発達障害就労日誌

色々あるけどまぁ生きていこうじゃないかというブログです。

発達障害の子ども、というか僕は親にどうして欲しかったのかの話。

ちょっと今日は重たい話です

はい、まぁこういう話題も書こうかなーって思うんですよ。で、僕はといえばまぁ親との関係は「悪い」の一語に尽きるわけですけど、まぁ最近になって僕も結婚とかそういうあれが出てきたし社会に出て大分経ったし、まぁそれなりの距離感を保って人間同士うまいことやっていきましょうね、そういう空気が出てきまして。

で、僕の親は多分母親が(自覚のない)発達障害、それもADHDASD両方の傾向を僕以上に強く持ってるなぁという感じがするんですが、「あんた発達障害だよ」って言ったところでもう六十代にも入ろうとする人がそうそう認知できるわけもなく、普通にそのままになってます。強烈な躁鬱も持ってる人なのでまぁキツそうだなぁと思っているわけですが、これも多分親子二代で二次障害やってるんだろうなぁという悲しいあれですね。

で、僕の父親はほぼ完全な定型発達者でしかも極めて社交的な人で、「発達障害?なんかよくわからんけど気持ちでやっていけ」という性格です。わりとバランスの良い能力を持っており、かなり仕事も出来る方だったと思います。で、僕は弟が一人いて(現在は作家をやっててわりと売れています)僕も弟もかなり強く発達障害傾向があるんですが、この人から見て我々兄弟は本当に「わからない」存在だったんだろうなぁという気がします。そういうわけで、僕は18歳から実家に寄り付かず、31歳まで来てしまいました。家庭という概念が人によっては地獄と大体同義であるあれは僕が今更書かなくても、インターネットを代表するコンテンツかと思いますので別にいいですね。定型発達者の親と発達障害者の子が同じ家で波風なく暮らすのはほとんど不可能とさえ思います、正直なところ。

現実的なところを言うと、距離をとればとるほど関係が改善されるという現象が確認されました。まぁ、僕も悪かった。荒れ放題に荒れたし各所からの呼び出しなど本当にご迷惑はおかけしました。今後とも適度な距離感でやっていきましょう。一定以上距離を縮められたら全ての連絡を遮断します。

んでまぁ、その辺の細かい話はいいとして(親子関係は相当悪かったですと言いたいだけのセンテンスです)じゃあ、実際どういう風に親が接してくれたらよかったかなーとは思うんですよね。

 

片付いた家が見たかった

最近ミニマリストって流行ってるじゃないですか。はてなブログ界隈でも一大勢力を形成している節があります。僕も、わりとミニマリストです。所有しているものの中で量があっても構わないと思っているのは本だけで、それ以外個人的な所有物はほとんどないです。同居人が物持ちなので自宅にはそこそこ物がありますが、その中で僕の所有物品はいいとこ1割というところでしょうか。学校の卒業アルバムの類も全部捨てましたし、とにかく持ち物は少なければ少ないほど良いと思ってます。

そういうわけで、発達障害者は一部の例外(病的に片付いてないと気が済まない派も存在はする)を除いて大体「家の片付け」がド下手です。というのも、僕自身実家を出て「自宅作業の効率上げないとヤバイな」と感じ、収納や整理術の本を読むまで「片付いた部屋」って見たことがなかったんです。床に物が乱雑に散ってるのは当たり前で、ストレスにはなってたんですけど、それが日常だったのでわからなかったんですね。北海道の田舎出身なので割りと広いところに住んでましたので、家は汚宅とまではいかなかったのですが、整理整頓という概念がなかった。父の部屋だけは片付いてましたね。多分、彼なりの諦めがあったんでしょう。

僕が、「発達障害者の中ではわりとマシ」という程度に部屋を片付けられるようになったのは、ルームシェアの経験からです。僕は18から友人と部屋を借りて暮らしていたのですが、同居人どもも大体曖昧な暮らしをしている連中で、居候がガンガン増える、自宅に帰ったら知らない奴がいるなどの日常が続き、「居間はまぁしょうがない。しかし、自室だけはキチっとしとかないと生活の全てが破綻するな」というあれがあれしまして、頑張って整理の勉強をしました。

