気づいたのは、深夜の3時にコンビニまで酒を買いに行って時でした。仕事の始まりまではあとほんの6時間です。8時には家を出なければいけないのに、酒を飲み始めてどうしようというんでしょうか。でも飲んでしまっていました。

部屋中に酒の空き缶が散らかり、電話口からの異常な様子に気づいた彼女が飛行機で駆けつけるまで僕はその生活を続けていました。彼女が激怒しながら処分した空き缶は、一番大きいゴミ袋に3袋という量だったのを今でも覚えています。机の上は空き缶の林のようになっていました。仕事を辞める、という判断は今考えると間違いではなかったかもしれません。その後の起業という判断も正解だったとは言い難いですが、あのままあの職場に残っても明るい未来はなかったでしょう。傷病手当や疾病休暇は取れたかもしれませんけどね。

 

僕はジョブズではないということにやっと気づいた

悲惨ですね。こうして言語化してみると、僕は実に模範的な死に方をしています。事態の表面化が遅れたため、最悪の時点で発達障害と向き合う羽目になったとも言えます。逆に言えば、この失敗を逆さにひっくり返すと多少は正しいやり方が出力されるのではないでしょうか。早期に自己の問題と正面から向き合い、対策を講じ、部族に対して、あるいは他者に対して共感的に従順に接する。あるいは自己の適性に見合った職場に就く。それだけのことが出来ればもっとマシな人生があったのかもしれません。

あなたがそうならないと本当に良いな、と思います。発達障害の発現形は実に人それぞれで、僕のライフハックが必ずしも通じるとは限りません。でも、少なくとも「僕はこのように失敗した」という知見をインターネットに撒き散らすことには僅かなりとも意義はあるのではないでしょうか。

今僕は、新しい職場にそれなりに適応できています。「なんでこんなことがほんの数年前の僕には出来なかったのだろう?」ととても不思議に思います。でも、出来なかったんです。もしかしたら、少し発達したのかもしれません。もしくは、経験が増えて対応力が向上したのかもしれません。でも、出来ることなら同じタイプの苦しみをここを読んでいる皆さんに味わって欲しくはないと思っています。

発達障害の特性を強く有したまま人生を駆け抜けていける人も稀にいます。それはそれでとても素晴らしいことです。しかし、僕を失敗に導いたのは、正しくそのような発達障害者達の神話でした。自分は突出した能力を持っていて、それ一つで社会を駆け抜けていけるのか、それとも「出来損ない」として社会に順応していく努力をしないと生きていけないのか。僕は今、明確に後者が自分であると認識して生きています。

僕はジョブズではない。エジソンでもない。社会の中で稼いで生きていくためには、己を社会の中に適応できる形に変化させていくしかない。言うなれば、呑み込むべき事実はたったそれだけなんです。それさえ出来れば、後は具体的にどうするかという戦略を組み立て、トライアンドエラーを繰り返すだけのことです。それだけのことを理解してこの文章を書けるようになるまでに、取り返しのつかない時間が浪費されました。なにをどう悔いても、時間は戻ってきません。20代は終わってしまいました。

とはいえ、僕はまだ人生を諦める気はありません。神話的な発達障害者になることを諦めただけです。地道に愚直に積み上げることを今更ながら目指すだけです。そして、あなたのお役にほんの少しでも立てればいいなぁ、と思います。(まぁ、もっともそれは主目的ではなく『書籍化』が大目標ですが。もっと言うなら「金と名誉」が目的そのものですが。それでも『善意だけでやってます』なんて人間よりよっぽどマシだと思いませんか?)

残念ながらまだまだ人生は続く。

やっていきましょう。

 

 

明日役立つブラック企業類型ガイド

ブラック企業にも色々ある

世の中にブラック企業はわりといっぱい存在し、いざ仕事を選ぶ段になると「コンプライアンス完璧」「労働法規は100%遵守」「パワハラ皆無」といった職場なんてほとんど無いのでは?という気持ちになります。たぶんその通りだと思います。じゃあ、ブラック企業が大体皆同じような存在か?と言われれば、それはまた違う。「幸福な人間は大体みんな似たようなもんだが、不幸な人間はめっちゃヴァリエーションある」みたいな話を誰かがしてましたが(誰だったっけ?)、ブラック企業も実に色々あるわけです。

「いちばんマシなブラック」を選ぶしかない局面というのは人生にわりと起こります。自分の適性をよく見極めたうえで適切に選ぶのがコツですね。

ブラック企業選びの軸には「完成度」と「儲かっているか」の二軸を採用します。

 

A 完成度が高く儲かっているブラック企業

わりと企業としては強いブラック企業になります。儲けのシステムがしっかり仕上がっている会社ですね。規模は概してデカく(このタイプの企業はスケールがある程度ないと成立しない)、経営者は結構いい暮らしをしています。「軍隊みたいな理不尽研修」「謎の社内ルール強制」「妙に高い給料」とかそういうのが特徴になりますね。お金があるからシステムを構築することが出来るパターンです。

こういう会社は、たいてい人間をいっぱい採用して過半数が短期間で退職していくというのを前提にシステムを構築しています。僕が知る限りですが、とにかく人間を「君ならやれる、君はすごい。是非弊社に!」と引きずり込む採用担当と、甘い夢を見て入社してきた新入りをとにかくシバキ上げてスキミングする教育担当に完全に役割が二分化されていることが多いです。

僕が知っている某社(現存)は、採用担当は「何人引きずりこめるか」のノルマを課されており、教育担当は「何人研修中に退職させられるか」のノルマを課されていました。すごいですね。この会社の幹部と友人だった時期があるんですが(酒席で殴りあいに発展して縁が切れた)「使えるバカを選別するシステム」と言ってました。こんなブログを将来書くことがわかっていたら、社会性をきちんと発揮して縁を維持しておくべきでしたね…。ちなみに僕は柔道2段ですが、彼も某武道モリモリ系大学で剣道をやっていたそうです。武道が人格を滋養しないという事実がよくわかりますね。

