発達障害就労日誌

色々あるけどまぁ生きていこうじゃないかというブログです。

アキンドセンター様更新告知です

おなじみニューアキンドセンター様更新告知です

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まぁ、今回もイヤーなお話を書いているわけですが、会社創業ってそういうものだよな、という感じのあれです。人間はわかりあえない、とても悲しい。でも、悲しみを最小限にするためにコトが起きたらすばやく腹を括りましょう、なるべくなら起きる前から括っておきましょう。そういうことですね。

。いつもご閲覧ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。いやホントに。皆様に支えられて頑張っております。

それでは、僕は昼休みを満喫してまた仕事に戻ります。皆さんも、今日を頑張ってください。いつだって今日を頑張るしかないですね。

ADHD営業マンの心得一覧

営業してます

最近は職場で色々あり、端的に人が全く足りず営業から事務まであらゆる仕事をしています。また、ツイッターをご覧の方はご存知かと思いますが、文章を書かせていただく仕事もモリモリ入れており狂った多忙さが発生しております。めっちゃツイッターしてるだろ、というところですがあれだけが息抜きなので・・・。基本的に勤め仕事をしているかモニタの前で文章を書いているかの人生です。

とはいうものの、前回のエントリの通りわりと仕事は充実しており、勤め仕事は人生で一番円満に進んでいる感じがします。「仕事楽しいなぁ」という本当に久しぶりの感覚がありますね。何せ、最初の職場は「楽しいことが真剣に一つもなかった」くらいの感じですし、起業の方は後半戦が人生最大級の地獄でしたので。いや、これは本当に悪くないです。

その上で、ここしばらくの営業マンとして知見を総動員して、ADHDとしての営業業務ハックを考えてみましたので、宜しくご査収ください。基本的に「営業として成績を上げる」ハックではなく、「曲りなりにも何とか営業として機能する」ハックですので、この上にいわゆる営業マンの心得を追加していく感じで運用していただければと思います。

アポをチギらない、最も重要なことを定義する

営業をやっていて一番やばいと感じたのはとにかくこれです。営業というのは身体一つで行けば出来るものもありますが、事前準備が必要なケースも多々あり「やべえ忘れてた」の恐怖が思った以上にあることが分かってきました。何より「アポイトメント自体を忘れる」は本当にヤバい話です。営業マンにすっぽかされたら「死ね」以外の感情は出てこないですよね。これは流石にやばい。

とりあえず、資料などの営業上必要なツールについてはお約束の「使う可能性があるものはひとまず全て鞄に突っ込んでおく」で対処していますが、スケジュールの管理だけは厳しさがあります。しかも、僕の現在のお仕事は営業に留まらず内勤もあれば外勤のお仕事もあり、スケジュールはゴチャゴチャに絡み合ってしまう。これはかなり厳しい。そこでまず最終防衛ラインを定めるようにしました。

・とにかくアポだけはチギらない

これさえ出来ていればOK、というのが僕の仕事における最終防衛ラインです。営業以外の仕事の進捗や、後に伸ばせるタスクは全て営業アポイトメントに「優先しない」という定義をガチガチに固めました。これだけはやる、後は全て「何が起きても気にしない」という覚悟です。どうせミスはやるんです。

 

スケジュール混乱の本質は優先順位の混乱

最近スケジュール混乱の本質がやっと見えてきたのですけれど、それは優先順位の混乱だということが分かってきました。「何を先にやるべきか」「何が大事な仕事か」を考えるのが僕は非常に苦手ですし、些細な仕事の失敗でコンディションが大きく揺らぎます。これは予め明確に定めておくのが一番です。

つまるところ、トチった時のダメージが、「ゴメンナサイすれば本質的に問題のない場合」と「明らかに利益を逸失する、あるいは損失を出した場合」で大差がないのです。衝動性が強く過敏な性質が遺憾なく発揮されているのですが、僕は本当に些細なミスでも全てが狂います。そして、一つ狂えば連鎖的に何もかもが狂っていくのです。このやらかし無限コンボをなんとか食い止める必要があります。

そこで、「最低限絶対に守るべき一線」を引き、それ以外のポカは気にしないという仕事の優先順位付けをガチガチに行うことで、様々なことが解決しました。僕の勤める零細企業は最低限の人員でギリギリ回っているタイプの会社ですので、職場は常時戦場です。多少ポカをしたところで落ち込んでいる暇などありません。

結局のところ「完璧にスケジュールをこなそう」という強迫観念こそが、スケジュール崩壊の原因だったという気がします。全てのタスクを平等に扱った結果、些細なミスが精神的な動揺を呼び、動揺が更なるミスとスケジュールの連鎖崩壊を呼ぶ。これを止めるにはむしろ、「守れないスケジュールがあるのは当たり前、仕事をミスるのは当たり前、一番ヤバイところだけ守れればいい」という開き直りが効果的でした。

そして、最近僕は最終防衛ラインを徐々に拡大していく作戦を始めました。「絶対にトバせないしミスれない優先順位1位の仕事」をスケジュール帳の上で色分けし、色分けされたスケジュールを徐々に増やしていく。少しずつ、「ミスってもトバしても仕方ない仕事」を減らしていくのが現在の目標になっています。

「本当にヤバいところだけミスらなければいい、それ以外のミスは全て仕方ない、所詮自分はそういう人間だ」という諦めを健全に持つことが一番の救いです。仕事に優先順位をガチガチにつけて、優先順位の低い仕事については「何があっても気にしない」を徹底しましょう。逆に、「今度こそ全ての仕事を完璧にやるんだ」というような強迫観念は全くポジティブに機能しません。前向きに諦めつつ、諦めずに行きましょう。

 

スマートでなくていい、滑稽で構わない

さて、営業マンとしてお客様と接するときですが、こちらも最近獲得した考え方があります。「ビジネスマンとしてスマートに仕事をしよう」という感覚は全て放棄することです。例えば、時間ギリギリに汗だくでお客様との待ち合わせに駆け込む、鞄の中から資料がサッと出せなくてモタつく、これらは全て起きても全く構わないことです。

もちろん、常にお客様に先んじて待ち合わせに現れ、常に資料がサッと鞄から出て来る営業マンは優秀です。しかし、僕が目指すべき、もっと正確に言えば「目指すことの可能な」優秀さはそういうものではないようです。

いうまでもなくスマートさは重要です。しかし、それが出来なくても営業マンとしての結果は出せる。むしろ、「滑稽なほど一生懸命やっている不器用さ」を前に出していった方がよっぽど結果が良いということが分かってきました。

スマートに見せようとして取繕うよりは、不器用さを丸出しにして必死にやればいい。むしろそれでこそ獲得出来る信用がある。そういうことが実感として理解出来て来た気がします。汗をかき、必死に語る。上手にやれないことは気にしない。とにかく目の前のお客様に売りつければ勝ちなのです。

