発達障害就労日誌

色々あるけどまぁ生きていこうじゃないかというブログです。

発達障害は個性なのか、それとも単なる障害なのか

多動力

堀江さんが「多動力」という本を出すみたいですね。ガンガン動く多動最高、のような内容であるようで、流石ホリエモンだなぁと思いながら眺めていたんですが、ホリエモンの下位互換のような人生を送っている僕としてもなんというか思うところがあります。というか、堀江さんやっぱり多動傾向あったんですね。まぁ、そうだろうなーという納得感はありますけど。

僕は堀江さんがわりと好きです。性格から体型から衝動的な物言い、多動的な動きまで共感がありますし、流石上位バージョンは違うと思います。しかし、僕自身が多動や衝動性の強さという発達障害のあれで得をしてきたかなぁと考えてみると、大変微妙なところで。

 目次が出てますが、わかるっちゃわかる。という感じですね。そういうところは確かにあるかもしれない。多動傾向の全く無い人が参考にするのはすごく良いと思います。こういう考え方を取り込むことは実際役に立つ場合も多いでしょう。散発的に多くの物事に手をつけ、衝動的に何かを始める。そのうち一つが当たればOK、そういう戦略は十分にありえる。

その一方で、多動ガチ勢の多動がこのように役立てられるかというと、それはとても難しいでしょう。というのも、堀江さんの多動はコントローラブルな多動で、ガチ勢の多動はコントロールが効かないからです。堀江さんは東京大学に入ってますが、東京大学に入れるほどの中長期的集中力と多動的な行動力が両立すればそれは間違いなく強い。堀江さんの異能は、多動性そのものではなく、多動性と集中性という相反する能力が同居していることだと思います。でも、それが出来る人はそんなにいないんですね。多動力が大事という話には一理がありますが、それは制御された多動性のお話で発達障害における多動性という概念とは別物でしょうね。

この本はおそらく、多動傾向の無い人が読んで人生に多動傾向を取り入れる、そのような場合に一番役に立つ本だと思います。しかし、最初から多動傾向を強く持った我々にとっての自己肯定の参考にはあまりならないでしょう。(もちろん、発達障害者向けに書かれた本ではないので当たり前なんですが)

 

発達障害特性は役に立つのか?

神話的な発達障害者、あるいは発達障害者であったとされる人は大体、「発達障害特性を生かして成功した」という逸話が形作られています。そういうわけで、「発達障害というのは一つの個性である」とか「異能の源泉である」みたいな言い回しがされるわけです。このような言説は非常に悩ましい存在です。発達障害が肯定的に解釈されるのは耳に心地が良いですし、時には希望になりえます。その一方で、では実際に多くの発達障害者にとってその特性が役立てられるものかというと、それもまたとても難しい。

僕は成功者とは到底いえませんが、発達障害者としての特性、主に多動性と衝動性が人生の役に立っているかと尋ねられれば、「役に立ったこともあった。現在の自分の肯定的に評価出来る部分に発達障害特性が全く寄与していないと言えば嘘になる」と答えます。僕は衝動的に色んなことをやって、その度に大失敗したりあるいはささやかな成功を得たりして生きてきましたが、この時に蓄えた経験が今文章として商品になっているわけですし。確かに、全く役に立ってないと言ったら嘘なんですよね。

ツイッターは衝動性をぶちまけ、多動的な思考を放出するには大変適したメディアで、僕の文章が現在これだけの数の人に読んでいただいているのはツイッターというメディアのおかげという点が大きいのですが、ツイッターでこれだけの読者に恵まれたのは間違いなく多動特性が寄与しているとは思います。

その一方で、多動性と衝動性によって失われたものについて考えると吐き気がします。もう少し集中力が長く続く人間だったら、もう少し長期間同じことに没頭できる能力があったら、もう少し考えて動くことが出来たら、興味のないことにでもパフォーマンスを出すことさえ出来れば、そういう忸怩たる思いの上に、「発達障害特性が全く役に立たなかったとは言えない」という表現があります。

本音を言うと、「発達障害はただの障害、役に立つことなんか無い」と言い切りたいんですよ。でも、結局僕はこの発達障害を抱えた自分で人生をやってくるしかなかったので、それを言い切っても嘘にはなります。たとえばこういうことです、穴を掘る時はスコップが欲しい、欲を言えばパワーショベルがあれば尚良い。でも、僕に与えられた道具はツルハシだった。そういう感じです。そりゃあ、固い地盤に遭遇してそこをカチ割る時には役に立ったこともあるけど、掘るには全体を通して不便だったよ。そういう感じですね。

 

人生に勝てば発達障害は障害ではなくなる、発達障害者の残酷な分断

発達障害という問題の一番のあれは、ここだと思います。人生に成功し、苦難から逃れることさえ出来れば、発達障害も含めた全てを肯定されることが出来ます。発達障害を治す一番手っ取り早い方法は大金を持つことです。3億あれば、よほど強烈な発達障害特性を持っていない限り発達障害者としての問題を気にすることなく生きていくことが出来るでしょう。また、それだけ稼ぐことが出来たならば自己肯定感も相当強くもてるので、「発達障害が役に立った、発達障害は個性」という自己認識を持つことも可能でしょう。実際それは事実でもあるでしょうし(もちろん、ある側面から見た一つの事実、という留保はつきますが)。

では、発達障害特性を生かして人生に勝つことは可能か、という設問にすると「たまにそういう人もいる」としか答えられないんですね。これは悲しいジレンマです。発達障害の最良の処方箋は人生に勝利し資産や社会的地位を築くことですが、それを達成するための最大の障壁は発達障害そのものです。

発達障害の定義に関しては医学的な知見とその専門性を十二分に尊重します、という前提を置いた上ですが、社会適応が出来ないという点を重視すべきだと僕は考えております。発達障害と十分に定義し得る特性を有していたとしても、社会適応が十分になされていて本人が問題を感じていないなら、それは「そういう人」ですからね。

発達障害者だって成功している奴はいるだろう、個性なんだろう、じゃあそれを生かして成功しろよ」という言葉が投げつけられることは結構あります。これは多くの発達障害者が「あれがキツい」と言いますね。でも、100%間違っているわけでもないから反論もしにくい。「おまえは発達障害の問題と無関係に無能なんだよ、発達障害なんてただの言い訳だ」で話を閉じられて、実家に火をつけてやろうと思ったことは僕にもあります。

 その一方で、成功した発達障害者が「発達障害は個性であり、自らの成功の源泉である」と語ることも否定は出来ないんですよ。実際そうなんでしょうし。このようにして発達障害者は分断されます。発達障害特性をどのように捉えているかですら、発達障害者の間でも一枚板ではないわけですよ。人生が上手く行ってる人にとっては個性でも、人生が苦難の連続である人にとっては忌むべき障壁です。世の中には実に様々な環境がありますので、もし仮に全く同様の能力と発達障害特性を持った人間が二人いたとしても、その二人の発達障害への認知が全くの別物になることだってありえるでしょう。

発達障害は、社会のありようや適応と分断して純粋に器質的な障害だと考えることがとても難しい概念だということでしょうね。

 

発達障害特性を活かす

発達障害当事者、特に人生に苦難を抱えている人ほどこの言い回しは不愉快だろうと思います。活きることなんかねえよ、単なる障害だよ。そう吐き捨てたくなることも多いと思います。この話題は突き詰めると、発達障害者(有能)と発達障害者(無能)みたいな対立さえ生み出します。最悪ですね。

発達障害者は起業しろ、組織に囚われなければ上手くいく」みたいな言説がありまして、僕はまぁ実際起業してみたわけなんですが。確かに、成功失敗を度外視してみれば(発達障害者がやろうが定型発達者がやろうが起業の成功率なんてクソ低いですし)サラリーマン時代よりはずっと良かったです。でも、サラリーマンより遥かに勝率計算のしにくい選択ですしリスクも大きい、住宅ローンも組めなくなります。

環境をドラスティックに変化させて発達障害を障害ではなくしちまえ、というのは発想としてはもちろんありえますし、実際それで上手くいくケースもあるとは思いますが、誰でも出来る選択ではありません。その選択をした結果発達障害特性による問題は確かに減少した、でもそれとは全く無関係に大失敗だった。そういうこともあります。

結論としてはこうです、発達障害特性を活かす努力をするのも、あるいは純粋な欠点として認識してその欠点を最小化する努力のもどちらもありです。どちらか片方ではなく、両方あり得るものとして考えるべきでしょう。ただ、安易に「発達障害を個性として活かせ」と僕は言いません。活かせることもあれば全く活かせないことももちろんあります。環境次第では克服以外の努力の方向性が皆無ということもあり得るでしょう。