で、このヘルカンパニーの話をもう少しするんですが、この会社は結構よく出来ていて、新入りをまず2週間ほど泊り込みの研修にブチ込みます。その間とにかく理不尽を浴びせまくり、どんどん辞めていくに任せます。もちろん携帯電話などの外界と連絡できる手段は没収になります(途中で帰るのは完全自由、ただしその場合は帰りの交通費は自腹というシステムと聞きました)。

この研修を越えた新兵には次の試練が襲い掛かります。果てしなく続く「誰でも出来る仕事」で競い合う時間です。あんまり具体的に書くと訴状が飛んでくる可能性があるので控えますが、まぁとにかくそういう仕事を果てしなくやらされるわけです。この会社とは別の会社の例ですが、「町中の賃貸アパートを観察して空き室率が一定割合を越えるアパートを見つけて報告する」とかですね。

これがまた中々のものなのです。効率よくノルマを達成した人間はひたすら賞賛され、成績の悪い人間は朝礼などでボッコボコにされる。もちろん成績の悪い人間は退職していくことが前提になっています(というか残られると困る)。すると、ゲームに適応し結果を出す人間だけが最終的に残っていきます。彼らがブラック選別に耐えたブラックサバイバーたちです。ブラックという大釜で煮詰めに煮詰めて最後に抽出される一滴(3%を切ると思います)。大変有能な皆さんです。

企業経営者、それも学歴や金集め能力などを持たないタイプはこの手の選別を生き残った人間がそれなりの比率存在します。叩き上げタイプの社長ですね。彼らが世界に種としてバラまかれ、また新たなブラック企業が生まれます。これがブラック円環の理です。

実はこのタイプの企業は選択肢としては「ベストではないけれどありえる」可能性があります。少なくとも給料は貰えるし、生き残り方針が比較的定めやすい。一回勝ちサイドに回ればモリモリ承認を投与してくれるので、「うっかり勝ち残った発達障害者」が多数生息しているエリアでもあります。また、この手の企業で一回泳ぐと生存スキルが一気に高まりますので、「いつでも逃走する心構え」を前提に、僕はこの手の企業に入ることを全否定はしません。彼らは基本的に去る者を追わない(というかそんな時間はない)ので、逃げも打ちやすいです。社員がある日突然パーフェクトバックレなんて日常ですし。

 

B 完成度が高く儲かっていないブラック企業

最悪です。これだけは避けましょう。この手の企業は大体のところ、「かつてはブイブイ言わせていた時期があったが、時代の変化とともに収益構造が現実に即さなくなってきた。でも、ブイブイ言わせていた時の残滓でなんとなく生存はしている」タイプの会社です。大戦末期の日本軍みたいなもので、皆「なんとかしなきゃ」とは思ってるんですが、築き上げたシステムのガワが巨大過ぎて何をどうしていいかわからないという状態にあります。

この手の会社は「このサワヤカ青年が『アットホームな職場』『がんばればいっぱい金がもらえる』をやけに主張してる求人はどう考えてもダメだ。この端っこの方に常時出てる地味な求人が案外当たりなんじゃね?」などと考えた場合にツモることが多いと思います。そういうのは、求人にかけるカネはないけど常時人は不足している、という悲しい事実を示唆している場合が多いですね。

こういう会社はせっかく入ってくれた人間を逃すまいと基本的に考えてますし、経営陣は「なんでこんなに新人が定着しねえんだよ」と頭を抱えていることが多いです。ですから、明らかに選別にかけることを目的としたわかりやすい研修などは無いことが多いです。そんなところに投下する資金も無いわけですし。もちろん現場は終わっているので、ヌルいということでは全くありませんが。

この手の会社に新卒や新入社員として生き残る方法ですが、基本的に無いと思います。いや、あるかもしれないけど、だったらマッキンゼーとかボストンコンサルティングとか入った方がいいと思います。

こういう会社は、多くの場合部族としての悪習をゴリゴリに維持したまま滅びていきます。煮られるカエルだということは彼らもわかっているのですが、過去に染み付いた成功体験が変化を拒否し続けます。つまり、Aの会社に僅かにある美点を丸ごと全部失ったのがこの会社になります。

尚、この手の会社の部族の風習として残り続ける意味のわからないアレは、「昔は合理性があったが時代の変化とともに合理性が失われ、形式だけが残った」というものが多いです。最悪ですね。しかし、人間の組織に「それは合理性がないから改めよう。時代に合わせて変化しよう」と呼びかけても、まぁ大抵は無理です。(それが出来るからマッキンゼーとかはめっちゃ金もらえるわけですし)

わかりますね。金も未来の希望もないのに槍一本でライオンに挑まされ、しかも部族から逃げようと思ったら粘りつくような妨害工作を打ってくるのがこの手の会社です。最早、構成員は人間をやめています。個人の努力、プレイヤーとしての研鑽をどれほど積もうと、「基本的な収益構造が終わっている」という点をひっくり返すのはほぼ不可能です。諸星大二郎みたいな世界観ですね。

「ウチやんけ」と思った皆さん、逃げましょう。そこで一定期間戦った皆さんは基本スキルがそれなりに向上していると思います。熱湯でバタフライした経験を生かして次の職場で頑張りましょう。大丈夫、そこよりはヌルい。

 

C 完成度が低く儲かっているブラック企業

はい。来ましたね。これは希望です。要するに「いっぱい人間を採用して、いっぱいすり潰していく工程そのものが収益を生む」というブラック黄金律の開発がまだ完了していない会社です。スケールは比較的小さい場合が多いですが、稀に人員が三桁規模になってもこの状態ということもあります。(経営が傾いて基幹人材が逃亡した瞬間に全てが終わるという点については目を瞑ってください。そういうものです)

この手の会社ですが、経営陣に異能持ちが複数存在しているパターンが多いと思います。とにかく仕事をいっぱい持ってくる営業スキルの化身みたいな経営陣が存在している会社などはこの状態になりやすい気がします。

とにかく、こういう会社は「個人の異能」をベースに全てが回っています。この状態をシステムに落とし込むことが出来ればホワイト企業に到達する可能性があるわけですね。でも、現在はまだそのような状態ではありません。