自分の得意なことと苦手なことを認識し、苦手なことは無理に補正しようとせず、その苦手な部分を抱えたままでも成果を出せるやり方に向かうべきなのです。営業のいいところは、何はともあれ売れれば全てが正当化されることに尽きます。滑稽な自分をむしろ隠そうとしない方が結果にはつながっています。

そして、結果が伴う仕事を繰り返していればその当然の帰結として仕事は少しずつ洗練されてくる。洗練は結果であり、目標ではないのです。あくまでも目標は成果を出すこと、利益を出すことであり営業歩合を取ることです。細かいことは気にしない、そして何が「細かいこと」であり何が「細かくないこと」なのがガッチリ定めておく。これは役に立つ考え方です。

 

個別知識よりはメタ知識が役に立つ 

営業には商品知識が必要です。しかし、扱う商品の数や種類が多い営業マンが全ての商品知識を丸暗記することは不可能である場合も多いでしょう。僕も、営業に出向く前に今日自分が売る商品の細かいスペックを覚えるのが大変に苦手です。

しかし、「商品一つ一つの個別具体的性質」以外に、「自分の売る商品の多くに通底するメタ的な知識」というものも存在しているのではないでしょうか。そのメタ知識の中で、一般的なお客様は大抵知らないお役立ち知識。こういうものがセールストークとしては効果的に刺さることがわかってきました。

商品の細かいスペックなんて大抵の場合資料に書いてあるわけです。それを諳んじられることにそれほど大きな意味はありません。それより、お客様が営業マンに求めている知識を語る、それも個別的なものではなく汎用的な使いまわしの効くものはないか。そういうことを考えていった結果、大分「殺し文句」がたくさんストックされてきました。

僕は「資料に書いてありますね、ちょっと待ってください確認します」みたいなことをお客様の前で平気で言います。結局、「質問に答えられない」ときは「すいません」というより、「そんなもん資料を見ればいいだろ」という態度を取る方がよっぽどマシなのです。逆に、資料に書いていないものについて語れることこそが重要です。

「細部よりもメタなこと、資料の内容より資料に書かれていないこと」がセールスにおいては重要だと最近はヒシヒシと感じています。「とにかく商品知識を丸暗記」みたいなのはおそらく落とし穴です。むしろ、セールストークにつなげられるのはメタで総合的な知識です。そして、資料の丸覚えよりはメタ的な理解から具体的な「殺し文句」につなげることを考える方が、ADHD的な性質の人間には向いていると思います。

ADHDは営業に向く、というわりと一般的な話の出所はこの辺でしょう。「確かに向いているな」と僕も感じています。

 

お客様に話させろ

営業マンは立て板に水のように話をしなければいけない、という事実は全くないということが最近分かってきました。むしろ、お客様は自分のことを話したい人が多いです。自分のことをベラベラ話す客は最高の客です。なにせ、気持ちよく発話させておけば、かなりの高確率で好感が勝ち取れているのですから。

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このエントリから続く一連の雑談技術の応用で完全にこなせます。お客様の購買意欲がある程度高いのであれば、営業マンは余計なことを喋る必要は全くありません。

では、購買意欲が低いときはどうするか。それをやるにしても、お客様の購買意欲の低さがどこから生まれてきているのかをまず話してもらわなければ話になりません。商品ABCがダメなら日を改めて商品Dを薦めることができる場合も多いでしょう。そのためにもひたすら情報を取るのは非常に重要です。

営業マンは話す仕事ではなく、話をさせる仕事だということがわかってきました。そして、合間合間に上手いこと「殺し文句」へ誘導できれば尚良しです。覚えるべき話術は、「語る話術」ではなく「語らせる話術」に尽きます。そして、完璧に覚えた知識をお客様の前で正確に再生するよりは、ずいぶん簡単で効果的です。

 

欠点は美点に言い換えてしまえ

僕は最近、「スマートさは全くない人間ですが、誰よりも汗をかいていきます!この夏に暑苦しいかと思いますが、よろしくお願いします!」というフレーズを多用しています。いうまでもなく、これは単なる言い訳です。誰より汗をかくのは僕が不器用でスマートでなく、ふとっちょだからです。別にそんなことしたいわけではありません。汗をかかずに済めばそれが一番に決まってる。

しかし、自己紹介の中に自分の欠点をマスキングするフレーズを織り交ぜておくのは非常に有効です。僕の場合は、全くスマートではない体型や早口の前のめりの喋りなどを「全部ポジティブに解釈してくれ」という意図があります。そして、それはクスっと笑ってもらえるものだとベストです。

資料が鞄から出てこなくてモタモタしているときは、むしろ焦った素振りを見せましょう。言うまでもなく内心は全く焦らないことです、「焦った演技をする」ことでむしろ冷静になれます。「いや、本当に資料整理が苦手でして・・・」で構わないんです。スマートさと完璧さが売りの営業マンであれば大失点ですが、そんなものは最初から望むべくもない僕にとっては気にするほどのことではありません。

欠点を隠すよりは晒す。そして、それをむしろ自分の美点として認知させる総合演出を考えていく方が圧倒的に楽です。これは結果さえ出れば正義の営業職ならではの利点でしょう。最高だと思います。

 

営業職は楽しい

営業は「狩り」に近い感じがあり、自分があげた成果がそのまま自分の収入に響いてくるため、僕にとってはモチベーションコントロールが非常に楽です。また、目の前にお客様がいれば、僕は衝動性スイッチが入っているためどれだけ疲れていても身体が動きますし、セールストークが飛び出してきます。

外界への過敏性や衝動性といったものは、営業に関しては僕は「活かせて」いる感じがします。お客様を前にさえすれば常に全力を出せるというのが僕の強みです。多動でガチャガチャ動き回る落ち着きのなさも、「一生懸命」とか「必死」みたいな魔法の言葉が覆い隠してくれます。

今日の話ですが、トータルとして「最低限のことだけはキッチリ抑える」「治しようのない欠点はなんとかそれを美点に見せかけることを考える」などの方法論に落とし込めると思います。それが許される可能性のある環境にある方には是非試して欲しいハックです。

出来ないことは健全に諦めて、出来る部分を活かしていく。欠点を直すよりは、欠点を抱えたまま成果を出すことを工夫する。治しようがないものは治しようがないという諦めの上に、最低限と誤魔化しを積み上げていく。そういう方向性は、職種によってはあり得ると思います。

なんにしても営業は楽しく、営業が楽しいと他の仕事も楽しい好循環を31歳にして初めて味わっています。仕事が楽しいと人生は良いものですね・・・。本当に。もちろん、職場に恵まれたということもありますし、圧倒的な人不足で評価基準が緩んでいるなどの要素も背中を押してはいますが、非常に充実したお仕事ライフを送っています。