ただ、環境を工夫するなどして発達障害特性を問題ではなくしてしまおうと考えたとしても、あるいは発達障害特性を単なる欠点と認識して克服しようと努めるにせよ、まずやることは一緒です。自分の特性を把握する、自己モニタリングを徹底する、その上でそれを他者に理解可能な形で言語化する。これに尽きます。

問題を認識しないまま対策を打つのは不可能ですし、なにはともあれそれをやるしかない。そして、自己をモニタリングして特性を把握するということは、即ち社会やあなたの所属組織、あるいは与えられた環境があなたに何を求めていているのかを把握するということでもあります。自己を把握することは社会を把握することでもあるわけです。

発達障害特性を活かす、あるいは克服する。どちらの方針でも構わないし、両立だってもちろんします。この部分は大変センシティブで、インターネットを眺めていてもしょっちゅう発達障害当事者同士の論争が起きているところですが、どっちにせよやることは一緒です。選べる選択肢を採用しましょう。人生はいつだってそれしかありません。

そういうわけで、発達障害が個性なのか障害なのかという話は「社会との適応次第」という結論になります。発達障害というのは、脳の器質的な障害であると同時に、極めて社会的な概念である。そういうことですね。でも、発達障害当事者がやるべきことはいつだって同じです。自己モニタリングと障害特性の言語化。ここからしか始まりません。発達障害は一人ひとり症状に差異があります。スペクトラムと呼ばれる所以です。まずは、とりあえずそれを把握してみましょう。これが大変難しく、現実的には一生続けることになります。でも、それをやるしかありません。その上で、あなたの置かれた環境とあなたの特性を踏まえた悔いのない決断を祈ります。

やっていきましょう、いつだってやっていくしかない。

最近の借金玉、書かせていただいた記事のご紹介

最近は色々書かせていただいてます

そういうわけで、最近書かせていただいた記事のご紹介です。ニューアキンドセンター様でまた記事を書かせていただきました。起業爆死マンなのであんまりノウハウとかは書けないのですが、今日は珍しくノウハウもので出資者を得るというところまでのお話です。これが災厄の始まりだった・・・みたいなモノローグをつけることもできます。

new.akind.center

はい。何かを始める能力と何かを成功させる能力は別物だということがよくわかりますが、なんにしても始まらなければ成功もしないという点はあります。(もちろん始めないという行動には「失敗しない」というメリットもあります)

出資者をどのように得るかというお話はつまるところ恋愛と同じで、有用なアドバイスとしては「試行回数増やせ」と「成功率上げろ」の二点しかなく、やっていきましょうということになります。

出資者は馬主にして騎手であり馬券を買うお客さんでもあります。僕は起業の主役って起業家というよりはどっちかといえば出資者だと思うんですが、出資者の側からの起業の話というのはなかなかコンテンツとして存在せず寂しいですね。出資した会社が百発百中で成功する出資者というのはそんなにいないはずなので、起業に関して多くの失敗知見を持っているのは出資者の皆さんだと思うんですが。もうちょっとインターネットに出てきてくれてもいいんですけど。まぁ、そういうのイヤだから出資者をやるわけですよね・・・。

コツはひとつで、自分に無限の自信を持つことです。少なくとも持っているように見せかけることです。稀に出てくる「そりゃこんなの誰がどう見ても成功するよ」というタイプの創業計画書を書けるのなら別ですが、初創業でそんなもん書ける人は稀です。それができないなら後は勢いと試行回数ですね。頑張りましょう。僕もそのうちまた参戦したいです。僕がまだ生きているのも偉大なる出資者のおかげであり、恩返しを頑張りたいですね。大丈夫です、次はうまくやります。

www.onecareer.jp

それと、ワンキャリア様でも書かせていただいています。こちらは就職活動のお話ですね。見も蓋もない話ですが、やっていきましょうという気持ちを込めました。頑張れ就職活動生、そろそろキツい時期に入ってきたと思うけど、まだまだここからですよ。

 

最近も色々ありますが僕は元気です

色々生活が変化してきたり、鬱に突入したりと色々ありましたが僕はおおむね元気です。皆様はいかがでしょうか。春から初夏へと突入していくこのシーズンは、なんとなく調子がいい人が多いかもしれませんね。僕はこの時期から躁転するのが例年のお約束です。躁は鬱より大分やばいので、皆さんも何卒ご注意ください。

調子に乗って服薬を全絶ちするなどのやらかしを僕はこの時期にわりと起こして来ました。この後梅雨があるので少し抑えられるのですが、梅雨明けから躁アクセルが全開になって大惨事というテンプレに乗っからないように注意していきたいです。

発達障害の二次障害として躁鬱ないし鬱はお約束ともいえます。皆さま、何卒ご注意ください。妙に調子いいな、これはイケるな、と思ったときこそ落ち着いてブレーキです。この夏もやっていきましょう。

 

 

発達障害の子ども、というか僕は親にどうして欲しかったのかの話。

ちょっと今日は重たい話です

はい、まぁこういう話題も書こうかなーって思うんですよ。で、僕はといえばまぁ親との関係は「悪い」の一語に尽きるわけですけど、まぁ最近になって僕も結婚とかそういうあれが出てきたし社会に出て大分経ったし、まぁそれなりの距離感を保って人間同士うまいことやっていきましょうね、そういう空気が出てきまして。

で、僕の親は多分母親が(自覚のない)発達障害、それもADHDASD両方の傾向を僕以上に強く持ってるなぁという感じがするんですが、「あんた発達障害だよ」って言ったところでもう六十代にも入ろうとする人がそうそう認知できるわけもなく、普通にそのままになってます。強烈な躁鬱も持ってる人なのでまぁキツそうだなぁと思っているわけですが、これも多分親子二代で二次障害やってるんだろうなぁという悲しいあれですね。

で、僕の父親はほぼ完全な定型発達者でしかも極めて社交的な人で、「発達障害?なんかよくわからんけど気持ちでやっていけ」という性格です。わりとバランスの良い能力を持っており、かなり仕事も出来る方だったと思います。で、僕は弟が一人いて(現在は作家をやっててわりと売れています)僕も弟もかなり強く発達障害傾向があるんですが、この人から見て我々兄弟は本当に「わからない」存在だったんだろうなぁという気がします。そういうわけで、僕は18歳から実家に寄り付かず、31歳まで来てしまいました。家庭という概念が人によっては地獄と大体同義であるあれは僕が今更書かなくても、インターネットを代表するコンテンツかと思いますので別にいいですね。定型発達者の親と発達障害者の子が同じ家で波風なく暮らすのはほとんど不可能とさえ思います、正直なところ。

現実的なところを言うと、距離をとればとるほど関係が改善されるという現象が確認されました。まぁ、僕も悪かった。荒れ放題に荒れたし各所からの呼び出しなど本当にご迷惑はおかけしました。今後とも適度な距離感でやっていきましょう。一定以上距離を縮められたら全ての連絡を遮断します。

んでまぁ、その辺の細かい話はいいとして(親子関係は相当悪かったですと言いたいだけのセンテンスです)じゃあ、実際どういう風に親が接してくれたらよかったかなーとは思うんですよね。

 

片付いた家が見たかった

最近ミニマリストって流行ってるじゃないですか。はてなブログ界隈でも一大勢力を形成している節があります。僕も、わりとミニマリストです。所有しているものの中で量があっても構わないと思っているのは本だけで、それ以外個人的な所有物はほとんどないです。同居人が物持ちなので自宅にはそこそこ物がありますが、その中で僕の所有物品はいいとこ1割というところでしょうか。学校の卒業アルバムの類も全部捨てましたし、とにかく持ち物は少なければ少ないほど良いと思ってます。

そういうわけで、発達障害者は一部の例外(病的に片付いてないと気が済まない派も存在はする)を除いて大体「家の片付け」がド下手です。というのも、僕自身実家を出て「自宅作業の効率上げないとヤバイな」と感じ、収納や整理術の本を読むまで「片付いた部屋」って見たことがなかったんです。床に物が乱雑に散ってるのは当たり前で、ストレスにはなってたんですけど、それが日常だったのでわからなかったんですね。北海道の田舎出身なので割りと広いところに住んでましたので、家は汚宅とまではいかなかったのですが、整理整頓という概念がなかった。父の部屋だけは片付いてましたね。多分、彼なりの諦めがあったんでしょう。