また、「とにかく金だ、まず金だ、数字を上げる奴が正義だ」という風習がゴリっと一本軸になっています。当たり前ですね、儲かっているとはいえ企業としてのシステムが完成していないわけですから。創業期からのベンチャースピリットが色濃く残っています。重要なのは合理性と戦略的妥当性だ、細かいことは気にするな(というか気にしている暇も人員もない)という文化の場合が多いです。というか、そうじゃなきゃ生き残れないですし。利益に直結しない風習なんてやってるヒマないんですよ。言うまでもないことですが、結果を出せばガンガン出世します。「え?じゃあ辞める」と言った瞬間に肩書きと給与が2ステップくらい上がるのは普通でしょう。

こういう会社は楽しいです。飲み会の作法なんてほぼほぼ無いことが多いと思います。「時間出来たな!飲みに行くぞウォー!」みたいな世界観です。利益という絶対正義に価値観を統合した合理的な野蛮人の群れですので、毎日が文化祭前日という趣があります。この部族の風習が脳に馴染むと長時間労働はさして苦にはなりません。金は貰えますし、仕事の裁量も大きく細かいことも言われない。そんな暇はありませんからね。このタイプの物質を脳の中に出すのが人生の主目的になっている人もわりといます。

さて、ここまで良いことばかり言ってきましたが、もちろんこの手も会社もキッチリ「ブラック」です。労働時間は当然の如くクソ長いですし、労働法規?なにそれ?守ると利益出るの?という世界観です。「おしごとたのしい!」というシャブがキマった皆さんばかりですので。また、教育システムも基本的には存在しません。「え、仕事教えて欲しいの?他社行けば?」というノリです。

多分、僕のブログに「は?くだらない風習なんかやめちまえよ、利益になんねえだろ」という「無茶言うなよ」系のコメントをつけてる皆さんはこの手の会社でシャブがモリモリにキマった幸福な時間を過ごしている方々だと思います。大変良いと思います。

この手の会社で一山当てた発達障害者はわりといっぱいいます。ジョブズ系の成功譚ですね。勢いのある皆さんは挑むのもいいと思います。この手の会社に突入した場合、僕のブログの話は部分的にしか使えないと思います。(とはいえ、仕事を学ぶには自分の先輩にすり寄って盗むしかないなどの事情もあるので、使う必要はあるとは思う)

 

D 完成度が低く儲かっていないブラック企業

ギャンブル枠です。大体は数人規模のスタートアップ企業か、多くて十数人規模の会社でしょう。この手の企業には圧倒的な美点があります。仕事をある程度モリモリこなしていると、「あ?文句あるなら俺辞めるけど?いいの?口の利き方がおかしいんじゃない?」「株寄越せよ。さもなきゃ辞める」などの経営者恫喝が極めてやりやすいという点です。

というか、この手の企業に入るなら上記の二つは絶対に持っておくべき考え方で、これがないと普通に使い捨てられて終わります。収益の基本システムは持っていない、それどころか日々生き残るための商いを探し続けている、砂漠をさまよう遭難者のような企業ですが、逆に言えばポジション争奪戦に勝つのがとても楽です。

これは経営していて痛切に感じた点なのですが、「基幹人材が抜ける」というのはとんでもない痛手です。下手すると、会社の収益システムや経営ビジョンが丸ごと吹き飛びます。それくらい創業初期というのは業務の属人性が高いのです。わかりますね?妖怪「株くれ」が跳梁跋扈しています。生き残るために自分の唯一の希望である創業者利益をゴリゴリ譲っていった社長さん割といるんじゃないですか。オイ、目ェ背けるな。会社はわりと上手くいった。バイアウトも成功した。あれ?手元にこれっぽっち?という話はあるよな。

また、「部族の風習」ですが、薄いことが多いです。これはCのパターンと同じですが、そんなことやってる暇ないですから。資金繰りの金をくわえて帰って来る鳥が優れた鳥です。人格や振る舞いにどれほど大きな問題があったとしても、重用する以外の選択肢はありません。

わかりますね?

最近「起業」が割りと流行ってますが、「元手無いなら無理して自分で興さず、他人の作った会社に侵入してジャックしちゃえばいいのになぁ」と僕はよく思います。興した人が偉いわけじゃないですし、そもそも社長が異能を持っておらず経営にも貢献していないなら、会社の経営者としての立場はどんどん弱くなります。創業資金を丸ごと自分で用立てたなら話は別ですが、出資者から引っ張っている場合「こいつ冷静に考えるといらなくね?」でポイされることも多いです。

経営者が従業員より強いというのは単なる誤解です。この手の会社に入って経営と収益の軸になるポジションを奪取してしまえば、普通に従業員の方が経営者より強いです。従業員を解雇するよりは代表取締役を解雇するほうがよっぽど簡単ですし(株主目線)。あとはあなたのやりたいように経営をやればいいのです。

起業したい!と思っている皆さんは、自分で資金引っ張って起業する前に従業員数人くらいのスタートアップに1回もぐりこんでみることを薦めますね。空気感が掴めますし、そこでうまいことイニシアチブを握れたなら、妖怪株くれになればいいですし。めんどくさくなったら辞めればいいし。オススメです。「俺が辞めた結果会社が終わった」みたいな愉快な体験ができるかもしれませんよ。

 

C>A≒D>B

という結論になります。まぁ、どの会社も基本的には労働時間は長いですし、順法精神は皆無だと思いますが、それでも、とにかく何の希望もないくせにデメリットだけは山盛りのBを必死に避けろというのが今日のエントリの結論です。

しかし、現実的にどのタイプのブラック企業が多いかといえば、圧倒的にBです。全く儲かっていないし資金繰りはキツいが、ガワだけはデカく企業として存続してきた年月が長いので融資などもそこそこ受けられる。潰れたら困るので銀行もわりと金を貸します。しかし、中身は完全に腐敗していますので最早滅びる時を待つ死に掛けた象です。