役に立つ部分がありましたら、ぜひとも役立てていただければと思います。

ところでですが、勤め仕事以外のスケジュールは正直なところ破滅気味で、クライアントの皆様のご好意でなんとか頑張らせていただいています。そちらの方をなんとかするライフハックも編み出していきますので、何卒よろしくお願いします。一つ一つ克服していきたいと思っています。やっていきます。

 

 

 

【告知】ニューアキンドセンター様で書かせていただきました

告知です

ここのところブログ更新の文章を書くパワーが残らず、告知エントリばかりになってしまっていて申し訳ありません。本日も告知エントリとなります、ごめんなさい。

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しかし、こちらの文章も気合を入れて書きました。というのもね、まぁなんというか「自分は甘かった、というお話なんですけれども。結局、「究極的な判断を先延ばしする」であるとか「ビジョンなく、その場をしのぎ続ける」というのは厳しい結果をもたらすのだろうなぁ、と思います。

意思と決断のある人生を生きたい、そんなことを思いますね。あと、人間は悪い。

 

山場を抜けました

最近、ちょっと大仕事に取り組んでおりまして、昨日ついに山場を切り抜けることに成功しました。もちろん、まだまだ仕事は続くのですが、今後は少し生活に余裕が出来そうですので、ブログの方に力を注いでいければと思っています。

なるべく早く良い報告をさせてもらえるよう、今後も頑張っていきます。いつも応援ありがとうございます。とても励みになっています、今後も何卒よろしくお願いします。

色々あるし、相変わらずあれなところの多い人間ですが、なんとか少しずつ発達していきたいと思っています。。

あと、更新するすると言って書いてなかったヤミ金一郎君エントリの続きも書きます。「書けよ」とケツを叩いてくださる皆さんありがとうございます。面白くなるように頑張ります。動けるときに頑張っておきたいですね。

やっていきましょう。

いい文章を書けるようにがんばります。

【告知アリ】最近の発達障害マンとしてのお仕事日誌

まず告知です。ニューアキンドセンター様で書かせていただきました

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引き続きニューアキンドセンター様で書かせていただいております。今回も「使える」お話であると自認しておりますので、起業創業開業を目指す皆様、あるいは商いに興味をお持ちの皆様、是非ともご一読ください。フリーランスや自営の皆様にも使えるノウハウだと自負しております。

さて、最近ですが色々ありまして、本当に多忙です。勤め人とそれ以外と様々なあれに忙殺されており、死ぬ死ぬ死ぬといいながら日々充実して過ごしております。各方面にご面倒をおかけして本当に申し訳ないのですが、すいません何とか乗り切りますのでご容赦いただければと思います。ブログの更新も戻していきます。書きたいことはいっぱいあるんですよ、実は。

 

会社では色々あった

さて、最近の僕のお仕事事情ですが、好調です。よりによってこんな時に好調にならなくてもいいと思うのですが、誰かに必要とされるというのは非常に甘美なもので、「30年生きてきてやっと組織に必要とされた」という喜びに満ち満ちています。

その一方、なんでそこまで必要とされているかというと、会社で人的災害が発生したからなんですけどね・・・。まぁ、色々ある。会社には本当に色々あり、学びが絶えません。やはり人間は戦争をするし、それは避けられないことなのだなぁと感じる限りです。

そして、最近思うのですがやはり中小零細企業界隈は良いですね。なにせ、大企業に無限にいるようなオールラウンドマンがあまりいません。一芸があれば、多少能力的欠損があってもオールオーケー、問題は利益になってるかなってないかだ、という極めてシンプルな価値観で動いているのがとても良い。

最近はとにかく社内がハチャメチャなので、営業以外もあらゆる職域を触っているんですが、「あ、意外と僕事務出来るようになってるな」みたいな喜びが日々あります。なんというか、致命的に遅れて仕事の成長期が来たのかなという感じです。コンサータは本当にありがたい薬です。

契約書にハンコを乱打したり、「人員足りないんだから業務最適化しましょうよ」みたいなことをやって暮らしてます。エクセルも大分触れるようになってきました。相変わらずクソデカい鞄を持って、関東一円を駆けずり回っています。いや、キッツイいけどお仕事は楽しいですね。

 

ADHD傾向の強い上司の処世術

最近とみに思っていることは、僕の直属の上司はかなり強いADHD傾向があるな、ということです。もちろん、業界を長く生き残ってきた猛者であり、大変尊敬出来る良い人なので全く問題はないのですが、書類を紛失して探し回っていたり、スケジュールを見失ってイライラしているのを見ると、本当に我が事のような気分になります。

しかし、上司にはADHD傾向から起きるミスを帳消しにする非常に強いスキルがあることもわかってきました。それは「愛嬌」です。すべての感情表現が大きく、大きな声で快活に笑い、常に他者に敬意を示す。

そして、ミスがあったときは素直に謝る。何より非常に謙虚です。もちろん、衝動性の強さからくるのであろう癇癪などもあるのですが、その熱が引いた後には「すまなかった」と言える度量があるのは本当にすごいことだと思います。

言うまでもなくそのビハインドをひっくり返すだけの腕力も持っている方なのですが、やはり「周囲に愛される」というのはADHD傾向の強い人間のサバイブテクニックとして非常に有効なのだろうな、という認識を強くしました。

明朗な挨拶、笑顔、他者への共感的な振る舞い。それは演技であっても作りものであっても茶番であって、やはり有効なのだと思います。

 

仕事、楽しい

さて、そういうわけで弊社ではADHDと明らかにADHD傾向のゴリゴリに強い人間がタッグを組んで仕事をしているわけですが、これがまたなかなか良好です。お互い、衝動性が強いのはわかりきっているので、一方が暴走したときは上手にクールダウンさせることが出来ますし、ミスの起こりやすい仕事は二人で「俺を信頼するなよ!」と言い合いながらダブルチェックをしています。これはなかなか楽しい仕事です。

そして、お互いがお互いのミスに非常に寛容になれている気がします。「ミスは出るものだし、責め立てたところで減りはしない」という認識を持ち合えるのはとてもいいことですね。これ、多分一歩間違うと「お互いに責め合って不毛な状態に陥る」になりかねなかったと思うんです。実際、過去の僕ならなっていたと思います。

これは、一つまず上司のお人柄です。本当に敬意の持てる良い人です。そしてもう一つは、まだ会社に馴染んでいなかった頃の僕が、良好な関係を作り出すための努力に必死になった成果だと自惚れさせてください。

実際、これまでADHD傾向の強い人間と仕事が上手くやれたことはあまりありませんでした。特に相手が上司の場合「自分でもミスこくくせに他人に文句つけてるんじゃねえよ」みたいな反発がどうしても起こるのが僕でした。

しかし、今回は仕事の序盤戦でしっかりと敬意を示し、「あなたを尊重します」という態度を見せられたことが良い結果につながったのだと思います。その結果上司も、「実は俺もこういう傾向がある、勘弁してくれ」というような本音を出してくれました。こうなってしまうと、もう対立したり感情的にぶつかったりする理由すらないですね。