僕が、「発達障害者の中ではわりとマシ」という程度に部屋を片付けられるようになったのは、ルームシェアの経験からです。僕は18から友人と部屋を借りて暮らしていたのですが、同居人どもも大体曖昧な暮らしをしている連中で、居候がガンガン増える、自宅に帰ったら知らない奴がいるなどの日常が続き、「居間はまぁしょうがない。しかし、自室だけはキチっとしとかないと生活の全てが破綻するな」というあれがあれしまして、頑張って整理の勉強をしました。

で、それを発達障害がある自分向けにカスタマイズし続けて現在に至ってるわけですが、これを親が教えてくれたらどれほど人生が楽だったかと思います。「物を探す能力が異常に低い、一回物に紛れたら二度と必要なものが見つからない」というスペックは発達障害がある人にわりとありがちだと思うんですが、これの解決策としてのミニマリストは大変アリです。

「生活というのはこのように保つものである」という概念を教えて欲しかったですね。なんだかんだ、18歳から勉強を始めて現在でも完全に身についているとは言い難く、幼少期からこれを学べていたらなぁ・・・とは本当に思います。

 

叱り方に一貫性が欲しい

これが僕と父との間柄の中で一番やばかった点ですね。というのもですね、僕は未だに父がわかりません。彼が何に喜び何に怒る人間なのか、本当にわかんないです。僕の幼少期の記憶をさかのぼってみると、「ボタンの押し方を間違えると爆発するブラックボックス、ただし爆発の法則に一貫性はない」という恐怖感が非常に強く残っています。

しかしまぁ、これわかるっちゃわかるんですよ。人間ですから、イラついている日もあるし疲れている日もある。そこに発達障害小僧の意味のわかんねえムーヴを見せられたらぶっ殺すぞガキとはなるでしょう。まぁ、それはそれでしゃーないと思います。ここを読んでる人の中にはお子さんが発達障害という方もいらっしゃると思いますが、発達障害のお子さんとの関係が完全に破綻しても、「まぁ、生きてりゃいいか」くらいに構える必要は正味なところあると思います。

「これをやると怒られる」というのが本当にわかんなかったですね。僕が最も「空気を読む」という能力を求められたのは、父親を暴力で制圧出来るようになるまでの幼少期だと思います。あ、お子さんを物理暴力で制圧してる親御さん、本当にそれは避けた方がいいですよ。子供って成長しますから、必ずやったことやり返されますよ。お子さんを殴るというのは、お子さんがあなたを殴ることに対する免罪符を与えるのと完全に同義です。合理的に考えてやめた方がいいと思います。あなたは老います。

どういう理屈で叱られているのか、それが世間一般の概念として妥当なものなのかはとりあえずいいです、何に怒り何をすると叱る人なのか説明して欲しかったと思いますね。怒っているのは見ればわかる、問題は何に怒っているのか。「真面目にやれ」「言うことを聞け」「親を敬え」ではピンと来ないし、殴っとけばとりあえず短期的には落ち着きますけど、結局学習したのは「動かなくなるまで抑え込んで殴れば俺の方が強い」という結論になっちゃいましたし。こういうのはよくないと思います。「父親を制圧するために柔道を本気出して習う」という選択を我が子がするの怖くないですか?僕はこれがガチで怖いので子供を持つ予定はありません。殺される気しかしない。自分が父親に向けた憎悪、今思い出しても怖いですもん。まじりっけなしの殺意でした。あれほど強い殺意を人生で持ったことは他にないです。

「いや、叱られたら叱られた理由くらいわかれよ!」という怒りは、社会に出てからよくわかりました。社会に出ると誰も親切に教えてくれないし、ムーヴをトチると食えなくなりますからこの恐怖感はわかった。しかし、家族というのは同じ家に暮らし続ける相互に逃げられない檻なわけですよ。言葉を尽くして欲しい、そして一貫性が欲しい。まず、Aという叱られた理由があり、Aが叱られる理由に相当するのはBという理由からであるという点の説明が欲しかった。

僕は未だに「社会に怒られる」という概念を極めて「父親」という概念に近いものとして認知しており、恐怖感と「絶対にコケにしてやる」という憎悪を併せ持っています。突然よくわからない理由で怒る点がまったく同じだと思います。しかし、発達障害児に「空気を読む」というスキルは大変厳しい。空気を読むということを覚えさせるためにも、どのような機序で怒られが発生しているのかを教えてあげて欲しいですね。そうすれば憎まなくて済んだかもしれない。

 

「普通でない」選択肢を許容して欲しかった

僕が未だに後悔していることのひとつに「何故高校を中退しなかったのか」という点があります。学習するだけなら高校に通う必要は一切なかったし、むしろそうするべきだった。僕の幼少期から青年期にかけては、「普通にやらなきゃヤバイ気がする」と「いや、普通じゃなくても選択が合理的でさえあれば想定された通りの結果を出せる」との間での葛藤でした。

発達障害児は基本的に、「普通にやる」ということに関してどこかのタイミングで破綻すると思います。僕は小学校時点でマトモに通えてませんでしたし、また、親御さん自体が「我が子は普通ではない」ということを受け止めるのもかなり大変だと思います。しかしまぁ、これは残念なことですけど普通じゃないんですよね。普通のことが普通に出来ない。殴ったり電流流したりすれば出来るようになるかといえば、まぁ出来ないわけですよ。

しかし、一般的なルートでなければ走れる道もあったりします。僕も、「授業を受ける」ということに関しては相当厳しかったですが、自力で学習することは出来ましたし、興味のあることに関してはガンガン学習出来ました。重要なのは、そのスキルを上手いことツギハギして何とか社会適応することなんですね。

もちろん、「いや、むしろ型にハメて普通にするべきだろ」ってご意見はあると思いますが、僕の経験を踏まえると難しいと思います。それが出来ないから発達障害なわけで。例えば、「大学に行く」「就職して自活する」などの最終的なゴールを見据えて、そこに辿り着くまでの道のりが一般的ではなくても問題ないという姿勢で接してくれたら本当にありがたかったなぁ・・・と思います。

「毎日学校に通って周囲と同じことをし続ける、そしてその中でも上位の結果を出し続けることが唯一の生存の道である」という脅迫観念の中でぶっ壊れかけている発達障害児は多いと思います。でもこれ、どの道無理なんでやめた方がいいです。鬱などの二次障害を呼び込むだけです。それよりは、18歳もしくは20歳時点くらいでの目標を早期に設定して、とりあえずそれを目指す、ただしその過程は合理的でさえあればいい、一般的じゃなくていいという構えがいいと思います。

「人並みにやれなければ終わるぞ」という圧力、あれがキツい。僅かに残った自己承認すら根こそぎもっていく破壊力があります。でも、僕は人並みにやらない方がむしろ効率よく人生をやれましたし、どの道やれやしないんだからそんなとこで悩むだけムダです。「普通じゃない」選択肢を許容してあげる、一般的なルートだけが唯一の正解ではないということを教えて欲しかったですね。

 

不安定さを許容して欲しい

「なんで出来ないんだ!」「なんでやらないんだ!」、これは本当に言われました。昨日できたことが今日は出来ない、昨日と今日で別人のように出力が違う。これは30代になった現在の僕も克服しきれていません。しかし、一生懸命はやってるんですよね・・・。もちろん、わかります「意味がわからない」というあれは本当にわかる。しかし、その意味のわからなさが発達障害なわけです。

テンプレにハメて「毎日これだけやれ」という形にする、また同時にそれを過去一番良かった数字に合わせて強要する。これが最悪です。毎日過集中を出すのは不可能です。やらなきゃ電流が流れる椅子に縛り付けても出来ません。本当に出来ないので、叱咤や暴力は学習性無力感と鬱を呼び込むだけです。本当にやめた方がいいです。リアルに死にます。

また、逆に狂ったように没頭してるときはほっといて欲しかったですね。もちろん、勉強だけしていればいいというわけではなく、あれをやれこれをやれ食事を摂れ風呂を掃除しろ、色々あるとは思いますが、発達障害児が何かに没頭している時は本当に限られたボーナスタイムを消費している瞬間です。ちょっとストップしたらその場で全てが終わってしまいます。何時から何時まで勉強をする、みたいなのが不可能な分こっちで帳尻を合わせているわけです。頼むから止めないで欲しかったですね。

発達障害児は、12時間後にちょっと嫌なイベントがある程度の心理的負荷で何も出来なくなったりします。これは僕が塾で勉強を教えていたときに発達障害の子を見てもわりとそうでした。まずその不安から気持ちをそらしてやらないと、1ミリも話が入らないわけです。叱る、追い詰めるなどは集中の到来を妨害するだけです。