この手の会社は企業としてのネームバリューをそこそこ持っていますので、「とにかくちょっとでも良い会社」みたいな曖昧な方針で職を探すと圧倒的にぶつかりやすいです。しかし、内部的にはベンチャー企業と大手企業の悪いところが集約されておりますので、大変に地獄です。「新卒からこの会社一本」みたいな会社と自我が癒着した妖怪が多数生息しており、終わっていきます。

本気で避けろ。「弊社は創業~年」みたいなところをゴリ押ししてくるあれはやめろ。本当にやめとけ。朝の会社の前と周囲の掃除などを誇らしげに語り始めたら即帰宅していい。何のメリットもない。

 

Aタイプの企業で生き残る方法

ぶっちゃけ、Cって普通に入れなくね?というご意見はあると思います。確かに、ベンチャーホッピングをしているタイプの皆さんは選択的にCに飛び込みますし、割と狭い門にはなりがちです。起業するほどの勢いはないが、それでも一発当てることを夢見てこの手の会社を探し続けている人類はわりといます。とはいえ、採用スキームすらない会社なので紛れ込む難度は大手優良企業に比べればクソ低いんですけどね。

そういうわけで、現実的な選択肢になりがちなAで生き残る方針をちょっと書いておきます。長期間そこで働くというのはあまり現実的ではない場合も多いですが、上手いこと幹部になれれば美味しいですし(良心をドブに捨てる必要はありますが)。社会適応訓練としてはわりと有意義です。

まずこの手の会社ですが、敵は弱いです。大手優良企業で同期と競い合うのに比べれば、この手の会社にいっぱいいる人類はそれほど手ごわくありません。当たり前ですね。だって、基本的には「なんでもいいからとにかく採用してふるいにかける」という方針なんですから。ですから、仮に5年生存率が3%としてもそんなに恐れることではないんですよ。敵は有象無象です。

しかし、部族としての完成度はかなりのものなので、適応する必要はあります。誰よりもデカい声を張り上げ、大きく頭を下げる必要はあります。基本的な生存メソッドはこのブログに書いてある内容をゴリゴリやれば足りると思うんですが、敵は順法精神のカケラもない会社ですので、こちらも狂気を含んだ対応をしていく必要があります。

まず、一番重要なのは「勝ち筋を掴めなかったら即逃げ」という方針です。だって、しがみつくメリット無いじゃないですか。Aタイプのブラック企業なんて無限にあるんですから、ここの会社で得た知見を持って別の会社に移って強くてニューゲームすればいいだけの話です。さっさと逃げましょう。基本的に辞めるのは(多少おっかないこと言われるかもしれないけど)簡単なので、最後は思いっきり迷惑をかけて後足で全力で砂をかけて逃げればいいと思います。

この手の会社に勤めていて「告発したい」という向きがある皆さんはすぐに連絡ください。全力で協力します。

後は、「順応するぞウォー」という狂気を含んだ愚直さと、「勝てないと踏んだら即逃げ」「基本的にこいつらはクソ部族だから人間と思っていない」「使える反則技は全部使う。バレたら辞めればいいだけのこと」などの理性的な判断を両立させるマインドセットが重要だと思います。洗脳されたら終わりですからね。誰よりも愚直に動きながら、誰より冷徹に周囲を見渡す理性は結構両立します。それが出来るとかなり楽になります。クッソどうでもいい会社だという点はかなりメリットです。

僕は昔、飛び込み営業で浄水器を売るゴミみたいな会社の構成員だったことがありますが、あれは良い経験でした。老人が██████████████████団地で、試薬を██████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████などの戦術でわりといい営業成績を上げていました。この手のクソブラックゴミ集団は一回勝ち筋に乗ると楽しいです。朝礼で全員からクソデカい声で賞賛されながら拍手喝采を浴びるのはクセになる快感です。おまけに、その浄水器には定価という概念が存在せず、上乗せした██████████████████████████████████████████でした。すごいですね。もうやらないです。許してください。一生懸命ブログ書きます。当時の僕は進学資金を貯める必要があったんだ。若かったし何も持ってなかったんだ。今も何も持ってないけどさ。

そういうわけで、皆さんやっていきましょう。
とにかく、Bタイプの会社には入るな。僕が言いたいのはそれだけです。

皆がつらいお仕事の話

このような出来事がありました。

 

課長「新入りさん、この山盛りの文書をAとBに分類して、AはA´の方法で、BはB´の方法で郵送してくれ。尚、今日出さないとヤバイ。わかり?」

新入り「わかり」

僕「営業終わりましたー(帰社)」

課長「借金玉、新入りさんに郵送の仕事任せたんだが、最終チェックおまえな。出す前に全部チェックして帰りがけに郵便局出しとけ。俺は商談に行く」

僕「わかり」

新入り「モリモリ」(事務の出来る人なので良い速度で進んでる)

僕「わからないとこないですか?」

新入り「ないです(手元を隠す)」

僕「よかった。(ウッ、この人年齢も事務キャリアも僕より上だしこの程度の仕事の進捗を途中で見せてみろとは言いにくい、いうて僕もこの会社入ったのこないだだし…)ではなんかわかんないことあったらいつでも聞いてください。ちなみに、どんな指示なんです?」

新入り「郵送物をAとBに分けて、AをA´、BをB´の方法で郵送しろとの指示です。時限は今日中です」

僕「承知しました。では、出来たら呼んでください。いつでもお気兼ねなく」

新入り「わかり」

僕(自分の仕事はあと1時間で終わるな。今日はもう営業のアポはないし、定時まで2時間か。自分の長期タスクに手をつけるか、誰かの仕事拾いに行ってポイント稼ぐかどっちがいいかな。長期タスクに手をつける気分でもないし、先輩の仕事引き取るか。仕事流してもらいたいし)

僕「先輩さん、書類引き取りますよ」

先輩「マジ?じゃあ頼むわ!借金玉ちゃんサンキュー!(ボードに直帰と記し軽やかに帰宅。会社に残ったのは僕と新入りさんだけ)」

僕「モリモリ」

新入り「出来ました」

僕「じゃあチェックさせてもらいますね」

新入り「定時なので帰ります」

僕「お疲れ様でした(あと15分早く終わらせてくれれば僕も定時に帰れたんだが…しゃあないか。まぁ、課長が帰る前に終わらせれば良かろう)」

新入り「お疲れ様でした」(颯爽と退社)