もしかすると、かつての職場で衝突した皆さんとも、今回と同じように対応していれば良好な関係を築けていたのかもしれないな、と思うとちょっと胸がチリっとするところはありますけれど、それでも僕にとってこれが出来たのはまさに福音です。

31歳にしていい職場に巡り合えたなぁと思ってます。お賃金も良いし・・・。遅れないし・・・。ちゃんと残業つくし・・・。

 

やっていきましょう

そういうわけで、諸々ありますが「多忙」という点を除けば僕はおおよそ元気です。これからも元気に書いていきます。仕事の話など、まだまだたくさん書きたいことはありますので、何卒今後も宜しくお願いします。もうちょっとで仕事の山を抜けますので、そこまでいったらまたブログをもりもり更新していきます。やるやるいってやれてなくて申し訳ないですが、エンジンに火を入れなおしてぶっ飛んでいく所存です。

やっていきます。

【告知あり】中長期的に合理的な行動が一切できない人の話

まずいつも通り告知です

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ニューアキンドセンター様で書かせていただきました。

これはね、こうあえて感情を出さないように書いたんですが、心が痛い話です。まぁ、お金というものは、よくわからない理由で消滅するものなんです。人間が集まって、みんなでお金使う以上、これはもうある程度しょうがない。もちろん、しょうがないで済む話でもないんですけれど、「起きる」と思っておいた方が本当に気が楽です。是非皆さんもご一読いただいて、人間があつまる場所におけるお金について、色々考えてみてほしいと思います。

クズ氏の話をします

さて、本日は「合理的に損得を考えて、中長期的に行動できる人は選ばれしエリートだ」というお話をします。皆さんは選ばれしエリートですか?

昔こんなことがありました。あるところに、たくさんの人から3万円、5万円とお金を借りまくる人、たまにいますよね。そういう人がいました。もちろん僕もたいした額ではないですが、お金を貸していて、返せと言ってものらりくらいと逃げられるので腹が立ってきました。

そんなわけで、僕は彼(彼にクズ氏としましょう)にお金を貸してる皆さん10人ほどを集めて、みんなでクズ氏にお金を返せと説教をする会を開催しました。これだけの人数に囲まれると、クズ氏も最早何も言えません。「今はぜんぜんお金がないけれど、少しずつ返していく」そういう話になりました。

そこで、僕は皆さんの貸した金額を一本化して借用書を作り、クズ君の収入を勘案しながら返済スケジュールを組みました。なにせ、金額は一本化してもたいしたことはありません。いいところ50万ところでした。月々3万、17回払い。そういう形で話は落ち着き、毎月クズ君が僕の口座にお金を振り込む、振り込まれたお金は便宜的に僕が預かり、一定の額になったところで債権者の皆さんに配分することになりました。

もちろん、それだけで済ますわけにはいかないので、支出と収入の根本的なバランスが狂っている可能性も検討してみました。家賃2万5千円、光熱水道費1万円、携帯電話4万円・・・、おうケータイのプラン替えるぞアホか、程度の話はありましたが、収入も手取りで20万以上あり、そうそう生活が崩れるというレベルでもありません。やはり、生活を圧縮しているのはギャンブルであろう、あるいは「お酒を飲んでしまう」が女の子のいるお店なのかもれません。しかしとにかく、基本的な収支バランスに大きな問題はなさそうです。典型的な浪費による借金のようです。

さて、この会はとても感動的なエピソードになりました。最初みんなが責め立てるうちに、クズ氏は「仕事がつらくて、ついお酒を飲んでしまう」とか「ストレス解消がパチンコくらいしかない」みたいなクズエピソードを語り始めました。

しかし、当時の僕らは二十歳そこそこ。田舎の粗暴なボーイズアンドガールズです。わかるといえばわかるのです。みんな賭け事もお酒も大好きです。この程度の話は「じゃあパチンコやめような」「酒は俺らと飲み行こうぜ、返済終わるまで奢ってやるよ」などの優しい言葉が出てきます。クズ氏はさっきまでガンガン怒られていたところから一点やさしくされ、感動の涙を流しました。「人生やりなおす」とか「頑張ってちゃんと返す」とか「みんな本当にありがとう、みんながこうやって集まってくれて本当に感謝してる」などの言葉が乱舞しました。

そこで最後に「他の借金はないのか」という話が出ました。そこで、金持ちB氏が言います。「利子がつく借金が他にあるなら、これとは別に俺が一本化してやるぞ、無利子で構わん」B氏は儲かっている家業を継いだ純正ボンボンで、「困った時のB金融」と呼ばれていました。(ただし、基本的には粗暴ボーイなので取立ても厳しい)

「もう借金はありません!信じてください!」清らかな涙を流しながらクズ氏は言いました。そして、みんな「それはよかった」と思いました。そして我々は肩を抱き合って、「頑張ろうぜ」みたいな話をしながらお酒を飲みに行きました。クズ氏はとても嬉しそうでした。「本当によかった、みんながいてくれなかったら人生どうなったかわからない。ありがとう」みたいな言葉で、みんなのテンションも急上昇。青春映画のワンシーンみたいな友情が確認されました。

 泣いて謝罪して許してもらう、あるいは泣いて謝罪する人間に許しを与える。これはどちらもとても気持ちのいいことです。僕たちはみんなでとても気持ちよくなっていたのでしょう。逆集団ヒステリーですね、集団ラブアンドピースです。人生にこういうことがたまにあると気分がよくなりますね。

クズ氏、再び金を借りようとする

 一週間とたたないうちに、「クズ氏から金を無心されたけど、あれ大丈夫なの?」とう情報が僕に入ってきました。僕とB氏は基本的にクズ氏を信用していなかったので、網を張っていたのです。一瞬で引っかかりました。数人が車に乗り込み、クズ氏の自宅を襲撃しました。クズ氏は不在でしたが、郵便受けからはさまざまな郵便物が溢れ出していました。

B氏はその一つをつまみ「サラ金だこれ」と言いました。僕も適当な一枚を見てみましたが、確かに消費者金融の請求書で、しかも「払ってね」ではなく「払わないとブチ殺すぞオラ」に近いニュアンスまで育ったものでした。あいつ「他に借金はない」と言ってたよな、と数人で顔を見合わせましたが確かに請求書が届いているのだから疑いはありません。あの野郎、サラ金摘んでやがった。

「近くのパチ屋見に行ってみるか、まさかいないと思うけど」そういうわけで僕らは近隣のパチンコ屋を覗きにいってみました。想像されるとおりです。クズ氏はちゃんとそこにいました。エヴァンゲリオン打ってました。