もちろん、我が子に「普通になって欲しい」という切なる願いは子どものいない僕でも想像は出来ます。しかし、無理なんですね。「勉強の習慣をつけましょう、一日n時間机に向かわせましょう」みたいなのは本当に難しい。そういうわけで、学習性無力感と鬱のような精神疾患を防止する、限りある集中の時間を大事にする、その辺が欲しかったなぁと思います。

なお、痛みや恐怖による矯正を継続的に試みた場合ですが、僕は「刃物などの場合殺さないと終わらないので合理的ではない、下手なことをやると報復される。常時使える肉体的暴力の習得こそ急務だ、現在与えられている恐怖感をそのまま返せる」という判断をしましたので大きな問題は起こりませんでしたが、場合によっては普通に起こると思います。物理非物理を問わず、本当に暴力はやめましょう。

 

 

ほどよく諦めて欲しい

つまるところ、これに尽きます。。下手に追い込んでも悪い結果しか出ないわけですから、ほどよく諦めるというのはわりと最善だと思います。しかし、発達障害児というのはなんというか非常にマダラなところがあるといいますか、突然テストで学年一桁順位を取った後、「テストには出たけど20分で全てが終わって学校から逃げ出した」みたいなことをやります。(やりました)

親に、「わからない」とよく言われました。「やれば出来るんだからやれよ!やれないよりやれた方がおまえだっていいだろう!頼むから常に真面目にやってくれよ!」とは言われました。でも、「いつだって僕は大真面目にやってるよ!大真面目にやってもこれなんだよ!自分でもわかんねーよ!」というところで話は終わりでしたね。その頃は発達障害という概念も知りませんでした。

こうしてみると、ハチャメチャなガキに親が振り回されているという構図に見えると思うんですが、まぁその通りです。その一方で僕も努力はしたんです。「ふつうの子ども」になって「普通にやる」ことが出来るならそれが一番だし、なんとかやろうとした。その結果やってきたのは躁鬱による入退院の繰り返しと自殺未遂祭りでしたけど。「僕に普通は無理だ、諦めよう」と思ってから圧倒的に人生が楽になりました。

いいじゃないですか、子どもなんて最悪成人してるなら追い出せばいいわけです。二十歳まで面倒みたら後は知らねえでぜんぜん構わないと思いますよ。世間もそんなに怒らないですし。追い込んでもぶっ壊れるだけですから、その辺うまいこと諦めてください。残念、ツモが悪かった。それでいいじゃないですか。子どもなんてガチャみたいなもんですよ。死ぬところまで追い込めばチャラに出来るという発想もなくはないですが、色々怖いのでなるべくやめましょう。

そういうわけで、何をやれば良くなるのかは正直わかりません。でも、何をやるのが最悪なのかはわかります。「最善」を求めすぎると親子でぶっ壊れると思いますので、とにかく最悪だけは避ける。それでいいじゃないですか。

ほどよく諦め、それでも希望は捨てない。こういう精神状態って僕も30歳を過ぎてから習得したのでとても難しいと思いますし、我が子のこととなったら冷静でいるというのもかなり難しいことだと思いますが、それでもそれが現状一番マシです。後は、本やら僕のブログやらを読んだりして「こういうアプローチはどうかな?」みたいなことを繰り返して行く他ないと思います。

こうして書いてみると、起業失敗エントリ以上に僕は親子関係というものを消化できていないことがよくわかります。過去一番まとまりのないエントリですね。30歳を越えてこれなんだからイヤになります。でもまぁ、こんな感じです。失敗例としてご参考にしていただければ。生きることが第一で多くを求めすぎない。それがベストだと思います。

まとまりのない話で恐縮ですが、やっていきましょう。

 

 

 

5月病とその対策、もう一度歩き出すための話

GW終わりましたね

僕にはゴールデンなウィークはなかったですが、会社勤めの皆さんは十分に楽しめましたか?のんびり出来ましたか。あなたの頭から焦燥感が消えたタイミングが1秒でもあったなら、それはとてもよかったと思います。

さて、これからどうしましょう。新卒で入社した後のGWというのは、ちょっとしたロスタイムみたいなものだと思います。4月大変だったろ、新しい環境でも色々あった。そういうわけでちょっと休んでいいぞ。そういうタイミングです。実際のところ、このお休みが事態を悪くしていますよね。

会社に行きたい人間なんか地球にはほとんどいないわけですが、明日は月曜日です。あなたは否応なく出社しなければならない。この休みさえなければガムシャラに突き抜けられたかもしれないけれど、人間が一度立ち止まった後再び歩き出すというのはとても大変なことです。新卒ハイの魔法は切れた、酔いは醒めた。この程度の休暇では到底ぬぐい切れない二日酔いと疲労を抱えて、あなたはもう一度歩き出さなければならない。

 

5月病にならないために

五月病にならない方法は(それが出来る人にとっては)簡単です。新卒ハイをなるべく低く抑えて体力と気力の消耗を可能な限りセーブし、休暇の間もそのテンションを切らさない。これに尽きます。つまりは手遅れということです。4月をガムシャラに走り抜けてついにやってきた長期休暇です。帰省し、あるいは大学や地元の友人たちと酒を飲み交わしてすっかりリラックスした皆さんは、完全にゼロに戻ってしまった。もう一度ナップザックに荷物を詰めなおして登り始めるのは、実のところ並大抵のことではありません。

ところで僕は山登りが大嫌いで、あんなものを楽しむ人間の気持ちは全くわからないんですけど、山菜取りや渓流釣りは大好きです。ゲーム性があるからです。タラノメを追っかけたり、岩魚の濃い淵を求めて登っていく時、人はそれほど疲労を感じません。ゲームに没入しているからです。皆さんも研修を受けたり同期と親交を深めている時はそれほど疲労を感じなかったのではないですか?

それでも今日の気分は最悪ですよね。日曜の夜にこのエントリを上げる僕の性格も最悪ですが、僕にはゴールデンなウィークが無かったのでご容赦願いたいんですけど。それはともかく皆さん、あのゲームをあと数十年続けなきゃいけないんですよ。受け容れられますか?

山頂は遥かに遠く、皆さんは競い合いながら頂上を目指さなければいけない。もちろん、ある種の頂上にたどり着けるのは数百人に一人とかです。多くの人は道半ばに倒れ、あるいは下山し、それでもなんとか自分を肯定して生きていくしかない。途中で飲んだコーヒー美味しかったな、くらいの思い出が出来ればそれはむしろ幸福な事例と言えます。行軍を始めた皆さんにこれだけは伝えたい。未来はとても長く続きます。

 

クライマーズ・ハイ

僕に山の登り方を教えた人間はこのように言いました。余計なことを考えるな、急ごうとするな、一歩ずつ足を進めろ。進みすぎるな、だが休みすぎるな。そんなこと出来たら苦労ねえよって思います。相変わらず僕は登山が大嫌いでこの助言が実行できたことは一度もありません。

己を鼓舞し、獲物を求めてハイになり狂ったペースで登ったあと一歩も動けなくなる。それを繰り返して生きてきました。エンドレス五月病人生です。一定のペースでゆっくり進む、そんなことは出来ません。全速力で走るか1センチも前に進めないかどちらかしかない。「進みすぎるな、だが休みすぎるな」は掛け値なしに金言だとは思うんですが、僕はそれが出来ないわけですね。

そういうわけで、今五月病に陥っている皆さんのうち、「進みすぎるな、だが休みすぎるな」が実行出来る皆さんへのアドバイスはここで終わります。出来るならやればいい。GW明けの今回で懲りたでしょう。熱狂と酩酊の後には必ず疲労と宿酔が残ります。今回を良い経験として繰り返さないようにするといいと思います。進みすぎない、休みすぎない。テンションを切らさない。それが出来るなら本当に問題ない。これが出来る人は大体優秀です。

ただ、僕はそれが出来ない皆さんのためにこの文章を書いています。ある時突然沸く熱狂に身を任せて登る以外の進み方を知らない皆さんですよね、このブログの読者って。終わりのない五月病に生きるみなさんにはここからが大事です。

 

熱狂が尽きた時のために

僕は発達障害の二次障害として躁鬱病も患っておりまして、人生がものすごい速度で進む時期と、停滞して何もかもが停止する時期というのが人生に交互に訪れます。現在は後者の時期です。毎年、2月くらいに鬱がどん底を迎え5月辺りから回復していくのが規定路線なのですが、今年はどん底の2月から文章を書きまくったため今頃そのツケが来ているわけです。全身が重く、思考も冴えず、全てを投げ出したい気持ちで一杯です。まぁ、普通に死にたいですね。