僕「やるか」

僕「…これ間違ってね?」

僕「完璧に間違ってるやんけ。半分以上ダメやんけ」

僕「ヴァーアアア」

課長「商談終わったで。まさか今日程度のタスク量で残業してるような無能はおらんな?ここを残業代が沸いてくるタイプの会社だと思い込んでるバカはおらんな?」

僕「ヴァーアアア」

 

このストーリーにおける悪を探しなさい(10点)

まぁ、結論から言うと初手から新入りさんの理解が間違ってたんですよ。まぁ、もっと具体的に言うと課長は「業者には」「客には」って表現をしたんですよ。この場合の「業者」は同業者のことなんですが。新入りさんはそれを「法人」と「個人」という解釈をしてしまった。要するに、送り先が会社名になってるものと個人名になってるもので文書を仕分けしてしまったんですね。

でも、法人だろうが客の場合もあるんですよね。(個人名で業者ということは流石にないのでそれは助かりました)つまり、最初のAとBの概念が完全に間違ってた。でも、言葉の上ではそれを認識する手段がなかった。

新入りさんに「どのような指示を受けていますか?」という確認は僕もしてますし、新入りさんも明確に「この文書を業者宛てとお客様宛てに仕分けして、それぞれの方法で郵送する準備をする」って言ってましたしね。

で、久しぶりに怒られスープレックスが発生して後頭部から社会に落ちたわけですよ。絶対に社会を殺す、という気持ちを新たにしたとてもいい日でしたね。

 

仮説1 僕が悪い

まぁ、謝罪はしました。「すいません、途中で仕事に割り込んででもガッツリチェックするべきでした。腰が引けていました。申し訳ありません、以後気をつけます、再発させません」という旨をごめんなさいしたわけです。課長は基本的にはとても良い人なので、5分ほどボンバーした後手伝ってくれました。ありがとうございます。

これもまぁ一理はありますよね。(自分が悪いと100%認めるのは腹が立つのでこのような表現になります)僕は新入りさんに手元を隠された時に、仕事を全うする気概を失って引いてしまった。仕事の最中にほんのちょっと先に会社に入っただけの若造に自分の仕事をチェックされるのはどう考えてもムカつくだろうな、先輩風は吹かしたくないな、嫌われたくはないな、という感情が入った。

でも、僕にも言い分がある。というのも、流石に年上で事務キャリアも上の後輩の仕事に割り込んで嫌われるのはこの先のデメリットが結構あるし、そもそも弊社は年功序列の色の強い会社ではない。プリミティブな出来ればエラいシステムが貫徹されている会社です。我々非正規雇用傭兵軍団の序列は「どれくらい出来るか」だけで決まっています。「めっちゃ出来る」という触れ込みで入って来た新入りに先輩風を吹かせて嫌われるのは、ワンチャン死までありえてくる。

そういうわけで、まぁ今後はこういう事態が既に1度発生したという前提で振舞うので再発は多分ないと思うんですが、それでも今回のストーリーで「僕が100%悪い」を受け容れるのは抵抗があるわけですよ。(まぁ、僕が100%悪い体で謝りましたが。だってそれが一番得なので)

 

仮説2 課長が悪い

「テメーの指示が悪いんだろうが」という言葉を200回くらい飲み込んだので、ここでいっぱい書いておきます。「テメーの指示が悪い」「テメーの指示が悪い」「テメーの指示が悪い」はい。いいですね、インターネットは。

でも、これもまた課長の身になって考えると「しょうがねえことだよな…」って思うんですよね。だって、僕が指示を出す立場だったとしても多分同じ現象発生してると思いますもん。相手が自分の出した指示を正確にリピートしている状態で、「本当にこいつ俺の言ったことの単語レベルの概念まできちんと理解しているか?」という確認を常時やるのは非常に難しい。そもそもそんな時間も心の余裕もない。これ本当に難しいですよ。だって、自分の会社でも似たような現象発生しましたもの。

しかも、課長は短時間とはいえ割とデカい商談に向かってたんですよ。今年の会社の純利益が二桁パーセント変化するレベルの。多分、頭の中はその商談で目一杯だったと思う。なんなら、よく郵便物の発送というタスクを忘れなかったもんだよなと思うくらいです。大したもんですよね。(まぁ、今日発送しないとアウトなところまで熟成させてたという問題もあるけど、これも本当に仕方ない。課長は死ぬほど忙しい)

課長に「テメーの指示が悪いんだろうが」とか「そもそも俺は残業代も貰えない前提で新入りの仕事終わるの待ってこの後カネも貰えない状態で郵便局行くんだぞコラ、死ぬか?」「全部仕事放棄してケツまくってやろうか?月末までアポミッチリだぞオラ?」「俺にはツイッターのフォロワーが1万人強いるんだが、この会社はコンプライアンスにそんなに自信があるのか?試してみるか?」とか言ってもいいんですけど。

まぁ、僕は今の職場が割と気に入ってるのでそういうことはしなかったわけです。課長、総体的にはいい人だしね。学ぶものもたくさんあるし。そういうわけで、課長が全部悪い説も一理は無くもないけど、それはそれであまりに課長に厳し過ぎるとは思います。このレベルで「全て管理職が悪い」にしたら管理職皆殺しになってしまいますね。管理職は管理職でクッソ大変なのは痛いほどわかるんだ…。

 

仮説3 新入りさんが悪い

まぁ、僕のカチーンと来たポイントを言うと、「定時ギリに終わらせて一言もなく帰宅した」という点ですよね。読んでいる皆さんもここに引っかかった人が多いと思う。これは結構悪手なので、新卒などの皆さんは気をつけましょう。ヘイトが溜まります。