で、それを発達障害がある自分向けにカスタマイズし続けて現在に至ってるわけですが、これを親が教えてくれたらどれほど人生が楽だったかと思います。「物を探す能力が異常に低い、一回物に紛れたら二度と必要なものが見つからない」というスペックは発達障害がある人にわりとありがちだと思うんですが、これの解決策としてのミニマリストは大変アリです。

「生活というのはこのように保つものである」という概念を教えて欲しかったですね。なんだかんだ、18歳から勉強を始めて現在でも完全に身についているとは言い難く、幼少期からこれを学べていたらなぁ・・・とは本当に思います。

 

叱り方に一貫性が欲しい

これが僕と父との間柄の中で一番やばかった点ですね。というのもですね、僕は未だに父がわかりません。彼が何に喜び何に怒る人間なのか、本当にわかんないです。僕の幼少期の記憶をさかのぼってみると、「ボタンの押し方を間違えると爆発するブラックボックス、ただし爆発の法則に一貫性はない」という恐怖感が非常に強く残っています。

しかしまぁ、これわかるっちゃわかるんですよ。人間ですから、イラついている日もあるし疲れている日もある。そこに発達障害小僧の意味のわかんねえムーヴを見せられたらぶっ殺すぞガキとはなるでしょう。まぁ、それはそれでしゃーないと思います。ここを読んでる人の中にはお子さんが発達障害という方もいらっしゃると思いますが、発達障害のお子さんとの関係が完全に破綻しても、「まぁ、生きてりゃいいか」くらいに構える必要は正味なところあると思います。

「これをやると怒られる」というのが本当にわかんなかったですね。僕が最も「空気を読む」という能力を求められたのは、父親を暴力で制圧出来るようになるまでの幼少期だと思います。あ、お子さんを物理暴力で制圧してる親御さん、本当にそれは避けた方がいいですよ。子供って成長しますから、必ずやったことやり返されますよ。お子さんを殴るというのは、お子さんがあなたを殴ることに対する免罪符を与えるのと完全に同義です。合理的に考えてやめた方がいいと思います。あなたは老います。

どういう理屈で叱られているのか、それが世間一般の概念として妥当なものなのかはとりあえずいいです、何に怒り何をすると叱る人なのか説明して欲しかったと思いますね。怒っているのは見ればわかる、問題は何に怒っているのか。「真面目にやれ」「言うことを聞け」「親を敬え」ではピンと来ないし、殴っとけばとりあえず短期的には落ち着きますけど、結局学習したのは「動かなくなるまで抑え込んで殴れば俺の方が強い」という結論になっちゃいましたし。こういうのはよくないと思います。「父親を制圧するために柔道を本気出して習う」という選択を我が子がするの怖くないですか?僕はこれがガチで怖いので子供を持つ予定はありません。殺される気しかしない。自分が父親に向けた憎悪、今思い出しても怖いですもん。まじりっけなしの殺意でした。あれほど強い殺意を人生で持ったことは他にないです。

「いや、叱られたら叱られた理由くらいわかれよ!」という怒りは、社会に出てからよくわかりました。社会に出ると誰も親切に教えてくれないし、ムーヴをトチると食えなくなりますからこの恐怖感はわかった。しかし、家族というのは同じ家に暮らし続ける相互に逃げられない檻なわけですよ。言葉を尽くして欲しい、そして一貫性が欲しい。まず、Aという叱られた理由があり、Aが叱られる理由に相当するのはBという理由からであるという点の説明が欲しかった。

僕は未だに「社会に怒られる」という概念を極めて「父親」という概念に近いものとして認知しており、恐怖感と「絶対にコケにしてやる」という憎悪を併せ持っています。突然よくわからない理由で怒る点がまったく同じだと思います。しかし、発達障害児に「空気を読む」というスキルは大変厳しい。空気を読むということを覚えさせるためにも、どのような機序で怒られが発生しているのかを教えてあげて欲しいですね。そうすれば憎まなくて済んだかもしれない。