で、我々がそういう時にどうすればいいかというと、これはもう話は簡単で熱狂を取り戻すしかないわけですよ。もう一回ゲームに没入するしかない。もちろん、鬱病などを患っている皆さんは治療が必要ですが、人生の波のようなものについては治療の余地がなく、なんとか付き合っていくしかないわけです。

でも、どうしても熱狂出来ないしゲームに没入できない時期というのはあります。何もやる気になれない、一行も書けないし一歩も動けない。会社にまるで行ける気がしない。重い五月病は割と厄介で、そのまま人生を踏み外してしまう人もわりといます。僕みたいに無限に五月病を繰り返して来た人間にとってはいつものことでも、社会人1年目の五月病が、「冗談抜きにちょっとこれやばいんじゃないか」という人もいると思います。

 

 寝るのは大体正解

さて、このブログを書いている段階で時間は21時になろうとしています。皆さん、そろそろ明日の出社が頭に引っかかって沈鬱になっているころではないでしょうか。そんな皆さんにアドバイスですが、とりあえず寝てください。睡眠薬をお持ちの方はさっさと飲んでしまいましょう。というのもですね、最悪のパターンって眠れないままスマホをイジイジして、気づいたら朝の4時みたいなあれですよね。

GW明けの月曜日にそれをやってしまったら本当にやばいですよ。今週一週間が終わると見て大体間違いありません。1日の間違いで1週間が台無しになり、1週間の間違いで1年が台無しになり、1年が台無しになる頃には全てがおしまいです。

どんな時でも「寝る」のはベターの選択肢です。例えば、あなたはどうしてもタスクに手をつけられない。でも、タスクに手をつけられないまま寝ることも出来ない。そのまま時間が経って、最悪のコンディションと残り少ない時間でタスクと向き合うことになる。こういうことはよくあります。放り出して寝てしまえば、時間はロスしたかもしれないし締め切りには間に合わなかったかもしれないけれど、少なくとも体調が最悪になることはなかったわけです。

そして、現在皆さんは明日の「出社する」というタスクが大変気がかりな状態です。ここで寝るという選択肢を選ぶのはかなり強い意志の力を要します。こういうときのために睡眠薬はあるんですが、それもない皆さんはとりあえず風呂に入る、寝巻きに着替えるなどあなたの平常通りの睡眠前の行動を取ってください。そして、可能であれば明日の準備をして靴を磨き、眠ってください。僕は基本的に「仕事の準備は前日の夜に終わらせておくのが絶対正義」という考え方を持っているんですが、今日だけはしょうがないです。やる気でないでしょうし。まぁ、とにかく寝てください。眠れなくても目を閉じてじっとしていましょう。それだけで大分マシです。

明日が憂鬱な日はとにかく寝る。これだけは覚えておいてください。これで少なくとも、憂鬱な朝に睡眠不足の彩りが加わることだけはなくなります。これだけで様々なことが相当マシになります。寝酒は今夜はなるべく控えてください。寝付く方法のオススメですが、僕は「ジャン・クリストフ」を布団で通読するというライフハックでこれをかなり解決しました。脳が「これを読み続けるのは苦痛だ、眠りたい」と思ってくれれば勝ちです。別にボイラーの説明書とかでもいいんでしょうけど、「ほどよくストーリーがあり現実を多少忘れさせてくれるが、徐々に読むのが苦痛になってくる」タイプの本がいいですね。スマホと漫画は禁止です。ドストエフスキーはツボに入ると夜が明けるので避けましょう。「悪霊」なら大丈夫かな。(個人の趣味の問題です)

 

布団で悩み込む時間は全て無駄

さて、そうはいっても布団に入ったら様々な不安、あるいは「だるい」という気持ちが襲い掛かってくることもあると思います。しかし、布団の中で現実的な事後策を考えることは絶対に推奨しません。形にならない不安が渦を巻くだけで、絶対に建設的なことなんか出てきません。布団に入ったら後は寝るだけ、考え事は布団の中ではしないというルールが圧倒的におすすめできます。どうしても考えてしまうなら、「ジャン・クリストフ」を読んでください。これは僕に文学的素養がないことの証明ですが、あれほど人間を眠たくする小説はそうそうないと思います。登場人物が覚えきれなくなっても構わず先に進んでください。脳が「もう情報を入れたくない」と感じ始めると、不思議に眠れます。

「布団は悩む場所ではない」という思い切りは大事です。どうしても何かを考えたくて寝ていられなくなったら、起きだしてノートに向かって悩んでください。そっちの方がずっとマシです。ノートを書くのもめんどくさくなって寝たくなれば一番いいですね。五月病の本体は朝にあるのではなく、どちらかと言えば夜にあります。22時に安眠することが出来れば大体大丈夫なんです。いいから悩むな、寝ろ。そういうことです。このブログ読み終わったら寝ましょう。何なら続きは明日読んでもいい。

 

これだけできればOKというルールを定めよう

それでも、なんとか出社したはいいけれどモチベーションがまるで上がらない、ということもあると思います。そういう時に限って悪いニュースは飛び込んでくるし、先週自分で埋めた地雷は爆発します。しかし、そういうのは今は仕方がないことだとあきらめましょう。だってあなたは五月病なんです、出社出来ただけ大したものです。上司に怒られようと、多少評価を下げられようと「最低限これだけ出来てればとりあえずは良い」と自分を許すことが大事です。なにせ、自分を責めたところでどうにもならないわけですから。自分を責めてモチベーションが戻るならとっくの昔に戻ってる筈です。やるだけムダです。そんな自己満足はやめて、最低ラインの維持だけに力を注ぎましょう。

加えて、「他人に愛想よく接する」ということを「最低限」に組み入れられれば尚ベターです。大きな声で挨拶する、大きな声で返事をする。なるべく機嫌のいいフリをする。新卒ならこれさえ出来てれば5月で完全にアウトになるということはありません。実際、これはかなり不思議なんですが、僕もどれだけボロクソの状態でも上記までのことは出来るようになりました。社会人は大体身に着けてるテクニックですが、新卒の皆さんにとっても重要です。にこやかで快活なゾンビとして過ごせるようになってください。

 

モチベーションを戻す

つまるところ、仕事にモチベーションを戻すにはゲームに再び没入するしかありません。それは面白みを見出すことだったり、真剣みを取り戻すことだったりしますが、この状態に戻すには何はともあれ仕事をしなければなりません。

皆さんの中に、期日が三日ある課題を「一日だけ完璧に休んだら翌日から本気出す」という誓いを立てて、それを確実に実行出来る人っているでしょうか。たぶん、ほとんどいないですよね。僕も出来ません。結局、これは

決断のコストと先送りの問題の話 - 発達障害就労日誌

このエントリの話の変奏なんですが、一定時間現実逃避したらモチベーションが戻るということは僕の経験上まずありません。とにかくスケジュールを切る、タスクを細分化する、そして一つ一つ手につけていく。やっているうちに偉大なる過集中がやってきたら儲けものです。

仕事も同じで、まずは出社して一日の予定を立てる、現在与えられている業務を確認してスケジュールを作り直す。メールフォルダをチェックして返信する。モチベーションは結局のところそういったルーチンからしか生まれないように僕は思います。なによりモチベーションが枯渇した状態で、平常のルーチンが保てていることはまずありません。となれば、まずは比較的楽なところからルーチンを戻していくしかないわけです。

もちろん、ルーチンを戻せたからといってモチベーションが戻ってくるとは限りません。しかし、平常ルーチンに戻れば仕事の能率は確実に上がります。能率が上がってくればゲームが楽しくなってくる可能性も高いわけです。とても辛いけれど、再現なくこれをやるしかないわけですね。

そして、最後にちょっとした小技ですが、「ルーチン」の最初に少しだけ楽しいことを入れておくのがとてもいいです。僕の場合は「コーヒーを淹れる」ですね。勤め人の際は、職場についてまず缶コーヒーを一本飲みます。こういう、手につけるのに苦痛のないスターティングルーチンを一つ確立しておくととても便利です。ここから次の作業にシームレスに繋げればあなたの勝ちです。いいですか、職場についたら、あるいは職場の手前で缶コーヒーを一本飲む。それだけをやろうと思ってください。それさえやれれば大丈夫です。安心してください。

 

眠ろう、そして最低限のことをやろう

はい、そういうわけで皆さん寝ましょう。5500字もお付き合いさせといてなんですが、この時間にスマホやPCを睨んでいるのはいいことではありません。明日のことは明日のあなたが苦しむわけですし、皆さんに出来るのは明日のあなたの苦しみを最低限にしてやる気遣いだけです。