「おい、おまえパチンコ止めるつってたよな」

「家、郵便物はみ出してたからちょっと見せてもらったけど、おまえサラ金つまんでるな?」

クズ氏はだんまりモードに突入しました。埒が開かないと判断した僕らは最終手段に出ました。クズ氏を彼の実家に連れていき、あわよくば親御さんから返済してもらう。あるいは、親御さんが返済を拒否したとしても、「おたくの息子はやばいことになっている。友人として最低限のことはしたからな」という形で彼を引き渡そうと思ったのです。クズ氏は「実家は勘弁してくれ」「親に借金をバレたくない」「頼む、ちゃんと返すから」などといい、隙を見ては車からの逃走を試みましたが、我々も粗暴ボーイズです。人間を逃がさないのは得意です。

アパート引き払って実家に帰るのがいいんじゃないの、みたいな気持ちもありました。クズ氏の親御さんは裕福ではありませんが、話は通じる人でしたので。僕とクズ氏は幼少期からの付き合いで、僕はクズ氏の実家に遊びに行ったことが何度もあります。

クズ氏の実家では、激怒した債権者が待っていました。クズ氏、実家のキャッシュカードを盗み出して、親御さんの預金を引っこ抜くという大技を繰り出していたのですね。「警察に被害届を出したところだった、捕まえてくれて良かった」

しかも、クズ氏お金を盗まれた両親に職場にカチ込まれ、もともと上手くいっていなかった仕事に通えなくなり、辞職していたそうなんですね。収入がゼロになっていました。しかも、職探しさえしていなかった。今月の家賃すら手元にないわけです。この辺、タイムスケジュールとしては感動の会が開かれた頃に同時進行で起きていたそうです。日雇いすらほぼやらず、ただ時間が過ぎるのをボーっと眺めていたとしか思えません。パチンコはしてましたね。

ここで、クズ氏再びB氏に泣きつきます。こないだの借金の一本化をお願いできないか、と。B氏は冷酷に言い放ちました。「親御さんの連帯保証がつくならな、おまえの信用はゼロだ」と。親御さんは言いました「盗人の連帯保証など出来るか」と。「借金玉の連帯保証でもいいぞ」とB氏は水を向けて来ましたが、僕もとてもいい笑顔で「絶対に嫌だね」と言いました。

クズ氏の問題はどこにあったのか

そういうわけで、クズ氏は債権を額面の10%で買い取ってくれる親切な先輩に連れていかれました。この辺の詳細はまぁいいですよね。債権を買ってくれる人(この方は闇金一郎君のお話にもスターシステムで出演していますのでそちらも併せてどうぞ)が黒塗りのオシャレな車でやってきて、お金を置いてクズ氏を連れていきました。もちろん借用書も持っていきました。親御さんの盗まれたお金も借用書にして借りているという体になりました。クズ氏、逮捕されなくてよかった。今も元気でやってるといいですね。

さて、このエピソードの本質はどこにあったのでしょうか。僕は今でもそれをよく考えます。クズ氏、助かる方法いっぱいありましたよね。手順が間違っていなければ、クズ氏は助かっているはずです。特に、B氏から提案された借金の一本化を拒んだのが不可解です。正直にサラ金から借り入れがあることを伝えて、一本化してもらえばよかったはずです。ちなみに本文では省略しましたが、サラ金からの借り入れも150万程度のお話で、人生が破綻するような額では到底ありません。

クズ氏は決して嫌われ者ではありませんでした。むしろ、子供の頃からずっと人気者といえる存在だったと思います。「あいつ呼ぼうぜ」となるやつでしたし、一文なしで飲みに来ても誰かが奢ってくれるタイプの男でした。僕も好感を持っていました。だから多方面からお金を借りることもできたのでしょう。

そして、あの感動の会で彼が流していた涙はなんだったんでしょう。

僕が思うに、あの涙は本物なんだと思います。みんなに許されて嬉しい、励まされて嬉しい。そしてサラ金の借金はバレたくない。その後どうなるかなんて全く考えられていないのです。人間は、短期的な欲望と長期的な欲望が矛盾することがよくあります。卑近な例で言えば、ダイエットしたいけどケーキも食べたい、みたいなやつですね。

これを適切に調整して、痩せるためにはケーキを食べない。そういう選択が出来る人間と、一切出来ない人間が存在することが、僕は最近わかってきました。たとえば、生活保護を受給しても、受給したお金の中から家賃を払えない人間なんてザラにいます。彼らは短期的欲望の奴隷と言えます。目の前にある快楽に飛びつき、その結果については思い至りません。実際、このクズ氏に「なんでサラ金のことあの場で言わなかったの?」と言ったら「いいにくかった」としか言えませんでした。「サラ金返しながら僕らの分の返済するの土台不可能だってことはわかってたよね?」と聞いたら、「なんとかなると思った」です。

普通の人は、長期的にドツボが発生する可能性を感じたら、短期的な欲望を振り切ることが出来ます。端的に言うと、財布に10万円あって、月末に12万円の払いがあったら「やばい」と感じますよね、2万円どっかから用立てなければならんと。しかし、このタイプの人間は「財布に10万円ある」がとりあえず世界のすべてなのです。中期、あるいは長期の視座が一切ない。短期的欲望に向かって前進するのです。短期と長期が一つながりに統合されていないのです。

これは、債権回収の一番のコツは「収入がある日のうちに回収する」であることとも一致します。給料日に入ったお金を必要に応じて割り振り出来る、という能力がある人間はある意味でエリートなのです。何故出来ないのかと叱り付けてもほとんど意味がありません。出来ないのです。それはもう、ただ純粋に出来ないのです

他人事とも言い切れない

さて、発達障害就労日記にこれを書いた理由は何かというとシンプルです。人生が追い詰められたり、つらいことが続いたりすると我々自身もこのクズ氏のような思考形態に陥ることがあります。皆さんも思い出してみてください、今それをそのようなしたら後から大変面倒なことになる、あるいは信用を失う。そういうことをしてしまったこと、ありませんか。もし、この「短期的な欲望に負けて長期的に失敗する」がゼロであれば、ダイエットに失敗する人間は存在しないはずです。

クズ氏と我々の差はつまるところ程度の問題でしかありません。油断は出来ない、僕自身本当にそう思っています。実際、ここまで大事にはならなかったけれど、本質としてクズ氏と同じようなムーヴをしてしまった経験は結構多くの人にあるのではないでしょうか。

ADHDは先延ばし癖が非常に強いです。また、衝動性も強いです。これは結果として「テンプレクズ」になる可能性が高いということを意味します。衝動的に浪費して、何もかもを先延ばししていれば破滅はあっという間に目の前にやってきます。「他人のお金に手を出す」人も多くの場合がこれなのではないかと思います。ADHDの人間が信用に足らない、ということはありません。有意に犯罪率が高い、のようなデータは存在しなかったはずです。しかし、自戒として我々は「クズ」になりやすと認識しておいて損はありません。

自分の行動における短期と長期がどれくらい噛み合っているか。自分は長期的な視座を持って行動出来ているか。もちろん、たまには深いことを考えずパーっと浪費したり明日を忘れて遊ぶのもいいことでしょう。それでも、その辺については常に恐怖感を感じておいて損はない。アキンドセンター様の文章を書きながらそんなことを思っていました。最終的に人生は長く続きます。長い人生を適切な長さの視座を持って、やっていきましょう。