とはいうものの、正直に言って僕は管理職の目が届かないところでは、あるいは許容される空気感があれば、割とルーズに自主残業をしています。「こないだ自主的に残業する新人のせいでホワイトな職場環境が死ぬ、あいつ殺せ」みたいな地獄が流れていたのを見ましたが。

togetter.com

これですね。

ここを読んでる皆さんは、これを読むと大変な気分になれると思います。「自主残業をコソコソやって辛うじて周囲に追いついていってる」という人も決して少なくはないでしょう。一日に30分でもロスタイムがあるというのは結構救いで、僕は業務中にどうしてもスイッチが入れられなかった日などはこれで帳尻を合わせています。電話も鳴らなくなりますし、大変捗るんですよ。あてにし過ぎてはいけないけれど、やはりあると助かる時間です。

そういうわけで、新入りさんから見ると僕は「定時をあまり気にしない人」だった可能性があります。定時後でも課長や先輩が雑談モードだったらお付き合いする主義ですしね。「私は非正規雇用だ、自分の与えられたタスクをただこなすのみだ。それ以外など知ったことか」という考え方も一理あるし、少なくとも責められる謂れはないでしょう。

「指示を自分が理解していないことに気づいていなかった」という点も仕方ないと思います。僕や課長の立場になると、「いや気づけよ」っていう気持ちが出てきてしまいますが、自分が新入りの立場なら「課長の指示が悪い」と思うでしょう。新入りというのはそういうポカをやってしまうものです。

僕が途中で出した「わからないことはないか?」「進捗ちょっと見せてみ?」という助け舟を蹴飛ばしたことについても、これもそう責められるほどのことではない気がします。ここで唐突に前提を追加しますが、僕は営業屋としての採用、新入りさんは事務屋としての採用です。「私の仕事だ」という気持ちが発生するのはある程度仕方ないことだと思います。

仕方ないですよね。これで新入りさんを詰めるなんてのは最低の職場だと思いますし。

 

 救いのある話と今後の課題

そういうわけで、課長と一緒にヴァーして仕事を片付けて帰宅したわけですが。ヒートアップしていた課長も手を動かしているうちに興奮が抜けて予定通り

「すまん、完全に言い過ぎた。そもそも俺の指示が悪いなこれ」

「新入りさん、借金玉より年上だしな。途中で見せてみろとは言い難いよな」

などのモードに入り、大団円を迎えました。

「いえ、私が途中できちんと確認していれば防げた話ですし、今日をきちんと反省にして以後気をつけます」

「課長、商談お疲れ様でした。上手くいったようで本当におめでとうございます」

みたいな感じで上手くエンディングに持っていくことに成功し、無事残業代も出ました。大変救いのある話ですね。課長は割と沸点が低いですが、その後シューっと反省するタイプの人です。日頃から円満な関係を作っている努力が出た日になったと思います。「謝罪を受け容れるぞ?謝るなら今がチャンスだぞ?」という暖かい気持ちを全身で表現した甲斐がありましたね。

尚、これは経験上ですが「謝罪を受け容れるポーズ」は往々にして「自分が悪いと反省して振舞うこと」です。人間は通常「俺は悪くねぇ」という態度の人間に、「ごめん俺が悪かった」と謝罪することは出来ません。この辺は人を見て振舞う必要もあるんですが(絶対に自分が正しいと思い込み続ける人、謝ったからにはこいつが悪いと充足する人などもいます)新卒など組織の新入りであるうちは、2割くらい自分が悪い要素もあるなと感じたらとりあえず、その2割について詫びるのが最善手だと思います。

さて、そういうわけでやっと「就労日誌」らしいエントリになったわけですが、最後に課題が残りました。課長に「新入りさんに間違ってたから今後気をつけて欲しいと伝えてくれ、俺はイヤだ」というタスクをブン投げられたからです。

やはり定型発達者は最悪ですね。殺っていきましょう。

雑記 総体性と一問一答、先日のエントリの具体化。

ブログに具体性がないという話

がコメント欄にお叱りとして投下され、うーん…と悩みこんでいたのですが。

ところで皆さん、AをBにする、DをEにする、GをHにする、という断片的なお仕事が振られたとします。僕はこういう「全体像の見えない断片的なタスク」を記憶するのが極めて苦手です。「A~Hの工程を行います、あなたの受け持ちはA-B、D-E、G-Hです」という教え方が大変望ましいわけですね。(まぁ、現実問題としてそういう風に指導してくれる人間は少ないので自力で仕事の全体像を把握していくしかない場合が多いわけですが)

この話をポツポツとツイッターでしたら

 このような例えが提示され、大変優秀だと思いましたのでそのまま転載させてもらいます。

そういうことなんですよ。「コロッケを作る」という目的が最初に提示されていないと、仕事はそれぞれ独立した連関のないタスクとしてベタ覚えするしかないわけじゃないですか。そこには単純な暗記だけが要求され、仕事全体の流れというものは存在しない。「言われた通りやる」しか余地がないわけです。

もちろん、「余計なことはやらせず仕事の意味も理解させず手をひたすら動かすことを要求する」みたいなものが必要になる業務のシーンもあり得ると思うんですが、僕はこれは物を覚える場合の効率としても、あるいは仕事の指導の方針としてもあまり優秀ではないと考えています。まず全体像を提示する。その上で、仕事の細かいやり方を教える。そうすれば現場から「この工程要らないのでは」とか「このやり方の方が良いのでは」みたいな声も上がりやすくなりますしね。

つまるところ、目的は「うまいコロッケを作る」ことなわけですよ。みじん切りの達人になることでもパン粉つけの名人になることでもない。まずは、「うまいコロッケを作る」という目的について理解してもらって、衣がカリっとしてじゃがいもはあくまでもほくほくと崩れベタつかないコロッケを目指すという話をしないとまずいと思うんですよ。

コロッケなら「この味を作れ」と食わせてみることも出来ると思いますが、このブログの場合目指すところをまず言語化しなければならないわけです。

 