 

「普通でない」選択肢を許容して欲しかった

僕が未だに後悔していることのひとつに「何故高校を中退しなかったのか」という点があります。学習するだけなら高校に通う必要は一切なかったし、むしろそうするべきだった。僕の幼少期から青年期にかけては、「普通にやらなきゃヤバイ気がする」と「いや、普通じゃなくても選択が合理的でさえあれば想定された通りの結果を出せる」との間での葛藤でした。

発達障害児は基本的に、「普通にやる」ということに関してどこかのタイミングで破綻すると思います。僕は小学校時点でマトモに通えてませんでしたし、また、親御さん自体が「我が子は普通ではない」ということを受け止めるのもかなり大変だと思います。しかしまぁ、これは残念なことですけど普通じゃないんですよね。普通のことが普通に出来ない。殴ったり電流流したりすれば出来るようになるかといえば、まぁ出来ないわけですよ。

しかし、一般的なルートでなければ走れる道もあったりします。僕も、「授業を受ける」ということに関しては相当厳しかったですが、自力で学習することは出来ましたし、興味のあることに関してはガンガン学習出来ました。重要なのは、そのスキルを上手いことツギハギして何とか社会適応することなんですね。

もちろん、「いや、むしろ型にハメて普通にするべきだろ」ってご意見はあると思いますが、僕の経験を踏まえると難しいと思います。それが出来ないから発達障害なわけで。例えば、「大学に行く」「就職して自活する」などの最終的なゴールを見据えて、そこに辿り着くまでの道のりが一般的ではなくても問題ないという姿勢で接してくれたら本当にありがたかったなぁ・・・と思います。

「毎日学校に通って周囲と同じことをし続ける、そしてその中でも上位の結果を出し続けることが唯一の生存の道である」という脅迫観念の中でぶっ壊れかけている発達障害児は多いと思います。でもこれ、どの道無理なんでやめた方がいいです。鬱などの二次障害を呼び込むだけです。それよりは、18歳もしくは20歳時点くらいでの目標を早期に設定して、とりあえずそれを目指す、ただしその過程は合理的でさえあればいい、一般的じゃなくていいという構えがいいと思います。

「人並みにやれなければ終わるぞ」という圧力、あれがキツい。僅かに残った自己承認すら根こそぎもっていく破壊力があります。でも、僕は人並みにやらない方がむしろ効率よく人生をやれましたし、どの道やれやしないんだからそんなとこで悩むだけムダです。「普通じゃない」選択肢を許容してあげる、一般的なルートだけが唯一の正解ではないということを教えて欲しかったですね。

 

不安定さを許容して欲しい

「なんで出来ないんだ!」「なんでやらないんだ!」、これは本当に言われました。昨日できたことが今日は出来ない、昨日と今日で別人のように出力が違う。これは30代になった現在の僕も克服しきれていません。しかし、一生懸命はやってるんですよね・・・。もちろん、わかります「意味がわからない」というあれは本当にわかる。しかし、その意味のわからなさが発達障害なわけです。

テンプレにハメて「毎日これだけやれ」という形にする、また同時にそれを過去一番良かった数字に合わせて強要する。これが最悪です。毎日過集中を出すのは不可能です。やらなきゃ電流が流れる椅子に縛り付けても出来ません。本当に出来ないので、叱咤や暴力は学習性無力感と鬱を呼び込むだけです。本当にやめた方がいいです。リアルに死にます。

また、逆に狂ったように没頭してるときはほっといて欲しかったですね。もちろん、勉強だけしていればいいというわけではなく、あれをやれこれをやれ食事を摂れ風呂を掃除しろ、色々あるとは思いますが、発達障害児が何かに没頭している時は本当に限られたボーナスタイムを消費している瞬間です。ちょっとストップしたらその場で全てが終わってしまいます。何時から何時まで勉強をする、みたいなのが不可能な分こっちで帳尻を合わせているわけです。頼むから止めないで欲しかったですね。