 

 

雑談の技術について③ 上級編 傾聴と発話について

本エントリの前に告知です

www.onecareer.jp

ワンキャリア様でまた文章を書かせていただきました。是非ご一読ください。ちょっとした思い出語りですが、仕事のモチベーションの持ち方、欲望の肯定みたいなお話をしました。働いていくためのモチベーションコントロール、重要なところだと思います。よろしくお願いします。

そういうわけで、最後の雑談エントリです

久々に3回の続き物になった雑談エントリで、本日は最後のエントリとなります。このエントリは、コミュニケーションを深めるための雑談の技術論、みたいな感じになると思います。1回目のエントリでは、雑談の基本中の基本であるキャッチーボールの形式を、2回目のエントリでは「形式的にとりあえずYESで受ける、否定を回避する」という方法論を中心に受け答えの技術論を展開したわけですが、正直ここまでこなせれば雑談において「こいつはコミュニケーション不可能な奴だ」と判断されることは無いと思います。

syakkin-dama.hatenablog.com

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とりあえずこちら二つをご参照ください、というところなんですが、しかしこの二つのエントリではあくまで「雑談」は「コミュニケーションのキャッチボール」に過ぎず、「意思疎通が可能な人間であることを相互に承認し合う」意味しか持ちません。雑談にはもちろんそこから先があります。

相互承認の儀式が済んだ後は、いよいよ「会話」が始まるわけですが、実際ここから先はある種のリスクを孕んで来ます。というのも、ただの形式的なキャッチボールと違って、内実のある会話はお互いの考え方や価値観を晒しあう必要が出て来ます。そして、人間というのは残念なことに、誰しもがわかりあえるというものではありません。形式的なキャッチボールをするだけの間柄であった方が良かった、そういうことはままあります。内容のある、己を晒した誠実な発話、それは即ちリスクの高さです。

「全ての人間と実直に語り合おう」なんてのは、不可能です。無理やりやったとしても、不愉快な出来事や諍いが増えるだけでしょう。キャッチボールや事前情報などから、この相手はリスクを負って「会話」をする価値があるか、あるいは「会話」をした結果致命的な事態が起こる可能性が高いのではないか、そういうことを吟味することはとても大事です。人間同士が深い関係になるには、中身のある会話をするしかありません。形式的キャッチボールでは、関係性は深まっていかない。

このエントリでは「関係を深める」「リスクのある」会話について話そうと思います。しかし、「関係を深める必要がそもそもあるのか、あるいは可能なのか」について常に吟味することを忘れないでください。人間の会話の大半は形式的キャッチボールですし、それはそれで十分でありえるのです。他者に向かって踏み込むことのリスクは、心得ましょう。

 

質問、相手は何を語りたいか

雑談においては、相手に「楽しく喋らせる」ことが好感を持たれ、コミュニケーションを円滑化する上で最も簡単かつ効果の高い方法だと思います。「楽しく聞かせる」も有力な選択肢ではありますが、相手の興味も関心もわからない状態で相手が楽しく聞ける話を選択するのは簡単なことではありません。そもそも「楽しく聞かせられる話」をするのは特殊技能です。レベル上げると単体でメシ食える技能です。

では、相手に「楽しく話させる」にはどうしたらいいか。これはもうシンプルで、相手の好む会話の内容に向かって誘導するしかありません。形式的キャッチボールから「会話」への入り口は、相手への「質問」です。「お休みの日って何されてるんですか?」でもいいですし、「ゲームとかします?」でもいいです。相手の個人情報を差し障りのない範囲で尋ねながら、相手が話したがっている内容を探っていくしかありません。

通常、「雑談」の得意な人同士であれば、この段階で相互に「この話題を話そう」という話題のチューニングが行われるでしょう。これは理想的な形です、お互いがお互いの興味のある話を探りあい、楽しく会話できる場所を見つける。でも、世の中このチューニングが一切出来ない、あるいはやる気がそもそもない人というのはたくさんいます。そもそも、雑談の始まりに「双方から話題を楽しく話せるところへチューニングし合う」という概念を持っていない人、多分ここを読んでいる人にもいますよね。

このチューニングの精度が「キャッチボール」から「会話」に持っていくためには一番重要です。形式的キャッチボールから徐々に情報収集に切り替え、相手の喋りたいことを探る。これが上手い人は、雑談の達人と呼べるでしょう。しかし、これはリスクがあります。個人情報を尋ねていっても、自分がその返答に合わせて会話することが出来なかったりもしますし、相手が情報を出してくれなかったりもします。「雑談しようと思ったらいつも質問攻めになってしまう」という悩みは誰しもありますよね。

この場合は、相手が質問に答えて提示してきた話題へ自分が合わせられていない、あるいは相手が合わせられる形で回答を出してきていない、このどちらかが起きているはずです。しかし、これの回答は簡単です。「力技で合わせればいい」。それだけです。というのも、雑談が苦手な人は大抵、相手が出してきた話題の知識が自分に一切なかった場合尻込みをしてしまいます。そして「次の質問」になってしまうわけです。でも、本当はこれ尻込みをする必要なんて一切ないんですよ。知らないなら興味があるから教えてくれ、という方向に話題を持っていけばいいだけなんです。自分が知っていることを他人に教えるのが楽しくない人はそんなにいません。自分の好む話題であれば尚更です。

バーテンダー、美容師、ああいった会話を日常とする人たちの話題の広げ方は大抵これです。毎日たくさんの人と話す中で、「自分が話して聞かせる」という方法論を選ぶのはほとんど不可能です。(たまに超大御所みたいな人ならそういうタイプもいるけど)お客様の話を興味を持って傾聴する、少なくともそのように見えるよう振舞う。これは雑談の極意です。雑談の極意は非常にシンプルに言えば、他者に強い関心を持つことです。他人の持っている情報に対して常にMAXの関心を持っている人であれば(そんな人は存在しないでしょうが)雑談に困ることはまず無いでしょう。逆に言えば、「他人に興味がない」なら雑談が苦手で当たり前ということです。「傾聴」から最も遠い態度ですからね。

もちろん、相手も自分もひとつの話題について知識を持っており、情報交換や意見交換で雑談が成立する。これはひとつの理想像です。でも、これがおきる可能性はそう高くありません。自分の知らない話を興味を持って傾聴する、これは必ず必要になります。

 