一問一答をどれだけ積み上げてもゴールには辿り着かない

このブログの題材は所謂「空気が読めない」などの特性を強く持つ人間が、いかに人間の群れの中で上手くやっていくかという話です。もちろん「こういうシーンではこういう行動を取れ」という具体的なノウハウも語られることは多いですが、それはそれとして、皆さんの人生の現場というのは一人々々全く違うわけですね。それぞれの皆さんが、自分の置かれた状況に合わせて行動を作り上げていく必要があるわけです。

すごく悪い例えですが、いうなれば「人間の行動パターンをエミュレートしたロボットがロボットであることがバレないように振舞う」みたいなアプローチです。Aのパターンが入力された場合はBを出力する、Cのパターンが入力された場合はDを出力する、の積み上げでは確実にゴールまで辿り着けません。(とはいえ、頻出するものに関してはパターン暗記も有益ではあるんですが。「お礼」とか「挨拶」とかね)

そういうわけで、大筋の目的を設定してそこに至る細かい道のりに関しては各自がやり方を工夫していくというアプローチが絶対に必要になります。

「Aのパターンが入力された場合はBを出力する」という具体的なアプローチのみを積み上げていく手法は、情報量が少ないため摂取しやすく、また実行もしやすいと思います。腹括ってそれだけやってりゃウケるのかな?と思うところも無くはないのですが、僕はこの手のノウハウ本を割りと読んで失敗してきましたし、また仕事を教えられる時のスタイルとしても非常に好まないんですね。ダメだと思います。応用が効かない情報に価値など無い。

極論を言いますと、僕がAの時はB!Cの時はD!みたいな情報をここにベタ書きして、皆さんに丸暗記して実行しろと要求した場合ですが、皆さんそれ実行出来ますか?それが出来るなら発達障害者、少なくともADHDではないと思いますよ。全体像の見えない仕事をそれぞれが独立した無関係なタスクとして大量に記憶して実行出来る能力があるなら、それを生かしていく方針がいいと思います。具体的には事務処理中心の役人とか金融系のバックオフィスとかすごく向くと思います。すごい能力です。

「これさえやれば全部上手くいく」という情報は、わりと世の中に溢れています。あれは、喉越しのいい毒薬です。実際問題として、どんな時にも適応できる具体的な行動なんて存在しません。原理原則、そして目的を理解して、そこから逆算した具体的な行動を適時選択するしか究極的には無いと思います。

トライアンドエラーは必要です。やっていってください。このアプローチはダメか、じゃあこっちはどうだ?これはどうだ?よし決まった。こういったものの繰り返しが行動の精度を高めていきます。

僕も、まぁ出来ることなら「これさえやれば上手くいく、簡単だぜ!」と叫んで本を売りまくってメイクマネーして札束の風呂に浸かりたいのですが、あまり不誠実なことを書くとインターネットタコ殴りが発生することを十分心得ていますので、やっぱりそういう方針は避けたいんですよね。よろしくどうぞ。

 

とはいえ、具体的な話が役に立たないわけじゃない

「いや待て、断片的な仕事を覚えることを積み上げて然る後に全体像を理解するというアプローチも必ずしも間違いではないのでは?」と思われた方については、その通りです。「断片だけを記憶して、総体性を理解しないまま馬鹿の一つ覚えのように実行する」のがダメであって、詰みあがった断片が相互に結合し結果として総体を成していくなら、これは単なる逆のアプローチであってぜんぜんダメではありません。

僕は全体像をざっくりと見渡し、究極的な目的を抑えてから細部を構築していく思考メソッドを好みますが(断片だけでは記憶できないから)、逆が得意という人もいるはずです。まぁ、これが得意な人は仕事を教わるのも得意だと思うのでこのブログ読んでないと思うんですが…。(断片的な意味のわからない仕事もモリモリ習得できて、その中から総体性を見出していくのが得意なら何も困ることないだろ…)

まぁ、それはそれとしてそういうアプローチにも価値はあります。そういうわけで、前回のエントリを具体的な行動に落とし込んだものを羅列していこうと思います。全部完璧に実行するのは間違いなく不可能だと思いますが、やって、あるいはやろうとする姿勢を見せて損はないことばかりです。やりましょう。

 

syakkin-dama.hatenablog.com

 よっしゃ行くぞ。

飲み会

  • 一番先に店に入ってドアを開けろ、全員を迎え入れろ。
  • 全員が入ったらスーッと後ろに回って、みんなを座らせて自分は一番下座を確保しろ。小上がりなら全員の靴を揃えろ。
  • 料理が来たら取り分けろ。中々スムーズにやれないと思うがこれは慣れだ。まず一番偉い上席、それから職場で腕力がある順だ。
  • 全員のグラスの残量に目を光らせろ。少なくなったら注げ。「注がなくていい」と言われるまではやれ。自分のグラスに注がれる時は両手で持って頭をペコっと下げろ。ありがとうございます、と元気に言え。
  • うまそうに食え。うまそうに飲め。グラスに注がれたときは喉を鳴らして飲め。量は飲まなくていい。「あなたに注がれて嬉しい」という気持ちを表現しろ。
  • 飲み会が始まる前に「今日皆の前で誰かを褒められるネタ」を3つは用意しておけ。「~さんの~には本当に助けられました!」みたいなネタをほどよく盛り上がってきたところで放て。その場にいない人間でもいい。絶対に得をする。
  • 話すネタは「誰かを賞賛する」「誰かに感謝する」の二つだけでいい。逆に言えば、常日頃ネタはストックしておけ。「~さんに教わったラーメン屋めっちゃうまかったんですよ!」レベルでいい。(ただし、賞賛した結果場が冷める人間というのもいる。これは日頃から人間関係をよく観察しろ)
  • 自分のちょっとした失敗の謝罪や「そのうちお礼をしなければ」という話はなるべく飲み会の席でしろ。誰かに助けられた話などは、小声で、相手に近づいてしかし周りの人間に聞こえるようにしろ。カクテルパーティー効果は強い。
  • 話を振られた時はなるべく簡潔に答えろ。面白い話をしようとするな。
  • 笑え。1ミリでも面白いと感じたり、あるいは「この人面白いこと言いたいんだろうな」と感じたら笑え。笑顔を上手く作れなかったときは、額をペチャンと叩いて(目を隠して)笑い声を出しながらのけぞれ。目は中々笑えない。しかし、口と身体はいつでも笑える。
  • 飲み会が退屈するのは目が行き届いてないからだ。完璧に飲み会を乗り切ろうとしたら退屈する暇などない。
  • 煙草は吸うな。しかし、あなたが喫煙者で仲良くなりたい対象が煙草を吸いに抜け出した時はすぐに追え。煙草を一緒に吸うほど簡単な距離の縮め方は無い。「ご一緒させていただいていいですか?」は大抵の喫煙者にとって嬉しい。
  • 飲み会が終わる時はとにかく「楽しかったです」だ。楽しかったと言うほどにはアガらなかったなら「ありがとうございました」を連呼しろ。
  • 他人にはどんどん飲ませろ。自分はなるべく飲むな。飲んだフリをしていろ。相手が酔えば酔うほど楽になる。ただし、相手のペースに合わせることは忘れるな。
  • イジられる、笑いものにされるなどが発生した場合は笑えるところまでは笑え。ダメなら、「カンベンしてください!」と頭を下げろ。キレるな。
  • 喋るな。喋らせろ。
  • 翌日の挨拶回りを忘れるな。「昨日はありがとうございました」だ。上席だけじゃない。参加者全員だ。一般職のババアだけ忘れた、などの事態は死を招くぞ。