また、これらの工夫が一切の効力を持たず、布団から出ることですら地獄のように苦しい、そういう状態になった場合は迷わず有給取って心療内科に行きましょう。安定剤と睡眠薬で本当に楽になります。とにかく眠る、最低限のことをやる。平常ルーチンの一番最初を捕まえる。これだけ覚えておいてください。

 そして、最後にどうしても絶望感と不安に苛まれて眠れない皆さんに、莫大な借金を抱えて事業をコカした僕が迫り来る債権者や怒り狂う取引先へ出向く仕事を明日に控えて、何とか眠るために編み出した秘伝の技を伝授します。

目を閉じて、こう考えてください。「僕は今日死ぬ、このまま目を覚ますことはない。明日は僕の記憶を引き継いだまったく新しい自己がやっていく。僕の仕事は今日でおしまい」そういう感じです。そして、意識がバラバラになって自分が消滅していくのをイメージしてください。大変ペシミスティックな発想法ですが、事態が最悪であればあるほど、精神状態がグチャミソであればあるほど効果を発揮します。

本当に厳しい時、「死のう」と考えて自殺の方法やそれまでの下準備なんかをシュミレーションしてるときってなんか安らぎませんか?僕は一時それだけが慰めだったことがありました。あの時の不意に訪れる安らかさを利用して眠る技です。楽しいことも前向きなことも何もかも尽き果てた、そんな日にお試しください。

モチベーションが戻る日、再び熱狂がやってくる日がいつになるかはわかりません。でも、それがやってくる日までとにかく事態を最悪にさえしなければいいんです。転げ落ちなければまた追いかけられます。そして、そのうちに熱狂がなくても仕事がそれなりに出来るようになれば尚良いですね、僕は未だに難しいですが。それでは皆さん、おやすみなさい。

明日もやっていきましょう。

未公開株売りボーイを説得する話

ネタが転がって来ました

はい。ツイッターをやってると様々な曖昧な人類が連絡をくれるんですが、今日は一際気持ちがある若人と接触したので皆様にご報告差し上げます。ご査収ください。ちなみに、辛島さんは二十歳の若人です。

そういうわけで、余計な味付けをせず素材そのままの味をお楽しみください。

 

f:id:syakkin_dama:20170501020537j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501020544j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501020553j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501020603j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501020613j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501020623j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501020634j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501020659j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501020714j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501020744j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501020927j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501020936j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501020951j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501021020j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501021035j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501021046j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501021056j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501021106j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501021116j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501021133j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501021148j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501021205j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501021217j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501021233j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501021243j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501021258j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501021307j:plain

f:id:syakkin_dama:20170501021319j:plain

 

はい。以上になります。

まぁ、おじさんじっくり考えたけど、これたぶん未公開株のアレですね。株券自体は存在するっぽいけど、まぁアレですよね。辛島さんは多分ツイッターにアクセスが殺到すると思いますので、うまいこと金に換える画とか考えるといいと思います。元気出せ若人、まだまだここからだ。あと、今のところMLM要素はあんまり見つからなくて、単なる非公開株の営業だと思う。「初めて商った商品は非公開株です」っていうのは人生エピソードとしてわりと美味しいですね。

徳をまた一つ積んでしまった。やっていきましょう。

決断のコストと先送りの問題の話

決断してますか?

人生色々ありますので皆さんも大体厳しい感じで生きてると思うんですけど、日々を生きていくうえで最近非常にキツいなぁと思うものがあって、「決断」なんですよね。いくつかの選択肢があってそのうちひとつを選ぶという人生において避けては通れないあれは、非常に厳しい。

経営をやっている時なんかは毎日が決断の連続で、この判断トチってたらアウトの可能性もあるなぁ、なんてのが日常だったので改めて考えることもなく、ウォーって叫びながら決断を繰り返してきたわけなんですけど。そういう戦場フェイズも終わって新しい生活をしていると、本当に「決断」というのはエネルギーのいる作業だなぁと改めて思うわけです。

で、会社経営の話からまずすると、僕は「決断をする」人間と「決断に必要な情報を収集する人間」は可能な限り分けるべきだと思っていて、しかも情報収集をする人間は決断に対して予断を持たず、ただひたすらに情報を収集する作業を担当するべきだと思ってるんですよね。情報を収集する作業と決断する作業の両方を一人の人間が受け持つと、決断の精度は明らかに落ちる、これまでの経験から僕はそう思ってます。

「まともな判断」を担保するには人間が一人では足りないと思うんですよね。判断に必要な情報を集める人間と、集めた情報を咀嚼して判断する人間の二人がいると非常に精度がよくなる。(まぁ、もちろんこの形にはこの形なりのデメリットもあって、どうしてもスピード感が鈍りますし、情報を収集する人間の調査が偏っていたりすると誤った判断は出てくるわけですが)経験上僕はそう思っています。まぁ、実際常にこれやれるかっていったら難しいんですけどね。

責任を担って決断を下すというのは、心理的なコストを非常に食う作業です。また、これは心理的なコストだけではなく、純粋に疲れます。非常にコストの高い業務です。重責を担った人間が独力で調査をして決断をするというのは、その時点で人間の能力的限界を超えてしまうことが多いのではないかとさえ思う。僕ももう一回創業するのであれば、この辺の分業を上手いことやれる意思決定の仕組みを作りたいなぁと思うんですが、これはあくまで会社経営における意思決定の仕組みの話で、人生においてはこういう方法ってまず使えないですよね。

人生は自分で調べて自分で決断するしかないわけですよ。そこでどうすっかなー、というのが今日のお話です。

 

決断の先送り

で、ここからが発達障害のお話なんですけど、僕はADHDなので完全に「先送り癖」があります。この症状にはコンサータも効かないのでわりと苦労しています。単純な作業の先送りなら、後から必死に帳尻を合わせれば何とかなることが多いのですが、「決断の先送り」に関しては苦々しい経験がわりとあります。どっちの選択肢でもいいからさっさと決定して動いていれば少なくとも今よりマシだった、そういう経験ってわりと皆さんあるんじゃないでしょうか。

決断というのはそれ自体の正しさももちろん重要ですが、「速さ」もかなり重要になってきたります。決断を先送りしているうちに選択肢が消滅していくことって人生にはありますよね。結果的に上手くいったからそれでいいというパターンももちろんあるでしょうけど、当然「完全にミスった」ということもあるわけです。「選択しない」という選択肢は、本来は一つの決断なんですけど、ADHD傾向の人間はついついその選択肢に向かって流れてしまう悪癖があるように思います。これに関してはADHD傾向でない人もそういうところがあるのかもしれません。

「決断を迫られたが最終的に決断しなかったためそのような結果になった」人生にこのような事態が生じている人は非常に多いのではないでしょうか。ひとつの決断を下すために、十分な事前調査や吟味を行った上決断を下す。人生の諸事において、本来は必要であろうこの工程を十分に踏んできたと自信を持って言える人は少ないと思います。残り時間ギリギリになって衝動的に決断したことって多いですよね。もちろん、事前調査も情報の吟味もろくすっぽやらなかったみたいな。「異常にカンがいい」みたいな特殊スキルでぶっ飛んでいく人もたまにいますけど、まぁこれをずっとやってたら人間どっかでは派手にコケますよ。

 

決断への忌避感情

 「決断をする」というタスクへの忌避感情は、完全に「先送り癖」です。「決める」というタスクは重たいので、どうしてもめんどくさくなるわけですよ、その時点で直視したくない。その上に「調査して情報を吟味しなければならない」みたいな具体的なタスクが乗っかってくると尚更です。人生において「決定する」というタスクは、実は「調べる」と「決定する」の2タスクなんですね。いや、普通に考えてこんなの先送るよ、だってダルいもんって気がしませんか。

何も決められない人ってたまにいるじゃないですか、とにかく「決定する」というタスクを徹頭徹尾嫌がる人。絶対に最終決定者としての責を担わないぞ、という強い気持ちを持った人類。これもそうで、もちろん「責任回避策」みたいな意味合いもあるんですけど、それ以前に「ダルいからやりたくない」みたいなプリミティブな気持ちが出てきてるわけですよ。人間は基本的に決断するのが大嫌いなんです。ある意味経営者なんてのはこの皆が嫌がる仕事をするから金貰えるわけですよ、皆が大嫌いな汚れ仕事なんです。いや、もちろん事業を成功させて収益を出すってのも大事な仕事なんですけど、それ以前に「決定する」っていう役割を担わないと話にならない。