はい、じゃあ具体的にどうするか

そんなこと言われたって、他人に興味なんかないけど雑談を上手いことやりたいんだよ。そのお気持ちは大変わかります。バーテンダーも美容師も大体そう思っているでしょう。心配ありません、他者への関心や敬意なんてものを演出するのはそれほど難しいことではないからです。むしろ、これが「難しい」と思っているのが失敗の要因です。多少ヘタクソでも、多少見え見えでも、「あなたの話を聞きたい」「あなたの話は面白い」という態度を示されて嬉しくない人なんてほとんどいないんですよ。あなただってそうでしょう。僕だってそうです。少なくとも、その姿勢を見せてくる相手をシャットアウトするほど性根のひん曲がった人はそんなにいない。あなたがとんでもなく性根がひん曲がった人である可能性はありますが、大丈夫です。あなたは少数派です。

僕が雑談がとてつもなく苦手だったとき、そこには「演じる」ことへ、あるいは「茶番」への強烈な拒否反応がありました。「そんなやり方は不誠実だ」という思いもあったと思います。面白くない話を面白いと言う必要は無い、と。しかしですね、世の中初手から面白い話が出来る人なんてそうそういません。まずは相手が傾聴と好意の態度を見せ、緊張が解除され、自分の情報を出すことにためらいがなくなったとき、やっと人からは面白い話が出て来ます。あなただってそうでしょう、初対面の相手にいきなりオモシロ話ブチ込める人なんて、なんかのプロくらいです。

つまるところ、「他人の話が面白くない」原因は、多くの場合受け手にあるのです。相手が面白い話を出来る土壌を作れていない。少なくとも「面白い話をさせる」という作業を相手に委ねるのだから、それを受けるこちらは相手が喋りやすい環境を整えてあげるべきですよね。それで丁度フィフティーフィフティーだと思います。致命的に話が面白くない人というのもたまにはいますが、それでも他人は自分とは違う人生を生きており、違う情報を持っています。そこから面白味を見つけ出すのは(たまに例外はあるけれど)それほど難しい作業では、本質的にはないんです。

「えー、ぜんぜん知らないです、教えてくださいよォ!」って、皆さん言えませんよね。僕も言えませんでした。そんな白々しいこと言えるかよ、って思ってました。でも、言えるし言った方がいいんです。多少白々しくていいんです。その話題に興味が持てなくても、相手に「自分の好む話題を私に対して発話してください」というメッセージを送るだけで十分なんです。その空気が出来上がれば、相手はよりリラックスして内実のある発話を始めます。そうなれば「面白い話」である確率は飛躍的に上がります。一回相手の話が「面白い」と思えれば、そこからは楽ですよね。

たとえば、「最近は釣りに凝ってる」って話を相手が始めたなら、無理に自分の中にある「釣り」の知識を出して話を合わせようとするのではなく、「釣りってやったことないんですけど、今何が釣れるんですか?」みたいな合わせ方でいいんです。むしろ、生兵法の知識で話を合わせていこうとするのはとてもリスクが高い。もちろん、話題によっては「俺だってある程度の知識はある」と見栄を張らねばならないタイミングもありえますが、「釣り」の話で自分の知識を多く見せる必要はないですよね。「知らない、でも興味ある、語ってくれ」それだけでいいんです。この白々しい発話さえ出来れば大丈夫です。そして、この「傾聴」の技術には思わぬ副産物があります。

この技、要するに人から情報引っこ抜く技なんです。覚えといてマジで損は無い。人間は「喋りたい」という欲求に究極的には勝てない生き物ですから。人間は大抵、語ってはいけないことを語りたいのです。

 

 語る、いかにして語るか

相手から発話を引き出すテクニックは本当に上記のものだけです。しかし、「傾聴」だけでは会話が続かないこともあるでしょう。相手がとてつもない喋り好きでない限り、「今度はおまえが語るターンだ」というシーンが来ます。「傾聴」が出来ても、自分が語るターンが来たら急にダメになってしまう、という人もいると思います。

この「語り」に関しては技術論の側面が結構あります。発話が得意な人たちは、大体大量の「持ちネタ」「鉄板でウケる話」を持ち合わせています。持ちネタは多ければ多いほうがいいです。また、相手によって選択すべき話題も変化して来ます、この状況を読んで適切な話題を選ぶ能力は慣れです。ただ、「話してはいけない話題」があるのはわかりますよね。僕もよくトチりますが、「無難でウケる話題」のストックを作っておくのは大変良いことです。

しかしその一方で、「面白い発話」をする必要があるのか、といわれたら必ずしもそうではないですよね。あの雑談の上手な彼、常に面白い話してるわけではないでしょう。逆に、「話を聞いたらクソ面白いのにいつも人間関係からはぐれてる人」なんてのもいます。ぶっちゃけ、わりとどうでもいいところだと思います。何せ、あなたは相手に「傾聴」を示しているのですから、相手が「傾聴」を返してきたときは相手と同程度の水準で返せばいい。あなたは相手に対してそれを許容したんです、相手も許容してくれる可能性が高いです。あなたは相手にそれほど面白い話を要求していない、だからあなたも要求されてないんです。(逆に言えば、相手に面白い話を要求する人の雑談が下手なのは当たり前です。ハードルあげすぎなんです、自分にも他人にも)

もし、あなたが「圧倒的な語りの上手さで人を惹きつける人」になりたいなら話は別です。でも、考えてみてください。リラックスした会話のムード、お互いにお互いの発話を尊重しあう雰囲気が出来上がった時って、大抵の会話が楽しくなかったですか?あなたが楽しく雑談できる相手、そんな面白い話をいつもしてますか?してないですよね。それは要するにセッティングの問題なんですよ。

人間というのは、割と返報性の高い生き物だと思います。親切にしてくれた相手には親切を返したい、傾聴してくれた相手には傾聴を返したい。だから、安心してあなたもつまらない話を長くなりすぎない程度にしてください。むしろ、あなたの話がつまらないことは、相手を「そうか、この程度の面白さで大丈夫か」という安心すら与えるはずです。カンバセーションなんてのは、つまるところそんなものです。

また、相手が「一方的に喋りたい」という人だった場合はそれはそれで実に結構なこと。喋らせる方と喋る方では、会話を支配しているのは喋らせる方です。あなたは相手を気持ちよくしている側ですから。「上手に語る」ことは、一回意識から追い出してください。自分が傾聴したのだから、あるいは自分は傾聴するつもりなのだから、相手も傾聴してくれる。そう思っちゃっていいです。結果的にそうならなかったとしてもです。面白くない話を面白そうに聞いて、面白くない話を面白そうに聞いてもらって、そのうちに段々面白くなってくる。それを目指しましょう。

目指すはカンバセーションです。それは許しあう空気です。あなたにヒトラーばりの演説で他人を魅了する能力なんて求められていません。安心してください。そんなもんです。でも、面白いに越したことはないので話題ストックは習慣にしましょう。

 

会話の切り方

その会話が面白かったかどうかは別として、カンバセーションはなんとなく成立した。しかし、終われない。こういうことはよくあると思います。どこで話を切っていいのかわからない、そういう時です。でも、これには明確な結論があります。どこで切ってもいいです。カンバセーションが成立して、立ち去りがたい会話の席が出来上がっているなら、もう問題ないんです。