「会話で敬意や好意を主張する」というのは上級スキルです。中々出来ません。しかし、行動をルーチン化して示すというのは割とやりやすいです。それを重視してください。余計なことは可能な限り喋らず、最低でも「あいつは礼儀正しいし頑張ってる」という姿勢を見せることをゴールに設定してください。

 

日常会話

  • 大きな声で挨拶しろ。「おはようございます!今日もよろしくお願いします!」だ。明らかに無視されたり鬱陶しい顔をされてもやれ。あれは試されていると思え。
  • 相手が雑談を僅かでも振ってきたら全力で食らい付け。必死に聞け。上手く話せなくていい。「あなたと仲良く話したいんです」という気持ちを伝えろ。
  • ちょっとしたことでもすぐにお礼を言え。「挨拶」と「お礼」はどんな時でも使える最高の話題だ。礼を言われて嬉しくない人間などいない。人間は他人にしてやったことはいくらでも思い出せる生物だ。礼を言われ足りている人間などいない。
  • 相手の個人情報を可能な限り収集しろ。しかし質問攻めはだめだ。「先輩、休日とか何をされてるんですか?」「昼ご飯、どこに行ってます?」などの日常的な話題から徐々に徐々に掘り下げろ。
  • 共通の話題を探れ。ただし、「無い」ということもよくある。期待し過ぎるな。
  • 相手の話題に擦り寄っていく努力もしろ。大したコストをかけずに出来る「娯楽」「食事」などについてはやる価値がある。
  • 褒めろ。「あれすごいですね、真似させていただいてます」などを言うタイミングを探せ。逆に言えば、常日頃人間を褒められる箇所を見つける努力をしろ。
  • 服、鞄、事務小物などその人が「こだわっているっぽいな…」という箇所を探してみろ。ロゴさえ覚えておけばグーグルが答えを教えてくれる。高級ブランドだということがわかったらすぐに「それいいですね!」だ。
  • 人間を観察しろ。事前情報なしで人間といくらでも喋れる天才などそうはいない。人間は情報を撒き散らしている。拾いに行け。
  • 人間は好意に対して好意で返したくなる習性を基本的には持っている。まずは好意を向けていると認識されろ。然るべくして好意を向けられろ。話を盛り上げるのはそれからだ。
  • いきなり人間同士の話が盛り上がったりするのはかなり稀だ。段階を飛び越えようとするな。まずは、「語るに足る相手」と認識されることに全力を注げ。
  • 「挨拶」と「お礼」をとにかく欠かすな。「こういう時には挨拶とお礼」の考え方じゃない。「挨拶するタイミングとお礼をするタイミングを常に探す」くらいの気持ちでいい。
  • 距離を縮めたい人が仕事で必要になるアイテム、忘れがちな道具などについては携帯する努力をしろ。「これですよね!どうぞ!」はポイントが高い。「これじゃねえよ」になってもいい。やらないよりはよっぽどいい。やろうとする姿勢が人間の心を解きほぐす。

基本的に、「上手に喋る」は高等スキルです。あまりやろうとしない方がいいです。まずは、「お礼」と「挨拶」で好意と礼儀をアピールし、その過程で個人情報を収集しながら接近していってください。話すのが苦手な人ほど「話す」という行為の効果を大きく見積もり過ぎる悪癖があります。普段の行動の積み上げの一番てっぺんにチョコンと乗っかっているのが「喋る」という行為です。まずはそっちを積み上げましょう。確かに、上手に上司や先輩とトークを盛り上げている同期を見ると「喋れる奴はいいよな…」と感じると思いますが、多分そいつは「仲良く喋る」ために普段から積み上げを重ねています。たまに喋り一発で全てを切り抜けていく人間も存在しなくはないですが、それはお喋りスキル特化のモンスターです。真似は出来ません。

 

これはこれでキツかったのでは?

細かい情報をダーっと並べてみましたが、多分半分くらい読んで読み飛ばしてここを読んでる人が6割くらいじゃないかなーと思います。どれも「やって損はない」情報なんですけどね。一つ一つはわかりやすいし飲み込みやすいんですけど、いっぱい並べると総体性が中々見えにくいという欠点が出てきます。

とはいえ、これらはやった方がいいです。実行してみると大分世界が変わってくる、それも結構大きい変化が見込めると思います。この辺を意識したことが無い人ほど、大きな効果が見込めると思います。

今後は具体的なこういった情報と抽象的な総論を色々語ってみて、読み手にとって最も理解しやすい形を探る努力をしていきたいと思います。僕も手探りですので、中々読みにくい、理解しにくい、腹落ちしにくいというところもあると思いますが、なんとか頑張りに免じてご容赦いただければと思います。

やっていきましょう。