会社経営をしていると、「おまえの判断はクソだ」みたいな批判をゴリゴリ受けることはわりとあります。そういうわけで、「よしわかった、ケツは俺が持つからおまえが判断してみろ」ってボールを投げ返したことは僕にもあります。しかし、ここで「よっしゃ任せろ」って言える人間はそれほど多くありません。ここで躊躇いなく『ケツを上に預けたまま裁量ゲットヒャッハー!』って思える人はベンチャー企業の従業員とか経営者に向いてますね、僕はそういう人大好きです。

 

【対策1】決断までのタスクの細分化とスケジュール化

で、こういう問題に具体的にどう対処していくかのお話なんですけど、まずひとつは王道の対処法ですね。目の前にめんどくさいタスクの山があるなら、とりあえず細分化してやろうというお話です。昔、タスク管理の話

残念な人類のためのタスク・スケジュール管理術 - 発達障害就労日誌

でも触れましたがあれの応用です。とりあえず、調査から決定に至るまでの工程を適切な数の作業タスクに分割して、1つずつこなしていけばいい。調査、吟味、決断みたいな3工程にとりあえずスケジュールを切ってみるわけですよ。具体的に何を調査し、どのように吟味するかまで決められると尚いいですね。

例えば、「宅建士か行政書士かそれともどちらも受けないか」みたいなことを悩んだ時はこのパターンに限ります。①宅建士資格について調べる ②行政書士資格について調べる ③取得メリット、取得に必要な資金的ないし時間的コスト、合格可能性などを勘案する ④決断 みたいな感じで4日間とかのタイムスケジュールを切ってやればまぁいいと思います。

細分化してスケジュールにハメるというのは、めんどくさいタスクに取り組む時の王道的な対処方ですが「決断」もやはり「めんどくさいタスク」なのでこの方法が同じように使えます。「悩んだらまずスケジュールを切る」という形で僕は人生に実装しています。これやんないと調べたり考えたりすることすらしなくなっちゃいますからね。

「離婚するかしないか」みたいなヘヴィな決断にもこの方法はかなり使えると思います。だって、調査大事でしょ?吟味も大事ですよね。カルマがたまるので具体的に何を調査して何を吟味するのかは置いておきますが、大事ですよね?でも、日常の中でダラダラやってたら決断が「あらゆる損得を振り切って離婚する以外の選択肢があり得ないと感じた時」、言い換えれば「ブチギレた時」になっちゃいますよ。人生の重要な決定をブチギレてするってのはその時点で負けですよね。

もちろん、「会社を辞めるか辞めないか」なんかにも重要です。決断を迫られた時は、猶予期間の内に決断に至るまでのスケジュールをとりあえず切りましょう。

 

【対策2 】決断コストの温存

あらゆるものは有限の資源です。「決断」する心理的コストももちろん有限です。「決断する」ってめっちゃ疲れますからね。使わなくて済むところでは使わないのが一番なんですよ。そういうわけで、これは僕の知人の経営者(極めてASD傾向が強い)の話ですが、日常の中から可能な限り決断を排除するという手段があります。

例えば、彼は昼食を1週間単位のルーチンにしています。月曜日はカレー、火曜日は定食、そんな風に日常の中での些細な決定を可能な限りなく少なくしているそうです。もちろん、接待で飲む店もカッチリ決めてありますし(どの街で飲むことになってもいいように一覧を作っているそうです)、スーツを繰り回すルーチンで悩むこともないそうです。彼と食事をしている時に僕はこの「ルール」に気づいたんですが、「なるべく考えることを減らすように生活することが自分にとっては大事」と言ってました。

我々衝動で突っ走るADHD傾向の強い人間にとってそのままこの方法を生活に取り入れることはかなり難しいですが、見習うべき要素はかなりあります。人生は些細な決定の際限のない繰り返しですが、その大半がどうでもいいっちゃどうでもいいものなんですよね。「どうでもいい決断」にかけるコストを可能な限り減らし、重要な決断に投入するコストを温存するという策は相当使えると思います。

この方とLINEをしていてはっとしたんですが、この方コミュニケーションにありがちな「どうでもいいけど返事を返さないと角が立ちそうなあれ」に対して、LINEのスタンプ数種類で対応しているんですよ。僕はスタンプを使いこなすのが非常に下手なので、都度言い回しを考えながら返信をしてるんですが、考えてみればこれも無駄なコストといえます。ラインのスタンプをポンと返信してそれで終わるならそれより楽なことはない。汎用性の高いラインスタンプいくつか導入しようかな・・・。

ちなみに、この方「買い物」も大嫌いだそうです。服を選んでいると気が狂いそうになると言ってました。スーパーで食品を選ぶのも嫌いだそうで、自炊は一切しないとのことです。こういう吹っ切れたコストのかけ方、あるいはコストの温存し方はかなりアリだと思います。その決断、本当に悩むほどの価値がありましたか?歯磨き粉を買うのにそんなに悩む必要ありますか?一番最初に目についたやつで十分じゃないですか?

例えば、「値段と栄養バランスと献立の繰り回しを考えながらスーパーで買い物する」という行為は、地味に「決断コスト」が高いです。あれ相当ダルいです。情報が無限にある時代ですので、我々は「決断すること」に消耗しています。でもそれ、冷静に考えるとやんなくていいですよね。外食してビタミン剤飲んどけば、とりあえず大丈夫ですよ。「決断コスト」というモノサシで考えてみてください。投下できる資本が余ったらやればいいじゃないですか。日常生活がギリの人がやるべきことではないですよ。

 

【対策3】どうでもいいことは我慢しない、決断コストの見直し

ここまで「~をする」というタイプの決断について語ってきましたが、現実問題として我々が人生の中でもっともコストを食う決断はこっちではない気がします。むしろ、「~をしない」という決断ですね。ダイエットをされている方、禁煙されている方なんかはよくわかると思います。キツいですよね。

「家系ラーメン食いたい、ニンニクと豆板醤死ぬほどぶちこんだ大盛りのやつをライスと一緒にかっこみたい」と思ったとするじゃないですか。でも、流石に栄養バランスが偏るからやめよう、今夜はサラダうどんにしよう、そういう決断をしたとしまう。この時点で人間って消耗してるんですよね。あなたにとっての人生の一大事がダイエットならそれでいいと思います。でも、健康診断の結果に大きな問題も出ていないしベルトの穴が足りなくなったということもないなら、とりあえずそれは食っちゃっていいのではと思います。少なくとも、「大事な決断で消耗している」という自覚があるときにそれをする必要性はない。ガーっと家系かっこんで回復させた方がいいと思いますよ。

例えば、「喫茶店でコーヒーを飲む奴はバカだ、毎朝水筒にコーヒー詰めろよ」みたいなこと言う人いますが、僕はこれ「コストが合わない」と思います。朝の忙しい時間にコーヒー淹れて水筒につめる決断をするの、かなりコスト食いますよ。喫茶店に入ってのんびりしたい時にベンチを探して水筒をカバンから取り出すの、かなりキツい決断ですよ。こういうことは(それをするべき何らかの必要性に迫られていない限り)しなくていいと思います。

日常生活の中で「本当は必要ない決断コスト」を払っていることは結構あります。大胆にコストカットしちゃっていいと思います。その結果、お金の面のコストが増えるのも多少はアリですよ。だって、今本当に必要なのは「決断コスト」の方なんですよね。この文章を真面目に読んでるということは、「意思決定に必要な資源が私には不足している」という自覚があるということですよね。

 

【対策4】習慣にする

最後にこれですね。特に我々先送り癖バリバリのADHDマンにとって、例えば「毎日英語の勉強をする」とかそういうのがあると、「勉強をするという決断をする」というのにハチャメチャなコストを食うわけです。僕もこのブログを書くのに消費している一番デカいコストは「文章を書き始める決断をする」ことです。これがアホみたいに高くつきます。

で、これの対処策ってつまるところ「習慣にする」しかないんですね。生活の中で完全にルーチン化しているので、決断コストの消耗が限りなくゼロに近づいた状態、これが「習慣づいた」というものではないでしょうか。良い習慣を作る方法についてはまぁそのうち別切りでエントリにしますけど、理想形はこれですよね。

ただ、これは対策1~3と違って相当難しいです。でもリターンが大きいのでトライする価値はあります。しかし、習慣が完全に生活するまでは「毎日勉強する」ということひとつでもアホみたいな決断コストを食う状態ですので、その決断コストを捻出するために他を節約する必要はあると思います。

 

決断コストがガッツリ人間を削ってることに気づこう

そういうわけで、ここまで書いてきてなんですけど、一番重要なことはこれです。「決断する」という作業が人間にとって非常にかったるいものであるということに気づくことが重要です。これに気づかないまま、「なんで俺こんなに消耗してるんだろう?」って人は少なくありません。経営者界隈で「判断力が終わった人」というのは悲しいことにわりと観測されるのですが、まぁぶっちゃけこれだと思います。自分の判断力が終わっていることに気づけない限り休むことすら出来ませんからね・・・。意思決定コストをゼロだと考えている人って意外と多くて、大変なことになりがちです。