ちなみに、ちょっと話は戻りますが「いい天気ですね」に代表される、形式的なキャッチボールは、3ターンが目処です。大体この当たりで人間は「これくらいボールを投げ合えば無礼ではない」と認識しています。経験則ですが、ちょっと周囲を観測して確認してみてください。そして、唐突に「それでは」でいいです。これがやりにくいなら、「あ、もうn時ですか!」みたいな小芝居をいくつか覚えておきましょう。よく観察すると、みんな「儀礼的な小芝居」やってます。お互いにそんなもん小芝居であることはわかりきってますが、儀礼に過ぎないので問題ありません。

それでは、カンバセーションの切り方に戻りますが、「相手がどんどん話を展開しているのを切りたい」場合についてですが、「また聞かせてください」とか「続き、教えてください」みたいな文言を挟めばいつ切ってもいいです。結局、会話を途中で切られた人は「俺の話つまらなかったか?」という恐怖を感じますが、それを否定する文言をひとつ出してやればいいだけです。

そして、会話は飽きるまでするより適当なところで切った方が「楽しかった」という余韻を残します。これはあれですね、腹いっぱい食ったものよりちょっと物足りないくらいの量を食べた方が「うまかった」という印象が残りやすいものです。雑談の上手い人は、むしろサッと切ります。相手に「また喋りたい」という印象を残すためです。あなたも雑談の上手な人に上手いこと喋らせてもらったことがあると思いますが、「もうちょっと喋りたかったな」って印象で終わってませんか?人間は喋りすぎるとダレますから。むしろ去りがたい席ほど、勇気を持って終えることが大事です。

また、自分が喋っている場合はもっと簡単です。「喋りすぎました、すいません」って言えばいい。「いやー、~の話になるとつい熱が入っちゃって」みたいに言えば、相手も「いやいや面白いお話でした」って言ってくれます。これがカンバセーションの本質です。それでいい、という健全な割り切りを持つことが一番大事だと思います。

 

つまるところ一番大事なのは

「楽しい雑談、内容のある雑談」は、「楽しくない雑談、内容の無い雑談」を相互の許しあい、認め合った上に生まれるリラックスしたカンバセーションから初めて生まれて来るものだという認識が重要です。何を語るかより、許容しあうことが一番大事なんです。そして、相手を許した分だけ自分が許されることを期待していい。あなたは「傾聴」した。ならば相手も「傾聴」してくれます。また「傾聴」せずずっと喋り続けるなら、それもまた勝ちのゲームです。

面白くないから雑談が出来ない、これは悪循環です。まずは、面白くなかったとしても許容し合う、お互いに自分を出して面白くしていく土壌を作ることが大事です。ファーストコンタクトから相手の心を鷲づかみする面白いお話、出来ませんよね。僕だって出来ません。大抵の人が出来ません。そんなものです。

でも、お互いに相手の話に興味があり、あなたを尊重しますという姿勢をとり続けるうちに価値あるコミュニケーションは生まれてくると思います。ただし、冒頭のお話を繰り返しますが、自分の価値観や人格を晒しあうコミュニケーションは大変リスクを伴います。全ての人とやろうとはしない、「自分は人格も価値感も晒していないが、相手は晒している」という一方的な「傾聴」でも全然かまわない。それはそれで勝ちです。

あなたのお話に興味があります。あなたのお話は面白いです。たとえ、それが本心ではなかったとしても、あなたと興味深く楽しいお話をしたいと思っています。そういう姿勢を白々しくても、嘘くさくても前に出す。それが一番大事です。あなただってそうしてもらいたいでしょう。僕はそうして欲しいです。

他者を許容すること、認めること、少なくとも認めた身振りを取ること。会話を茶番で終わらせないために、まずは茶番をやりましょう。抵抗はあるでしょうが、本当にやるに越したことはないです。さぁ、やっていきましょう。

 

またニューアキンドセンターさんで書かせてもらいました

告知エントリが2回続いてごめんなさい

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とはいうものの、気合を入れた記事を書いたので是非読んで欲しい、そういう気持ちがあります。このエントリは創業社長の会社におけるポジションという極めてニッチな論点なんですが、2人以上の人員で会社を創業したら必ずぶつかると言っていい問題だと思います。また、人間が集まって何かをやるときには必ずついて回る問題と言ってもいいかもしれません。

起業というのは、往々にして成功者の語るものになっていると思います。大失敗こいた皆さんは、潜在的には成功者の100倍くらいいると思うんですが、あまり語りません。そういうわけで、失敗から得られたノウハウの蓄積が極めて少ない界隈だと思います。まぁ、そりゃそうですよね、「自分は失敗した」というところから語り始めるメリットは普通に考えればそんなに多くない。このブルーオーシャンは僕のものです。恥と外聞を放り出すという破壊的イノベーションで手に入れた市場だ、誰にも渡さないぞ。

さて、失敗というのは「AとBの選択肢を選び間違った」というものであることはむしろ少数で、「そこにAとBという選択肢があることに気づけなかった」という場合が多いと思います。実際、経営判断というのは考えれば考えるほど枝が分岐するタイプのもので、気づかないうちにその決断をしていた、ということが少なくありません。そこに決断が存在することにさえ気づいていれば、想像力が働く、上手くいけば助かる、そういう目が出てくる可能性はあります。

人生というのも大抵はこういうものだと思います。そこに崖があるのはわかっていた、しかし判断を間違ったから落ちた、そういうケースってそんなに多くないですよね。「え、ここに崖あったの?」というパターンが多いでしょう。ですから、僕が落ちた崖については「ここに崖あってひどい目にあったよ」という情報をシェアーしたいと思います。

僕の文章を読んで「こんな問題回避するの簡単じゃん」と思う人は多いかもしれません。実際、同じ問題にぶつかった時は回避出来ると思います。しかし、そこにその問題があるということを認識しているということ自体が大きいのです。遠慮なく僕を踏んでいってください、あなたの足場になれれば幸いです。そんで、うまくいったら僕にも分け前ください。いつでもお待ちしています。僕は失敗情報をシェアーする、あなたは成功のおこぼれをシェアーする。美しい世界にしていきましょう。

「あ、これ進研ゼミで見たやつだ」という概念があります。あれはすごくいい概念だと思います。後は、いかに人生を進研ゼミに、あるいは他人の話を進研ゼミにしていけるかだと思います。一回解いた問題はスルっと解けますからね。生々しいケーススタディ、解いておいて損はないと思います。いや多分。

最近は本当に人生がパタパタで、色々なことが連続的に起きており見失い気味なところはあるのですが、まだまだ頑張っていけるだろうと思いますので、何卒宜しくお願いいたします。雑談エントリ最上級編と闇金一郎君の続きもわりとすぐ出します。是非、今後ともご贔屓にお願いいたします。

それでは引き続きやっていきましょう。