発達障害児は、12時間後にちょっと嫌なイベントがある程度の心理的負荷で何も出来なくなったりします。これは僕が塾で勉強を教えていたときに発達障害の子を見てもわりとそうでした。まずその不安から気持ちをそらしてやらないと、1ミリも話が入らないわけです。叱る、追い詰めるなどは集中の到来を妨害するだけです。

もちろん、我が子に「普通になって欲しい」という切なる願いは子どものいない僕でも想像は出来ます。しかし、無理なんですね。「勉強の習慣をつけましょう、一日n時間机に向かわせましょう」みたいなのは本当に難しい。そういうわけで、学習性無力感と鬱のような精神疾患を防止する、限りある集中の時間を大事にする、その辺が欲しかったなぁと思います。

なお、痛みや恐怖による矯正を継続的に試みた場合ですが、僕は「刃物などの場合殺さないと終わらないので合理的ではない、下手なことをやると報復される。常時使える肉体的暴力の習得こそ急務だ、現在与えられている恐怖感をそのまま返せる」という判断をしましたので大きな問題は起こりませんでしたが、場合によっては普通に起こると思います。物理非物理を問わず、本当に暴力はやめましょう。

 

 

ほどよく諦めて欲しい

つまるところ、これに尽きます。。下手に追い込んでも悪い結果しか出ないわけですから、ほどよく諦めるというのはわりと最善だと思います。しかし、発達障害児というのはなんというか非常にマダラなところがあるといいますか、突然テストで学年一桁順位を取った後、「テストには出たけど20分で全てが終わって学校から逃げ出した」みたいなことをやります。(やりました)

親に、「わからない」とよく言われました。「やれば出来るんだからやれよ!やれないよりやれた方がおまえだっていいだろう!頼むから常に真面目にやってくれよ!」とは言われました。でも、「いつだって僕は大真面目にやってるよ!大真面目にやってもこれなんだよ!自分でもわかんねーよ!」というところで話は終わりでしたね。その頃は発達障害という概念も知りませんでした。

こうしてみると、ハチャメチャなガキに親が振り回されているという構図に見えると思うんですが、まぁその通りです。その一方で僕も努力はしたんです。「ふつうの子ども」になって「普通にやる」ことが出来るならそれが一番だし、なんとかやろうとした。その結果やってきたのは躁鬱による入退院の繰り返しと自殺未遂祭りでしたけど。「僕に普通は無理だ、諦めよう」と思ってから圧倒的に人生が楽になりました。

いいじゃないですか、子どもなんて最悪成人してるなら追い出せばいいわけです。二十歳まで面倒みたら後は知らねえでぜんぜん構わないと思いますよ。世間もそんなに怒らないですし。追い込んでもぶっ壊れるだけですから、その辺うまいこと諦めてください。残念、ツモが悪かった。それでいいじゃないですか。子どもなんてガチャみたいなもんですよ。死ぬところまで追い込めばチャラに出来るという発想もなくはないですが、色々怖いのでなるべくやめましょう。

そういうわけで、何をやれば良くなるのかは正直わかりません。でも、何をやるのが最悪なのかはわかります。「最善」を求めすぎると親子でぶっ壊れると思いますので、とにかく最悪だけは避ける。それでいいじゃないですか。

ほどよく諦め、それでも希望は捨てない。こういう精神状態って僕も30歳を過ぎてから習得したのでとても難しいと思いますし、我が子のこととなったら冷静でいるというのもかなり難しいことだと思いますが、それでもそれが現状一番マシです。後は、本やら僕のブログやらを読んだりして「こういうアプローチはどうかな?」みたいなことを繰り返して行く他ないと思います。

こうして書いてみると、起業失敗エントリ以上に僕は親子関係というものを消化できていないことがよくわかります。過去一番まとまりのないエントリですね。30歳を越えてこれなんだからイヤになります。でもまぁ、こんな感じです。失敗例としてご参考にしていただければ。生きることが第一で多くを求めすぎない。それがベストだと思います。

まとまりのない話で恐縮ですが、やっていきましょう。