そういうわけで、もうひとつこれはお願いベースの話なんですけど、「経営陣は大して実務もやってねえのに何あんな偉そうにしてんだよ」っていうお気持ち、これは大変理解するんですが、彼らは彼らで厳しい経営環境を生き抜くための意思決定でガッツリ削れているということを理解して欲しいなぁと思います。いやまぁ、労働者として正しい答えは「知ったことかよ」なんですけどね・・・。実務を減らして意思決定に割くコストを確保するのも仕事のうちというところはあるんですよ。

経営者が人間として限界ギリギリの実務をこなしながら同時進行で意思決定を行っているという事例は結構あって、まぁ創業企業なんてどうしてもこんな形になるのは当たり前なんですけど、それはそれとしてかなりヤバイ人員配置だとは思います。

また、労働者として働く皆さんもわりと決断を迫られるシーンはあると思います。日常は決断で満ちています。「決断コストの遣り繰り」という概念を是非覚えておいて欲しいと思います。特に、自己モニタリング能力が低めの発達障害のある皆さんは、自分が決断の連続にガリガリに削れていることを認知するのですら大変です。しかし、決断の連続が続けば判断能力は確実に低下しています。それを認知して、うまいことやっていきましょう。

借金玉アイコン展覧会 その2(+ニューアキンドセンター様エントリ告知)

借金玉アイコン展覧会 その2

昨日に引き続いてアイコン展覧会です。今日もモリモリ素晴らしい作品が出てきます。

さて、その前にちょっと告知させて欲しいことがあるんですが、またニューアキンドセンター様で文章を書かせていただきました。今回も人生経験のあまり幸福でない部分をゴリゴリ摩り下ろしてコクを出したつもりですので宜しくご査収ください。尚、本エントリの上部には「よかったよ」という気持ちを数値化する機能が存在しております。僕が今後ニューアキンドセンター様に呼ばれ続けるかなどに影響します。あと、徳が積めるという噂もあります。よろしくお願いいたします。

new.akind.center

はい、そのようなわけで、辛い話でピリっとした後は楽しいアイコン紹介に入ります。人生、悪いこともあればいいこともあります。いや、生きてるとこういうこともあるんですね。アイコン祭り、本当に救いを感じました。嬉しい。それでは珠玉の作品をご紹介させていただきます。

 

 

f:id:syakkin_dama:20170421223348j:plain

唐沢 (@KRSWmk2) | Twitter様の作品です。クマに寄せて来ましたね。歯が大変凶悪で良い感じがします。シンプルなアイコンは人気が出る傾向にあり、こちらの作品も大変フォロワー様人気は高いですね。かわいらしい。歯茎の色合いがチャーミングです。思い切った色ですよね。じーっと見てるとどこからか不安感が滲み出てくる。

 

 

f:id:syakkin_dama:20170421050114p:plain

なだらか屋 (@nadarakaya) | Twitter様の作品です。ノーコメントです。怒られたら消します。リスクがあるのはわかりきってるのに展示しないと気が済まないこの性格で人生失敗してきたんだ。

 

 

f:id:syakkin_dama:20170421050036j:plain

はまゆう (@hamayu_myhm) | Twitter様の作品です。背景に気迫があり、よく見るともしかして僕の最初の絵がベースですか。大変味わいがあります。左右の目が微妙に対照でないあたりからも味わいが出ています。友人からは「わりと似てる」という声がありました。「完全に追い詰められた時こういう顔してた」とのことです。

 

 

f:id:syakkin_dama:20170421230405j:plain

おデン (@o__den) | Twitter様の作品です。元の画像を尊重しつつ、なかなか良い表情をつけてきましたね。妻はお気に入りNO1だと申しております。重量感のあるヨダレと、顔の肉がモチャっとしている感じが大変よい。こういう表情をしていることはたまにあります。尿を採る必要はありません。

 

f:id:syakkin_dama:20170421230631j:plain

リプライが消失してしまったため作者様を追いきれなくなったのですが、なかなか本質的な作品が来ました。雑に「くま」と書いておく投げっぱなしです。よく見ると目より高い位置にヒゲがあります。掲載したらダメかなぁと思ったのですけど、味わいに負けました。ダメだったらご連絡ください。作者名出せや、という場合もご連絡ください。

 

 

f:id:syakkin_dama:20170421230832j:plain

ぴ山金魚 (@niizoehumitake) | Twitter様の作品です。「微笑んだ美輪明宏っぽい」という旨のコメントを妻が申しております。元の画像からこの造形へのイメージの転換さりげなくすごいと思う。実に妖怪を感じます。じっと見ていると徐々に目が動き始める。

 

 

f:id:syakkin_dama:20170421231112j:plain

KnmMtym (@KnmMtym) | Twitter様の作品です。昨日完成版を上げましたが、こちらの絵の質感も好みだったので線画の方も。服の生地の質感が厚ぼったくてかわいいと思う。

 

 

f:id:syakkin_dama:20170421231240j:plain

エス (@neonightlife) | Twitter様の作品です。昨日に引き続き完成版です。ビックリマンチョコのデザイナーが何かあまり遵法的ではないものをおキメになった。そういう風合いがあります。地味に質感も作りこんであり、借金玉だけにな、という感じです。

 

 

f:id:syakkin_dama:20170421231435j:plain

蓮也 (@hasu58364) | Twitter様の作品です。ツノが生えて来ましたね。盛り上がってきた。目の赤いラインも大変よくなってきました。初めて遭遇するときはめっちゃキツいけど、終盤の経験地稼ぎに便利、そのような雰囲気があり僕のキャラクター性とマッチしている気がします。牙のキメキメの造形がかっこいい。

 

 

f:id:syakkin_dama:20170421232648p:plain

ともこ (@tomokoadhd) | Twitter様の作品です。僕この作品好きなんですよね、動きがあって勢いがある。僕がヤケクソになりながらツイートしてる感じしませんか。あれです、なんか微妙に流れをミスって止められなくなってる明け方5時の僕こんな感じですよ。やっていきましょう。

 

 

f:id:syakkin_dama:20170421232846p:plain

くもの (@kumonogu) | Twitter様の作品です。更に勢いが前に出てきました。転がっております。よくみると、「あ・・・?」みたいな表情にもみえてくるのが味わい深さがあります。じーっとみてるとだんだん表情が変化していくタイプですね。イメージ的にはあれです、スーツ着て電車に乗って会社ついたらスニーカー履いてた顔です。

 

 

f:id:syakkin_dama:20170421233038j:plain

まくるめ (@MAMAAAAU) | Twitter様の作品です。はい、1分で描いたとのお話ですが、顔の横のギザギザと口の形で、まくるめさんご本人のアイコンとはまた違う、なるほど借金玉アイコンだという感じが出ています。こういうシンプルなセンス見習いたいですね。まくるめさんは本当に何でも出来る。

 

 

f:id:syakkin_dama:20170421233243j:plain

イド (@ido_mazine) | Twitter様の作品です。ドット絵が来ました。あれですね、ゴゴゴゴってせりあがって来て無数の弾を発射するタイプですね。そしてズズズズズという音とともに画面外に落ちていく。早く僕も画面外に落ちたい。よく見ると血の涙を流してますね。ピリっとしたセンスがあります。

 

f:id:syakkin_dama:20170421233425j:plain

f:id:syakkin_dama:20170421233706p:plain

創作地形のタクタク・テラ (@qhqhTerra) | Twitter様の作品です。当面何かオフィシャルに外に出る場合の公式アイコンはこちらの作品を利用させていただくこととなりました。ツイッターのアイコンは気分変動を続けようと思いますが、こちらの作品が借金玉アカウントのよそ行き顔となります。これだ!が発生しました。何が気に入ったかっていうと、とにかくなんか気に入ったとしか言えないんですけど、僕は上の方の輪郭が不明瞭な方が好きなんですよね。これは気分と場で使い分けていこうと思います。ドレスコードなどに応じて。

みなさん、本当にありがとうございました!

アイコンに恥じないコンテンツを発射し続けていきたいと思いますので、今後とも何卒ご愛顧ください。頼む、マジで。人生掛かってるんだよ。皆さんのアクセスで救える命がある。救う価値については考えるな。

よろしくお願いいたします。

f:id:syakkin_dama:20170421235320j:plain

(関係各位、怒らないで。関係していない各位も怒らないで)